【R18】普通じゃないぜ!

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67 火曜日 昼 2/3

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 私はトイレの個室に駆け込み、壁を拳で殴っていた。ぐずっと鼻水を啜り耐えるけど、後から後か涙が出てくる。瞼の裏が熱くて真っ赤に燃える。佐藤くんに抜け殻にさせられたのに、今度は和馬に言われた言葉が腹立たしくて悔しくて、奥歯は噛みしめすぎて粉砕しそうだ。

 ── 自分だけが思い通りにならないとか。思い上がるんじゃねぇよ ──

「何なのよあの言い草は!」
 涙声で喚き、拳で再び壁を叩く。壁はタイルで叩いてもペチリとしか音がしない。叩いた自分の手は熱いのに、びくともしないタイルの冷たさにイライラしてしまう。

 和馬の馬鹿、阿呆。分からず屋。あいつ本当に私の彼氏なの? 鬼よ、鬼!

「ううっ……ぐず、ひっく。うううーっっっ!」
 俯くとパタパタと涙がこぼれ落ちる。この屋上近くのトイレは、昼休み中はあまり人が来ない場所だった。一人個室で泣き呻く声を聞かれたら、たちまち噂になるに違いない。和馬と付き合っている手前ある事ない事、噂を立てられるならまだしも悔しくて泣いていたなんて……万が一佐藤くんの耳にでも入ったらそれはそれで腹が立つ!

 お昼休みに入る前は能面で脱力していただけの私が、こんなに泣いて喚くとは自分でも思っていなかった。和馬に寄りかかれなかった寂しさより、言い返せなかった自分が悔しくてしかたない。分かってるけど、どうにもならない腹立たしさにぐちゃぐちゃになる。

 私は大声を上げてトイレで泣く事十数分。何度もタイルの壁をペチペチと叩いた。そして、そこまで泣いたら私はいきなりむせて咳き込んでしまった。

「ゲホッ! ゴホッ……ッ」
 涙には限界がないけど、私の体力が限界だ。泣き疲れて、トイレの便座に腰を下ろす。

「はー、はー……ハハハ。よく泣いた。ズズッ」
 それでも涙や鼻水はまだ止まらない。

 社会人になって泣く時は大抵、悔しい時が多かった。ハラハラと女らしく泣けたらいいのに。どうして私はこんなに、ぐちゃぐちゃに泣いて喚いて格好が悪いのだろう。

 個室のトイレは手洗い場と鏡がついている。鏡で自分の顔を見る。
「ひどい顔……」
 普段でギリギリの普通を保っていられるのに、泣いて腫れて見るも無残な顔だった。瞼はパンパン。アイメイクはほとんど剥がれてひどい。鼻の周りも真っ赤で……ヤダ鼻水が垂れてるし。私は、トイレットペーパーで盛大に鼻をかんだ。一回、二回、三回。何度かんでも鼻水が出てくる。そして、何度もタイルを叩いた手は冷たいのに赤く腫れていた。体は所々冷たいのに、頭と顔だけがカッカッと火照っていた。私は立ち上がって、洗面台の蛇口から冷たい水を出す。

 ジャーッと流れる水に両手を当てる。流れる水を見ながら手が冷えてきたら、おもむろにバシャバシャと顔を洗う。化粧は中途半端に剥げ落ちるだけだけど──顔の火照りを鎮めるには十分だった。

 何度も水を掬っては顔にかける。冷たい水が少しずつ私の冷静さを取り戻そうとする。でも悔しさと怒りは静まらない。

「……和馬のくそったれ」

(諦めないで食いついていくのが私だって言うけどさ。佐藤くんの言う分析資料はどんなものを指すのよ。どんなデータを分析すればいいのよ!)

「全然分からない」
 逃げるのは後からでも構わない──そんなの分かっちゃいるけど何をしていいのか分からないのに。

 和馬の言葉が何度も頭の中で繰り返される。『どうしてそんな事を言うの?』という言葉が繰り返され、胸の辺りが苦しくなる。その度に涙が込み上げて顔を洗うの繰り返しだ。抱かれた週末が夢かと思えるぐらいだ。

(こうやって和馬との関係は崩れていくのかな)

 付き合っても長く続かない和馬。どうしても続かないと言っていた。付き合いはじめても嫌になっていくのだとか。週末は和馬なりの悩みも聞いて、色んな女性に声をかけられる立場も大変なのだなって思ったけど。

 やっぱり『普通じゃない』和馬には私は……理解して貰えないし、不釣り合いなのかもしれない──

 私の事もガッカリしたに違いない。せっかく好きだと自覚した私の気持ちも、無残に散っていくのだろう。

(そりゃぁ、私は普通ですら達成出来ませんよ。だって、佐藤くんの企画の意図を考えようとしなかったし。佐藤くんを否定するばかりで本質を見ようとしなかったのは、私だけどさ)

「……だって佐藤くんの企画っていうのは、クライアントがどうとかじゃなくって。結局、定額サービスに加入してもらって、更に新たに携帯端末を契約させるのかって言うだけで──」

 泣いて火照った顔と頭。いい年のくせに仕事と恋人の事で大声で泣き、更に鼻を何度もかんだので頭痛がする。しかし、そんなぼんやりする頭でも自分の言った言葉に我に返る。

(え? 今……私、何って言った?)

 洗面台にジャーッと流れ続ける水を見つめて、自分の呟いた言葉を再び反芻してみる。

 今の『学び舎 西澤』で提供しているコンテンツ動画を元に、どうやって契約させるのか。そればかり考えていた。だって、年齢層は中学・高校・大学受験それぞれを考えたら、いまいちまとまりのない分析資料になるばかりだった。大抵携帯端末は持っているのだから。そこに新たな契約は難しい。

(その点が気になって、どうしてそんな企画なのだろうと思っていたけど……)

「……もしかして、逆?」

(契約ありきの話だとしたらどう? だけど、元々は金銭面や勉強方法が分からなくて勉強したい人達向けの、コンテンツの会社だ。当初の企画もそこからスタートしている。今だって更新されるコンテンツは元の企画に沿っている。だからずっとそこに重きを置いていたし、今回もそのつもりで話が始まっていたから、携帯端末の契約なんてお門違いだと思っていたけど)

 流れる水を右手で掬い、口元と鼻の頭を拭う。勢いよく洗った顔は顎から雫が垂れるほど濡れいてる。その雫がポタポタと洗面台の上に落ちる。

「……」
 それから蛇口を閉めて、ポケットの中に入っていたハンカチで口元を拭う。そのハンカチで口元を覆ったまま、じっと鏡を見つめる。泣いて瞼が腫れぼったい。佐藤くんの言葉で傷つき能面みたいになっていたけど、今はどうだろう。爆発した感情とひどい顔。それでも腫れている瞼の下、瞳には小さく力が漲っているのが分かった。

(佐藤くんの企画と、彼が作った資料はどうだった? クライアントの現時点の企画に重きは一切なく、新たな携帯端末の契約と有料定額サービスの事ばかりだったわよね)
 頭痛を押さえる為に、こめかみをぐりぐりと親指で押さえる。正確に思い出そうとするのに、正しく思い出せない。

(それだけ私も佐藤くんの企画をきちんと見ていなかったのよね……)

「……確かめなきゃ」
 私はハンカチで顔を拭ってパンと両手で自分の頬を力一杯叩いた。
「痛っ!」
 思った以上に自分で叩きすぎてしまった。

「よし! 諦めるのは──やる事をやってからよ」
 泣いて赤くなった顔を更に赤くして、私はトイレの個室から飛び出し自分の二課の席に走った。

(泣いている場合じゃない。自分の間違いに気がついたなら、自分で正せばいい。それが格好悪くったって、私が格好つける理由なんてある? ただそれだ)

 私はエレベーターを待つ時間ですら辛抱出来ず、階段を使い自分の課へ走った。
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