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第一章
第五話「暮色蒼然(三)」
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銀次郎は残った牙逸に向き直った。
「見事なもんだな。さすがは深川一の仕事人だ」
「あんたが足を洗ってからはな」
「あれ、そうだったかい」
牙逸が尻を払いながら立ち上がった。
「わしが殺るしかねえかよ」
「待て。なぜ、こうまでしておれを狙う」
銀次郎は牙逸に確かめておきたかった。何か知っているかもしれないという勘が働いたからだ。
牙逸は上目遣いでしばらく銀次郎を見つめてから口を開く。
「わしが言えるのは深川の仕事人みんなが危ねえってことだ。江戸の総元締めが動いているって噂だ」
「総元締め……」
江戸の各地域の元締めたちをさらに束ねる「総元締め」という存在がいるのは銀次郎も聞いたことがある。
だが、総元締めが動くということは相当大きな仕事をするということだ。牙逸の言葉を信じるならば、深川の仕事人組織を解体するということもあり得る。
その原因が箕作省吾の殺しということか。箕作は何を持っていたのか。
「分かるだろ。須磨はおまえさんの亡骸を総元締めに差し出して深川としてのけじめをつけたいと思っているってとこだろうよ」
銀次郎は眉間を固くした。
「かたじけない」
「どうしたよ」
「あんたは仕事の裏をおれに教えてくれた」
「いいってことよ。すべてはわしが推し量ったことにすぎない。それに――」
牙逸の隻眼の奥が光を帯びたように銀次郎は見えた。
「おまえさんをここから生かして帰すつもりはない」
牙逸が懐から匕首を取り出した。ただし、柄の両端から少し波打つように湾曲した刃が伸びている。
「久しぶりにこいつを手にするが、まだ馴染むわ」
嬉しそうな顔をした牙逸が得物を体の前に差し出して構えた。
「仕方ねえ」
銀次郎は開いた傘を旋回させて牙逸に迫った。
傘の回転が止まる。
傘の骨から伸びた刃を牙逸が匕首で受けていた。
「傘の絡繰りは見せてもらった」
牙逸が傘の骨に沿って匕首で紙を切り裂く。
銀次郎はすかさず傘を閉じながら牙逸と立ち位置を入れ替わった。
二人は背中合わせの状態から正面に向き直る。
再び銀次郎は傘を開いた。柄の端の石突きを右の掌で叩いて、傘の先端から鋼の太い針を突出させた。
「おっと」
牙逸が開いた傘の下から地面を転がって内側に入って来て素早く立ち上がる。銀次郎と開いた傘の間に牙逸が立っている状態になった。
傘の柄に沿って牙逸が匕首を振るう。
思わず銀次郎は傘から手を放して後方に下がった。
「ようやく得物を手放したな」
相変わらず牙逸は嬉しそうな笑みを浮かべたまま傘を足で横に蹴った。
――やはり手強いな。
銀次郎は左手で腰の刀の鯉口を切った。
「武士らしく刀を抜くかよ」
「ここまで追い詰められたことはねえ」
「褒めるなよ」
銀次郎は刀を抜いて正眼に構えた。
「様になっているじゃねえか」
牙逸の笑いを含んだ声に銀次郎は内心で舌打ちして、踏み込んで刀を振り下ろした。
だが、牙逸が匕首を振るって刀を右に弾く。
銀次郎は右から横に薙いだ。それも牙逸が上に弾いた。
また銀次郎は刀を振り下ろす。しかし、少し剣速を緩めた。
余裕を持って牙逸は匕首で受けた。
――これを待っていた。
銀次郎は牙逸の匕首を組み伏せる形で刀を下に下ろす。
牙逸がわずかに前のめりの姿勢になった。
――次の一刀だ。
銀次郎は右下から斜め上に刀を斬り上げる姿勢になった。牙逸の匕首は刀身の下にあるので守りには間に合わない。
その時、牙逸の顔に笑みが浮かんでいた。
牙逸が左手首を捻ると持っていた匕首が手から離れた。回転して宙を飛んだ匕首を、銀次郎の左上に構えていた右手が掴んだ。
――なに!
牙逸が匕首を銀次郎の左肩に突き刺して来る。
辛うじて銀次郎の刀が牙逸の匕首を受けた。だが、匕首の波打つ刃に絡め取られて刀が銀次郎の手から離れる。
刀は斜めに大地に突き刺さった。
銀次郎はすかさず後ろに飛びずさった。
「さて。残るは脇差一本か」
牙逸が言うように、銀次郎が持つ武器は腰の脇差のみとなった。
銀次郎は脇差を抜いて牙逸と対峙したが、二合打ち合った時にまたしても匕首に絡め取られて脇差が手から飛ばされた。
――今だ。
銀次郎は右に落ちている傘に向かって跳んだ。脇差で打ち負ける覚悟で、銀次郎は傘に手が届く位置まで移動していたのだ。
「それも読んでいるわ」
だが、牙逸も同じ方向に跳んでいた。
銀次郎が傘の柄を掴むと、牙逸は骨に貼った紙を匕首で突き刺した。そのまま紙を切り裂きながら匕首が銀次郎の手に向かって斬り上げられる。
銀次郎は柄を左に回して、後方に身を引いた。
傘は地面に落ちたままであった。
「傘が拾えなくて残念だったなあ」
止めとばかりに牙逸が匕首を突き出してきた。
銀次郎は右腕を伸ばす。
牙逸の動きが止まった。
銀次郎の手には二尺(約六〇センチメートル)ほどの太い針状の鋼が握られており、牙逸の左腕の付け根を突き刺していた。
傘の柄には太い針が仕込まれていて、持ち手の部分を引き抜くと針が抜ける仕組みになっていた。現代で言うフェンシングの剣に近い形状である。先ほど銀次郎は地面に転がった傘を掴んだ時に辛うじて引き抜いていたのであった。
牙逸はその場に座り込んだ。
「こいつはやられたな。まだ傘に仕込みがあったとは」
牙逸が掠れた声をあげた。
銀次郎は荒い息を吐きながら牙逸を見下ろした。そして二刀を拾って鞘に納めた。
「止めを刺さねえのかい」
「今日は人を殺しすぎた。それにあんたを殺る仕事を受けたわけじゃねえ」
「優しさが仇にならないといいが。まあ、これでおまえさんに借りが一つできちまったな」
「大事に使わせてもらうさ」
銀次郎が言うと、牙逸は笑みと共に息を吐き出した。
牙逸に背を向けて、銀次郎は長桂寺の境内を出て行った。
「見事なもんだな。さすがは深川一の仕事人だ」
「あんたが足を洗ってからはな」
「あれ、そうだったかい」
牙逸が尻を払いながら立ち上がった。
「わしが殺るしかねえかよ」
「待て。なぜ、こうまでしておれを狙う」
銀次郎は牙逸に確かめておきたかった。何か知っているかもしれないという勘が働いたからだ。
牙逸は上目遣いでしばらく銀次郎を見つめてから口を開く。
「わしが言えるのは深川の仕事人みんなが危ねえってことだ。江戸の総元締めが動いているって噂だ」
「総元締め……」
江戸の各地域の元締めたちをさらに束ねる「総元締め」という存在がいるのは銀次郎も聞いたことがある。
だが、総元締めが動くということは相当大きな仕事をするということだ。牙逸の言葉を信じるならば、深川の仕事人組織を解体するということもあり得る。
その原因が箕作省吾の殺しということか。箕作は何を持っていたのか。
「分かるだろ。須磨はおまえさんの亡骸を総元締めに差し出して深川としてのけじめをつけたいと思っているってとこだろうよ」
銀次郎は眉間を固くした。
「かたじけない」
「どうしたよ」
「あんたは仕事の裏をおれに教えてくれた」
「いいってことよ。すべてはわしが推し量ったことにすぎない。それに――」
牙逸の隻眼の奥が光を帯びたように銀次郎は見えた。
「おまえさんをここから生かして帰すつもりはない」
牙逸が懐から匕首を取り出した。ただし、柄の両端から少し波打つように湾曲した刃が伸びている。
「久しぶりにこいつを手にするが、まだ馴染むわ」
嬉しそうな顔をした牙逸が得物を体の前に差し出して構えた。
「仕方ねえ」
銀次郎は開いた傘を旋回させて牙逸に迫った。
傘の回転が止まる。
傘の骨から伸びた刃を牙逸が匕首で受けていた。
「傘の絡繰りは見せてもらった」
牙逸が傘の骨に沿って匕首で紙を切り裂く。
銀次郎はすかさず傘を閉じながら牙逸と立ち位置を入れ替わった。
二人は背中合わせの状態から正面に向き直る。
再び銀次郎は傘を開いた。柄の端の石突きを右の掌で叩いて、傘の先端から鋼の太い針を突出させた。
「おっと」
牙逸が開いた傘の下から地面を転がって内側に入って来て素早く立ち上がる。銀次郎と開いた傘の間に牙逸が立っている状態になった。
傘の柄に沿って牙逸が匕首を振るう。
思わず銀次郎は傘から手を放して後方に下がった。
「ようやく得物を手放したな」
相変わらず牙逸は嬉しそうな笑みを浮かべたまま傘を足で横に蹴った。
――やはり手強いな。
銀次郎は左手で腰の刀の鯉口を切った。
「武士らしく刀を抜くかよ」
「ここまで追い詰められたことはねえ」
「褒めるなよ」
銀次郎は刀を抜いて正眼に構えた。
「様になっているじゃねえか」
牙逸の笑いを含んだ声に銀次郎は内心で舌打ちして、踏み込んで刀を振り下ろした。
だが、牙逸が匕首を振るって刀を右に弾く。
銀次郎は右から横に薙いだ。それも牙逸が上に弾いた。
また銀次郎は刀を振り下ろす。しかし、少し剣速を緩めた。
余裕を持って牙逸は匕首で受けた。
――これを待っていた。
銀次郎は牙逸の匕首を組み伏せる形で刀を下に下ろす。
牙逸がわずかに前のめりの姿勢になった。
――次の一刀だ。
銀次郎は右下から斜め上に刀を斬り上げる姿勢になった。牙逸の匕首は刀身の下にあるので守りには間に合わない。
その時、牙逸の顔に笑みが浮かんでいた。
牙逸が左手首を捻ると持っていた匕首が手から離れた。回転して宙を飛んだ匕首を、銀次郎の左上に構えていた右手が掴んだ。
――なに!
牙逸が匕首を銀次郎の左肩に突き刺して来る。
辛うじて銀次郎の刀が牙逸の匕首を受けた。だが、匕首の波打つ刃に絡め取られて刀が銀次郎の手から離れる。
刀は斜めに大地に突き刺さった。
銀次郎はすかさず後ろに飛びずさった。
「さて。残るは脇差一本か」
牙逸が言うように、銀次郎が持つ武器は腰の脇差のみとなった。
銀次郎は脇差を抜いて牙逸と対峙したが、二合打ち合った時にまたしても匕首に絡め取られて脇差が手から飛ばされた。
――今だ。
銀次郎は右に落ちている傘に向かって跳んだ。脇差で打ち負ける覚悟で、銀次郎は傘に手が届く位置まで移動していたのだ。
「それも読んでいるわ」
だが、牙逸も同じ方向に跳んでいた。
銀次郎が傘の柄を掴むと、牙逸は骨に貼った紙を匕首で突き刺した。そのまま紙を切り裂きながら匕首が銀次郎の手に向かって斬り上げられる。
銀次郎は柄を左に回して、後方に身を引いた。
傘は地面に落ちたままであった。
「傘が拾えなくて残念だったなあ」
止めとばかりに牙逸が匕首を突き出してきた。
銀次郎は右腕を伸ばす。
牙逸の動きが止まった。
銀次郎の手には二尺(約六〇センチメートル)ほどの太い針状の鋼が握られており、牙逸の左腕の付け根を突き刺していた。
傘の柄には太い針が仕込まれていて、持ち手の部分を引き抜くと針が抜ける仕組みになっていた。現代で言うフェンシングの剣に近い形状である。先ほど銀次郎は地面に転がった傘を掴んだ時に辛うじて引き抜いていたのであった。
牙逸はその場に座り込んだ。
「こいつはやられたな。まだ傘に仕込みがあったとは」
牙逸が掠れた声をあげた。
銀次郎は荒い息を吐きながら牙逸を見下ろした。そして二刀を拾って鞘に納めた。
「止めを刺さねえのかい」
「今日は人を殺しすぎた。それにあんたを殺る仕事を受けたわけじゃねえ」
「優しさが仇にならないといいが。まあ、これでおまえさんに借りが一つできちまったな」
「大事に使わせてもらうさ」
銀次郎が言うと、牙逸は笑みと共に息を吐き出した。
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