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第二章
八
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三日後。八十八は島田に呼ばれて「柳川亭」に出向いた。
松田は先日と同じように離れた縁台で背筋を伸ばしてお茶を飲んでいた。
「こっちはさっぱりだよ。何かわかったかい」
八十八は山之上町を中心に箱館中を歩いて、熊を彫った根付を売る店を探したが収穫がなかった。
「まず台帳な」
島田が懐から「伊勢屋」の台帳を取り出して紙をめくる。
「二月十五日。この日の客に新選組の者が二人いた」
「二人か。誰だ」
「鶴岡鎌四郎と長沢政之丞」
八十八が台帳を覗き込むとたしかに二人の名前が書いてある。
「さすが島田さんだぜ」
「まあ、待てよ」
島田が台帳の紙をさらにめくっていく。
「ほらな。二人とも二月十五日よりあとも『伊勢屋』に遊びに行っている」
島田が見せる他の日付にも二人の名前がある。八十八は眉を寄せた。
「下手人が殺しをやったあとも足繁く見世に通うのはおかしいか……」
八十八が呟く。
「それとなく鶴岡と長沢に聞いてみた。『伊勢屋』の殺しのことは知っていたが、下手人とは思えねえ様子だったな」
「いざとなったら尋問してみるか」
「土方さんにお願いしてみろよ」
土方歳三の京での苛烈を極める拷問は隊士の間でも恐れられている。
「あの人なら白でも黒にしちまうよ」
「違いねえ」
八十八と島田は笑みを見せ合った。
「松田さんの方はどうかな」
島田が松田の方を向いて手招きした。松田は細い目を少し見開いてから座敷にあがって来た。
「何かわかったのかい、松田さん」
八十八が声をかける。
「拙者は五稜郭の方から箱館に向かって根付を作る店を探してみました」
「おれはそっちはまだ探してねえ。で、どうだった」
「見つけました」
あっさりと松田は言った。
「この根付は鹿の角を彫ったものです。角はアイヌから買い取ったもの」
「よく調べたな」
島田が関心した声をあげる。
「それでですね、根付を買った者は下爪新也という名前です」
「名前までわかったのか」
八十八は目を見開いた。
「はい。下爪は二月十二日に以前に買った熊の根付を失くしたと言って同じものを買いに来たと店の主人が言っていました」
「たしかかよ」
最初の『大須屋』の殺しのあったのが二月十一日だ。その翌日に根付を失くしていた下爪という男。
「はい。下爪は熊の根付が気に入っているらしく、また失くしたときのために同じものを取っておいてほしいと店の主人に言いつけています。その時に己の名前を伝えていました」
八十八は島田が黙り込んで台帳に見入っているのに気づいた。
「どうした島田さん」
島田は松田に「ありがとさん」と言って「柳川亭」から帰らせた。
「これを見てみろ」
小さく唸りながら島田が開いた台帳を指差す。
「あ!」
八十八は思わず声をあげていた。
二月十五日。「伊勢屋」で殺しのあった日の客に「下爪新也」の名前があった。
「こいつは」
八十八は呻くような声を出した。
「下手人の疑いがあるな」
島田も頷いた。
「最初の殺しのあった『大須屋』に熊の彫り物の根付がおちていた。その根付を持っていた男。そして二回目の殺しのあった日に『伊勢屋』にもいた男。それが下爪新也」
八十八は腰をあげた。
「これからどうする」
座ったままの島田が見上げる。
「助かったぜ、島田さん。ここからはおれ一人でやる」
「気をつけろよ」
「蝦夷まで逃げてきたんだ。死んでたまるかよ」
八十八は白い歯を見せてから、島田を置いて「柳川亭」を出ていった。
坂を降りていく。
箱館は元々は蝦夷地本土から離れた島であったが、長年の間に形成された砂州でつながった陸繋島である。
八十八が左を向くとおおきく手前にくぼんだ弓なりの海岸線を見下ろすことができる。海には幾艘かの船が停泊している。
灰色の海に白い波を立てている冷たく湿った風が顔を叩く。
雪を踏みしめる音は風の音でほとんど消されている。
だが、八十八は己の足音とわずかにずれた音を聞き取った。
振り向くと、頭の後ろに左手をあてて愛想の良い笑みを浮かべた松田六郎が立っていた。
「あんた」
「いやあ、島田さんに様子を見てこいと言われまして」
八十八は舌打ちをした。松田が後をつけているのに気が付いたのは偶然だ。やはり松田は只者ではない。
「危ない目に合うかもしれないぜ」
「どうかお構いなく」
「勝手にしな」
八十八は再び歩き出した。松田はもう隠れる様子もなく並んでついて来た。
「大須屋」が見えてきた。最初の殺しのあった見世だ。
八十八は下爪新也が「大須屋」の客として来たことがないかを確認したかった。
「大須屋」から人が出てきた。見覚えがある。
男が向かって来た。
「野村くん」
すれ違う前に八十八は声をかけた。野村利三郎は驚いたように顔をあげた。八十八であることを認めてから笑顔になった。
「山野さんですか。驚かさないでくださいよ」
「『大須屋』に行っていたのかい」
「ええ。たまに遊びに」
野村ははにかんで首をすぼめた。
「気を付けて帰れよ」
「山野さんも」
野村の後ろ姿を見送る間もわずかに、「大須屋」に向かった。
「大須屋」の玄関で見世番の男に話を聞いた。
「新選組だ。ある男を探していてな。下爪新也って男は客で来たことあるかい」
「はい。存じておりますよ下爪さま」
「殺しのあった二月十一日に来ていなかったかい」
「ああ。来ていましたね。さっきのお客さま」
「さっきの」
八十八は目を細める。
「ええ。さきほど旦那たちがいらっしゃる前に帰って行ったお客さまが下爪さまです」
「なに」
八十八はとっさに振り向いた。
――なにかを忘れている気がする。
野村。先日「あさひ屋」に迎えに来た時。
――おれは野村が落とした煙草入れを拾った。
野村に煙草は似合わないと思った。野村のはにかんだ笑み。
――その時、おれは何を見た。
拾った煙草入れに根付がついていた。熊の彫り物の根付。
「山野さん」
松田が神妙な顔つきをしている。
「野村だ……」
「え」
「松田さん、野村を追うぞ」
「は、はい」
二人は野村利三郎を追って駆けだした。
松田は先日と同じように離れた縁台で背筋を伸ばしてお茶を飲んでいた。
「こっちはさっぱりだよ。何かわかったかい」
八十八は山之上町を中心に箱館中を歩いて、熊を彫った根付を売る店を探したが収穫がなかった。
「まず台帳な」
島田が懐から「伊勢屋」の台帳を取り出して紙をめくる。
「二月十五日。この日の客に新選組の者が二人いた」
「二人か。誰だ」
「鶴岡鎌四郎と長沢政之丞」
八十八が台帳を覗き込むとたしかに二人の名前が書いてある。
「さすが島田さんだぜ」
「まあ、待てよ」
島田が台帳の紙をさらにめくっていく。
「ほらな。二人とも二月十五日よりあとも『伊勢屋』に遊びに行っている」
島田が見せる他の日付にも二人の名前がある。八十八は眉を寄せた。
「下手人が殺しをやったあとも足繁く見世に通うのはおかしいか……」
八十八が呟く。
「それとなく鶴岡と長沢に聞いてみた。『伊勢屋』の殺しのことは知っていたが、下手人とは思えねえ様子だったな」
「いざとなったら尋問してみるか」
「土方さんにお願いしてみろよ」
土方歳三の京での苛烈を極める拷問は隊士の間でも恐れられている。
「あの人なら白でも黒にしちまうよ」
「違いねえ」
八十八と島田は笑みを見せ合った。
「松田さんの方はどうかな」
島田が松田の方を向いて手招きした。松田は細い目を少し見開いてから座敷にあがって来た。
「何かわかったのかい、松田さん」
八十八が声をかける。
「拙者は五稜郭の方から箱館に向かって根付を作る店を探してみました」
「おれはそっちはまだ探してねえ。で、どうだった」
「見つけました」
あっさりと松田は言った。
「この根付は鹿の角を彫ったものです。角はアイヌから買い取ったもの」
「よく調べたな」
島田が関心した声をあげる。
「それでですね、根付を買った者は下爪新也という名前です」
「名前までわかったのか」
八十八は目を見開いた。
「はい。下爪は二月十二日に以前に買った熊の根付を失くしたと言って同じものを買いに来たと店の主人が言っていました」
「たしかかよ」
最初の『大須屋』の殺しのあったのが二月十一日だ。その翌日に根付を失くしていた下爪という男。
「はい。下爪は熊の根付が気に入っているらしく、また失くしたときのために同じものを取っておいてほしいと店の主人に言いつけています。その時に己の名前を伝えていました」
八十八は島田が黙り込んで台帳に見入っているのに気づいた。
「どうした島田さん」
島田は松田に「ありがとさん」と言って「柳川亭」から帰らせた。
「これを見てみろ」
小さく唸りながら島田が開いた台帳を指差す。
「あ!」
八十八は思わず声をあげていた。
二月十五日。「伊勢屋」で殺しのあった日の客に「下爪新也」の名前があった。
「こいつは」
八十八は呻くような声を出した。
「下手人の疑いがあるな」
島田も頷いた。
「最初の殺しのあった『大須屋』に熊の彫り物の根付がおちていた。その根付を持っていた男。そして二回目の殺しのあった日に『伊勢屋』にもいた男。それが下爪新也」
八十八は腰をあげた。
「これからどうする」
座ったままの島田が見上げる。
「助かったぜ、島田さん。ここからはおれ一人でやる」
「気をつけろよ」
「蝦夷まで逃げてきたんだ。死んでたまるかよ」
八十八は白い歯を見せてから、島田を置いて「柳川亭」を出ていった。
坂を降りていく。
箱館は元々は蝦夷地本土から離れた島であったが、長年の間に形成された砂州でつながった陸繋島である。
八十八が左を向くとおおきく手前にくぼんだ弓なりの海岸線を見下ろすことができる。海には幾艘かの船が停泊している。
灰色の海に白い波を立てている冷たく湿った風が顔を叩く。
雪を踏みしめる音は風の音でほとんど消されている。
だが、八十八は己の足音とわずかにずれた音を聞き取った。
振り向くと、頭の後ろに左手をあてて愛想の良い笑みを浮かべた松田六郎が立っていた。
「あんた」
「いやあ、島田さんに様子を見てこいと言われまして」
八十八は舌打ちをした。松田が後をつけているのに気が付いたのは偶然だ。やはり松田は只者ではない。
「危ない目に合うかもしれないぜ」
「どうかお構いなく」
「勝手にしな」
八十八は再び歩き出した。松田はもう隠れる様子もなく並んでついて来た。
「大須屋」が見えてきた。最初の殺しのあった見世だ。
八十八は下爪新也が「大須屋」の客として来たことがないかを確認したかった。
「大須屋」から人が出てきた。見覚えがある。
男が向かって来た。
「野村くん」
すれ違う前に八十八は声をかけた。野村利三郎は驚いたように顔をあげた。八十八であることを認めてから笑顔になった。
「山野さんですか。驚かさないでくださいよ」
「『大須屋』に行っていたのかい」
「ええ。たまに遊びに」
野村ははにかんで首をすぼめた。
「気を付けて帰れよ」
「山野さんも」
野村の後ろ姿を見送る間もわずかに、「大須屋」に向かった。
「大須屋」の玄関で見世番の男に話を聞いた。
「新選組だ。ある男を探していてな。下爪新也って男は客で来たことあるかい」
「はい。存じておりますよ下爪さま」
「殺しのあった二月十一日に来ていなかったかい」
「ああ。来ていましたね。さっきのお客さま」
「さっきの」
八十八は目を細める。
「ええ。さきほど旦那たちがいらっしゃる前に帰って行ったお客さまが下爪さまです」
「なに」
八十八はとっさに振り向いた。
――なにかを忘れている気がする。
野村。先日「あさひ屋」に迎えに来た時。
――おれは野村が落とした煙草入れを拾った。
野村に煙草は似合わないと思った。野村のはにかんだ笑み。
――その時、おれは何を見た。
拾った煙草入れに根付がついていた。熊の彫り物の根付。
「山野さん」
松田が神妙な顔つきをしている。
「野村だ……」
「え」
「松田さん、野村を追うぞ」
「は、はい」
二人は野村利三郎を追って駆けだした。
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