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第二章 近づく距離と彼女の秘密
5-1 蝶とゲームセンター
しおりを挟む「これ、お前にやるよ」
金曜日の放課後。
生徒たちがぱらぱらと教室を出て行く中、一枚の紙切れを差し出す忠克に、汰一は怪訝な表情を浮かべた。
「……ゴミ箱ならあっちだが」
「ゴミじゃねーよ。ゲームセンターでもらった無料券。ゲームが一回無料になるらしい」
ずいっと突き付けられ、汰一は渋々それを受け取る。
皺を伸ばし広げてみると……そこには確かに『ゲーム無料プレイ券』と書いてあった。
「……なんで俺に?」
「行く予定があるかなと思って」
「まったくもってないが」
「お前、中学の頃よくゲーセン通ってただろ? 腕もすっかり治ったみたいだし、気晴らしに行ってみたらどうだ?」
にんまりと笑いながら、忠克が言う。
中学時代、二年になってすぐ剣道部を辞め自由時間が増えた汰一は、よくゲームセンターに通っていた。
その過去を知っているからこそ、忠克はこのように言っているのだろうが……最近はめっきり足が遠のいていた。
「……要するに、いらないゴミを押し付けただけだろ?」
汰一がため息混じりに返すと、忠克は肩を竦め、
「いやいや。俺はお前が喜ぶだろうと思ってだな」
「しかもこれ、都市部にある店舗じゃん……なんでこんな遠くのゲーセンに行ったんだ? 珍しい」
「今ハマってるスマホゲームの景品が入ったから、わざわざ獲りに行ったんだよ。とにかくお前にやるから、ガムの包み紙にでも何でも使うといい」
「やっぱりゴミの押し付けじゃねーか」
ジトッと睨み付けるも、忠克は意に介さず。
手をひらりと振って、「じゃ、そゆことで」と教室を出て行った。
一人残された汰一は、手の中に残った無料券に目を落とし、
「…………」
……案外、使えなくもないかもな、と。
丁寧に折りたたんで、ポケットにしまった。
──その、数時間後。
「ゲームセンター?」
中庭の手洗い場で、蝶梨が聞き返す。
今日も花壇の手入れを終え、手を洗っているところである。
振り向く蝶梨に、汰一は頷いて、
「うん。忠克にゲームの無料券をもらったんだ。一緒に……行かないか?」
そう、緊張気味に誘った。
それに、蝶梨は一瞬驚いた顔をして、蛇口をきゅっとしめると、
「……平野くんじゃなくて、私と一緒でいいの?」
そう、落ち着いた声で返す。
汰一は、忠克のニヤついた顔を思い出しながら苦笑する。
「あいつはもう欲しい景品を手に入れたからいらないんだと。ほら、ゲームセンターにはシューティングゲームがあるだろ? 彩岐、前にゾンビ映画を観たことあるって言っていたし、こないだ一緒に観た映画でも銃を使うシーンに反応していたから、『ときめきの理由』に繋がるヒントが得られるんじゃないかと思ってさ」
……というセリフは、本音半分、口実半分だった。
もちろん彼女の『ときめきの理由』を見つけたい気持ちもある。しかし……
純粋に、デートっぽいことをしたい気持ちも多分にあった。
「彩岐さえよければ、明日か明後日の休みにでもと思うんだが……どうかな?」
窺うように尋ねる汰一に、蝶梨は……
どこか熱の籠った目で、首を何度も縦に振り、
「うん。ぜひ、お願いします」
その誘いを、受け入れた。
* * * *
──翌日。
汰一は、待ち合わせした駅で蝶梨が来るのを待っていた。
緊張のあまり、約束した時間の三十分前に着いてしまった。
駅前を行き交う人をそわそわと眺め、汰一は今になって後悔に似た感情に襲われる。
休みの日に待ち合わせして、二人で出かけるなんて……完全にデートじゃん。
俺みたいなモンが、彼女と、デート?
しかも、よりにもよってゲーセン?
せっかくなら、もっと彼女に相応しい場所に誘うべきだったのではないか……?
例えば、おしゃれなカフェとか、美術館とか、水族館とか……
……いや、違う。何を考えているんだ。
これはデートじゃなくて、『調査』だろう。
彼女の『ときめきの理由』を見つけるための協力に過ぎない。
これをデートと呼ぶなんて烏滸がましい。罰当たりが過ぎる。
落ち着け。いつもの放課後の延長だ。彩岐も、そのつもりで来るのだから。
「……よし」
汰一は目を伏せ、知っている花の名前を『あ』から順に思い浮かべ、精神統一を図る。
アネモネ。
インパチェンス。
ウメ。
エリカ。
オニユリ。
カ……カ……
……と、早くも行き詰まったところで。
「──お待たせ。刈磨くん」
名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。
すると……
そこには、私服姿の蝶梨が立っていた。
瞬間。
「…………カ……ッ」
花の名ではなく『カワイイ』と叫びそうになり、汰一は慌てて口を押さえる。
そして……あらためて彼女の装いを眺めた。
フードの付いた、パーカータイプの白いワンピース。胸にはうさぎのキャラクターのワッペンが付いている。
髪は耳の下あたりで二つに結えている。初めて見る髪型だ。
足には編み込みのショートブーツを履き、背中には大きめのリュックサックを背負っていた。
スポーティに見えるが、ちゃんと女の子らしい要素もある、爽やかな装いである。
つまりは、彼女にとてもよく似合っていて……
息をするのも忘れるくらいに、可愛かった。
「……刈磨くん?」
口を押さえ硬直する汰一を、蝶梨は心配そうに覗き込む。
汰一は、ゆっくりと口から手を離し、
「……ごめん。彩岐の私服姿が可愛すぎて、ちょっと言葉を失ってた」
と、結局本音を漏らしてしまった。
その途端、蝶梨は顔を真っ赤にして俯き、
「あ、ありがとう……いつもはスカートなんて制服以外では履かないんだけど、今日は思い切ってワンピースにしてみたの。だから……そう言ってもらえて嬉しい」
はにかみながら、控えめな笑みを浮かべた。
それを聞き、汰一は理解する。
『可愛い』にトラウマがある彼女にとって、この格好は現状で着ることのできる精一杯の『可愛い装い』なのだろう。
それを、勇気を出して着てきたのだと思うと……汰一は称賛せずにはいられなくなり、
「いつもの三つ編みもいいけど、今日のおさげもめちゃくちゃ可愛いよ。服も本当によく似合っている。少しずつ"素"が出せるようになってきているみたいで、俺も嬉しいよ」
と、素直な気持ちを口にした。
蝶梨はますます顔を赤くし、小さく笑って、
「……ありがとう。刈磨くんの服もカッコいいね。私服だと、なんだか新鮮」
と、制服の時とは違う雰囲気の汰一を見つめ、そう返す。
それを、汰一は一〇〇パーセントお世辞だと思い込み、困ったように笑って、
「あはは、ありがと。元モデルの彩岐の隣に並ぶのは、ちょっと恥ずかしいけどな」
……そう、答えた直後。
蝶梨は「えっ?!」と声を上げ、顔を引き攣らせる。
「な……なんでモデルやってたこと知ってるの……? 名前も髪型も変えて、家族以外には内緒で活動していたのに……!!」
心底驚いた様子の蝶梨に、汰一は……
……しまった。完全に失言だった。
と、己の軽率な発言を後悔する。
しかし、すぐに微笑んで、
「ごめん。『昔、彩岐に似た人が雑誌に載ってた』って風の噂で聞いたから、カマかけてみたんだが……本当にモデルやっていたのか?」
なんて、あくまで『噂に聞いただけ』という体を装う。
蝶梨は、顔を熱らせたままため息をついて、
「う、うん。中学時代に少しだけね……完璧に隠していたつもりだったのに、そんな噂が立っていたなんて。一体どこでバレたんだろう……」
「悪い、知られたくない過去を掘り起こしちまったみたいだな」
「ううん、刈磨くんに知られるなら良いよ。他にも恥ずかしいところいっぱい見られてるし。でも……他の人には内緒にしてね」
恥じらいながらお願いする蝶梨を可愛いと思いつつ、汰一は「もちろん」と頷く。
彼女のモデル活動を知っていた事実は、バレずに済んだようだ。
嘘をついてしまった罪悪感と、二人だけの秘密がまた一つ増えた幸福感を同時に味わいながら、汰一はスマホで時刻を確認する。
蝶梨が思いの外早く到着したので、予定をかなり前倒しできそうだった。
汰一は一度咳払いをしてから、ゲームセンターがある方へ足を向け、
「それじゃあ、予定よりだいぶ早いけど……行こうか」
そう、蝶梨に言う。
彼女は「うん」と頷き、緊張した面持ちで、汰一の隣を歩き始めた。
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