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13 読めないお客様
しおりを挟む「君、名前は?」
席に案内して、お酒を注文した後。
およそ成人男性には見えないそのお客さんは、そう尋ねてきた。
見た目は少年のように愛らしいが、声も雰囲気も落ち着いた、不思議な人だ。
「レン、です」
「レンかぁ。いい名前だね」
「お客様のお名前は?」
「ん? 僕はねぇ」
彼は、その幼い顔立ちに激しく似合わず……
黒いスーツのポケットから、たばこを取り出した。
そして、慣れた手つきで口に咥えると、私に銀色のライターを差し出し、
「火、点けてくれたりする?」
「え? あっ、はい」
喫煙家であることに驚きつつ、私はローザさんに教わった通りにたばこに火を灯す。
ていうか……近くで見るとますます可愛らしい顔立ちだ。まつ毛長。黒目デカ。
なんて、思わず見惚れていると、彼はたばこをゆっくりと吸い……
ふぅー……と、煙を吐いた。
「……クローディア・クローネル」
「え?」
「僕の名前。好きに呼んでいいよ」
あぁ、そうか。私、名前を聞いていたんだった。
クローディアさん、かぁ……
「それじゃあ……クロさん、ってお呼びしてもいいですか?」
私の言葉に、彼はがっかりしたような顔をする。
「なんでみんな僕のこと『クロ』って呼ぶのかなぁ。犬や猫じゃあるまいし」
「あっ、すみません。じゃあ……」
「いいよいいよ。もう慣れてるもん」
いや、あなたが好きに呼んでいいって言うから……
と、私は内心ツッコむ。
それに、なんか『クロ』ばっかりが聞こえる名前なんだもの。
「いいじゃないですか。可愛らしい呼び名で」
「男が可愛いって言われてもねぇ。だって、クローディアだよ? 普通なら愛称は『クロード』じゃん」
「私は『クロ』っていう呼び方、好きですよ? 黒い色も好きですし」
「……あっそ」
吐き捨てるように言って、彼は子供みたいに口を尖らせた。
ぬぅ……営業スマイルでご機嫌を取りたかったが、通用しないか。
なんとも掴みどころのない彼の態度に、私が次の言葉を考えていると、
「お待たせしやした~」
そんな声と共に、ローザさんが注文した品をお盆に乗せて持って来た。
「ほい。まずお酒、っと」
彼女はグラスを手際良くテーブルに乗せると、気まずそうに視線を逸らし、
「……さっきは悪かったよ、お客さん。お詫びと言っちゃなんだが、これ、店からのサービス」
そう言って、フルーツの盛り合わせをお酒の横に置いた。
どうやらヴァネッサさんとの口論は落ち着いたらしい。ローザさんも、クロさんを追い返そうとしたことを申し訳なく思っているようだ。
ローザさんの言葉に、クロさんはにっこり笑うと、
「全然気にしていないよ。僕、気の強い女性は好きだから」
なんて、口説き文句とも取れることをさらりと言う。
ローザさんはそれに「どーも」と小さく呟き、去って行った。
うーん……ローザさん、こういうタイプは苦手そうだなぁ。
「あっ、リンゴ」
ローザさんの引き攣った顔を気にする様子もなく、クロさんは嬉しそうにフルーツの盛り合わせを覗く。
「リンゴ、お好きなんですか?」
「うん。大好き」
「剥きましょうか?」
「いいの? じゃあ、お願い」
と、素直にお願いされ、少しほっとする。
よかった……とりあえず愛称の件で拗ねていたのは直ったみたいだ。
私はローザさんが持って来てくれた果物ナイフを手に取る。
ここでまた機嫌悪くなることがないように、手際良く皮を剥かなければ。
そう考え、私は集中してリンゴを剥き始めた。
が……すぐに後悔する。
しまった……皮剥きに集中すると、気の利いたトークが出来ない……!
でも、クロさんはリンゴを食べたがっているし……
でもでも、このままじゃクロさんが手持ち無沙汰になってしまう……
そこで、私は苦し紛れにこんなことを口にする。
「り、リンゴの皮をこうやって、途中で切れないように剥くの、結構難しいですよねー……あはは」
って、なんだこのしょーもないトークは。
しかも、それに対するクロさんの返答はない。
……え? まさかの、無視?
眉をひそめながら、ちらっと彼を横目で伺う……と。
「…………」
彼は、リンゴを剥く私を……
真剣な目で、じっと見つめていた。
思わず、心臓が跳ね上がる。
その表情は、女の子みたいに可愛いくせに……
完全に、大人の男性のものだったから。
思わず、ぱっと視線を逸らす。
……ちょっと待って。え?
なんでそんな表情で、私を見ているの?
私の顔に、何かついていますか?
動揺から、リンゴを剥く手まで遅くなる。
何か話したいのに、余計に黙り込んでしまう。
どうしよう……彼の視線に、射抜かれたみたいだ。
こんなの、生まれて初めて。
目を泳がせ、一人混乱していると……
クロさんは、私を見つめたまま……一言、こう言った。
「……下手」
「…………は?」
「だから、下手。皮剥くの」
……彼が言い放った言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
そんな、意味ありげな視線でじっと見つめて、何を言うかと思えば……
下手、ですってぇ?!
「ほら、貸して」
「え?」
「ナイフ。僕のほうが上手いよ」
そう言うなり、クロさんは私の手から瞬時にナイフを奪い取る。
……なにこの人。本当に読めない。
変な人だ。絶対に、変な人だ!
戦慄する私の横で、彼はたばこを灰皿に押し付けてからリンゴを剥き始める。
すると……
「…………」
その手つきは、「僕のほうが上手い」と豪語するだけのことはあった。
くるくると螺旋を描きながら、しなやかに伸びてゆく赤い帯。
果肉と表皮のはざまを、絶妙な加減で剥いていくその横顔は………
悔しい程に、様になっていた。
……くそっ! 変人のくせに、黙っていたら王子様みたいなんてズルすぎる!!
リンゴの皮を見事に剥き終えると、彼は手のひらに乗せたままカットしようとナイフを入れる。
……が。
「あ、いた」
クロさんは手を止め、声をあげた。
どうやら指を切ったらしい。
「だ……大丈夫ですか?」
「いったーい。けっこう深くいっちゃったかも」
見ると、彼の親指から血が滴り落ちていた。
さっきまであんなに上手に剥いていたのに……本当に、めんどくさい人だ。
仕方ない。
ここで少し、驚かせてやるか。
「傷、見せて下さい」
私は彼の手を取り、膝に乗せ……
宙に、『署名』をする。
そして、
「──精霊よ。契約に従い、姿を示せ」
唱えた。
すると、手のひらから熱を帯びた光が生まれ、彼の親指を包み込み……
傷が、みるみる内に塞がってゆく。
その様を見つめながら、私は内心勝ち誇る。
どう? びっくりした?
ホステスだからって、あまり舐めてもらっちゃ困るのよ。
なんてことを考えながら、クロさんの方を見るが……
しかし彼は、驚くでもなく、怖がるでもなく……
ただ真っ直ぐに、傷が塞がっていくのを見つめていた。
……あれ? これも、反応なし?
と、私が肩透かしを食らっていると、
「──すごいね」
視線をそのままに。
低い声で、彼は言う。
「まるで、傷ができる前に時間を戻しているみたいだ。実際はその逆で、細胞の再生を急速に促しているんだろうけど……早い上に、痛みもない」
「え……?」
クロさんがブツブツと何かを呟くが、よく聞き取れない。
聞き返す私に、クロさんは顔を上げ、
「君……こんな力を持っているのに、なんでこんなところで働いているの?」
私の目を見据えて、尋ねた。
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