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第二十一章 それでもぼくはきみに笑おう
第十二話 亡霊と死の足音
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前回のあらすじ
恐るべきブリッジを魅せつけるユーピテル。
彼女の言う「プレイヤー」とは果たして。
死屍累々っていうのはこういうのかな。
大穴は灰鷹蜂と紅真蜱の死体でほとんど埋め尽くされていた。もはやそれらはピクリとも動かず、そしてしばらくの間は、腐ることさえもなくただ風に吹かれて枯れ果てていくのを待つばかりだろう。
なにしろ空間中の微生物まで軒並み根こそぎまるっと皆殺しにしてしまっているらしいのだ。
《生体感知》でも、背筋がぞっとするほどに清浄な空間が見えてしまった。
この《収穫の時は来たれり》というスキル、広範囲の低レベルMobを一掃できる《技能》なんだけど、お金もアイテムも、そして経験値さえも入らないために、これだけの大虐殺を行った私の手には、手ごたえというものは実は残っていない。
一度使ったら十分は使えないので実用性皆無の産廃《技能》だけど、こんな悲惨な光景をあっさりと生み出してしまうことを思えば、早々使うことなどないほうがいいのかもしれない。
まあ、それはそれとして実装直後から弱体化され続けたのは恨むけど。
「……巣の中の幼虫まで根こそぎ死んだみたいかしら。反応がまるで返らないなんて」
「まあ、そういうものだからね、これ」
「そういうもの、かしら…………やはり外傷なし、毒でもなし、呪詛もなさそう……致死レベルの放射線も感知できなかった……そうだからそうである、だなんて、全く度し難いかしら」
蜂を拾い上げて観察していたユーピテルは、表情の消えた顔でぐるりを見回し、ため息をついた。
あるいはその目には、何かしら肉眼では見えないものまで見えているのかもしれない。本人の言を信じるならば、それこそ放射線や電磁波まで見えているのか。
そもそもこの世界の人間に放射線という概念が知識としてあるとは思わなかったけど……あるいはそれも聖王国の科学力の高さってことかな。
「さて、地竜はよみがえらせたみたいだけど、蜂やダニはどうかな。この数をまとめて生き返らせることは? できる? できないよね? できるって言われるとほんと面倒だからできないって言ってほしいんだけどほんと切実に」
「……できないかしら」
「そのかしらはどっちの意味……? まあ、できないってことだよね。うん。よし。結構」
まだ手がないわけじゃないけど、この数を平然と蘇生されたりしたらかなりきつい。
外傷なしだと簡単に蘇生させられるってことなら、物理的に破壊しつくさないといけない。そういうことをするためには、在庫に限りのあるアイテムを惜しみなく消費しないといけないからしたくないんだよね。
私のそんな内心の焦りに気づいているのかいないのか、ユーピテルは手のひら大もある巨大な蜂の死体を手の中でもてあそぶ。というより、観察を続ける。
「まったく、どういう現象なのかしら。そうだからそうだなんて、神格存在どもは本当気軽に現実改変して……しいて言うならば呪詛に近い……けれど汚染は見られない…………本当に生命素を断ち切っている? いまもって仮説だけの存在……けどこれが実証にもなるかしら? 興味深い、まったく興味深いかしら」
羽を、足を、頭を、胴を、無造作に開かれむしられ崩れていく蜂。そしてボロボロになったそれをあっさりと放り捨てて、ユーピテルは私を見た。
いや、ただ見る以上に、私は何か見透かされたような気持ちになった。
裸でいる以上の頼りなさ、心細さを感じる。
見られている。見られているのを感じる。可視光だけじゃない、やはりこいつ、なにかを見ている!
「憎たらしいことこの上ないけど、それ以上に……すばらしいかしら。毎度のように毎度のごとく邪魔してくれやがるけど、これほどに肉薄できる機会は稀かしら。是非とも、なんとしても、捕まえて実験したいかしらぁ……」
じっとり。
質量さえ感じる視線に、気持ち悪さを覚える。異様な熱量がそこにある。輝かない光が瞳の奥で燃えている。不気味だ。生理的に無理。きもい。もはや単純な罵倒にしかならないレベルで嫌だ。
「いいかしら。やってやろうかしら。もとより虫どもは地竜が育つまでの給仕役。まだ若いけど、ここまで仕上がったなら、兵器としては十分!」
ずん、とただ一歩で地響きを起こしながら、地竜が私に向かう。
大きく口を開けて、大気を吸い込み圧縮し始める。咆哮。しかしさっきのような大掛かりなものじゃない。
プラズマ化まではさせずに、空気の砲弾を吐きつけてくる!
「確かめるかしら! お前の挙動!」
「君のような勘のいいガキは嫌いだよ……!」
とっさに飛びのいて回避すれば、地面が吹き飛ばされ、土塊が弾丸のように周囲に飛び散る。
私がそれをよけている間に、地竜はさらに息を吸い込み、次の咆哮を放ってくる。
こいつ、ユーピテル、私の自動回避に勘づきつつある!
先ほどは咆哮をよけられたけど、あれはたまたま座標指定がバグって上方に打ちあがってしまったからだ。
《死の舞踏》の効果は敵集団を透過してすり抜けられるけど、攻撃そのものに対してその判定は発生しない。
咆哮のような面の攻撃に対しては、すり抜けも回避もできない。
ユーピテルはそういう理屈はまだわかってない。
だから牽制もかねて連続咆哮で私を試している。
「ほらほらほらァ! 回転上げていくかしらぁ!」
「このっ、調子に乗りやがるなあ……!」
咆哮を正面からすり抜け可能ならば、地竜本体が噛みつきなりで仕掛けてきただろう。そうして回避の限度を探ってきただろう。
さっきのように上方に逃げたなら、身動きできない空中に攻撃を繰り出せばいい。空中で対処できるなら、その手段も学習できる。
そしてすり抜けできずに後方にしか逃げられないなら、ひたすらに咆哮を繰り返せばごり押しできる。
そもそも向こうは私をここで仕留める必要がない。
地竜を育てる餌集めと、周辺地域への浸透制圧戦略を担っていた虫たちは全滅した。そのうえ咆哮まではなって派手に暴れている。これ以上ここに隠れ潜んで力を蓄えることは現実的ではない。
ユーピテルの大目標は、ここを離れて次の拠点を用意することだ。
私を仕留めれば目撃者がいなくなってそれが楽になるだけで、育て上げた生物兵器とともに無事に離れられるならば、私などはどうでもいいのだ。
まともに攻撃を当てられない私を捕まえたり仕留めたりはあくまで小目標であって、大目標だけでいいなら無尽蔵のスタミナで私を追い払い、撤退に追い込むだけで済む。
忌々しいことに、この戦法は私に対して有効だった。
地竜の咆哮は最初のと比べれば威力を絞ったものだけど、それでも前方の地面を扇状にえぐり吹き飛ばす範囲攻撃で、紙装甲の私が食らえばただでは済まず、一撃でも受ければそのまますり潰される。
そんな威力の咆哮が、ほとんど絶え間なく繰り出されてくる。
ためというためがほとんどない。息を吸い込んで、咆哮、息を吸い込んで、咆哮。最初に距離を取らされたのが痛い。懐に入り込む前に次の咆哮が来る。
地竜のスタミナは恐るべきもので、その繰り返しを平然と行ってくる。プラズマで焼けた喉も、すでに回復しつつある。血反吐を吐きながら咆哮を吐き続け、損傷と再生を繰り返し、その微妙なバランスは完治へと傾きつつある。
あるいはその身体を痛めつけるような攻撃も、ユーピテルが何かしらの洗脳手段で強制しているのかもしれない。痛みもなく、スタミナ切れもない、装甲で固められた砲台。厄介すぎる。
「なら《縮地》────おわっ!?」
「そぉらぁ! このワタシがいることも忘れちゃ困るかしらぁ!」
「《無敵砲台》の二人を思い出すなあ……!」
こうなれば地竜など相手にしていられない、司令塔であり蘇生係であるユーピテルを直接仕留めに行こう、などと考えて咆哮回避直後に《縮地》で接近を試みれば、即座にユーピテルの手のひらから電撃が走る。これには自動回避が発動したけど、それも避けてからわかったようなものだ。
ユーピテルが光ったかなと思った瞬間には、もう回避していて、それから電撃が襲ってきていたことに気づいたのだ。
「電気遣いの厄介なとこだ……!」
「それを避けるお前もたいがいかしら!」
光の速さとまではいわないまでも、音速を軽々と超えてぶち込まれる攻撃は、この世界では例外的な速さだ。しかも空気中だというのに私を直接狙ってくる精密性。まあ、直進しかできない《縮地》を狙い撃つのは難しくなかっただろうさ。
リリオの必殺技もたいがいだけど、ユーピテルの電撃はそれをただの汎用攻撃レベルにまで実用化させている。つまり、連続で来るってことだ。
そして当然のように、そんなところで踊っていれば、
「ひき肉になるかしら!」
「ひき肉じゃすまないでしょこれ!」
咆哮。
跳び退って結局振り出しだ。
しかも私の評価を上方修正したらしく、咆哮に紛れて電撃も飛んでくるからたまったものではない。
地形を盛大に変えるマップ兵器の、おきて破りの毎ターン連続攻撃を避けながら、私は考える。
《影身》、という《技能》がある。
これは魔法《技能》のひとつで、自分自身を影に変えてしまうことで、本来避けられない範囲攻撃もすり抜けて回避が可能になるという《技能》だ。
消費は大きいが、こういうボスの範囲攻撃を避けるのに重宝する……のだけれど。
「タイム! ターイム!」
「ノータイム! 鮮度のいいうちにひき肉にしてやるかしら!」
「まだ生きてるんだよなあ!」
そういう範囲攻撃っていうのは、必殺技というか、大技というのを想定してるんだよ、本来。
ドカンと一発の大技を耐え忍んで反撃に移るっていう、そういうやつなのだ。だから、こんなに連発されると、いくら回避できようと反撃に移る暇がない。
《影身》を使っている最中は攻撃も、他の《技能》の使用もできないし、移動速度に制限がかかるから、接近するのに時間がかかる。《SP》を食いすぎるし、相手は動かない固定砲台でもポンコツAIでもない。普通に距離を取られておしまいだ。
回り込むように移動し続けているけど、地竜は柱のような四つの脚でずがんずがんと地面を掘り返しながらすぐに方向転換してしまう。でかくて重いからとろい、ってこともなく、むしろ巨体はそのまま一歩一歩のストロークの長さを意味していた。
となれば、私に必要なのは、範囲攻撃を回避しながら、ユーピテルの電撃にも対処して、高速で地竜に肉薄して、すぐに強力な攻撃に移れる、そういう手段だ。ばかばかしい。
こんな状況でも入れる保険があってたまるか。
ユーピテルが私を無理に殺したり捕まえたりする必要が実はないように、私もユーピテルをここで何としても仕留めなきゃならない理由はない。
リリオとトルンペート、そしてまあ成り行きではあるけど村人たちをむしばむ奇病の原因はここで根絶やしにした。
こいつが聖王国の破壊工作員だっていうなら、領主や帝国の偉い人に通報して対処してもらえばいい。
大きく後退して肩で息をする私に、ユーピテルは攻撃の手を緩めた。
地竜はゆっくりと息を吸い込んで咆哮をため込んではいるが、こちらをうかがっているらしいのがわかる。
「さあて……いい加減大人しくしてくれるのかしら?」
「……私は怖かったんだ」
「あら、いまさら後悔してるかしら? 大人しく実験動物になるなら優しくしてあげるかしら!」
「私は怖かったんだよ。リリオが、トルンペートが、死んじゃうかもって思ったら、怖くてたまらなかった」
「……誰? ああ、お仲間かしら。別にそっちには興味がないから、どうでもいいかしら。ああでも、プレイヤーだったら……」
「私はそうじゃなかった……そういうんじゃなかった。そうであってはいけなかった。入れ込み過ぎた。今更かもしれないけど、リリオの冒険に私は邪魔だったんだ……でも、もう遅い。二人が私を壊してしまった……違う……私が…………二人をダメにしてしまう…………それでも」
「なにを妙なことを……!?」
私はその《技能》を使うことを決意した。
莫大な《SP》が支払われ、体の奥底から何かが失われていく、
指先が冷えていき、それなのに心臓は熱く火照る。
今にも破裂しそうな鼓動をこらえるように胸元を握り締めれば、そこからあふれ出ていくものがある。
「────《いまという花を摘め》」
宣言。それは祈りのように頼りなく、後悔のように重い。
私の心臓から伸びてきた一輪の薔薇、それをそっと引き抜く。
血のような赤い花。肌を引き裂く鋭いとげ。
命そのものから咲いたその輝きを──握りつぶす。
「……!? なにかわからないけど、なにかヤバいかしら!」
地竜の咆哮が激しく大地を吹き飛ばし、間髪入れずにユーピテルの電撃がその一帯を激しくかき回す。
私はそれを、ユーピテルの後ろから見ていた。
「──────ン…ん…なぁ……っ……!……?」
気配か、電磁波か、遅まきならに私に気づいて振り返ろうとするユーピテルを、私は見ていた。
ゆっくり、ゆっくりと振り向くのがよく見える。
振り向きざまに右手が振るわれ、流れるように肩から指先へと電流が伝い、そして電撃となって空をかけるのを見ていた。放たれる電撃を予測して半歩横によけて、その青白い閃光を横から眺めさえした。
ユーピテルが何かを言おうとしているのが見える。その声が聞こえる。
でも言葉はわからない。それはあまりにもゆっくりすぎた。
ねばつく重たいゼリーのような空気をかき分けて、私は地竜の頭に降り立つ。
ともすればどこまでも飛んで行ってしまいそうになる体を慎重に抑えて、岩のようなその肌の上に陣取る。
ユーピテルが振り向こうとしている。
でも、それはもう遅い。
遅すぎる。
私は大鎌《ザ・デス》を振るう。
それは運良く地竜の分厚いうろこの隙間に突き立ち、鋭い傷跡を作る。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
大鎌を振り上げ、また振るう。
それは運良く同じ傷跡に突き立ち、傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
大鎌を振り上げ、振るう。
それは運良く広げた傷跡に突き立ち、さらにその傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
振り上げ、振り下ろす。
運良く傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
振るう。
運良く幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
攻撃。
幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。普通の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。
幸運の、おっとぉ、空振った。
というより、地竜の首がそこで泣き別れした。実時間で一秒間、百六十発くらいかな。据え物切りの部位破壊とはいえ、さすがに硬い。
っていうか、これ殺し切ったというか、《即死》入ったっぽい。ボスなのにずいぶんあっさり片付けちゃってごめんだけど、でも《即死》耐性持ってないほうが悪い。
切断した首が、ゆっくりと落下していく。ようやく振り向いたユーピテルの顔がゆっくりと驚愕に歪んでいく。
「降参してほしいんだけど──あ、だめか」
私の言葉に、ユーピテルがゆっくりと顔をしかめ、耳元に手を持っていく。
うーん。遅い。遅すぎる。
もちろん、これは私のほうが速過ぎるだけだ。
私のとんでもない早口は、彼女の耳には可聴域を大きく超えて聞こえていることだろう。
キーンとかキュルルとか、動画の再生速度を上げていくと声が聞こえづらくなる現象、あれのもっとひどいバージョンだ。
《いまという花を摘め》。
それは《エンズビル・オンライン》でも最上級の速度増加《技能》だ。
ゲーム内ではあらゆる行動にAGIがかかわっていた。攻撃速度に移動速度、一部の《技能》にも影響した。
ゲーム用語では、一秒間にどれだけダメージを叩き出せるかというのをDPS(Damage Per Second)つまり秒間火力という。この数字の上げ方は単純にSTRを上げたり、強い武器を装備したり、強い《技能》を使ったりするという単発火力を上げるほかに、殴る回数を増やすという方法がある。
つまり、一秒間に殴る回数が増えれば、当然ながら一秒間に一回しか殴れないやつより実質的に与えられるダメージが増える。しかも殴る回数が増えるということは、幸運の一撃をそれだけ多く判定させられるということでもある。
だから火力を高めようと思ったら、単発火力のみならず攻撃速度をも高水準で併せ持っていないといけない。
そのため、武器攻撃職、つまり私みたいに武器を持って敵を直接攻撃するプレイヤーは、《技能》や装備、アイテムの効果などによって一時的に攻撃速度を二倍とかにする、実質火力二倍とかは標準装備と言っていい。
で、二十倍だ。
なにがって、そりゃあ、《いまという花を摘め》の速度増加効果ね。
最上級職である《死神》が最大レベル付近で覚える《技能》で、《技能》レベル最大まで育て上げて、っていう気の遠くなるほどの時間がかかる……つまり廃プレイヤーなら義務教育程度の労力で手に入る公式チートだ。
なにしろこれ使うだけで二十倍の火力を叩き出せるのだから、声を揃えて「バカか?」と言われるのも仕方ない。
効果時間は実時間で五秒間だけだから、起動させたらあとは何も考えず殴るくらいしかできないけど、それでも十分すぎる。
なんでこのチートがナーフもされずに今も使えているかというと、デメリットがでかいからだ。
この《技能》は、超加速で圧倒的に火力を高められるけれど、効果時間が切れたら終わる。
終わるっていうのは効果がってことじゃなくて、命が。
命が、終わる。比喩表現でも詩的表現でもなく、死ぬ。
使用後五秒で、確定で《即死》する。
そんな自爆確定のピーキーすぎる設定なのだ。
さて、その五秒のうち二秒くらいが過ぎたけど、私からするとそれなりの時間だ。
なにしろ体感速度も二十倍だ。二秒間の二十倍は四十秒。
残り時間は実時間で三秒、私の体感時間で一分間。なんかしてたらすぐだけど、ぼんやり過ごすと長い。
などとぼんやり見ていたら、ユーピテルの体を紫電が駆け抜けた。
さすがに電流はこの二十倍の速度でも滅茶苦茶速いな、などと思っていたら、そのまま電流をまとった蹴りが鋭く迫ってきて、とっさに自動回避していた。
「へえ……加速した世界に入門してくるとはね」
「フフン……これも我が《脳雲》のちょっとした応用、電気信号」
「まさか直接電気信号を直接末端神経に送り込んで高速で操作するとはね」
「少しは驚くかしら!!」
「大分驚いてるよ」
でもそれ、割とメジャーなんだよなあ、電気遣い界隈。
私は焦げ臭いにおいをゆっくりと嗅ぎながら鎌を向ける。
「大分無理してる技だ。自分を焦がしながらとは恐れ入るね」
「無理はお互い様かしら。お前の心臓は異常な鼓動を繰り返してるかしら。それがいつまでももつわけがない!」
「お互い時間がないわけだ……」
私の鼓動はいま、少し早めだ。
体感時間二十倍の私が少し早めに感じるということは、BPM一六〇〇超のギネスもびっくりの新記録を叩き出していることだろう。当然人間はそんなエンジンみたいな拍動に耐えられるようにはできていない。
「私としては、いま降参してくれれば、命までは取らないよ」
「ふうん、お優しいことかしら?」
「あとは司法に任せる」
「受けるとでも?」
「──── いいや」
「そうね。ぜぇーーーったいに、ノウ! かしら!」
瞬間、ユーピテルの全身が発光し、爆発的に電流がほとばしる。
でもそれは目くらましだ。光に紛れて、一切のためらいなく後方に跳躍する姿が見えた。
そうだ。彼女には、無理をして私を殺す必要がない。
生物兵器という大目的はすでにして失われてしまったが、それは同時に重たく目立つ足枷から解放されたということでもある。
同じ加速状態にある私たちだけど、私のほうが先にはじめたのだ、限界も私のほうが先に来るという読みは、実際正しい。ユーピテル一人であれば、それを振り切って逃げるのは造作もないことだろう。
私はそれがわかっていた。口では降参を勧めたけれど、それで済む相手とは思えなかった。
なにより、逃げてくれれば名目は立つから。
颯爽と逃げ出したユーピテルの背中はもう遠い。
だけど、まだ見えてる。見えてる分には、問題がない。
「────《死を忘ること勿れ》」
それは紫電よりも速い、光よりもなお速い。
《技能》の結果を見届けることもなく、私は独り、地竜の背に腰を下ろした。おろしたというより、ほとんど崩れ落ちたようなものだ。
鼓動はますます早まり、視界が薄暗く、狭まってきた。耳鳴りもする。鼻血は、出てないかな。出てないといいな。格好悪いし。
残り一秒。体感時間で、二十秒。
何かするには短く、なにかを思うには長すぎる。
ユーピテルは逃がしてしまったけれど、大量破壊兵器になりかねない地竜は仕留めたし、リリオとトルンペートを苦しめ、村人たちを苛んできた紅真蜱の女王は根絶やしにできた。
まだ生き残っている紅真蜱も、生殖能力を持たないというから、あとは消えていくだけだろう。
自動蘇生アイテム《聖なる残り火》はリリオとトルンペートに預けた分で最後だから、私の分はもうない。ない時に限ってこうなるから、なにか運命的でさえある。
やるべきことは全て済ませたように思う。
できることはすべてこなしたように思う。
だからもう、これでいいだろう。
だからもう、ここでいいだろう。
「さあ──、死のうか」
◆◇◆◇◆
10
走っていた。
走っている。
筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋みをあげ、皮膚は焦げていき、全身が死につつある。
でも、それでも、生きている!
生きているなら、私の勝ちだ!
《蔓延る雷雲のユーピテル》は森を駆け抜けながら笑った。
電気信号による強制的な身体強化はすでに解除していたが、走りながらの哄笑は肺にひどく負担をかけ、まるでおぼれかけの喘鳴のようなひどい声だった。
地竜の餌集めと周辺地域の流通麻痺を狙った紅真蜱は駆除され、時間をかけ労力を注いできた肝心要の地竜さえも破壊されてしまったが、それさえも大したことではなかった。
いや、手痛い損失は十分大したことだったが、それでも、損失以上に得られたものが大きかった。
9
「はっ、ぜっ、はっ、ひっ、ひひっ、くひひっ、プレイヤー……!」
おぞましく、恨めしく、憎たらしく、そして素晴らしい性能をみせるあの神の駒ども。
その一つと直接対峙して、その能力の一端にでも触れられたのは僥倖だった。
あの時も、あの時も、あの時も、何か大きな企みが実を結ぼうとするとき、やつらは現れた。神格存在どもに選ばれた、やつら謹製の超存在。ただいること、それだけが現実性を歪めていく特異点。
何度も邪魔されてきた。何度も裏切られてきた。懐柔しようとしたこともあった。ひたすらに回避しようとしたこともあった。広く監視してその芽を摘もうともしてきた。
だがそのすべてが潰えてきた。潰されてきた。
その歴史を……まさしく五千年になんなんとする歴史を思えば、今回の一戦はむしろ稀に見る成功と言っていい。成功も成功、大成功だ。
プレイヤーの現実改変能力を直接確認し、その限界を推しはかり、なおかつ生きて逃走まで果たした。
8
プレイヤーは、絶対ではない。
やつらは神格存在どもに導かれ、ピンポイントでこちらを妨害してくる。
けれど、防げる。防げるのだ。
今回は判断が遅れて、手札を捨てる羽目になった。だがそれだけだ。
五千年の間に失ってきたもの、奪われてきたものを思えば、この程度のロスは微々たるものだ。必要なベットだったといってもいい。
地竜ほどの手札を揃えるには時間も労力もかかるが、それとて不可能ではない。
第一、時間は常にユーピテルの味方なのだ。
ピンポイントで現れる奴らは、所詮その時だけの障害。
ほんの数十年、あるいは百年そこら、その間に消えていき、飽きられていく、その程度の駒。
7
十分に距離を取り、ユーピテルは足を緩める。
痛みも苦しみも消してしまっているが、肉体の物理的な不具合はもはや無視できなかった。
足はガクガクと震え、呼吸は落ち着かず、心臓は跳ね回って踊り続ける。
電気信号を調整して少しずつ鎮静化させているが、それらは体に必要な働きだ。あまり無理もできない。
6
脱げ落ちかけた白衣を引きずり上げ、ほとんどずり落ちた眼鏡をかけなおす。
その動作が、ユーピテルの興奮した心を少しずつなだめていく。
そうだ。ルーティーンだ。ルーティーンワークが大事だ。
ユーピテルがユーピテルであるために必要な、ユーピテルを形作る器。
5
「くひ、きひひっ……すー、はー、すー、はー、げほっ、ぐ、ううっ、ぐふっ、はー」
笑いを抑え、呼吸を整える。
こけつまろびつ逃げ回り、みっともなく息を荒げて、ボロボロの体を引きずって……それは美しくはない姿だった。誇れるところなどない姿だった。
だが、ユーピテルは胸を張る。最後に笑うものが勝ちなのだ。最後に笑うためにあらゆることをしてきた者が勝つのだ。
4
そしてユーピテルは何でもしてきた。ありとあらゆることをしてきた。
愛するものを失い、信じたものに裏切られ、ただ一人戦い続けてきた。
すべては祖国のため。聖王国のため。五千年前に失われたすべてのため。
この地上から薄汚い木偶どもを根絶やしにし、おぞましいモンスターどもを打ち払い、邪神どもに戦いを挑み、引きずりおろすのだ。
3
ところでこれはなんだろうか、とユーピテルは頭上の「3」を見上げた。
さっきまでそれは「10」だった。走っている最中はもっと大きな数字だったような気もする。
それはだんだん数を減らして、いまや「3」になっていた。
2
疲れた頭でぼんやりと見上げている間に、数字は「2」になった。
手を伸ばしてみても、それは実体があるものではないのか、ただホログラムのようにすり抜けてしまう。
可視光でも、赤外線でも紫外線でも、見えはしても触れられる実体がない。
レーダーには何も映っていないのだ。
1
ついに「1」になった。
ユーピテルは妙に不安になってきた。
この不思議な数字からは何の圧力も感じない。見上げなければ気づかないほどに存在感もない。
ただそこにある。そういうものとして、そこにある。
そうだからそうだというものを、さっきも見たような気がして。
「なんなのかしら、これ?」
0
用語解説
・《無敵砲台》
《無敵要塞》などのぶれあり。
《エンズビル・オンライン》でウルウと同じギルド《選りすぐりの浪漫狂》に所属していた二人組のプレイヤーのコンビ名。
がちがちに防御特化のタンクと、全属性対応の魔法アタッカーというシンプルゆえに崩しにくい厄介な組み合わせだった。
・《影身》
《隠身》系統のハイエンド。隠密効果はむしろ下がったが、攻撃に対する回避性能が非常に高い。
発動中攻撃不可になる代わりに、物理攻撃無効の他、一部障害物の無効、魔法・範囲攻撃に対して確率で回避といった高性能な《技能》。
《SP》消費は激しいので、ボスの範囲必殺技を回避したりという使い方が多い。
『俺自身が影となることだ』
・《いまという花を摘め》
ゲーム内《技能》。
《技能》レベル最大の場合、使用者の移動速度を三十倍、攻撃速度を二十倍に増加する。効果時間は五秒。その後《即死》効果を付与する。この効果は解呪《技能》等で解除することはできない。
この《技能》使用中に攻撃《技能》等を使うことも可能だが、《待機時間》は短縮されない。
後方で蘇生役が待機して、死ぬたびに蘇生して何度でも使わされる地獄のような光景もたまに見られたが、《待機時間》が長めなので普通に戦ったほうが効率はいい。
『飲め、歌え、そして死ね!』
・《即死》耐性
基本的に《エンズビル・オンライン》のボスMobは《即死》に対して耐性を持っており、《即死》頼りの《暗殺者》などには厳しい相手であることが多い。
だからこそ、それを突破できる《死神》の《貫通即死》は話題になったのであり、そもそも普通の《即死》が通るような奴にボスを名乗る資格はないのである。
ただ、《エンズビル・オンライン》古参という性根の腐った連中は、日々あの手この手で強制的に《即死》を付与しようとシステムの穴を突き続けており、《実質即死》などと言う謎ワードまで生まれている始末である。
・《死を忘ること勿れ》
単体指定魔法《技能》。
対象のレベルやステータスに応じてカウントダウンを開始し、ゼロになると同時に確定で《即死》を付与する。確定なので、解呪するか《即死》耐性を持たない限り確実に《即死》させる。
高レベル帯のボスMobなどは現実的でない桁のカウントダウンになってしまい、普通に戦ったほうが速い。
しかし移動速度が速くすぐに逃げてしまうMobなどに対してはデスポーンしない限り確実に倒せるので、高経験値の逃走型Mob狩りに便利。
なお、シビアではあるものの会話イベントなどの直前に使用すると、会話ウインドウの裏でカウントダウンが進み、会話終了と同時に死ぬというかわいそうなハメ殺しも可能。
また《仮死の妙薬》との合わせ技で、寝てる間に勝手に死んでくれるという、通称「ここでタイマーストップDeath」が一時期猛威を振るったが、当然のように修正された。運営仕事すんな。
『二度はあり得ない。しかし一度は避けられない』
恐るべきブリッジを魅せつけるユーピテル。
彼女の言う「プレイヤー」とは果たして。
死屍累々っていうのはこういうのかな。
大穴は灰鷹蜂と紅真蜱の死体でほとんど埋め尽くされていた。もはやそれらはピクリとも動かず、そしてしばらくの間は、腐ることさえもなくただ風に吹かれて枯れ果てていくのを待つばかりだろう。
なにしろ空間中の微生物まで軒並み根こそぎまるっと皆殺しにしてしまっているらしいのだ。
《生体感知》でも、背筋がぞっとするほどに清浄な空間が見えてしまった。
この《収穫の時は来たれり》というスキル、広範囲の低レベルMobを一掃できる《技能》なんだけど、お金もアイテムも、そして経験値さえも入らないために、これだけの大虐殺を行った私の手には、手ごたえというものは実は残っていない。
一度使ったら十分は使えないので実用性皆無の産廃《技能》だけど、こんな悲惨な光景をあっさりと生み出してしまうことを思えば、早々使うことなどないほうがいいのかもしれない。
まあ、それはそれとして実装直後から弱体化され続けたのは恨むけど。
「……巣の中の幼虫まで根こそぎ死んだみたいかしら。反応がまるで返らないなんて」
「まあ、そういうものだからね、これ」
「そういうもの、かしら…………やはり外傷なし、毒でもなし、呪詛もなさそう……致死レベルの放射線も感知できなかった……そうだからそうである、だなんて、全く度し難いかしら」
蜂を拾い上げて観察していたユーピテルは、表情の消えた顔でぐるりを見回し、ため息をついた。
あるいはその目には、何かしら肉眼では見えないものまで見えているのかもしれない。本人の言を信じるならば、それこそ放射線や電磁波まで見えているのか。
そもそもこの世界の人間に放射線という概念が知識としてあるとは思わなかったけど……あるいはそれも聖王国の科学力の高さってことかな。
「さて、地竜はよみがえらせたみたいだけど、蜂やダニはどうかな。この数をまとめて生き返らせることは? できる? できないよね? できるって言われるとほんと面倒だからできないって言ってほしいんだけどほんと切実に」
「……できないかしら」
「そのかしらはどっちの意味……? まあ、できないってことだよね。うん。よし。結構」
まだ手がないわけじゃないけど、この数を平然と蘇生されたりしたらかなりきつい。
外傷なしだと簡単に蘇生させられるってことなら、物理的に破壊しつくさないといけない。そういうことをするためには、在庫に限りのあるアイテムを惜しみなく消費しないといけないからしたくないんだよね。
私のそんな内心の焦りに気づいているのかいないのか、ユーピテルは手のひら大もある巨大な蜂の死体を手の中でもてあそぶ。というより、観察を続ける。
「まったく、どういう現象なのかしら。そうだからそうだなんて、神格存在どもは本当気軽に現実改変して……しいて言うならば呪詛に近い……けれど汚染は見られない…………本当に生命素を断ち切っている? いまもって仮説だけの存在……けどこれが実証にもなるかしら? 興味深い、まったく興味深いかしら」
羽を、足を、頭を、胴を、無造作に開かれむしられ崩れていく蜂。そしてボロボロになったそれをあっさりと放り捨てて、ユーピテルは私を見た。
いや、ただ見る以上に、私は何か見透かされたような気持ちになった。
裸でいる以上の頼りなさ、心細さを感じる。
見られている。見られているのを感じる。可視光だけじゃない、やはりこいつ、なにかを見ている!
「憎たらしいことこの上ないけど、それ以上に……すばらしいかしら。毎度のように毎度のごとく邪魔してくれやがるけど、これほどに肉薄できる機会は稀かしら。是非とも、なんとしても、捕まえて実験したいかしらぁ……」
じっとり。
質量さえ感じる視線に、気持ち悪さを覚える。異様な熱量がそこにある。輝かない光が瞳の奥で燃えている。不気味だ。生理的に無理。きもい。もはや単純な罵倒にしかならないレベルで嫌だ。
「いいかしら。やってやろうかしら。もとより虫どもは地竜が育つまでの給仕役。まだ若いけど、ここまで仕上がったなら、兵器としては十分!」
ずん、とただ一歩で地響きを起こしながら、地竜が私に向かう。
大きく口を開けて、大気を吸い込み圧縮し始める。咆哮。しかしさっきのような大掛かりなものじゃない。
プラズマ化まではさせずに、空気の砲弾を吐きつけてくる!
「確かめるかしら! お前の挙動!」
「君のような勘のいいガキは嫌いだよ……!」
とっさに飛びのいて回避すれば、地面が吹き飛ばされ、土塊が弾丸のように周囲に飛び散る。
私がそれをよけている間に、地竜はさらに息を吸い込み、次の咆哮を放ってくる。
こいつ、ユーピテル、私の自動回避に勘づきつつある!
先ほどは咆哮をよけられたけど、あれはたまたま座標指定がバグって上方に打ちあがってしまったからだ。
《死の舞踏》の効果は敵集団を透過してすり抜けられるけど、攻撃そのものに対してその判定は発生しない。
咆哮のような面の攻撃に対しては、すり抜けも回避もできない。
ユーピテルはそういう理屈はまだわかってない。
だから牽制もかねて連続咆哮で私を試している。
「ほらほらほらァ! 回転上げていくかしらぁ!」
「このっ、調子に乗りやがるなあ……!」
咆哮を正面からすり抜け可能ならば、地竜本体が噛みつきなりで仕掛けてきただろう。そうして回避の限度を探ってきただろう。
さっきのように上方に逃げたなら、身動きできない空中に攻撃を繰り出せばいい。空中で対処できるなら、その手段も学習できる。
そしてすり抜けできずに後方にしか逃げられないなら、ひたすらに咆哮を繰り返せばごり押しできる。
そもそも向こうは私をここで仕留める必要がない。
地竜を育てる餌集めと、周辺地域への浸透制圧戦略を担っていた虫たちは全滅した。そのうえ咆哮まではなって派手に暴れている。これ以上ここに隠れ潜んで力を蓄えることは現実的ではない。
ユーピテルの大目標は、ここを離れて次の拠点を用意することだ。
私を仕留めれば目撃者がいなくなってそれが楽になるだけで、育て上げた生物兵器とともに無事に離れられるならば、私などはどうでもいいのだ。
まともに攻撃を当てられない私を捕まえたり仕留めたりはあくまで小目標であって、大目標だけでいいなら無尽蔵のスタミナで私を追い払い、撤退に追い込むだけで済む。
忌々しいことに、この戦法は私に対して有効だった。
地竜の咆哮は最初のと比べれば威力を絞ったものだけど、それでも前方の地面を扇状にえぐり吹き飛ばす範囲攻撃で、紙装甲の私が食らえばただでは済まず、一撃でも受ければそのまますり潰される。
そんな威力の咆哮が、ほとんど絶え間なく繰り出されてくる。
ためというためがほとんどない。息を吸い込んで、咆哮、息を吸い込んで、咆哮。最初に距離を取らされたのが痛い。懐に入り込む前に次の咆哮が来る。
地竜のスタミナは恐るべきもので、その繰り返しを平然と行ってくる。プラズマで焼けた喉も、すでに回復しつつある。血反吐を吐きながら咆哮を吐き続け、損傷と再生を繰り返し、その微妙なバランスは完治へと傾きつつある。
あるいはその身体を痛めつけるような攻撃も、ユーピテルが何かしらの洗脳手段で強制しているのかもしれない。痛みもなく、スタミナ切れもない、装甲で固められた砲台。厄介すぎる。
「なら《縮地》────おわっ!?」
「そぉらぁ! このワタシがいることも忘れちゃ困るかしらぁ!」
「《無敵砲台》の二人を思い出すなあ……!」
こうなれば地竜など相手にしていられない、司令塔であり蘇生係であるユーピテルを直接仕留めに行こう、などと考えて咆哮回避直後に《縮地》で接近を試みれば、即座にユーピテルの手のひらから電撃が走る。これには自動回避が発動したけど、それも避けてからわかったようなものだ。
ユーピテルが光ったかなと思った瞬間には、もう回避していて、それから電撃が襲ってきていたことに気づいたのだ。
「電気遣いの厄介なとこだ……!」
「それを避けるお前もたいがいかしら!」
光の速さとまではいわないまでも、音速を軽々と超えてぶち込まれる攻撃は、この世界では例外的な速さだ。しかも空気中だというのに私を直接狙ってくる精密性。まあ、直進しかできない《縮地》を狙い撃つのは難しくなかっただろうさ。
リリオの必殺技もたいがいだけど、ユーピテルの電撃はそれをただの汎用攻撃レベルにまで実用化させている。つまり、連続で来るってことだ。
そして当然のように、そんなところで踊っていれば、
「ひき肉になるかしら!」
「ひき肉じゃすまないでしょこれ!」
咆哮。
跳び退って結局振り出しだ。
しかも私の評価を上方修正したらしく、咆哮に紛れて電撃も飛んでくるからたまったものではない。
地形を盛大に変えるマップ兵器の、おきて破りの毎ターン連続攻撃を避けながら、私は考える。
《影身》、という《技能》がある。
これは魔法《技能》のひとつで、自分自身を影に変えてしまうことで、本来避けられない範囲攻撃もすり抜けて回避が可能になるという《技能》だ。
消費は大きいが、こういうボスの範囲攻撃を避けるのに重宝する……のだけれど。
「タイム! ターイム!」
「ノータイム! 鮮度のいいうちにひき肉にしてやるかしら!」
「まだ生きてるんだよなあ!」
そういう範囲攻撃っていうのは、必殺技というか、大技というのを想定してるんだよ、本来。
ドカンと一発の大技を耐え忍んで反撃に移るっていう、そういうやつなのだ。だから、こんなに連発されると、いくら回避できようと反撃に移る暇がない。
《影身》を使っている最中は攻撃も、他の《技能》の使用もできないし、移動速度に制限がかかるから、接近するのに時間がかかる。《SP》を食いすぎるし、相手は動かない固定砲台でもポンコツAIでもない。普通に距離を取られておしまいだ。
回り込むように移動し続けているけど、地竜は柱のような四つの脚でずがんずがんと地面を掘り返しながらすぐに方向転換してしまう。でかくて重いからとろい、ってこともなく、むしろ巨体はそのまま一歩一歩のストロークの長さを意味していた。
となれば、私に必要なのは、範囲攻撃を回避しながら、ユーピテルの電撃にも対処して、高速で地竜に肉薄して、すぐに強力な攻撃に移れる、そういう手段だ。ばかばかしい。
こんな状況でも入れる保険があってたまるか。
ユーピテルが私を無理に殺したり捕まえたりする必要が実はないように、私もユーピテルをここで何としても仕留めなきゃならない理由はない。
リリオとトルンペート、そしてまあ成り行きではあるけど村人たちをむしばむ奇病の原因はここで根絶やしにした。
こいつが聖王国の破壊工作員だっていうなら、領主や帝国の偉い人に通報して対処してもらえばいい。
大きく後退して肩で息をする私に、ユーピテルは攻撃の手を緩めた。
地竜はゆっくりと息を吸い込んで咆哮をため込んではいるが、こちらをうかがっているらしいのがわかる。
「さあて……いい加減大人しくしてくれるのかしら?」
「……私は怖かったんだ」
「あら、いまさら後悔してるかしら? 大人しく実験動物になるなら優しくしてあげるかしら!」
「私は怖かったんだよ。リリオが、トルンペートが、死んじゃうかもって思ったら、怖くてたまらなかった」
「……誰? ああ、お仲間かしら。別にそっちには興味がないから、どうでもいいかしら。ああでも、プレイヤーだったら……」
「私はそうじゃなかった……そういうんじゃなかった。そうであってはいけなかった。入れ込み過ぎた。今更かもしれないけど、リリオの冒険に私は邪魔だったんだ……でも、もう遅い。二人が私を壊してしまった……違う……私が…………二人をダメにしてしまう…………それでも」
「なにを妙なことを……!?」
私はその《技能》を使うことを決意した。
莫大な《SP》が支払われ、体の奥底から何かが失われていく、
指先が冷えていき、それなのに心臓は熱く火照る。
今にも破裂しそうな鼓動をこらえるように胸元を握り締めれば、そこからあふれ出ていくものがある。
「────《いまという花を摘め》」
宣言。それは祈りのように頼りなく、後悔のように重い。
私の心臓から伸びてきた一輪の薔薇、それをそっと引き抜く。
血のような赤い花。肌を引き裂く鋭いとげ。
命そのものから咲いたその輝きを──握りつぶす。
「……!? なにかわからないけど、なにかヤバいかしら!」
地竜の咆哮が激しく大地を吹き飛ばし、間髪入れずにユーピテルの電撃がその一帯を激しくかき回す。
私はそれを、ユーピテルの後ろから見ていた。
「──────ン…ん…なぁ……っ……!……?」
気配か、電磁波か、遅まきならに私に気づいて振り返ろうとするユーピテルを、私は見ていた。
ゆっくり、ゆっくりと振り向くのがよく見える。
振り向きざまに右手が振るわれ、流れるように肩から指先へと電流が伝い、そして電撃となって空をかけるのを見ていた。放たれる電撃を予測して半歩横によけて、その青白い閃光を横から眺めさえした。
ユーピテルが何かを言おうとしているのが見える。その声が聞こえる。
でも言葉はわからない。それはあまりにもゆっくりすぎた。
ねばつく重たいゼリーのような空気をかき分けて、私は地竜の頭に降り立つ。
ともすればどこまでも飛んで行ってしまいそうになる体を慎重に抑えて、岩のようなその肌の上に陣取る。
ユーピテルが振り向こうとしている。
でも、それはもう遅い。
遅すぎる。
私は大鎌《ザ・デス》を振るう。
それは運良く地竜の分厚いうろこの隙間に突き立ち、鋭い傷跡を作る。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
大鎌を振り上げ、また振るう。
それは運良く同じ傷跡に突き立ち、傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
大鎌を振り上げ、振るう。
それは運良く広げた傷跡に突き立ち、さらにその傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
振り上げ、振り下ろす。
運良く傷跡を広げる。幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
振るう。
運良く幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
攻撃。
幸運の一撃。でもそれはまだ浅い。
幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。普通の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。幸運の一撃。
幸運の、おっとぉ、空振った。
というより、地竜の首がそこで泣き別れした。実時間で一秒間、百六十発くらいかな。据え物切りの部位破壊とはいえ、さすがに硬い。
っていうか、これ殺し切ったというか、《即死》入ったっぽい。ボスなのにずいぶんあっさり片付けちゃってごめんだけど、でも《即死》耐性持ってないほうが悪い。
切断した首が、ゆっくりと落下していく。ようやく振り向いたユーピテルの顔がゆっくりと驚愕に歪んでいく。
「降参してほしいんだけど──あ、だめか」
私の言葉に、ユーピテルがゆっくりと顔をしかめ、耳元に手を持っていく。
うーん。遅い。遅すぎる。
もちろん、これは私のほうが速過ぎるだけだ。
私のとんでもない早口は、彼女の耳には可聴域を大きく超えて聞こえていることだろう。
キーンとかキュルルとか、動画の再生速度を上げていくと声が聞こえづらくなる現象、あれのもっとひどいバージョンだ。
《いまという花を摘め》。
それは《エンズビル・オンライン》でも最上級の速度増加《技能》だ。
ゲーム内ではあらゆる行動にAGIがかかわっていた。攻撃速度に移動速度、一部の《技能》にも影響した。
ゲーム用語では、一秒間にどれだけダメージを叩き出せるかというのをDPS(Damage Per Second)つまり秒間火力という。この数字の上げ方は単純にSTRを上げたり、強い武器を装備したり、強い《技能》を使ったりするという単発火力を上げるほかに、殴る回数を増やすという方法がある。
つまり、一秒間に殴る回数が増えれば、当然ながら一秒間に一回しか殴れないやつより実質的に与えられるダメージが増える。しかも殴る回数が増えるということは、幸運の一撃をそれだけ多く判定させられるということでもある。
だから火力を高めようと思ったら、単発火力のみならず攻撃速度をも高水準で併せ持っていないといけない。
そのため、武器攻撃職、つまり私みたいに武器を持って敵を直接攻撃するプレイヤーは、《技能》や装備、アイテムの効果などによって一時的に攻撃速度を二倍とかにする、実質火力二倍とかは標準装備と言っていい。
で、二十倍だ。
なにがって、そりゃあ、《いまという花を摘め》の速度増加効果ね。
最上級職である《死神》が最大レベル付近で覚える《技能》で、《技能》レベル最大まで育て上げて、っていう気の遠くなるほどの時間がかかる……つまり廃プレイヤーなら義務教育程度の労力で手に入る公式チートだ。
なにしろこれ使うだけで二十倍の火力を叩き出せるのだから、声を揃えて「バカか?」と言われるのも仕方ない。
効果時間は実時間で五秒間だけだから、起動させたらあとは何も考えず殴るくらいしかできないけど、それでも十分すぎる。
なんでこのチートがナーフもされずに今も使えているかというと、デメリットがでかいからだ。
この《技能》は、超加速で圧倒的に火力を高められるけれど、効果時間が切れたら終わる。
終わるっていうのは効果がってことじゃなくて、命が。
命が、終わる。比喩表現でも詩的表現でもなく、死ぬ。
使用後五秒で、確定で《即死》する。
そんな自爆確定のピーキーすぎる設定なのだ。
さて、その五秒のうち二秒くらいが過ぎたけど、私からするとそれなりの時間だ。
なにしろ体感速度も二十倍だ。二秒間の二十倍は四十秒。
残り時間は実時間で三秒、私の体感時間で一分間。なんかしてたらすぐだけど、ぼんやり過ごすと長い。
などとぼんやり見ていたら、ユーピテルの体を紫電が駆け抜けた。
さすがに電流はこの二十倍の速度でも滅茶苦茶速いな、などと思っていたら、そのまま電流をまとった蹴りが鋭く迫ってきて、とっさに自動回避していた。
「へえ……加速した世界に入門してくるとはね」
「フフン……これも我が《脳雲》のちょっとした応用、電気信号」
「まさか直接電気信号を直接末端神経に送り込んで高速で操作するとはね」
「少しは驚くかしら!!」
「大分驚いてるよ」
でもそれ、割とメジャーなんだよなあ、電気遣い界隈。
私は焦げ臭いにおいをゆっくりと嗅ぎながら鎌を向ける。
「大分無理してる技だ。自分を焦がしながらとは恐れ入るね」
「無理はお互い様かしら。お前の心臓は異常な鼓動を繰り返してるかしら。それがいつまでももつわけがない!」
「お互い時間がないわけだ……」
私の鼓動はいま、少し早めだ。
体感時間二十倍の私が少し早めに感じるということは、BPM一六〇〇超のギネスもびっくりの新記録を叩き出していることだろう。当然人間はそんなエンジンみたいな拍動に耐えられるようにはできていない。
「私としては、いま降参してくれれば、命までは取らないよ」
「ふうん、お優しいことかしら?」
「あとは司法に任せる」
「受けるとでも?」
「──── いいや」
「そうね。ぜぇーーーったいに、ノウ! かしら!」
瞬間、ユーピテルの全身が発光し、爆発的に電流がほとばしる。
でもそれは目くらましだ。光に紛れて、一切のためらいなく後方に跳躍する姿が見えた。
そうだ。彼女には、無理をして私を殺す必要がない。
生物兵器という大目的はすでにして失われてしまったが、それは同時に重たく目立つ足枷から解放されたということでもある。
同じ加速状態にある私たちだけど、私のほうが先にはじめたのだ、限界も私のほうが先に来るという読みは、実際正しい。ユーピテル一人であれば、それを振り切って逃げるのは造作もないことだろう。
私はそれがわかっていた。口では降参を勧めたけれど、それで済む相手とは思えなかった。
なにより、逃げてくれれば名目は立つから。
颯爽と逃げ出したユーピテルの背中はもう遠い。
だけど、まだ見えてる。見えてる分には、問題がない。
「────《死を忘ること勿れ》」
それは紫電よりも速い、光よりもなお速い。
《技能》の結果を見届けることもなく、私は独り、地竜の背に腰を下ろした。おろしたというより、ほとんど崩れ落ちたようなものだ。
鼓動はますます早まり、視界が薄暗く、狭まってきた。耳鳴りもする。鼻血は、出てないかな。出てないといいな。格好悪いし。
残り一秒。体感時間で、二十秒。
何かするには短く、なにかを思うには長すぎる。
ユーピテルは逃がしてしまったけれど、大量破壊兵器になりかねない地竜は仕留めたし、リリオとトルンペートを苦しめ、村人たちを苛んできた紅真蜱の女王は根絶やしにできた。
まだ生き残っている紅真蜱も、生殖能力を持たないというから、あとは消えていくだけだろう。
自動蘇生アイテム《聖なる残り火》はリリオとトルンペートに預けた分で最後だから、私の分はもうない。ない時に限ってこうなるから、なにか運命的でさえある。
やるべきことは全て済ませたように思う。
できることはすべてこなしたように思う。
だからもう、これでいいだろう。
だからもう、ここでいいだろう。
「さあ──、死のうか」
◆◇◆◇◆
10
走っていた。
走っている。
筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋みをあげ、皮膚は焦げていき、全身が死につつある。
でも、それでも、生きている!
生きているなら、私の勝ちだ!
《蔓延る雷雲のユーピテル》は森を駆け抜けながら笑った。
電気信号による強制的な身体強化はすでに解除していたが、走りながらの哄笑は肺にひどく負担をかけ、まるでおぼれかけの喘鳴のようなひどい声だった。
地竜の餌集めと周辺地域の流通麻痺を狙った紅真蜱は駆除され、時間をかけ労力を注いできた肝心要の地竜さえも破壊されてしまったが、それさえも大したことではなかった。
いや、手痛い損失は十分大したことだったが、それでも、損失以上に得られたものが大きかった。
9
「はっ、ぜっ、はっ、ひっ、ひひっ、くひひっ、プレイヤー……!」
おぞましく、恨めしく、憎たらしく、そして素晴らしい性能をみせるあの神の駒ども。
その一つと直接対峙して、その能力の一端にでも触れられたのは僥倖だった。
あの時も、あの時も、あの時も、何か大きな企みが実を結ぼうとするとき、やつらは現れた。神格存在どもに選ばれた、やつら謹製の超存在。ただいること、それだけが現実性を歪めていく特異点。
何度も邪魔されてきた。何度も裏切られてきた。懐柔しようとしたこともあった。ひたすらに回避しようとしたこともあった。広く監視してその芽を摘もうともしてきた。
だがそのすべてが潰えてきた。潰されてきた。
その歴史を……まさしく五千年になんなんとする歴史を思えば、今回の一戦はむしろ稀に見る成功と言っていい。成功も成功、大成功だ。
プレイヤーの現実改変能力を直接確認し、その限界を推しはかり、なおかつ生きて逃走まで果たした。
8
プレイヤーは、絶対ではない。
やつらは神格存在どもに導かれ、ピンポイントでこちらを妨害してくる。
けれど、防げる。防げるのだ。
今回は判断が遅れて、手札を捨てる羽目になった。だがそれだけだ。
五千年の間に失ってきたもの、奪われてきたものを思えば、この程度のロスは微々たるものだ。必要なベットだったといってもいい。
地竜ほどの手札を揃えるには時間も労力もかかるが、それとて不可能ではない。
第一、時間は常にユーピテルの味方なのだ。
ピンポイントで現れる奴らは、所詮その時だけの障害。
ほんの数十年、あるいは百年そこら、その間に消えていき、飽きられていく、その程度の駒。
7
十分に距離を取り、ユーピテルは足を緩める。
痛みも苦しみも消してしまっているが、肉体の物理的な不具合はもはや無視できなかった。
足はガクガクと震え、呼吸は落ち着かず、心臓は跳ね回って踊り続ける。
電気信号を調整して少しずつ鎮静化させているが、それらは体に必要な働きだ。あまり無理もできない。
6
脱げ落ちかけた白衣を引きずり上げ、ほとんどずり落ちた眼鏡をかけなおす。
その動作が、ユーピテルの興奮した心を少しずつなだめていく。
そうだ。ルーティーンだ。ルーティーンワークが大事だ。
ユーピテルがユーピテルであるために必要な、ユーピテルを形作る器。
5
「くひ、きひひっ……すー、はー、すー、はー、げほっ、ぐ、ううっ、ぐふっ、はー」
笑いを抑え、呼吸を整える。
こけつまろびつ逃げ回り、みっともなく息を荒げて、ボロボロの体を引きずって……それは美しくはない姿だった。誇れるところなどない姿だった。
だが、ユーピテルは胸を張る。最後に笑うものが勝ちなのだ。最後に笑うためにあらゆることをしてきた者が勝つのだ。
4
そしてユーピテルは何でもしてきた。ありとあらゆることをしてきた。
愛するものを失い、信じたものに裏切られ、ただ一人戦い続けてきた。
すべては祖国のため。聖王国のため。五千年前に失われたすべてのため。
この地上から薄汚い木偶どもを根絶やしにし、おぞましいモンスターどもを打ち払い、邪神どもに戦いを挑み、引きずりおろすのだ。
3
ところでこれはなんだろうか、とユーピテルは頭上の「3」を見上げた。
さっきまでそれは「10」だった。走っている最中はもっと大きな数字だったような気もする。
それはだんだん数を減らして、いまや「3」になっていた。
2
疲れた頭でぼんやりと見上げている間に、数字は「2」になった。
手を伸ばしてみても、それは実体があるものではないのか、ただホログラムのようにすり抜けてしまう。
可視光でも、赤外線でも紫外線でも、見えはしても触れられる実体がない。
レーダーには何も映っていないのだ。
1
ついに「1」になった。
ユーピテルは妙に不安になってきた。
この不思議な数字からは何の圧力も感じない。見上げなければ気づかないほどに存在感もない。
ただそこにある。そういうものとして、そこにある。
そうだからそうだというものを、さっきも見たような気がして。
「なんなのかしら、これ?」
0
用語解説
・《無敵砲台》
《無敵要塞》などのぶれあり。
《エンズビル・オンライン》でウルウと同じギルド《選りすぐりの浪漫狂》に所属していた二人組のプレイヤーのコンビ名。
がちがちに防御特化のタンクと、全属性対応の魔法アタッカーというシンプルゆえに崩しにくい厄介な組み合わせだった。
・《影身》
《隠身》系統のハイエンド。隠密効果はむしろ下がったが、攻撃に対する回避性能が非常に高い。
発動中攻撃不可になる代わりに、物理攻撃無効の他、一部障害物の無効、魔法・範囲攻撃に対して確率で回避といった高性能な《技能》。
《SP》消費は激しいので、ボスの範囲必殺技を回避したりという使い方が多い。
『俺自身が影となることだ』
・《いまという花を摘め》
ゲーム内《技能》。
《技能》レベル最大の場合、使用者の移動速度を三十倍、攻撃速度を二十倍に増加する。効果時間は五秒。その後《即死》効果を付与する。この効果は解呪《技能》等で解除することはできない。
この《技能》使用中に攻撃《技能》等を使うことも可能だが、《待機時間》は短縮されない。
後方で蘇生役が待機して、死ぬたびに蘇生して何度でも使わされる地獄のような光景もたまに見られたが、《待機時間》が長めなので普通に戦ったほうが効率はいい。
『飲め、歌え、そして死ね!』
・《即死》耐性
基本的に《エンズビル・オンライン》のボスMobは《即死》に対して耐性を持っており、《即死》頼りの《暗殺者》などには厳しい相手であることが多い。
だからこそ、それを突破できる《死神》の《貫通即死》は話題になったのであり、そもそも普通の《即死》が通るような奴にボスを名乗る資格はないのである。
ただ、《エンズビル・オンライン》古参という性根の腐った連中は、日々あの手この手で強制的に《即死》を付与しようとシステムの穴を突き続けており、《実質即死》などと言う謎ワードまで生まれている始末である。
・《死を忘ること勿れ》
単体指定魔法《技能》。
対象のレベルやステータスに応じてカウントダウンを開始し、ゼロになると同時に確定で《即死》を付与する。確定なので、解呪するか《即死》耐性を持たない限り確実に《即死》させる。
高レベル帯のボスMobなどは現実的でない桁のカウントダウンになってしまい、普通に戦ったほうが速い。
しかし移動速度が速くすぐに逃げてしまうMobなどに対してはデスポーンしない限り確実に倒せるので、高経験値の逃走型Mob狩りに便利。
なお、シビアではあるものの会話イベントなどの直前に使用すると、会話ウインドウの裏でカウントダウンが進み、会話終了と同時に死ぬというかわいそうなハメ殺しも可能。
また《仮死の妙薬》との合わせ技で、寝てる間に勝手に死んでくれるという、通称「ここでタイマーストップDeath」が一時期猛威を振るったが、当然のように修正された。運営仕事すんな。
『二度はあり得ない。しかし一度は避けられない』
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