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6話
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次の日も雨だった。長く伸びた梅雨前線は、今週末にもその尾を見せるだろうと予想されており、そうなるとこの雨の日々には少しだけ寂しさが残るように思えた。
昨日のようなトラブルもなく、いつも通りの時間に学校へとたどり着く。下駄箱で靴と靴下を脱いで素足のまま上履きに履き替え、階段を上がって教室へと入った。
教室内はいつもより賑やかだった。教室の端っこ、ちょうど楡井るるの席に女子複数人が集まっていて、どうやらそこが騒がしさの中心らしい。
僕は自分の机の脇に鞄をかけて席へと座り、スマホをいじるふりをして聞き耳を立てた。
「えっ、るるちゃんもあのマンションに住んでたの」
「そうだよ。しかも最上階だったからちょうど私の家も燃えちゃったんだよね」
「大丈夫なの? 怪我とか家族とか」
「この通り五体満足! まあもともと一人暮らしだし、帰った時には燃えちゃってたから」
「一人暮らしなんだ、いいなぁ」
「これからどうすんの?」
「どうするって?」
「住むとことか」
「そっかそうじゃん。昨日とかどうしたの?」
「瑠璃は今日休むって言ってたもんね」
「昨日はホテル。これからは、うーん、考え中」
「よかったらうち来てもいいからね!」
「それなら私の家だって」
「じゃあ私はホテルに遊びに行こうかな」
「ありがとー、そん時になったらよろしくね」
会話を聞く限り、出火原因がどうだったとか死傷者があったのかとか、そういったことが話題にあがることはない様子だった。それが彼女らなりの配慮なのか、関係値の低さからくる遠慮なのかは分からないけれど、僕が聞きたかった話でないことは確かだ。
「おーっす」
間延びした声で雑な挨拶をしながら、公太が僕の後ろの席に着く。「おっす」と返して周囲を見ると、もうずいぶんと人が集まってきていた。それもそのはずで、あと五分もすればホームルーム前の予鈴が鳴る時間だ。
盗み聞きした通り瑠璃は欠席のようで、茜音から頼まれたことは明日以降にしようと諦めることにした。
「昨日、いろいろあったんだってな」
声を潜めた公太が訊いてくる。僕は椅子を少し引いて振り返った。
「どこまで聞いた? っていうかここでする話じゃないだろ」
「それはそうだけど。昨日の火事の現場を見たらしいじゃん」
「見たけど見ただけだよ。それも遠目から」
「じゃあ犯人とかは見てないわけか」
「知るわけないだろ」
「まあそうだよなぁ。出火原因も分かってないみたいだし、つまんねーな」
「不謹慎すぎるだろ」
「別にいいだろ被害者がいるわけじゃないし」
「いるよ」
「ま?」
「マジ」「だれ」「瑠璃と楡井るる」
「うっわーるるちゃんあそこ住んでんだ。ってかなんでお前が知ってんだよ」
「さっき話してんのが聞こえただけだって」
「抜け駆けすんなよ?」
「どういうこと?」
「あれ、知らないっけ」
「なにを」
「いや、きのう男子の間で決まったんだけど。アプローチをするなら夏休み明けからっていう」
「知らないし、なんで夏休み明けからなんだよ」
「夏休み中は仲良くなりやすいだろ、ほら、海とかプールとかキャンプとか祭りとか色々あるわけだし。で、部活とか家の用事があるやつもいて不公平だし、誰が狙ってんのかも分からんから、じゃあいっそそういうイベントがなくなってから、正々堂々平等に勝負しようってなったわけ。だからお前も気を付けろよ?」
「はいはい。そもそも興味ないっての」
昨日、楡井るるが言っていた「男子からの視線が強くなる」という言葉を思い出す。まだ追及されていないところを見るに、昨日の件は周囲に話してはいないようで、意外と筋は通すというか義理堅いところがあるのかもしれない。
ホームルームを告げる鐘が鳴る。生徒たちはそれぞれの席に着き、先生がやってきてまたいつものように授業が始まった。
暑い、眠い、つまらない。学校が終わって帰宅したあとのことばかり考えていた授業の中にあってしかし、度々、楡井るるの声が聞こえる時やその姿が見えるだけで、なんだか少し得した気分になる。意図せずにではあるけれど、そうやって観察していくとまた発見もあった。
楡井るるはその容姿や編入してきた経歴からか注目を集めるのは当然なのだが、昨日やってきたにしてはクラスへの馴染み方、あるいは受け入れられ方が尋常ではないように見えた。どういうわけか一年以上は一緒に過ごしてきたような一体感があって、もっと言えばそのことを自分以外の誰も疑問に思っていないような、ある種の疎外感が僕にはあった。
四時限目の授業が終わって昼休みになった今でもそうだ。「学食行こー」という楡井るるの言葉に、まるでいつもそうしているかのように数人の女子がついて行った。
「興味ないとか言っておきながらめっちゃ見てんじゃん」
弁当を広げながら公太が言う。僕も鞄から弁当箱を取り出して蓋を開けた。
「そういうんじゃないけどさ、なんか変だなって」
「なにが」
「昨日来た割に仲良くなりすぎじゃない?」
「お前と違ってコミュ力高いんだよ」
玉子焼きをもさもさと食いながらさも当然のことと言い捨てられる。
「そりゃ僕と比べれば高いだろうけど」
「要するに羨ましいだけか」
「要するなよ勝手に。結論は出てないんだから」
「コミュ力ってだけじゃ納得できないと?」
「そういうこと」
公太は「ふーん」と興味なさげに返事をしてペットボトルのお茶を飲み干す。キャップを締めて狙いを定めると、ゴミ箱目掛けて投げ入れた。さすがは自称バスケ部のエースといったところで、きれいな放物線を描いたペットボトルは狙い過たずゴミ箱に入り、「ナイッシュー」と数名の男子から声があがった。
「まあそんなことより早く食えよ」
弁当箱を閉まった公太は制服を脱いで体操着へと着替え始める。五時限目の授業は体育だった。
「雨だから今日も体育館で自由種目だろ。先に行ってバスケしようぜ」
公太の言葉に反応して「俺も行くー」「先行ってるからな」と先に着替えを済ませた男子数名が教室から出ていった。
僕はまだ半分も残っている弁当を見る。どう見積もっても食べ終わるのに五分以上はかかるし、着替えることも考えると待たせるのは申し訳ない。
「先行ってていいよ」
「おっけー」
軽い返事をして、公太は教室を出ていった。
昨日のようなトラブルもなく、いつも通りの時間に学校へとたどり着く。下駄箱で靴と靴下を脱いで素足のまま上履きに履き替え、階段を上がって教室へと入った。
教室内はいつもより賑やかだった。教室の端っこ、ちょうど楡井るるの席に女子複数人が集まっていて、どうやらそこが騒がしさの中心らしい。
僕は自分の机の脇に鞄をかけて席へと座り、スマホをいじるふりをして聞き耳を立てた。
「えっ、るるちゃんもあのマンションに住んでたの」
「そうだよ。しかも最上階だったからちょうど私の家も燃えちゃったんだよね」
「大丈夫なの? 怪我とか家族とか」
「この通り五体満足! まあもともと一人暮らしだし、帰った時には燃えちゃってたから」
「一人暮らしなんだ、いいなぁ」
「これからどうすんの?」
「どうするって?」
「住むとことか」
「そっかそうじゃん。昨日とかどうしたの?」
「瑠璃は今日休むって言ってたもんね」
「昨日はホテル。これからは、うーん、考え中」
「よかったらうち来てもいいからね!」
「それなら私の家だって」
「じゃあ私はホテルに遊びに行こうかな」
「ありがとー、そん時になったらよろしくね」
会話を聞く限り、出火原因がどうだったとか死傷者があったのかとか、そういったことが話題にあがることはない様子だった。それが彼女らなりの配慮なのか、関係値の低さからくる遠慮なのかは分からないけれど、僕が聞きたかった話でないことは確かだ。
「おーっす」
間延びした声で雑な挨拶をしながら、公太が僕の後ろの席に着く。「おっす」と返して周囲を見ると、もうずいぶんと人が集まってきていた。それもそのはずで、あと五分もすればホームルーム前の予鈴が鳴る時間だ。
盗み聞きした通り瑠璃は欠席のようで、茜音から頼まれたことは明日以降にしようと諦めることにした。
「昨日、いろいろあったんだってな」
声を潜めた公太が訊いてくる。僕は椅子を少し引いて振り返った。
「どこまで聞いた? っていうかここでする話じゃないだろ」
「それはそうだけど。昨日の火事の現場を見たらしいじゃん」
「見たけど見ただけだよ。それも遠目から」
「じゃあ犯人とかは見てないわけか」
「知るわけないだろ」
「まあそうだよなぁ。出火原因も分かってないみたいだし、つまんねーな」
「不謹慎すぎるだろ」
「別にいいだろ被害者がいるわけじゃないし」
「いるよ」
「ま?」
「マジ」「だれ」「瑠璃と楡井るる」
「うっわーるるちゃんあそこ住んでんだ。ってかなんでお前が知ってんだよ」
「さっき話してんのが聞こえただけだって」
「抜け駆けすんなよ?」
「どういうこと?」
「あれ、知らないっけ」
「なにを」
「いや、きのう男子の間で決まったんだけど。アプローチをするなら夏休み明けからっていう」
「知らないし、なんで夏休み明けからなんだよ」
「夏休み中は仲良くなりやすいだろ、ほら、海とかプールとかキャンプとか祭りとか色々あるわけだし。で、部活とか家の用事があるやつもいて不公平だし、誰が狙ってんのかも分からんから、じゃあいっそそういうイベントがなくなってから、正々堂々平等に勝負しようってなったわけ。だからお前も気を付けろよ?」
「はいはい。そもそも興味ないっての」
昨日、楡井るるが言っていた「男子からの視線が強くなる」という言葉を思い出す。まだ追及されていないところを見るに、昨日の件は周囲に話してはいないようで、意外と筋は通すというか義理堅いところがあるのかもしれない。
ホームルームを告げる鐘が鳴る。生徒たちはそれぞれの席に着き、先生がやってきてまたいつものように授業が始まった。
暑い、眠い、つまらない。学校が終わって帰宅したあとのことばかり考えていた授業の中にあってしかし、度々、楡井るるの声が聞こえる時やその姿が見えるだけで、なんだか少し得した気分になる。意図せずにではあるけれど、そうやって観察していくとまた発見もあった。
楡井るるはその容姿や編入してきた経歴からか注目を集めるのは当然なのだが、昨日やってきたにしてはクラスへの馴染み方、あるいは受け入れられ方が尋常ではないように見えた。どういうわけか一年以上は一緒に過ごしてきたような一体感があって、もっと言えばそのことを自分以外の誰も疑問に思っていないような、ある種の疎外感が僕にはあった。
四時限目の授業が終わって昼休みになった今でもそうだ。「学食行こー」という楡井るるの言葉に、まるでいつもそうしているかのように数人の女子がついて行った。
「興味ないとか言っておきながらめっちゃ見てんじゃん」
弁当を広げながら公太が言う。僕も鞄から弁当箱を取り出して蓋を開けた。
「そういうんじゃないけどさ、なんか変だなって」
「なにが」
「昨日来た割に仲良くなりすぎじゃない?」
「お前と違ってコミュ力高いんだよ」
玉子焼きをもさもさと食いながらさも当然のことと言い捨てられる。
「そりゃ僕と比べれば高いだろうけど」
「要するに羨ましいだけか」
「要するなよ勝手に。結論は出てないんだから」
「コミュ力ってだけじゃ納得できないと?」
「そういうこと」
公太は「ふーん」と興味なさげに返事をしてペットボトルのお茶を飲み干す。キャップを締めて狙いを定めると、ゴミ箱目掛けて投げ入れた。さすがは自称バスケ部のエースといったところで、きれいな放物線を描いたペットボトルは狙い過たずゴミ箱に入り、「ナイッシュー」と数名の男子から声があがった。
「まあそんなことより早く食えよ」
弁当箱を閉まった公太は制服を脱いで体操着へと着替え始める。五時限目の授業は体育だった。
「雨だから今日も体育館で自由種目だろ。先に行ってバスケしようぜ」
公太の言葉に反応して「俺も行くー」「先行ってるからな」と先に着替えを済ませた男子数名が教室から出ていった。
僕はまだ半分も残っている弁当を見る。どう見積もっても食べ終わるのに五分以上はかかるし、着替えることも考えると待たせるのは申し訳ない。
「先行ってていいよ」
「おっけー」
軽い返事をして、公太は教室を出ていった。
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