鮫島さんは否定形で全肯定。

河津田 眞紀

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第三章 神絵師の呪い

四人目のメンバー

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 雷華の言う通り、昼休み明けの一年B組は、午前に比べ生徒が一名増えていた。

 長らく空席だった、窓際の席。
 そこに、初めて見る顔が座っている。

 丸縁の眼鏡と、三つ編みおさげにした黒髪が印象的な、小柄な女子生徒だ。
 教室中が彼女の出現に色めき立つ中、当の本人は自身のスマホをぼうっと見つめていた。
 注目を集めていることに気付いていないのか、気付いた上で気にしていないのかはわからないが、一人だけ違う時間を生きているような、不思議な雰囲気の少女だった。

「手を洗いに行ったらちょうど職員室から出てきたの。担任が『八千草さん』って呼んでいるのを聞いて、ついに来た! って思っちゃった」

 雷華がこっそり未空に耳打ちする。
 どうして今まで休んでいたのか、どうして今日になって登校してきたのか、誰もが気になりつつ誰も聞けないままチャイムが鳴り、午後の授業が始まった。
 生徒たちは、とりあえず自分の席に着くことにした。



 ──結果的に、八千草翠と最初に接触したのは未空だった。

 放課後。
 帰宅準備をする翠に歩み寄り、未空はこう声をかけた。

「八千草翠さん、だよね? はじめまして。私、弓弦未空。活動行事で同じグループのメンバーになっているの。よろしくね」

 柔和な微笑に、涼やかな声。
 どんな人見知りでも一瞬で警戒を解いてしまうような完璧な挨拶だと、海斗は遠巻きに眺め思う。

 翠は未空を見上げ、丸眼鏡の奥の目を何度か瞬かせると、

「活動行事……あぁ、さっき担任から聞いた。ごめん、ずっと参加できていなくて」

 のんびりとした口調で、呟くように返した。
 未空はさらに笑みを深め「ううん」と首を振る。

「この後、少し時間あるかな? せっかく八千草さんと会えたし、発表について話し合いたいんだ。調査テーマは決めちゃったんだけど、八千草さんの意見も聞きたいから」

 友好的な未空の誘いに、翠は「ん、わかった」と、やはり呟くように答えた。



 他の生徒たちが部活や帰宅のため去る中、海斗、雷華、未空、そして翠の四人は教室に残り、席を寄せ合った。

「全員集まったね。私はさっき自己紹介したから、二人からもどうぞ」

 未空に促され、海斗と雷華は顔を見合わせる。
 海斗が「お先にどうぞ」という視線を送ると、雷華はそれを察し、

「さ、鮫島雷華。よろしく」

 固い声でそう言った。
 昼休みに翠を見つけて以来、雷華は調査グループの最後の一人と上手くやっていけるだろうかと緊張している様子だった。

「温森海斗だ。よろしく」

 雷華の緊張を隣に感じながら、海斗も短く挨拶する。
 翠は、ゆっくりとした動作で三人の顔を順番に眺めていく。

「弓弦さんに、鮫島さんに、温森くん……うん、覚えた」
「あはは。そんな畏まらないで、普通に名前で呼んでよ」

 爽やかに笑いながら、さらりと距離を詰める未空。
 つくづく見習いたいコミュ力の高さであると、海斗は思う。
 入学以来不登校だった翠も、未空のお陰で幾分か気が楽になるだろうと目を向ける……が。

「そう、わかった。知ってると思うけど、わたしは八千草翠。八千草でも翠でもメガネでも、好きなように呼んで」

 そう自己紹介する彼女は、初めての登校で緊張……だとか、優しいクラスメイトに出会えて安心……などといった様子はまるで皆無な、無感情な声を返した。
 海斗は驚きに任せ、翠の顔をまじまじと見つめる。

 丸い眼鏡をかけた、眠そうな顔。しかしよく見れば、かなり整った顔立ちをしていた。
 陶器のように白い肌に、くっきり二重の瞳。
 同世代に比べれば幼い、人形のような雰囲気の美少女だ。

 が、恐らく彼女と対面した者のほとんどが、その美しさとは別のところに目を奪われるであろう。

 例えば、左右の肩に垂らした三つ編みおさげはくしゃくしゃのガタガタ。
 ブラウスの襟の下に巻いたネクタイは、奇妙な形の固結び。
 特徴的な丸眼鏡も、正面から見ると少し斜めに歪んでいる。

 それらの歪な違和感に気を取られ、彼女が美少女であることに気付かない者の方が多いだろうと、海斗は思う。
 見れば見るほど、不思議な雰囲気の少女だ。
 彼女に比べれば、言葉とは裏腹に思考が全て表情や行動に出てしまう雷華のなんとわかりやすいことか。

 そんなことを考えた矢先、そのわかりやすい方の美少女が、こう切り出した。

「そ、それじゃあ……翠、って呼んでもいい?」

 声が上ずっている。ドキドキという鼓動がこちらまで伝わってくるようだ。
 強張った表情の雷華を、翠はじっと見つめ、

「……いいよ。わたしも、雷華ちゃんって呼ぶ」
「う……ちゃん付けだなんて小学生ぶり……ちょっと照れる」

 と、頬を押さえながら満更でもない笑みを浮かべる雷華。やはりわかりやすい。

 ひとまず自己紹介が終わったところで、未空が本題へと話の舵を切った。

「この四人で六月に行なわれる発表会に向けた準備をしていくわけだけど、さっきも言った通り既にテーマは決めちゃったんだ。仮題は、『藍山市の観光拠点・つるや商店街周辺の調査』。ちょうど明日は土曜日だから、実際に商店街に行っていろいろ取材するつもりだよ。翠ちゃんにもぜひ来てほしいんだけど、空いてるかな?」

 そう。いよいよ明日、商店街へ取材に赴くことになっていた。
 このタイミングで翠が登校してくれたのは僥倖と言えるだろう。せっかく四人で一つのグループなのだ、海斗としてもぜひ取材に同行してもらいたかった。

 しかし翠は、しばらく黙り込んだ後に、

「……わたしは、やめとく。行っても戦力にならないから。三人で行ってきて」

 と、一際控えめな声で言った。
 どうしてそう思うのか、海斗が理由を尋ねようとすると、

「なんで? 戦力にならないって、どういうこと?」

 雷華が、先に質問した。
 翠は言葉を選ぶように目を泳がせ、

「……わたし、人と話すの苦手だし、とろくてどんくさいから、取材とか向いてない。一緒に行っても迷惑になるだけ。その代わり……」

 すっ、と自身のスマホの画面を見えるように掲げ、

「絵だけは、それなりに描ける。だから、発表の媒体を作る時なら、力になれるかも」

 淡々とした口調で、そう言った。
 三人は、向けられたスマホ画面を覗き込む。

 そこに映っていたのは、一枚の画像──レンガ造りの街の風景に、魔法使いのような格好をした少女と二足歩行の猫が描かれた、CGのイラストだった。

 素人の海斗が見ても、それが『それなり』などと謙遜するレベルの代物ではないことは一目瞭然だった。
 背景は細かなところまで描き込まれ、まるで実在する街並みのようだ。
 魔法使いの少女と猫の生き生きとした表情や動きは見ているだけでワクワクさせられる。
 漫画やライトノベルの表紙にあってもおかしくない、プロ並みのクオリティである。

 驚愕と感動で思わず見入っていると、雷華がぷるぷると震え出し、

「すっ……すっごぉおい!」

 突然大きな声を上げ、スマホごと翠の手をガシッと掴んだ。

「こんなの描けるなんて天才じゃない! 他にはないの? もっと見たい!」

 鼻息を荒らげ、ぐいぐい顔を近付ける雷華。
 その勢いに圧され、翠は身体を仰け反らす。

「あ、あとは……これとか、これとか。他にもあるけど、スマホに入れているのはごく一部」
「見せて!」
「……どうぞ」
「ありが……ひぇっくしゅ!」

 くしゃみをしてから、渡されたスマホを食い入るように眺める雷華。
 相変わらずくしゃみが多いことが気になりつつ、海斗は会話を続ける。

「本当に上手いな。同い年でこんなプロみたいに描ける人がいるなんて、驚いた」
「ありがとう。ここ最近は、依頼を受けたイラストの納期に追われて学校に来られなかった。昨日ようやく一段落したから、今日から登校することにした」
「依頼って、報酬をもらって絵を描いてるってことか? すごいな、本当にプロじゃないか」
「全然。わたしと同い年でもっとすごい人はいっぱいいる。でも、将来は絵で食べていきたいと思っている」
「へぇー、イラストレーターが夢なんだ。かっこいいね」

 微笑む未空に、翠はふるふると首を振る。

「ううん、他に何もできないだけ。親もわたしには絵しか取り柄がないって知っているから、学校は行ける時に行けばいいって言っている。絵の依頼が増えてきたら、通信制の高校に変えることも考えている」
「それって……この高校を辞めちゃうかもしれないってこと?」
「場合によっては。でも、安心して。ちゃんと発表の手伝いはする。あなたたちの内申には響かないよう、善処するから」
「でも、商店街の取材には来たくないんでしょ?」

 スマホから顔を上げ、雷華が言う。
 責めているのではなく、『来てほしい』という想いによる問いかけであることが表情からわかる。
 だからこそ、翠は困ったように眉を寄せ、

「行きたくないんじゃない。足手まといになるから辞退しているだけ」
「そんなの、来てみないとわからないじゃない」
「わかるよ。火を見るより明らか。太陽が東から登り西へ沈むのと同じくらい確実」
「そ、そんなに?」

 未空が苦笑いしながら言うと、翠は俯いて、

「とにかく、わたしは同行しない。取材は三人で好きなようにやってきて。調べたものをまとめて、発表の準備をする段階になったらいくらでも絵を描くから。それじゃあ」

 返事を待たない内に、翠は席を立ち、すたすたと教室を去ろうとする……が。

「……へぶっ」

 廊下に出る直前、何もないところでツンと躓き、あえなく顔面から床に倒れ込んだ。
 未空が「大丈夫?」と声をかけると、翠はむくりと起き上がり、

「……ほらね。わたし、ポンコツなの」

 そう言い捨てると、スカートの裾を軽く払い、去って行った。
 
 
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