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第五章 続・否定形の呪い
変態おまじない男
しおりを挟む──そして、二週間後の土曜日。
雷華の呪いを解くべく、座橋市へ赴くその日がやってきた。
(……泊まりがけで出かけるのなんて、何年ぶりだろう)
待ち合わせ場所であるターミナル駅に降り立ち、海斗は考える。
記憶が確かなら、両親が存命だった小学一年の夏休みが最後だったはずだ。
さらに言えば、友人同士で……それも、同級生の女子と旅行に行くのはこれが初めてである。
年頃の男子ならば気持ちが浮つくのが普通なのだろうが、海斗の胸は戦地に赴く軍人の如く、緊張感と使命感に溢れていた。
(……よし。約束の三十分前に着いた。予定通りだ)
改札を抜け、待ち合わせ場所へと向かいながら、海斗はスマホで時刻を確認する。
他の三人とは、駅の中央広場で待ち合わせをしていた。
連休でもない普通の土曜日だが、新幹線が発着するターミナル駅なだけあって、構内は大勢の人でごった返している。
だからこそ海斗は、誰よりも早く待ち合わせ場所に着き、待機すると決めていた。
三人とも立っているだけで声をかけられるような美少女だが、特に雷華はナンパ男の言葉を全否定し、トラブルを起こす可能性がある。極力一人にはしたくなかった。
そもそも、ここへ来るまでにナンパされていなければいいが……
……と、海斗が考えていると、
「──はぁ? あんたたちになんかついて行くわけないでしょ?」
今まさに想像した否定の声が聞こえ、海斗はうんうんと頷く。
「そうそう。そうやってナンパ男たちをキツく否定して……って、え?」
声がした方に目を向けると……雷華が、男たちと対峙していた。
自分より先に雷華が来ていたことに驚きつつ、海斗は状況を確認する。
大学生だろうか。派手な見た目の三人組が、壁際に立つ雷華を囲むように立ち、ヘラヘラした笑みで見下ろしていた。
「えぇー? 俺たちと遊ぶの、そんなにイヤ?」
「イヤじゃない!」
「じゃあいいじゃん。一緒に行こ?」
「行かない!」
「何このコ。さっきから言ってることめちゃくちゃなんだけど。ウケる」
「顔は良いけど中身は不思議ちゃん的な? 面白いね」
やはりナンパのようだ。
聞こえてきた男たち言葉に、海斗は……自分の身体が、静かに熱を持ち始めるのを感じる。
そして、
「──俺の連れに、何か用か?」
自分でも聞いたことのないような低い声で、男たちに呼びかけた。
三人組は、顔を顰めながら振り返る。
「なにお前。このコの知り合い?」
「冴えないツラして、まさかこんなのが彼氏じゃないよな?」
ケラケラと笑う三人。
それまで強気な表情でいた雷華だが、海斗を見て安堵したのか、泣きそうな顔をする。口では否定しているが、本当は怖くて堪らなかったのだろう。
その表情に気付いた瞬間……
海斗の中の何かが、切れた。
そのまま、男の肩を掴んで引き離し、雷華を護るようにして立ち塞がる。
「彼氏ではない。友人……いや、隊員だ」
「はぁ? よくわかんねーけど、このコぶっちゃけ中身が残念系じゃない? 俺たち大人がしっかり矯正してやるから、ちょっと貸しなよ」
ツンと鼻を刺す、酒の香り。朝から酔っているらしい。
海斗は鋭い視線で男を見据えると、やはり低い声で答える。
「……失せろ」
「は?」
「彼女は、今のままで充分魅力的だ。お前らみたいな連中に矯正される必要はない。お引き取り願う」
きっぱりと言い切る海斗の後ろで、雷華は頬を染め、息を止めた。
まったく動じる様子のない海斗に、男たちは苛立ちを露わにする。
「あぁ? ガキがイキッてんじゃねーよ。いいから早くその女よこしな」
「……冷静な話し合いは無理か。仕方ない。こうなったら……」
──すっ。
と、海斗は人さし指を立て、
「……おまじないに頼るしかないな」
そう言い放った。
男たちが「ハァ?」と顔を顰めるが、海斗は答えずに目の前にいる男のパーカーの紐を左右とも引っ張る。
そして、それを自分のパーカーの紐と結び合わせると……
「──らぶりんめろりん・らんらんぷぅ☆」
裏声で、可愛らしく呪文を唱えた。
瞬間、男たちだけでなく、雷華までもが凍り付く。
海斗は、穏やかな笑みを浮かべると、
「……これで、俺たちは結ばれたはずだ」
「へ?」
「感じないか? 俺との間に、赤い糸が繋がっていることを……」
「な、何言ってんだお前?」
引き気味の男に、海斗はにこっと微笑み、
「今かけたのは、両想いになれるおまじないだ。実は、ひと目見た時から、あなたのことを『いいな』と思っていた。彼女ではなく、俺を遊びに連れて行ってくれないか……?」
うっとりした表情で言うので……
男は慌ててパーカーの紐を振り解き、額に青筋を立てる。
「こいつ、マジでヤベーやつじゃん!」
「気持ち悪っ。早く行こうぜ!」
口々に言いながら、男たちは逃げるようにその場を去って行った。
すっかり見えなくなったことを確認し、海斗は息を吐く。
「……ふぅ」
「ふぅ、じゃないわよ。この変態おまじない男」
振り返ると、雷華が腰に手を当て、ジトッとした目で海斗を見上げていた。
怯えた表情が消えたことを確認しつつ、海斗は肩をすくめる。
「おまじないのお陰で平和的に解決できたというのに、酷い言い草だな」
「ぜんぜん平和的じゃないわよ。ただキモがられただけじゃない」
「俺はあいつらが鮫島にしたのと同じことをしたまでだ。見も知らぬ相手に無遠慮に距離を詰め、連れて行こうとするなんて……己がどれだけ気持ち悪いことをしているのか、これで思い知ったことだろう」
言いながら、海斗は自分の身体から熱が引いていくのを感じる。
雷華を侮辱され、相当頭に血が上っていたらしい。これほどまでの怒りを覚えるのは、人生で初めてだった。
もう一度息を吐き、気持ちを落ち着かせながら、海斗は言う。
「まぁ……とにかく、鮫島が無事でよかった」
「よくないわよ、ぜんぜん」
「確かに、俺がもっと早く来ていれば、鮫島に嫌な思いをさせることもなかった。悪かった」
「別に……あんたは悪くないでしょ」
「鮫島は楽しみな用事があると、異様に早く行動するもんな。これまでだって、朝イチで俺の家に来ることがしばしばあったし……その習性を考えれば、三十分前では遅すぎた」
「はぁ?! そんなことないし! ってか習性って言うな!」
「今後こういう機会があったら迎えに行かせてくれ。家を出るところから一緒に行動しよう。でないと、いつどのタイミングでナンパされるかわかったものではない」
「却下! なんであんたと一緒に行動しなきゃいけないのよ!」
「心配だからに決まっているだろう」
「心配とかいらないから! 余計なお世話!」
「……すまん、図々しい申し出だった。これでは、さっきの男たちと変わらないな」
「ちがっ……そういう意味じゃ……!」
「やはり弓弦に協力してもらおう。女子だけなのは不安だが、一人でいるよりは……」
「だから、違うってば!」
雷華の必死の否定が、海斗の言葉を遮る。
海斗が驚いて見つめると、雷華は頬を赤く染め、
「あんたは、他の男とは……ぜんぜん、違うわよ。だから別に……一緒にいるのが、イヤってわけじゃ……」
目を泳がせながら、か細い声でそう言った。
そのセリフと表情に、海斗の鼓動が加速する。
……わかっている。
これは、呪いに則って、否定を返しているだけ。
そう自分に言い聞かせるが……
これがもし、彼女の本心だったなら……なんて、考えそうになって。
何と返すべきかわからなくなり、そのまま雷華と見つめ合っていると……
──ピロン。
……という電子音が、横から聞こえた。
見れば、いつの間にかすぐ側に翠が立っており、スマホのカメラを向け、二人をビデオ撮影していた。
その隣には、ニヤニヤと笑う未空もいる。
「ちょっ……来てるなら声かけなさいよ!」
「いやぁ、ちょうど今着いたんだけど、なんか声かけちゃいけない雰囲気かなーと思って」
「……いい資料が撮れた」
「なんの?!」
ニヤつく未空と、カメラを向けたままの翠に、雷華が犬歯を露わにしてツッコむ。
「あぁもうっ、とりあえず全員集合ね。じゃあ、さっさと駅弁買いに行くわよ!」
赤い顔を誤魔化すように歩き始める雷華を、未空が「待ってよー」と追う。
海斗は、妙な場面を二人に見られた気恥ずかしさと、未だ胸を打つ鼓動に、小さくため息をつく。
そして、残された翠と共に、雷華たちの後へ続いた。
「……呪いが解ければ、ナンパが拗れることもなくなると思う」
ふと、隣を歩く翠が口にしたそのセリフに、海斗はハッとなる。
確かに、呪いが無事に解ければ、異性とのやり取りがあそこまで拗れることはなくなる。
海斗がわざわざ家から同行し、雷華を護る必要などなくなるのだ。
「そうだな……むしろそのために呪いを解きに行くっていうのに……重ね重ね恥ずかしい。というか、どこから聞いていたんだ?」
「それどころか、呪いが解けた途端に恋人ができるかも。そしたら温森くんは、お役御免だね」
海斗の質問を無視して言う翠。
その指摘に……海斗の胸が、少し騒つく。
「……温森くんは、それでよかったの?」
「え?」
「呪いが解けたら、雷華ちゃんは温森くん以外の男の子とも仲良くなる。それでもいいのかな、って……ここまで来てする話じゃないかもしれないけど」
それを聞き、海斗は雷華の背中を見つめ……彼女に、恋人ができることを想像する。
想像の中の雷華は……
とても嬉しそうに、笑っていた。
「……いいに決まっているだろ。俺は鮫島に、何も気負うことなく、友だちや好きな人を作ってほしい。そのために、呪いを解きに行くんだ」
「でも、温森くんのお陰でこのツアーが企画されたことすら雷華ちゃんは知らないんだよ? それって、なんかこう……寂しくない?」
「別に感謝されたくてやっているわけじゃない。これは恩返しなんだ。見返りなんて、最初から求めてはいない」
「……温森くん、いい男だね。でも、損するタイプ」
じっと見上げ、翠が言う。
しかし海斗は、自嘲するように笑って、
「いい男なんかじゃない。俺は……ただの『変態おまじない男』だからな」
そう、茶化すように返した。
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