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第二章 近づく距離と彼女の秘密

5-7 蝶とゲームセンター

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 二人の身体の間で、『ぶたぬきもち』のぬいぐるみが窮屈そうに潰れる。

 それは、汰一にとっての"最後の理性"。
 彼女の身体をじかに感じてしまったら、もう自分を抑えられそうにないから……
 直接触れないようにと、予防線を張ったのだ。

 それでも、もう十分に後戻りのできないことをしてしまった。
 彼女を求める気持ちが溢れ、思わず抱き寄せてしまった。

 彼女は、どんな顔をしているだろう?
 隠れるためとはいえ、個室に連れ込まれ、挙句抱き寄せられたのだから、当然嫌悪感を抱いているはずだ。
 きっと、突き放されるに違いない。
 そうされても仕方ないことをしている自覚はある。


 汰一は、覚悟を決めたように目を伏せる。
 しかし……
 蝶梨は、きゅっと下唇を噛み締めると、


「…………っ」


 突き放すどころか、彼の腰にそっと手を伸ばし……
 指先で、彼の服を、遠慮がちに掴んだ。

 くいっ、と引っぱられる感触に、汰一は驚きまぶたを開ける。
 汰一の抱擁を受け入れるような、むしろ引き寄せようとしているような動作。


 わからない。彼女は一体……
 どんな気持ちで、この手を伸ばしている?


 鼓動を最高潮に高ぶらせながら、汰一は……
 彼女の顔を見ることができないまま、その訳を尋ねようと、口を開きかける………

 …………が、その時。





「じゃあ、これで撮ろっか!」





 ──バサッ!

 ……という音と共に。
 浪川結衣が、汰一たちのいるプリクラ機のカーテンを、勢いよく捲った。


 瞬間、あれほど高ぶっていた汰一の心臓が、停止する。



 まずい。ドキドキしすぎて、外の音が全く聞こえていなかった……!
 よりにもよって、こんな場面を目撃されるなんて……
 終わった。何もかも終わりだ。



 結衣の方を向けないまま、頭を真っ白にし、ひたすら硬直する汰一。

 すると……
 抱き合うような二人の姿を見た結衣は、顔を真っ赤にし、あわあわと狼狽えながら、



「し、ししし失礼しました!!」



 慌ててカーテンを閉め、走り去って行った。

 直後、プリクラ機の外から「どうしたの?」「なんかカップルがいちゃいちゃしてた……!」という結衣たちの会話が聞こえてくる。

 ……これは…………



「……俺たちだって、バレなかった?」
「……かな」



 顔を見合わせ、小声で囁く汰一と蝶梨。
 蝶梨の口元を隠していた上、結衣の方に背を向けて密着していたため、顔を見られずに済んだようだ。


 結衣の声が遠ざかっていくのを確認し、汰一はほっと息を吐く。

 危なかった……一時はどうなることかと思ったが、この難局をなんとか乗り切った。

 そう、安心すると同時に……
 まだ蝶梨と密着状態にあることに気が付き、慌てて身体を離す。


「ご、ごめん。これは、その…………そう。浪川の声が近付いていたから、見知らぬカップルをよそおい追い払おうというだったんだ。いきなり抱き寄せたりしてすまなかった。不快な思いをさせただろう」


 両手をパッと上げ、目を泳がせながら言い訳する汰一。
 それに、蝶梨も真っ赤にした顔をぶんぶんと横に振り、


「う、ううん、不快だなんてそんな……むしろだって気付いてたしっ。気付いた上で私も触っちゃったし、こちらこそごめんね!」
「お、おぉ、さすが彩岐。あの状況で俺の意図を汲み取ってくれるとは……お陰で見事な協力プレイを発揮し、完全に見知らぬカップルを演じることができたな」
「うんうんっ、完璧だった! 作戦成功だね!!」


 なんて、からっとした声で笑うので。


 ……そうか。彩岐は最初から作戦のつもりで、俺にくっついてきたのか……まぁ、そりゃそうだよな。


 と、密かに肩を落とす汰一の横で、蝶梨も残念そうにため息をついているのだが……彼はそれに気付かないのだった。



「……とりあえず浪川は離れたみたいだが、まだこのフロアにいる可能性が高い。もうしばらくここにいよう」
「う、うん。そうだね」


 言って、二人はプリクラ機の外の様子を窺い始める。
 先ほどまでの甘い空気の余韻が抜けず、気まずさを感じながら、汰一が外の声に耳を澄ませていると……


「…………ねぇ、刈磨くん」


 ふと、蝶梨が彼を呼ぶ。
 その声に振り返ると、蝶梨は照れたように俯きながら、



「……こんな格好、もうできないかもしれないから…………やっぱり、写真撮ってもらってもいいかな?」



 そう、遠慮がちに申し出た。
 汰一は、思わず「え……」と放心してから、あらためて聞き直す。


「いいのか?」
「うん。あと……せっかくだから、刈磨くんと一緒に写りたい」
「えっ?」
「……だめ?」


 そんな要求をされることなど考えてもいなかった汰一は、困惑し返答に迷うが……
 小首を傾げ、上目遣いで尋ねるメイドな蝶梨に、完全にノックアウトされ、


「…………わかった。一緒に写ろう」


 と、目を伏せながら、深く頷いた。




 プリントシール機のカメラの上にスマホを置いて、タイマー撮影をセットする。
 そうしてカメラの正面に立ち、汰一は『ぶたぬきもち』のぬいぐるみを抱え、蝶梨は遠慮がちにピースサインを作った。

 カシャッ、というシャッター音が鳴り、撮影が完了する。

 撮れた写真を確認すると、はにかんだ笑顔を浮かべる蝶梨と、ガチガチの真顔で直立する自分が写っており、汰一は苦笑いする。


「……こんなんでよかったのか?」
「うん、ありがとう。あとで送ってね」
「にしても、さすが元モデル。一発で完璧な写りだな。不慣れな俺とは大違いだ」
「は、恥ずかしいからモデル時代のことはもう言わないで。それに、刈磨くんだって別に変じゃないよ? 良い写真だと思う。これを見る度に、私……きっと今日のことを思い出す」


 そう言って、嬉しそうに笑う蝶梨に……
 汰一は、収まりかけていた鼓動が、再び強く脈打つのを感じる。


 確かにこの写真には、今日起きた出来事の全てが詰まっていた。
 ゲームセンターで遊んで、ぬいぐるみを獲って、コスプレをして、プリクラ機に逃げ込んで……

 引き攣った顔で写る自分の姿は見られたものではないが、この写真があることで彼女が今日のことをずっと覚えていてくれるなら、これ以上嬉しいことはなかった。


 汰一は、込み上げる愛しさを小さな微笑に変え、彼女を見つめ返す。
 

「……そうだな。俺もこれを見たら、今日のことを思い出すよ。しかしよく考えたら、ここでスマホで撮影するなんてプリクラ機に失礼だったかもな。まぁ、さすがに俺はプリクラは……」
「撮ろっか」
「へ?」


 間の抜けた声を上げる汰一の顔を、蝶梨は覗き込み、



「この勢いでプリクラも撮って、思い出増やしちゃおうよ。シールとして形に残れば、今日のこと……もっとずっと、忘れないと思うから」



 と……
 柔らかな微笑を浮かべながら、真っ直ぐに言った。
 
 
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