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012 7月23日 喫茶店にて 下駄がなる
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カウンターにはコーヒーサイフォンが数個並んでいる。奥の棚は格子状になっていて、一つ一つ缶が置かれている。コーヒー豆だろうか。それともカレーのスパイスだろうか。
あっ、薄いピンク色した公衆電話みたいなのがある。みどりのしか見た事ないのに。ダイヤル式? どうやって使うのかな。お金を入れて話すのかな。珍しい公衆電話と呼ばれる電話がカウンター側のレジに置いてあった。
私はキョロキョロしながらカウンターの椅子に座る。背もたれのない木製のスツールだがシート部分は柔らかくて座り心地が良かった。
博さんはコーヒーの豆を用意しながら私に話しかける。
「その制服は駿と同じ学校だね。駿が友達を連れてくるなんて初めてかも。あいつ暗いから友達がいないんじゃないかと思っていた」
「暗いだなんてそんな……」
そんな事はない、と思う。恐ろしくマイペースな事は塾からの道のりで実感したが。しかし、私は友達とは言えない。だって七緖くんとは病院に通うバスで一緒になっただけだ。
「だってあいつさ「人と話す為に顔を出せ」って何度も言っているのにあの前髪だし。ああいう髪型最近流行っているの?」
「ふふ。そうですね。確かに目が隠れていますね」
「それにあの猫背。ドアというドアに頭をぶつけるからああなったらしいけれどさ。時々伸びるから老人の曲がった腰が伸びたのと同じぐらい驚くよね」
「私も見た時驚きました」
「笑えるよねあれ。それにあの話方。気が抜けるっていうか、こっちのペースがおかしくなるって言うか」
「確かに……」
そうだ、ゆっくりというかのんびりというか、独特なリズムとうか。あのしっとりとした話方に何となく引き込まれてしまう。私は博さんの話に気がついたら頷いていた。
「駿は親の仕事の都合で、中学卒業するまで一年ごとに転校していたからさ。高校はさすがに転校はしないみたいだけれど」
「一年ごと! ですか……」
確かに転校生だと聞いていたけれども。
一年ごとって学年が変わる度に引っ越しをしていたって事? それは大変だっただろう。
紗理奈も転勤族だけど大体三年単位で引っ越していたって聞いたし。一年ごとっていうのは初めてかも。地元から離れた事のない私は驚いた。
「場合によっては数ヶ月っていうのもあったなぁ。駿はね近畿、中国、北信越あたりの県は制覇しているよ。色々な市町村を行ったり来たりしたからさ、変な方言、関西弁が癖ついてしまって」
「そうだったんですね」
私は紗理奈が言っていた関西風という意味がようやく理解出来た。
「そうそう。こちらは標準語圏だからね何だか関西の人って感じがすると思うけれど。生粋の関西の人から見たら何処の方言? ってなるみたい。混ざっているらしいよ」
「へー」
知らなかった事が一気に分かった。
前髪が長すぎて瞳が見えなかったり、背が高いけれども猫背で、なんとも言えない短く話す関西弁は印象に残る。歓楽街を夜な夜な歩く不良という噂も耳にするけれども、意外な人物像が分かってきて私は七緖くんに少し興味が出た。
(興味って変な言い方。だって不思議な人だから)
そんな事を思った。
「はい。本日のコーヒーです。お砂糖とミルクが必要ならここに置いておくね。おごりだから気にしないで」
博さんはカウンターから乗り出して、ブルーのコーヒーカップを私の目の前に置いてくれた。
「……ありがとうございます」
見ると美しく濃い茶色をした飲み物が湯気を立てている。良い香りだ。コーヒーなのに柑橘の香りがする。
(味が分かればもっと良かったのに)
私はそのコーヒーカップを両手で握りしめながら小さく溜め息をついた。きっと飲んでも味が分からない事に私は落胆する。
その時私をじっと見つめていた博さんが首をかしげた。
「あれ? 君ってもしかして。夏に向けての陸上大会に出ていなかった? えーとほら、確か400メートル走で」
博さんの声に私はコーヒーを見つめたまま固まってしまう。続く言葉が分かって私は喉が張り付いた。
無表情・無冠の女王、シルバーメダルコレクター。
夏に向けての大会は私が全ての力を注いで練習して挑んだ大会だった。でもやはり結果は二位で銀メダルだった。そして足を故障し翌日手術する事になったのだ。
(自分の力はここまでだったと理解して、諦めて、故障しただけの──)
急に大会の結果を思いだし心拍数が早くなった私はカップを持った手が震える。
そこへ再びドアベルを鳴らして、長身の男の子、七緖くんが入ってきた。
「あ、コーヒーええなぁ。僕にもちょうだい」
白いTシャツにゆったりとしたグレーのスエット。どう見ても部屋着だ。それなのに、足元は何故か下駄を履いていた。カツ……カツ……カツと、ゆっくりと歩く音がして思わず彼の足元を見つめる。
「何で下駄なの?」
また拍子抜けしてしまう。何だろう何もかも予想外の七緖くんだ。
おかげで、陸上選手であった事がバレて、早くなった心拍数があっという間に波が引く様に落ち着いていく。震えていた手も落ち着く。
「んー? 何でって言われても。下駄が好きやからなんやけど。水虫とかの心配もないし」
髪の毛はシャワーを浴び、生乾きになっているが、いつもの様に瞳は隠れている。そして首をかしげて下駄を見ていた。
「水虫って」
せめてビーチサンダルとかゴム製のサンダルとか他にも色々あるでしょう? 何故下駄? タダでさえ身長が高くて猫背になるほどなのにヒールを履くのと同じ様に背が高くなる下駄をチョイスって。
私は何故かツボにはまり、七緖くんがおかしくて吹き出して笑った。
あっ、薄いピンク色した公衆電話みたいなのがある。みどりのしか見た事ないのに。ダイヤル式? どうやって使うのかな。お金を入れて話すのかな。珍しい公衆電話と呼ばれる電話がカウンター側のレジに置いてあった。
私はキョロキョロしながらカウンターの椅子に座る。背もたれのない木製のスツールだがシート部分は柔らかくて座り心地が良かった。
博さんはコーヒーの豆を用意しながら私に話しかける。
「その制服は駿と同じ学校だね。駿が友達を連れてくるなんて初めてかも。あいつ暗いから友達がいないんじゃないかと思っていた」
「暗いだなんてそんな……」
そんな事はない、と思う。恐ろしくマイペースな事は塾からの道のりで実感したが。しかし、私は友達とは言えない。だって七緖くんとは病院に通うバスで一緒になっただけだ。
「だってあいつさ「人と話す為に顔を出せ」って何度も言っているのにあの前髪だし。ああいう髪型最近流行っているの?」
「ふふ。そうですね。確かに目が隠れていますね」
「それにあの猫背。ドアというドアに頭をぶつけるからああなったらしいけれどさ。時々伸びるから老人の曲がった腰が伸びたのと同じぐらい驚くよね」
「私も見た時驚きました」
「笑えるよねあれ。それにあの話方。気が抜けるっていうか、こっちのペースがおかしくなるって言うか」
「確かに……」
そうだ、ゆっくりというかのんびりというか、独特なリズムとうか。あのしっとりとした話方に何となく引き込まれてしまう。私は博さんの話に気がついたら頷いていた。
「駿は親の仕事の都合で、中学卒業するまで一年ごとに転校していたからさ。高校はさすがに転校はしないみたいだけれど」
「一年ごと! ですか……」
確かに転校生だと聞いていたけれども。
一年ごとって学年が変わる度に引っ越しをしていたって事? それは大変だっただろう。
紗理奈も転勤族だけど大体三年単位で引っ越していたって聞いたし。一年ごとっていうのは初めてかも。地元から離れた事のない私は驚いた。
「場合によっては数ヶ月っていうのもあったなぁ。駿はね近畿、中国、北信越あたりの県は制覇しているよ。色々な市町村を行ったり来たりしたからさ、変な方言、関西弁が癖ついてしまって」
「そうだったんですね」
私は紗理奈が言っていた関西風という意味がようやく理解出来た。
「そうそう。こちらは標準語圏だからね何だか関西の人って感じがすると思うけれど。生粋の関西の人から見たら何処の方言? ってなるみたい。混ざっているらしいよ」
「へー」
知らなかった事が一気に分かった。
前髪が長すぎて瞳が見えなかったり、背が高いけれども猫背で、なんとも言えない短く話す関西弁は印象に残る。歓楽街を夜な夜な歩く不良という噂も耳にするけれども、意外な人物像が分かってきて私は七緖くんに少し興味が出た。
(興味って変な言い方。だって不思議な人だから)
そんな事を思った。
「はい。本日のコーヒーです。お砂糖とミルクが必要ならここに置いておくね。おごりだから気にしないで」
博さんはカウンターから乗り出して、ブルーのコーヒーカップを私の目の前に置いてくれた。
「……ありがとうございます」
見ると美しく濃い茶色をした飲み物が湯気を立てている。良い香りだ。コーヒーなのに柑橘の香りがする。
(味が分かればもっと良かったのに)
私はそのコーヒーカップを両手で握りしめながら小さく溜め息をついた。きっと飲んでも味が分からない事に私は落胆する。
その時私をじっと見つめていた博さんが首をかしげた。
「あれ? 君ってもしかして。夏に向けての陸上大会に出ていなかった? えーとほら、確か400メートル走で」
博さんの声に私はコーヒーを見つめたまま固まってしまう。続く言葉が分かって私は喉が張り付いた。
無表情・無冠の女王、シルバーメダルコレクター。
夏に向けての大会は私が全ての力を注いで練習して挑んだ大会だった。でもやはり結果は二位で銀メダルだった。そして足を故障し翌日手術する事になったのだ。
(自分の力はここまでだったと理解して、諦めて、故障しただけの──)
急に大会の結果を思いだし心拍数が早くなった私はカップを持った手が震える。
そこへ再びドアベルを鳴らして、長身の男の子、七緖くんが入ってきた。
「あ、コーヒーええなぁ。僕にもちょうだい」
白いTシャツにゆったりとしたグレーのスエット。どう見ても部屋着だ。それなのに、足元は何故か下駄を履いていた。カツ……カツ……カツと、ゆっくりと歩く音がして思わず彼の足元を見つめる。
「何で下駄なの?」
また拍子抜けしてしまう。何だろう何もかも予想外の七緖くんだ。
おかげで、陸上選手であった事がバレて、早くなった心拍数があっという間に波が引く様に落ち着いていく。震えていた手も落ち着く。
「んー? 何でって言われても。下駄が好きやからなんやけど。水虫とかの心配もないし」
髪の毛はシャワーを浴び、生乾きになっているが、いつもの様に瞳は隠れている。そして首をかしげて下駄を見ていた。
「水虫って」
せめてビーチサンダルとかゴム製のサンダルとか他にも色々あるでしょう? 何故下駄? タダでさえ身長が高くて猫背になるほどなのにヒールを履くのと同じ様に背が高くなる下駄をチョイスって。
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