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第二十章 そして《伝説》へ…
第十二話 鉄砲百合と盛り上がる夜
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前回のあらすじ
美味しいごはんに、懐かしき父を思い出す閠。
お父さん、娘はこんなに大きくなりました(物理的に)。
《鹿雉の食べ尽くし》、なるほどこれは侮れないものね。
お値段もそりゃあ、侮れないものだったけど、そういうことじゃなくってね。
鹿雉はまあ、そこまで珍しい獲物でもないのよ。でも角猪とかと比べると、そこまで多くは出回らないわね。
別に角猪と比べて数が少ないとかそういうわけでもないし、特別強いとか賢いっていうわけでもない。何なら角猪のほうが、猟師を返り討ちにした数は多いんじゃないかしら。
ただ、普通に角猪のほうがおいしいのよ。
とれる肉の量だって、脂の量だって、何なら毛皮の広さだって、角猪のほうが上。
まあ普通に食べられるし、あんまり殖えると森がやせるから、ある程度は狩るんだけど、それでもお肉としては角猪のほうが人気あるのよね。
鹿雉がまずいっていうんじゃないわよ。
普通においしいわ。まあ、普通には。
でも、鹿雉は角猪と比べると脂が少ないし、肉質がちょっとパサついて感じちゃうのは確かね。
野の獣のお約束として、特有のにおいはあるけど、それもあっさりしたもので、はまるほどの癖もないから、なんていうか、面白みもないわけよ。
どちらかというと、そうね、ほら、あたしが持ってる鹿節とか、ああいう加工品のほうが、鹿雉はおいしいんじゃないかって思うわ。脂が比較的少ないから、腐りづらいし、加工しやすい。
まあ、これは結構あたしの偏見っていうか、好き嫌いの範囲かもしれないけどね。
鹿雉のほうが好きっていう人は、確かにいるもの。それに昔から、いろんな調理法もあって、よく食べられてきたわけだし。
あたしからすると、鹿雉はちょっとお上品に過ぎるかなって、そういう話よ。
まあ、こんだけ下げるようなこと言っちゃったけど、この《跳ね鹿亭》っていうのは、鹿雉の扱いをよくわかってるらしいわね。
水炊きって言ってたかしら、あの煮込みからしてすごかったわね。
骨で出汁をとるっていうのは、とんでもなく時間も根気もいるから、あたしたちにはとてもできないお店の味ね。
それに、普通ならあれこれ調味料やら香味野菜をいれちゃうところを、あくまで鹿雉そのものの出汁であそこまで仕上げるんだから、見事なものよ。
あれはもう、出汁が主役だったわね。肉も野菜も麺も、あの出汁を食わせるための具材に過ぎなかったっていうか。
臭みもなく、必要以上の濁りもなく、あの出汁を仕上げるには繊細な仕事がいるわ。沸くか沸かないか、そういう微妙な火加減が要求されるのよ。
あの領域に達するまでには、きっと眠れない夜もあったでしょうね。
そしてさっぱりと鹿雉の出汁で暖まったところで、焼き物もやっぱり簡素にして簡潔。鹿雉の油で揚げ焼きにして、岩塩を削ってかける。
肉だけを、肉そのものを、ただ肉として食わせる、これはもういっそぜいたくでさえあったわね。
いくら鹿雉が癖が少ないとはいえ、血抜きがまずけりゃ臭み消しもなしには食べられない。特に肝臓なんかはね。
飾り気のない食わせ方で客を満足させるんだから、肉に自信がなきゃできないわ。
いやほんと、あの肉は自信があって当然よね。
適切に処理されて、よくよく熟成された肉っていうのは、驚くほどうまいものなのよ。
一見黒ずんで、悪くなってるんじゃないかって思えるようなあの深い熟成は、相当に気を遣ってるはずよ。
あたしたちは森で狩ってすぐ食べちゃうのが基本だし、ウルウの《自在蔵》はなんでか熟成が進まないから、うちじゃ熟成肉はまず食べられない。
あたしも熟成させた鹿雉が、こんなにもうまいものだなんて全然知らなかったわ。すぐに食べちゃうか、干し肉にしちゃうか、そういうことしかしてこなかったからね。
っていっても、あたしたちじゃうまいこと熟成させるなんてのは難しいから、これもやっぱりお店の味よね。
最後には林檎の雪葩で、脂っこくなった口の中もきれいさっぱりよ。
暑い地方に住んでる人間は、夏の盛りに氷室でつくった氷菓を楽しむのが普通だけど、あたしたち北の人間からすると、やっぱりあったかい火に当たりながら氷菓をつつくってのが、一番の贅沢よね。
そんな感じで、たくさん食べて、たくさん飲んで、あたしたちはくちくなったお腹をなでながら楓蜜入りの白湯で一服していた。
氷菓で冷えた分を取り戻そうとしているのか、それともお肉をたらふく食べたからか、あたしはぽかぽかしたほてりにゆったり身体を預けていた。
鹿雉は精がつくっていう話は、まあ特別聞かないけど、野の獣はたいがいそういう扱いされるわよね。栄養価的には知らないけど、やっぱり野生の動物はそういう生命力みたいなものが、影響してくるんじゃないかっていう。
まあ、民間療法というか、迷信と言えば迷信よね。
でも、事実としてあたしはいい感じにほてって、部屋はいい感じに狭くてこもってて、鉄暖炉でうまいこと暖まってるから風邪をひく心配もない。
ぽかぽか、っていうか。
ほら、わかるでしょ。
お風呂入って、ごはん食べて、お酒も飲んで。
そういうお腹の欲が満たされたら、次はもう、ねえ。
───むらむらしてきた。
あたしは決め顔で独白した。
リリオは寝台に横になって、膨れた腹を心地よさそうに撫でている。
いまはまだ食欲の余韻に浸ってるから、リリオの立ち上がりには時間がかかりそうだ。でもリリオは消化も早いから、立ち上がりさえすればたっぷり補給した燃料の分、高まってくれそうでもある。
なんなら、さするような触れ方で緩やかに立ち上げていくっていうのも、あたしの好みだ。
そうして立ち上がった後は、激しく求められたりしたら言うことはない。
ウルウはゆったりと椅子に腰かけて、湯呑を両手で包むようにして、ちびちびと白湯をすすっては、ほうと小さな息をついてまったりしている。
こいつ、おっきな身体でこういう小動物みたいなそぶりを無意識でやってのけるから、油断できないわよね。かわいいと思ってるのかしらかわいいわよ。
もうこいつのせいであたしの好みとか癖とかぐっちゃぐっちゃよ。でっかい女をかわいいと思っちゃうようになったあたしはもうこの女から逃げられそうにないので、ちゃんと最後まで責任取ってほしい。
具体的にはまず今夜、あたしの指をたっぷり温めてほしい。
むっつり言うな。
むっつり言うなって。
わかってるから。
いやでも仕方ないじゃない。
好きになっちゃったのよ。リリオしかないって思ってたあたしが、ときめいたりどぎまぎしたり、そういう恋みたいなやつを、まじめにしちゃったのよ。
だからリリオと左右からもんにょりぐんにょりしたいのは乙女心のなせる業なのだから、仕方ない。
なんて。
あたしが熱のこもった目で見つめていることに気づいたのか、ウルウは耳元の髪をゆっくりとかきあげて、かすかに笑ったみたいだった。
その吐息交じりの微笑みに、あたしは馬鹿みたいにドキリとしてしまう。
ウルウは白湯を置いて立ち上がると、リリオが転がってる寝台にするりとむかう。
おそろいの薄手の絹の寝間着が、あたしの鼻先を香水のように曖昧に漂っていった。
これは、これはよもや。
珍しくウルウが、乗り気なのでは。
あたしはごくりとつばを飲み込んで、ウルウに続いて寝台に向かった。
ドキドキが止まらなかった。
あたしは童貞みたいに緊張しっぱなしだった。
バレないように深呼吸して、爪を短く切りそろえていたことを確認。
さあ、いざ、と向き直った先では、ウルウが寝台に帝国将棋盤を広げてた。
「…………うん?」
「ふふふ、旅の醍醐味はやっぱり宿でのゲームだよね」
「あー、うん?」
「冬の間、隣で見ながら定石しっかり覚えたからね。絶対私が勝つよ。賭けてもいい」
「…………やってやろうじゃないの」
ふんすふんすとドヤ顔で言ってくるかわいいでっかい女の、かわいい挑戦を、どうして退けることができただろうか。
あたしは一人で盛り上がっていた熱をこらえながら、野生をなくした猫のようにぐでんと横になるリリオを足でどかす。
「ほら、リリオ場所あけなさいよ」
「んぇあ……あれ、帝国将棋ですか? いいですね」
「まず私とトルンペートね。交代でやろうよ」
「何局やる気よまったく……時間かかるし、早指しで行きましょ」
「あ、じゃあ私時間はかりますね」
「ふふん、いいよ、すぐに終わっちゃわないといいけど」
「このデカ女……! 棋力の差をわからせてやるわ!」
じゃらりと駒を広げて、《三輪百合》内での帝国将棋(全国共通版)格付け争いがこうして始まったのだった。
「じゃあ、まずは慣らしってことで」
「そうだね。実際に指したことあんまりないし」
「やり方は見て覚えたんでしょ、細かいところ大丈夫?」
「説明書は丸暗記したよ」
「いやあ、ごめんねトルンペート手加減してもらって」
「ぬぐぐぐぐぐ……!」
「はいはい、試合後の煽りは実際シツレイですよ」
「ごめんごめん。じゃあ次はリリオやろっか」
「ふふん、私はトルンペートのように油断などしませんよ!」
「綺麗なまでにフラグ立てるなあ」
「この流れは期待できないわねえ」
「ちょっとぉ!?」
「ほらほら早く指しなよ。どうせ君の手は読めてるんだし」
「手加減してやってるのがわかんないみたいね。大女総身になんとやらって?」
「はい知ってたー知ってましたその手はーはい伏兵ドン」
「こっのっ、デカ女……! 武装女中をなめるんじゃないわよ……!」
「きゃーこわーい」
「お排泄物がよっ!! 煽るのは寝台の上だけにしなさいよ……!」
「は? は? 辺境貴族は恥とかご存じではない?」
「勝てばよかろうなのですよぉ!」
「汚いなさすが辺境人きたない、蛮族はこれだから」
「負け惜しみだけは立派なものですねえ。これが戦争芸術というものです!」
「お排泄物がよっ! 親の顔思い出したら納得しかないな!」
「親は関係ないでしょう、親は!」
「それが女中のやることですかぁ!?」
「あっははははははは!! ねえねえ今どんな気持ち? 王手直前で主力が罠で全滅するのどんな気持ちよぉ?」
「煽りだけは一等武装女中してっ!! 主人を立てるってこと知らないんですか!?」
「あー、そうでちゅねえ、お嬢様は接待帝国将棋じゃないと勝てませんものねえ」
「勝てますけどぉ!?!?」
「こういう時に身分とか持ち出すの完全に負け犬ムーブなんだよなあ」
「あっれえ、センパイは帝国将棋のルールご存じない? それ反則ってご存じない?」
「や、やりやがったわねこのクソ女……! あたしをはめたわね……!」
「人聞きが悪いなあ! トルンペートが勝手に自爆しただけでしょ?」
「むっきゃあああああああっ!!」
「ごめんねえ、チンパン語は履修してないんだ」
「どうどう、トルンペート、拳が出たら負けですよ」
「ハァ、ハァ……そ、そうね、こんなので煽られてちゃ……」
「やーいざーこざーこ」
「あ゛あ゛!?!?!?」
「乗っちゃだめですよトルンペート! 戻って!」
「はあぁ~~~?? 千日手は引き分けなんですけどぉ~~??」
「ウルウが王手かけ続けてましたから、この場合ウルウの負けですよ」
「あれ、あっれぇ? ご存じない? 帝国将棋の勝ち負けご存じない?」
「審判が煽ってきてんですけどぉ~~??」
「はいじゃあ勝ちですねー、私の勝ちでぇ~す。対局ありがとうございま~す」
「こすっからい手で逃げ切りやがって……! 潔さとかの文化はないんですかねえ!」
「負け犬の遠吠えは気持ちいわねえ」
「だから審判が煽るんじゃないよ!!!」
その夜は、とても盛り上がったのだった。
用語解説
・チンパン語
チンパンはチンパンジーの略。
ゲーマーがしばしば用いる煽り文句、罵倒の一つで、学習能力のないプレイや、思考停止したごり押しなどに対して、人間としての知能が感じられないとしてチンパンジーになぞらえて用いられる。
またマナーの悪いプレイヤーに用いられることもある。
チンパン語とした場合は、特に言動などについて揶揄している。
美味しいごはんに、懐かしき父を思い出す閠。
お父さん、娘はこんなに大きくなりました(物理的に)。
《鹿雉の食べ尽くし》、なるほどこれは侮れないものね。
お値段もそりゃあ、侮れないものだったけど、そういうことじゃなくってね。
鹿雉はまあ、そこまで珍しい獲物でもないのよ。でも角猪とかと比べると、そこまで多くは出回らないわね。
別に角猪と比べて数が少ないとかそういうわけでもないし、特別強いとか賢いっていうわけでもない。何なら角猪のほうが、猟師を返り討ちにした数は多いんじゃないかしら。
ただ、普通に角猪のほうがおいしいのよ。
とれる肉の量だって、脂の量だって、何なら毛皮の広さだって、角猪のほうが上。
まあ普通に食べられるし、あんまり殖えると森がやせるから、ある程度は狩るんだけど、それでもお肉としては角猪のほうが人気あるのよね。
鹿雉がまずいっていうんじゃないわよ。
普通においしいわ。まあ、普通には。
でも、鹿雉は角猪と比べると脂が少ないし、肉質がちょっとパサついて感じちゃうのは確かね。
野の獣のお約束として、特有のにおいはあるけど、それもあっさりしたもので、はまるほどの癖もないから、なんていうか、面白みもないわけよ。
どちらかというと、そうね、ほら、あたしが持ってる鹿節とか、ああいう加工品のほうが、鹿雉はおいしいんじゃないかって思うわ。脂が比較的少ないから、腐りづらいし、加工しやすい。
まあ、これは結構あたしの偏見っていうか、好き嫌いの範囲かもしれないけどね。
鹿雉のほうが好きっていう人は、確かにいるもの。それに昔から、いろんな調理法もあって、よく食べられてきたわけだし。
あたしからすると、鹿雉はちょっとお上品に過ぎるかなって、そういう話よ。
まあ、こんだけ下げるようなこと言っちゃったけど、この《跳ね鹿亭》っていうのは、鹿雉の扱いをよくわかってるらしいわね。
水炊きって言ってたかしら、あの煮込みからしてすごかったわね。
骨で出汁をとるっていうのは、とんでもなく時間も根気もいるから、あたしたちにはとてもできないお店の味ね。
それに、普通ならあれこれ調味料やら香味野菜をいれちゃうところを、あくまで鹿雉そのものの出汁であそこまで仕上げるんだから、見事なものよ。
あれはもう、出汁が主役だったわね。肉も野菜も麺も、あの出汁を食わせるための具材に過ぎなかったっていうか。
臭みもなく、必要以上の濁りもなく、あの出汁を仕上げるには繊細な仕事がいるわ。沸くか沸かないか、そういう微妙な火加減が要求されるのよ。
あの領域に達するまでには、きっと眠れない夜もあったでしょうね。
そしてさっぱりと鹿雉の出汁で暖まったところで、焼き物もやっぱり簡素にして簡潔。鹿雉の油で揚げ焼きにして、岩塩を削ってかける。
肉だけを、肉そのものを、ただ肉として食わせる、これはもういっそぜいたくでさえあったわね。
いくら鹿雉が癖が少ないとはいえ、血抜きがまずけりゃ臭み消しもなしには食べられない。特に肝臓なんかはね。
飾り気のない食わせ方で客を満足させるんだから、肉に自信がなきゃできないわ。
いやほんと、あの肉は自信があって当然よね。
適切に処理されて、よくよく熟成された肉っていうのは、驚くほどうまいものなのよ。
一見黒ずんで、悪くなってるんじゃないかって思えるようなあの深い熟成は、相当に気を遣ってるはずよ。
あたしたちは森で狩ってすぐ食べちゃうのが基本だし、ウルウの《自在蔵》はなんでか熟成が進まないから、うちじゃ熟成肉はまず食べられない。
あたしも熟成させた鹿雉が、こんなにもうまいものだなんて全然知らなかったわ。すぐに食べちゃうか、干し肉にしちゃうか、そういうことしかしてこなかったからね。
っていっても、あたしたちじゃうまいこと熟成させるなんてのは難しいから、これもやっぱりお店の味よね。
最後には林檎の雪葩で、脂っこくなった口の中もきれいさっぱりよ。
暑い地方に住んでる人間は、夏の盛りに氷室でつくった氷菓を楽しむのが普通だけど、あたしたち北の人間からすると、やっぱりあったかい火に当たりながら氷菓をつつくってのが、一番の贅沢よね。
そんな感じで、たくさん食べて、たくさん飲んで、あたしたちはくちくなったお腹をなでながら楓蜜入りの白湯で一服していた。
氷菓で冷えた分を取り戻そうとしているのか、それともお肉をたらふく食べたからか、あたしはぽかぽかしたほてりにゆったり身体を預けていた。
鹿雉は精がつくっていう話は、まあ特別聞かないけど、野の獣はたいがいそういう扱いされるわよね。栄養価的には知らないけど、やっぱり野生の動物はそういう生命力みたいなものが、影響してくるんじゃないかっていう。
まあ、民間療法というか、迷信と言えば迷信よね。
でも、事実としてあたしはいい感じにほてって、部屋はいい感じに狭くてこもってて、鉄暖炉でうまいこと暖まってるから風邪をひく心配もない。
ぽかぽか、っていうか。
ほら、わかるでしょ。
お風呂入って、ごはん食べて、お酒も飲んで。
そういうお腹の欲が満たされたら、次はもう、ねえ。
───むらむらしてきた。
あたしは決め顔で独白した。
リリオは寝台に横になって、膨れた腹を心地よさそうに撫でている。
いまはまだ食欲の余韻に浸ってるから、リリオの立ち上がりには時間がかかりそうだ。でもリリオは消化も早いから、立ち上がりさえすればたっぷり補給した燃料の分、高まってくれそうでもある。
なんなら、さするような触れ方で緩やかに立ち上げていくっていうのも、あたしの好みだ。
そうして立ち上がった後は、激しく求められたりしたら言うことはない。
ウルウはゆったりと椅子に腰かけて、湯呑を両手で包むようにして、ちびちびと白湯をすすっては、ほうと小さな息をついてまったりしている。
こいつ、おっきな身体でこういう小動物みたいなそぶりを無意識でやってのけるから、油断できないわよね。かわいいと思ってるのかしらかわいいわよ。
もうこいつのせいであたしの好みとか癖とかぐっちゃぐっちゃよ。でっかい女をかわいいと思っちゃうようになったあたしはもうこの女から逃げられそうにないので、ちゃんと最後まで責任取ってほしい。
具体的にはまず今夜、あたしの指をたっぷり温めてほしい。
むっつり言うな。
むっつり言うなって。
わかってるから。
いやでも仕方ないじゃない。
好きになっちゃったのよ。リリオしかないって思ってたあたしが、ときめいたりどぎまぎしたり、そういう恋みたいなやつを、まじめにしちゃったのよ。
だからリリオと左右からもんにょりぐんにょりしたいのは乙女心のなせる業なのだから、仕方ない。
なんて。
あたしが熱のこもった目で見つめていることに気づいたのか、ウルウは耳元の髪をゆっくりとかきあげて、かすかに笑ったみたいだった。
その吐息交じりの微笑みに、あたしは馬鹿みたいにドキリとしてしまう。
ウルウは白湯を置いて立ち上がると、リリオが転がってる寝台にするりとむかう。
おそろいの薄手の絹の寝間着が、あたしの鼻先を香水のように曖昧に漂っていった。
これは、これはよもや。
珍しくウルウが、乗り気なのでは。
あたしはごくりとつばを飲み込んで、ウルウに続いて寝台に向かった。
ドキドキが止まらなかった。
あたしは童貞みたいに緊張しっぱなしだった。
バレないように深呼吸して、爪を短く切りそろえていたことを確認。
さあ、いざ、と向き直った先では、ウルウが寝台に帝国将棋盤を広げてた。
「…………うん?」
「ふふふ、旅の醍醐味はやっぱり宿でのゲームだよね」
「あー、うん?」
「冬の間、隣で見ながら定石しっかり覚えたからね。絶対私が勝つよ。賭けてもいい」
「…………やってやろうじゃないの」
ふんすふんすとドヤ顔で言ってくるかわいいでっかい女の、かわいい挑戦を、どうして退けることができただろうか。
あたしは一人で盛り上がっていた熱をこらえながら、野生をなくした猫のようにぐでんと横になるリリオを足でどかす。
「ほら、リリオ場所あけなさいよ」
「んぇあ……あれ、帝国将棋ですか? いいですね」
「まず私とトルンペートね。交代でやろうよ」
「何局やる気よまったく……時間かかるし、早指しで行きましょ」
「あ、じゃあ私時間はかりますね」
「ふふん、いいよ、すぐに終わっちゃわないといいけど」
「このデカ女……! 棋力の差をわからせてやるわ!」
じゃらりと駒を広げて、《三輪百合》内での帝国将棋(全国共通版)格付け争いがこうして始まったのだった。
「じゃあ、まずは慣らしってことで」
「そうだね。実際に指したことあんまりないし」
「やり方は見て覚えたんでしょ、細かいところ大丈夫?」
「説明書は丸暗記したよ」
「いやあ、ごめんねトルンペート手加減してもらって」
「ぬぐぐぐぐぐ……!」
「はいはい、試合後の煽りは実際シツレイですよ」
「ごめんごめん。じゃあ次はリリオやろっか」
「ふふん、私はトルンペートのように油断などしませんよ!」
「綺麗なまでにフラグ立てるなあ」
「この流れは期待できないわねえ」
「ちょっとぉ!?」
「ほらほら早く指しなよ。どうせ君の手は読めてるんだし」
「手加減してやってるのがわかんないみたいね。大女総身になんとやらって?」
「はい知ってたー知ってましたその手はーはい伏兵ドン」
「こっのっ、デカ女……! 武装女中をなめるんじゃないわよ……!」
「きゃーこわーい」
「お排泄物がよっ!! 煽るのは寝台の上だけにしなさいよ……!」
「は? は? 辺境貴族は恥とかご存じではない?」
「勝てばよかろうなのですよぉ!」
「汚いなさすが辺境人きたない、蛮族はこれだから」
「負け惜しみだけは立派なものですねえ。これが戦争芸術というものです!」
「お排泄物がよっ! 親の顔思い出したら納得しかないな!」
「親は関係ないでしょう、親は!」
「それが女中のやることですかぁ!?」
「あっははははははは!! ねえねえ今どんな気持ち? 王手直前で主力が罠で全滅するのどんな気持ちよぉ?」
「煽りだけは一等武装女中してっ!! 主人を立てるってこと知らないんですか!?」
「あー、そうでちゅねえ、お嬢様は接待帝国将棋じゃないと勝てませんものねえ」
「勝てますけどぉ!?!?」
「こういう時に身分とか持ち出すの完全に負け犬ムーブなんだよなあ」
「あっれえ、センパイは帝国将棋のルールご存じない? それ反則ってご存じない?」
「や、やりやがったわねこのクソ女……! あたしをはめたわね……!」
「人聞きが悪いなあ! トルンペートが勝手に自爆しただけでしょ?」
「むっきゃあああああああっ!!」
「ごめんねえ、チンパン語は履修してないんだ」
「どうどう、トルンペート、拳が出たら負けですよ」
「ハァ、ハァ……そ、そうね、こんなので煽られてちゃ……」
「やーいざーこざーこ」
「あ゛あ゛!?!?!?」
「乗っちゃだめですよトルンペート! 戻って!」
「はあぁ~~~?? 千日手は引き分けなんですけどぉ~~??」
「ウルウが王手かけ続けてましたから、この場合ウルウの負けですよ」
「あれ、あっれぇ? ご存じない? 帝国将棋の勝ち負けご存じない?」
「審判が煽ってきてんですけどぉ~~??」
「はいじゃあ勝ちですねー、私の勝ちでぇ~す。対局ありがとうございま~す」
「こすっからい手で逃げ切りやがって……! 潔さとかの文化はないんですかねえ!」
「負け犬の遠吠えは気持ちいわねえ」
「だから審判が煽るんじゃないよ!!!」
その夜は、とても盛り上がったのだった。
用語解説
・チンパン語
チンパンはチンパンジーの略。
ゲーマーがしばしば用いる煽り文句、罵倒の一つで、学習能力のないプレイや、思考停止したごり押しなどに対して、人間としての知能が感じられないとしてチンパンジーになぞらえて用いられる。
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