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第二章 近づく距離と彼女の秘密

2-7 蝶とホラー映画

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 汰一は驚いたようにまばたきをし、聞き返す。


「つまり……ここで心中する、ってことか?」
「ち、違うよ、真似するだけ! そうしたら、幽霊が満足するんじゃないかと思って……」


 あからさまに目を泳がせる蝶梨。
 その頬が、ほんのり赤く染まっている。

 ここから出るための提案、というていを装ってはいるが……
 ときめいたシーンの再現をしてみたい気持ちの方が大きいのだろうと、汰一はその表情から察した。

 察したからこそ、躊躇ためらう。
 何故なら、先ほど額を撃ち抜く真似をした時の彼女の反応が……あまりにも、アレだったから。
 こんな密室で、あんな扇情的な顔を何回も見せられたら、理性が保てるかわかったものではない。


 だが。
 ……あの反応をもっと見てみたいという欲も、多分にあるわけで。


「……確かに、やってみる価値はあるかもな」


 本当に扉が開くかもしれないし、彼女の"癖"が明らかになる可能性もある。
 理性については……自分が我慢をすればいいだけだ。

 そう言い聞かせ、汰一は彼女の提案に乗ることにした。


「えぇと……主人公がヒロインの首をロープで絞めて、ヒロインが主人公の胸に拳銃を突きつけていたよな?」
「う、うん」
「拳銃は手で真似るとして、ロープはどうする? そんなもの、生徒会室ここにはないだろうし……」
「大丈夫、これを使えば」


 と、蝶梨は自分の首に巻いているネクタイをほどき、手に取る。


「ほら、ロープの代わりになるでしょ?」
「なるほど。でも本当に彩岐の首に巻くわけにはいかないから、フリだけに留めて……」
「なんで?」


 汰一の言葉を遮るように。
 蝶梨は、ぐっと身を乗り出し、


「ちゃんとやらなきゃ、幽霊さん満足しないかもしれないじゃない。私なら大丈夫だから、出来る限り忠実に再現しよ?」


 ね? と念を押すように、大きな瞳をギラギラと輝かせ、興奮気味に言う蝶梨。
 その圧力に、汰一は思わず身体を仰け反らせる。
 つまりは、絞殺の真似事をしてみたいと、そういうことらしい。


 ……やっぱり彼女の"ヘキ"って、そっち方面なんじゃないか……?
 それも、かなりハードなやつ。


 そんなことを考えつつ、汰一は気圧されるように頷いて、


「そ、それもそうだな。じゃあ、本当に首に巻いてみるが……痛かったり苦しかったりしたらすぐ言ってくれ」


 ネクタイを受け取りながら言うと、蝶梨はやはり興奮気味に「うんっ」と答えた。



 大鳳おおとり学院高校の制服は男女共にブレザースタイルで、女子はネクタイかリボンのどちらか好きな方を身に付けて良いことになっていた。
 その日の気分で変える生徒もいれば、ネクタイだけ、リボンだけと決めている生徒もいるようだ。

 蝶梨は、汰一が知る限りではいつもネクタイを着けていた。
 凛とした雰囲気の彼女にぴったりだと思っていたが……
 今思えば、『私らしくないから』と可愛いリボンを諦め、クールな印象のネクタイを着け続けていたのかもしれない。
 "素"の蝶梨を知る今の汰一には、そんな彼女の本心を容易に想像することができた。


 たまには、リボンを着けてきたらどうだ?
 きっと……いや、間違いなく可愛いから。


 そう言おうかと、言ったらどんな顔をするだろうかと、考える。
 考えるが……

 それは、目の前に置かれた状況からの逃避に過ぎなくて。



「いいよ……そのまま交差させて……?」


 学校指定のネクタイを、彼女の首の後ろに回し……
 そのまま、両端を交差させる。
 首を僅かに締め付けられる感触に、彼女はぴくりと身体を震わせた。

 汰一に指示を出しながら、蝶梨は段々と息を荒くする。
 白い頬がほんのり上気し、半開きになった唇の奥には濡れた舌が覗いている。
 黒目がちな瞳は熱を孕んで潤み、瞼をとろんと垂らしていた。


 完全に、欲情し切った顔。
 今からされる行為への期待で、とろとろにとろけた顔だ。


 そんな顔を目の前で見せられているせいか、汰一は……
『彼女の首にネクタイを巻きつける』という危険な行為にも関わらず、どこか興奮を覚えていた。


「……彩岐は、俺の胸に指を突き付けて?」


 乱れそうになる息を抑えながら、汰一が指示する。
 蝶梨は素直に従い、右手を銃のような形にすると、彼の心臓の辺りに人さし指を押し当てた。


 ……もし今、誰かがこの部屋に入って来て、自分たちの姿を見たら、間違いなく顔をしかめるだろうと、汰一は思う。
 何をしているのか、誰にも理解できないはず。
 だって、汰一自身ですら『何をしているのだろう』と思っているのだから。


 それなのに、何故だろう。

 愛しい彼女との、この"心中ごっこ"に…………



 怖いくらいに、胸が高鳴っている自分がいる。




「……じゃあ……三数えたら、いくよ」


 その声が上ずっているのが、自分でもわかる。
 蝶梨はこくんと頷き、口の端に小さな笑みを浮かべた。


「さん……」


 自分の胸に突き付けられた彼女の指が、微かに震えている。
 もしこれが本物の拳銃だったらと想像し……汰一の背筋に、甘い痺れが走る。


「に……」


 彼女の首に巻き付けた、赤いネクタイ。
 これを、力一杯引けば……彼女は、本当に死んでしまう。
 もちろん、そんなことはしない。しないが…………


 今、彼女の命を、自分が握っているのだと思うと。

 自分の命を、彼女に握られているのだと思うと。



「…………いち」




 ──最高に、興奮する。





「……っ」


 蝶梨は突き付けた手を動かし、拳銃を撃つ真似をした。
 汰一も、首を強く締め付けてしまうことがないよう、ネクタイを少しだけ引っ張る。



 瞬間。
 蝶梨の目が、大きく見開かれた。

 背中を仰け反らせ、ビクビクと痙攣する身体。
 だらしなく開いた口から、断続的に漏れる吐息。
 天を仰ぎ、虚ろな様子で揺れる瞳。



 本当に逝ってしまったかのような、恍惚の表情。
 美しくて、いやらしくて……自分だけが知っている、秘密の顔。

 それを、汰一は……
 強い興奮を覚えながらも、どこか冷静に眺めていた。



「…………っと……」


 その、力なく開いた口を。
 蝶梨は、にぃっと吊り上げて、



「…………もっと、つよく……シて……?」



 甘えるように、そう囁いた。
 その妖艶な声と表情に、汰一の理性が強く揺さぶられる。


 やっぱり彼女は、こういうのが好きなのだ。
 なら、彼女の要求に答えたいと、その欲を満たしてあげたいと、そう思う気持ちもあるが……
 さすがにこれ以上強く絞めたら、本当に命に関わる。

 しかし……



「かるま、くん……っ」



 彼女に名を呼ばれ、汰一の理性がどろどろと溶かされていく。
 じっと見つめる黒い瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。



 彼女が、自分を求めている。
 欲求を満たして欲しいと、甘く呼んでいる。

 こんな変態じみた要求、満たしてやれるのは自分しかいない。
 他の奴になんか任せない。
 見せられない。絶対に。

 彼女の、こんな……可愛すぎる顔。




「…………いいよ」



 汰一は、つられるように笑みを浮かべて。
 彼女の欲求を満たすために、ネクタイを握る手に、そっと……

 力を、込め…………







 …………ようとした、その時。




 ──ガチャッ。



 という音が、生徒会室の扉から聞こえ……
 二人は、驚いてそちらに目を向ける。

 それから、再び顔を見合わせて、


「……もしかして……」
「……開いた……?」


 首に巻いたネクタイを解き、二人は扉へと近付く。
 そして、恐る恐る手を伸ばし、汰一がドアノブを捻ると…………

 扉は、抵抗なく開いた。


 ということは、窓も開くようになったはずだ。
 ようやく柴崎が"厄"の対応を終えたのだろう。

 汰一はほっと息を吐く。
 危なかった……あのタイミングで開いてくれなかったら、いろんな意味でどうなっていたことか……


 そう安堵しながら、彼は隣に立つ蝶梨をちらりと見る。
 先ほどまでの行為に気まずさと恥ずかしさを感じているのか、顔を真っ赤にして俯いていた。

 その表情に、汰一は小さく笑う。


「……彩岐の言った通りだったな」
「えっ?」
「ほら、『映画の内容を忠実に再現しないと幽霊は満足しない』って。彩岐が迫真の"演技"を見せてくれたから、きっと開いたんだ。ありがとうな」


 と、彼女が明らかに発情していたことには触れず、そうフォローしておく。
 すると彼女は、コクコクと慌てて頷き、


「そ、そう! やっぱちゃんと再現して正解だったね! あー怖かった! 無事に開いてよかったよ!!」


 汰一の話に乗っかるように捲し立てるので、彼は吹き出しそうになるのを堪える。


「じゃ、扉が開いている内に出ようか。また閉じ込められたら大変だからな」
「う、うん!」


 言葉通りの意味もあったが、身体に残っている熱を冷ましたくて、汰一はテキパキと帰り支度を始める。
 結局、コーラもポップコーンも残ってしまったな……と、机の上を片付けていると、


「……ねぇ」


 蝶梨が遠慮がちに声をかけるので、汰一は「ん?」と聞き返す。
 彼女は、もじもじしと指先を合わせながら、


「そろそろお昼時だし……どこかで、ご飯食べていかない? 映画の感想も共有したいし、その……まだ幽霊が近くにいる気がして、ちょっと怖いから」


 そう、消え入りそうな声で言った。
 思いがけないお誘いに、汰一はドキッと胸を高鳴らせつつ、すぐに頷く。


「じゃあ……この間のファミレスに、また行くか?」
「うんっ」
「よし。なら今日も熱々メニューを頼もう。水の用意は任せてくれ」
「もう、この間みたいなことにはならないから大丈夫だよ!」


 悔しげに言い返す彼女の表情を、やっぱり可愛いなと思いながら、汰一は微笑む。


 怖い思いをさせてしまったのに。
 首を絞めながら、密かに欲情していたのに。
 そんな自分と、まだ一緒にいようとしてくれることに……申し訳なさと嬉しさとが、胸の中で複雑に混ざり合う。
 


「……何か掴めたか? 『ときめきの理由』」


 少しあらたまって尋ねると、蝶梨は……
 一瞬ハッとなって、すぐに目を逸らし、


「…………ひみつ」
「え?」
「……ううん、まだはっきりとはわかんないかな。もう少しで掴めそうだけど」


 と、何かを誤魔化すように笑うので。
 汰一は、それ以上追求することはせずに、


「……そうか。わかるまで付き合うから、何かあれば遠慮なく言ってくれ。ちなみに、他にもおすすめのSFホラー映画があるんだが、今度観てみるか?」


 そう、揶揄からかうように言う。
 蝶梨はビクッと肩を震わせて、首を横に振り、


「え、遠慮しとく……また閉じ込められたら怖いし」


 と、顔を引き攣らせるので。


 ……確かに、また密室に閉じ込められて、あんな状況になったら…………
 今度こそ、何かしらの"間違い"を犯してしまうかもしれないな。


 などと、胸の内で呟きながら、


「……だよな。冗談だ」


 と笑って。
 ノートパソコンの画面を、パタンと閉めた。





 ♢ ♢ ♢ ♢




「──びっくりしたー。本当に首絞めるのかと思って、慌てて術解いちゃったよ」


 額を拭いながら、柴崎が息を吐く。

 が生徒会室にかけた"術"は、柴崎の手によってあっさりと解かれた。
 見立てた通り、『呪い』と呼ぶにはまだ不完全なものだったのだ。

 部屋が開いたことに気付いた二人を、柴崎は"亡者たちの境界"から眺める。


 密室という窮地に立たされた時どう動くのか、あえて"術"を解かずに観察していたが……
 柴崎が望む結果は、得られなかった。

 それどころか……


「……彩岐蝶梨は、自分の"ヘキ"を自覚しちゃったようだね」


 と、ため息混じりに呟く。
 こうなると、また別の問題が浮上するわけだが……


「……いや、逆にそれを利用すべきか?」


 柴崎は、生徒会室にかけられていた『呪いもどき』の気配に笑みを浮かべながら──

 部屋を出る二人の背中を、密かに見届けた。
 
 
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