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第一章
五
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「のす……」
「ノスフェラトゥ」
榎本がゆっくり言い直したが、八十八は怪訝な顔をしたままだ。
「それがこの事件を起こしている者なのかね」
高松は垂れてきた前髪を頭に撫でつけた。
「いかにも」
「なんで榎本さんが知っているんだ」
土方が目を細める。
「諸君らも知っている通り、わたしは阿蘭陀に留学していました」
榎本は目の前の卓にいる三人の顔を見渡す。
「そこでノスフェラトゥの存在を知ったのです。ノスフェラトゥとは死なざる者です。露西亜で生まれたと言われていますが、世界中でその者らを見たという話があります。そうですね、日本の言葉で言えば吸血鬼と言えば分かりやすいですね」
「血を吸う鬼かい。いまさら妖怪かよ」
土方が鼻で笑う。土方は現実的な思考を持っているので本能的に妖怪の存在を拒否したのだろう。八十八は妖怪という言葉に少なからず慄く己を感じている。
この時代のほとんどの人間は八十八に近い考えを持ってるはずだ。
「いや、土方くん。妖怪とは古来、わたしたちの知らない病や自然が起こす災いを例えたものだ」
「そういうものかい」
高松の合理的な説明に、土方は鼻を鳴らした。
「つまり榎本総裁の言うノスフェラトゥとは列強国の来航とともに日本に入ってきた病と言っていいのではないかな」
「そう言ってもよいかもしれません」
榎本は机に両肘をついて顔の前で左右の手を組み合わせた。
「わたしが聞いた話をしましょう」
それから榎本はにわかには信じがたいことを述べた。
すなわち――。
ノスフェラトゥは普通の人間が生まれ変わった存在だという。
病か、大きな恨みを抱いて死した者が生まれ変わるのか、または怨霊の仕業か。いずれにせよはっきりした原因は分かっていない。
ノスフェラトゥは人間と比べて並外れた膂力を持つ。そして死ぬことはない。刀で斬っても、銃で撃っても死なない。殺すための唯一の方法は炎で焼いて灰にすることと言われる。だがその灰を吸ったり、天に昇った灰が混じった雨を体に浴びた者がまたノスフェラトゥになるとも言う。
「……ノスフェラトゥも吸血鬼も言いづらい。わたしは日本の文字をあてて、『屍の士』つまり屍士と呼びたい」
「屍士かい。こりゃあいい」
土方が芝居がかった動きで、異人のように両手をあげて肩をすくめた。
「じゃあ、おれが斬った男は屍士に噛まれて化物になったということですか」
八十八は話について行こうと必死で頭の中を整理していた。
「そうです――」
榎本の話は続いた。
屍士には狼のような牙が生えており、それに噛まれて血を吸われた者も死して蘇るという。意志を持たないただの動く亡骸である。その亡骸は頭を破壊すれば動かなくなる。
「屍士の徒。そう、屍徒とでも呼びましょうか」
八十八を襲ったのは屍徒のようだ。
――そういうことか。
なぜ昨日の朝は殺せなかった屍徒を、夜に殺すことができたのか。それは偶然、八十八が屍徒の頭を両断したからであったのだ。
「屍士も頭を破壊すれば死ぬんですか」
八十八の問いかけに、榎本はかぶりを振った。
「それじゃあ、屍士とまみえたらお手上げってことかい」
土方は椅子の背に寄りかかって髪をかきあげながら天井を見上げた。
「悪鬼羅刹の類いだな。医学では太刀打ちできん」
部屋の空気を少しでも和ませようとしたのか、高松は軽く笑った。
「そうかもしれません。ですが、屍士を放っておくわけにもいきません」
榎本は机に手をついて立ち上がった。
「ところで山野くん。きみは新選組の一番隊にいたらしいですね。かの天才剣士、沖田総司が率いた精鋭隊に」
「初めだけです。すぐに外されました」
「たいそうな剣の腕前だと聞いていますが」
「おれは見たことねえが、近藤さんは不思議な剣術を使う奴だと言っていたな」
土方が榎本に吹き込んだことは間違いない。八十八は内心で舌打ちをした。
「山野くんには屍士が誰なのかを探索していただきたい」
「誰なのか……」
「はい。屍士は蝦夷島政府、つまり旧幕府軍の者であると疑っている」
「えっ!」
八十八は絶句した。
「新選組の連中に箱館中に聞き込みをさせたが、こんな殺しがあったのはおれたちが来てからと住民は言ってるらしい」
土方が頷く。
「屍士を見つけたらどうするのです」
八十八の声は少し掠れていた。
「屠っていただきたい」
「屍士を屠ることができるのですか」
「阿蘭陀で手に入れたものです」
榎本は抽斗からなにかを取り出して、机の上に置いた。
革の鞘に収まった鉈のように幅広の小太刀だ。西洋の剣がこのような形状だった記憶がある。
「流星刀。隕鉄から鍛えた刀です。これで屍士を斬ることができると聞いています」
八十八の目は流星刀に吸い寄せられていった。
「……山野くん、やってくれますか」
榎本の声で八十八は我に帰った。
「あ、いや。屍徒ってのを倒すだけでも命がけだったんです。屍士をたやすく屠れるとは思えませんね」
「ですので、きみに頼んでいます」
八十八はゆっくり時間をかけて髪をかきあげてから言った。
「ただでとは言いませんよね」
「もちろん。屍士を屠ったら百両を差し上げましょう」
榎本の口の端があがった。
百両あれば十分にやなを見請けすることができるはずだ。この状況で八十八はそんなことが頭をよぎった。
――女に情が移ったか。
八十八は心の中で自嘲する。
「分かりました。屍士の探索はやりますよ」
「これは必要ありませんか」
榎本が机の上の流星刀を少し押し出した。
「やるのは探索だけです」
窓の外は暗雲が立ち込めて雪が落ちていく様がやけに緩慢でもどかしく見えた。
「ノスフェラトゥ」
榎本がゆっくり言い直したが、八十八は怪訝な顔をしたままだ。
「それがこの事件を起こしている者なのかね」
高松は垂れてきた前髪を頭に撫でつけた。
「いかにも」
「なんで榎本さんが知っているんだ」
土方が目を細める。
「諸君らも知っている通り、わたしは阿蘭陀に留学していました」
榎本は目の前の卓にいる三人の顔を見渡す。
「そこでノスフェラトゥの存在を知ったのです。ノスフェラトゥとは死なざる者です。露西亜で生まれたと言われていますが、世界中でその者らを見たという話があります。そうですね、日本の言葉で言えば吸血鬼と言えば分かりやすいですね」
「血を吸う鬼かい。いまさら妖怪かよ」
土方が鼻で笑う。土方は現実的な思考を持っているので本能的に妖怪の存在を拒否したのだろう。八十八は妖怪という言葉に少なからず慄く己を感じている。
この時代のほとんどの人間は八十八に近い考えを持ってるはずだ。
「いや、土方くん。妖怪とは古来、わたしたちの知らない病や自然が起こす災いを例えたものだ」
「そういうものかい」
高松の合理的な説明に、土方は鼻を鳴らした。
「つまり榎本総裁の言うノスフェラトゥとは列強国の来航とともに日本に入ってきた病と言っていいのではないかな」
「そう言ってもよいかもしれません」
榎本は机に両肘をついて顔の前で左右の手を組み合わせた。
「わたしが聞いた話をしましょう」
それから榎本はにわかには信じがたいことを述べた。
すなわち――。
ノスフェラトゥは普通の人間が生まれ変わった存在だという。
病か、大きな恨みを抱いて死した者が生まれ変わるのか、または怨霊の仕業か。いずれにせよはっきりした原因は分かっていない。
ノスフェラトゥは人間と比べて並外れた膂力を持つ。そして死ぬことはない。刀で斬っても、銃で撃っても死なない。殺すための唯一の方法は炎で焼いて灰にすることと言われる。だがその灰を吸ったり、天に昇った灰が混じった雨を体に浴びた者がまたノスフェラトゥになるとも言う。
「……ノスフェラトゥも吸血鬼も言いづらい。わたしは日本の文字をあてて、『屍の士』つまり屍士と呼びたい」
「屍士かい。こりゃあいい」
土方が芝居がかった動きで、異人のように両手をあげて肩をすくめた。
「じゃあ、おれが斬った男は屍士に噛まれて化物になったということですか」
八十八は話について行こうと必死で頭の中を整理していた。
「そうです――」
榎本の話は続いた。
屍士には狼のような牙が生えており、それに噛まれて血を吸われた者も死して蘇るという。意志を持たないただの動く亡骸である。その亡骸は頭を破壊すれば動かなくなる。
「屍士の徒。そう、屍徒とでも呼びましょうか」
八十八を襲ったのは屍徒のようだ。
――そういうことか。
なぜ昨日の朝は殺せなかった屍徒を、夜に殺すことができたのか。それは偶然、八十八が屍徒の頭を両断したからであったのだ。
「屍士も頭を破壊すれば死ぬんですか」
八十八の問いかけに、榎本はかぶりを振った。
「それじゃあ、屍士とまみえたらお手上げってことかい」
土方は椅子の背に寄りかかって髪をかきあげながら天井を見上げた。
「悪鬼羅刹の類いだな。医学では太刀打ちできん」
部屋の空気を少しでも和ませようとしたのか、高松は軽く笑った。
「そうかもしれません。ですが、屍士を放っておくわけにもいきません」
榎本は机に手をついて立ち上がった。
「ところで山野くん。きみは新選組の一番隊にいたらしいですね。かの天才剣士、沖田総司が率いた精鋭隊に」
「初めだけです。すぐに外されました」
「たいそうな剣の腕前だと聞いていますが」
「おれは見たことねえが、近藤さんは不思議な剣術を使う奴だと言っていたな」
土方が榎本に吹き込んだことは間違いない。八十八は内心で舌打ちをした。
「山野くんには屍士が誰なのかを探索していただきたい」
「誰なのか……」
「はい。屍士は蝦夷島政府、つまり旧幕府軍の者であると疑っている」
「えっ!」
八十八は絶句した。
「新選組の連中に箱館中に聞き込みをさせたが、こんな殺しがあったのはおれたちが来てからと住民は言ってるらしい」
土方が頷く。
「屍士を見つけたらどうするのです」
八十八の声は少し掠れていた。
「屠っていただきたい」
「屍士を屠ることができるのですか」
「阿蘭陀で手に入れたものです」
榎本は抽斗からなにかを取り出して、机の上に置いた。
革の鞘に収まった鉈のように幅広の小太刀だ。西洋の剣がこのような形状だった記憶がある。
「流星刀。隕鉄から鍛えた刀です。これで屍士を斬ることができると聞いています」
八十八の目は流星刀に吸い寄せられていった。
「……山野くん、やってくれますか」
榎本の声で八十八は我に帰った。
「あ、いや。屍徒ってのを倒すだけでも命がけだったんです。屍士をたやすく屠れるとは思えませんね」
「ですので、きみに頼んでいます」
八十八はゆっくり時間をかけて髪をかきあげてから言った。
「ただでとは言いませんよね」
「もちろん。屍士を屠ったら百両を差し上げましょう」
榎本の口の端があがった。
百両あれば十分にやなを見請けすることができるはずだ。この状況で八十八はそんなことが頭をよぎった。
――女に情が移ったか。
八十八は心の中で自嘲する。
「分かりました。屍士の探索はやりますよ」
「これは必要ありませんか」
榎本が机の上の流星刀を少し押し出した。
「やるのは探索だけです」
窓の外は暗雲が立ち込めて雪が落ちていく様がやけに緩慢でもどかしく見えた。
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