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新妻逃げ旅 編

8話 騎士団長の喜び

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「つまり、結婚前から遠方への仕事はよくあったことで」
「はい……」
「五日以内には戻る予定で、大した期間ではなかったため、置き手紙程度でいいと自己判断を下し」
「はい……」
「一人の方が気楽だからと同行者もつけなかった」
「はい……」
「間違いないか?」
「ありません……」


 自分のうしろから聞こえる落ち込みを隠しきれていない声に、ユリウスは苦笑いを浮かべる。どうやら、怒った風を装ったのが効いたのか、エルレインは素直に反省しているらしい。
 実際のところ、ユリウスはこれっぽっちも怒ってはいなかったのだが、今後も似たようなことが起こるとさすがに困る。そのため、今回は心を鬼にして、「怒ってます」的演技をしているのである。

(きっと、慣れない結婚生活に疲れて息抜きでもしたかったのだろうが……。今後も同じようなことをされると、さすがにな)

 決して、エルレインのことを縛りつけたいわけではない。
 できることなら、彼女の望みはすべて叶えてあげたいというのが、ユリウスの本心だ。

 しかし、跡取りではないとはいえ、辺境伯という地位が邪魔をしてくるのも確かで。現当主である父、次期当主である長兄に比べれば可愛いものだが、貴族位を放棄しない限りはそれなりのしがらみはある。善もあれば悪もあり、はたまた無なんてものまで存在する。

 辺境伯家に恨みのある者。
 ユリウス個人に恨みのある者。
 恨みはなくとも、その地位を蹴落としたい者。
 横恋慕を狙う者――。

 考え出したらキリがない。
 お世辞にも平和とは言えない場所に、エルレインは嫁いでしまったのである。

(本人はあまり気にしていなさそうだが……)

 それもどうなのだろう、となんとも言えない気持ちになる。だが、必要以上に不安がられるくらいなら、今の状態がちょうどいいとも言える。

 しかし、同行者のいない一人旅は論外だった。

 確かにエルレインは、この国の重要な役回りを任されており、王族達のお気に入りなのは周知の事実。手を出せばどうなるかなんて、馬鹿でもわかることだ。
 つまり、何を言いたいのかというと。

 『馬鹿以下の屑にはわからない』ということである。

(それに、家や俺に恨みがあるのは貴族だけとは限らないからな)

 騎士という仕事上、相手は魔物だけではなく、対人たいじんが含まれるのは当たり前のこと。そういう仕事の折に、恨みを買うことは決して珍しくはない。

(俺に復讐できないのであれば、その矛先がエルレインに向く者もいるだろう。俺はそれが何より怖い……)

 エルレインの強さがどれほどのものか、ユリウスは知らない。
 本人曰く、結婚前から一人旅はよくしていて、何らかのトラブルに巻き込まれてもそれなりに対処はできていたと笑っていたが。
 それでもユリウスが心配しない理由にはならない。


「……エルレインは、旅が好きか?」
「は、はい」
「同行者を伴わない、一人旅が好きか?」
「えっと……」
「正直に答えていい」
「大好きです」


 いっそ清々しい答えに、思わず笑いそうになる。

(そういえば、エルレインの養父母であるオルフォート夫妻も、困ったように笑いながら言っていたな)


『ふらっといなくなったと思ったら、ふらっと帰ってくる。たくさんのお土産と一緒に。しかも、こちらがつられるくらいいい笑顔をするものだから、怒るに怒れない』


 こっちの毒気が抜かれるくらいに無邪気なのだとも言っていた。
 きっと本来は、一か所に留まれるような性分ではないのだろう。自由気ままに興味のあることだけをして生きる。それが出来る人。それが許される人。この国の王族にさえ目をつけられなければ、そうやって暮らしていた人――。

 しかし、今は違う。
 少なくとも、オルフォート伯爵家よりも上の地位にあたる、フォーゲル辺境伯の元に嫁いでしまった。跡継ぎではない次男とはいえ、黒牙騎士団の団長を務めていることから、地位は高いまま。その妻になったのだから、以前よりも狙われやすくなったのは確かだ。

 ユリウスとて、エルレインには好きなように暮らしてほしいと思う。
 しかし、騎士団長という立場上、自分はそう簡単に身動きが取れない。いざという時、助けられるとは限らない。

 だからこそ、魔術師団の団員でもいい。遠くに行くのなら尚のこと、一人になってほしくない。
 少しでもこちらが安心できる、そんな環境にいてほしい。
 だから――。

(今は、心を鬼にする時だ)

 ユリウスは、わざと怒りを込めた低い声で告げる。


「誰かと共に行くことができないのなら、今後は遠方の仕事を禁止することも考える」
「…………」
「最低でも二人はつけること。これ以上の譲歩はない」
「…………」
「どうする、エルレ――」
「……ユリウスさんじゃダメなのかなぁ」


 ぼそっと聞こえた呟きに、ユリウスは言葉を止める。
 たぶん、独り言だろう。だが、思った以上に声が大きく、ユリウスに聞こえてしまっている。


「むぅ。ユリウスさんなら、大丈夫そうなんだけどなぁ」
「…………エルレイン。聞こえているぞ」
「え? …………えっ!? ご、ごめんなさい!!」


 謝る必要はなく、むしろ嬉しいくらいだとユリウス。
 しかし、こんな本心を聞いてしまっては、もう心を鬼にはできない。なぜなら、嬉しさが先立っているから。


「え……えへへへへ。そ、その……同僚はちょっと鬱陶しいというか、なんというか。皆、なぜか私に厳しくて……」


 と、気まずそうに笑うエルレインだが。

(単独行動をしたくて、勝手にどこかへ行こうとするんだろうな)

 詳しい説明をされずとも、ユリウスにはお見通しだった。


「だから、その……ユリウスさんなら、多少大目に見てもらえるような気がして?」
「仕事となれば、俺も厳しくするぞ」
「えぇぇぇ……」


 うしろから聞こえる不満げな声に、「当たり前だろう……」とユリウスは心の中で呟く。
 確かに、エルレインに対してだけは厳しくなりきれない自分がいる。ただ、それは危険が伴っていない時だけの話。更に仕事となれば、厳しい態度を取るのは当然のこと。
 単独行動を取りたいと言うエルレインに許可を出すかと言えば、もちろんノーだ。

(それに、討伐任務でもない限り、そうそう遠出も許されないしな)

 そう。ユリウスは黒牙騎士団団長である。日々の業務は山積みで、エルレインの後を追って来れたことが最早奇跡。
 今回、それが叶ったのは一重に彼の補佐役である副団長のおかげ。
 不安そうに一点を見つめたまま、仕事が手につかないユリウスを見かねて、


『行ってきてもいいですよ。……次はありませんけどね』


 と、不気味なほど綺麗な笑みで送り出してくれたのである。ただ、その言葉通り、二度目はないだろう。


「遠出の仕事に行くのなら、魔術師団の団員を伴うこと。それが出来ないのなら、近場で我慢してもらうが……。どうする?」


 なんて、一応言ってはみたものの。ユリウスとしては、遠出してほしくないのが本音だ。
 しかし、旅好きのエルレインであれば、きっと同行者を連れて遠出をすると――


「それじゃあ、近場で仕事します」
「…………ん?」


(聞き間違いか? 近場で仕事をすると聞こえたような……)

 自分の意見を通したくて幻聴でも聞こえたのかと、ユリウスは首を傾げる。だが、それは決して幻聴などではなく。


「あえて同僚を連れてまで遠出したい訳じゃないんですよね。好きにさせてもらえないから、特に楽しいこともないですし。近場でも一人でまかせてもらえるなら、私にはそっちの方がいいです」
「……そうか」
「そ、それに……」
「ん?」
「い……息抜きのつもりで、遠出したのに……なんというか…………ユリウスさんをみ、見た時…………ほっと、したんです……」
「…………」


 それは、予想もしていなかった言葉。
 今はまだ、聞くことがないだろうと諦めていた言葉。
 ユリウスは自分と結婚したことで、エルレインが窮屈な日々を送っていると思っていた。だから、遠方の仕事に行ったと知った後、迷ったのだ。
 追うべきか、追わざるべきか。
 息抜きのために、あえて遠方を選んだのであれば、追うべきではない。王都で大人しく帰ってくるのを待つべきだと。

 しかし、現状はこうだ。
 待てなかった。
 エルレインのことが心配で、仕事さえ手につかなかった。

(だが、会いに行って嫌な顔をされたらどうしようかと……)

 そういう心配も根底にはあった。
 しかし、エルレインは言った。


『ほっと、したんです』


 と、確かに言った。
 自分のしてきたことが、自分のしたことが、無駄ではなかった、空回りしていたわけではなかった。
 一ヶ月前までは赤の他人だった自分に、少しでも信頼を置いてくれているその言葉事実が知れた。
 それだけで、今のユリウスには充分だった。

 ユリウスは立ち止まり、背負っていたエルレインを下ろし、向かい合う。


「ユリウスさん?」


 自分を見て、小首を傾げるエルレイン。
 そんな動作でさえ、今のユリウスのには可愛らしく映って。

 ふわっ、と。自分でも驚くほど優しく、エルレインを腕の中に閉じ込めた。


「ゆ、ユリウス、さん!?」


 腕の中から聞こえたのは、エルレインの慌てたような、どこか上擦った高い声。すっぽり収まった自分より小さな体は、柔らかくて温かく、どこか甘い香りもして。


「う、あ、うぐぅ」


 こういうことに馴れていないのだろうと思わせるぎこちなさと、色気が微塵も感じられない謎の声でさえ、ユリウスを上機嫌にさせる。

(……なるほど。“可愛い”や“愛おしい”というのは、こういうことをいうんだな)

 初めて知る感情の種類に、ユリウスは楽しげにその瞳を細めた。
 そして――。

 エルレインが生まれたての小鹿よろしく足腰を震わすその時まで、ユリウスが彼女を離すことはなかった。 



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