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第二十章 そして《伝説》へ…
第十一話 亡霊と旅籠飯再び
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前回のあらすじ
ゴスリリと言ったらご飯回。
これは言い訳できません。うるせえ。
十秒チャージのゼリー飲料とブロックタイプの栄養補助食品で生きてるやつとか意味わかんないよね、などと脈絡もなく過去の自分をディスったりしつつ、鹿雉の水炊きから始まるコースを堪能した。
いやもう本当にね、最近はもう以前の私がどうしてあんな食生活をできたのかわからなくなってきたよね。
いや、覚えてはいるし、当時の心境とかも普通に言えるけど、もうあのころには戻れないよね。感覚が別物になってる。というかあの頃が人間として間違ってる方向に転がり続けてたっていうか。
食事に魅力を感じない、最低限で済ませたいっていう人が一定数いるのは知ってるし、そういう人たちの感覚が異常だっていうわけじゃない。
ただ、こうして美味しいごはんを楽しんでいる私はそういう人たちじゃあなくて、むかしの私が食事を楽しめなかったのは妛原閠としては深刻な故障に陥っていたんだなって、そういう話。
もともと私は、食べるの好きだったはずなんだよね。
そりゃあ、中学校の頃とかはさ、急に背も伸びたりして、不安になって、無理なダイエットとかもしたけど、でも食べること自体は好きだったんだよ。
それは本当に、父のおかげだったと思う。栄養バランスやいろどりに気を遣って、私が健やかに育つように手をかけてくれた父の。
父はそれこそ本当に、食べることに特別の意味は持っていなかった人で、栄養が補給できればそれでいい人だったけど、それでも父は私にそうあるようには求めなかった。私がどのような個性を持っていても、どのような嗜好を持っていても、好きな道を歩めるように、選択肢を狭めることのないように、与えられるものをすべて与えてくれていたんだと、いまはそう思う。
私は、私自身の悲観的な性質のために、父の与えてくれた選択肢を、うつむいたまま自ら放棄してしまったけど、父の……お父さんのくれたものすべてが、無駄ではなかったと、そう思う。そう思いたい。
私は、なにものにもなれないまま死んでしまって、なにものにもなれないまま遠い異世界に来てしまったけど、お父さん、私はいまの生活を結構気に入っています。
「めっっっっちゃおいしそう」
「ウルウの語彙が死んでしまいました」
「割と頻繁に死ぬわよね」
うるせえ。
いや、仕方ないって。
亡き父に思わず報告しちゃうくらい、美味しそうなのだ。
水炊きからスープパスタまでの一連の流れでコースは終わったかなと思ったら、メインはこれかららしいのだった。
いま卓上コンロの上には土鍋に変わってフライパンがかけられていて、なにかの脂身を焼いていた。まあ、なにかっていうか、流れ的にこれも鹿雉の脂身なんだろうね。ちょっと分厚い鶏皮みたいなのがじっくりと火にかけられて、油を吐き出していっている。
そしてその油が熱せられて、鹿雉の脂身をじっくりと揚げていく。自分の油で自分を揚げ焼きにしていくなんて、自家発電めいている。
そして脂身がすっかり油を吐き出し、カリカリのきつね色に揚がったらフライパンから取り出し、今度はそこにお肉を投入だ。それに、なんだろう、赤黒いつやつやした部位と、白っぽいふにゃふにゃしたなにかもフライパンにそっと横たえられ、鹿雉の油で揚げ焼きにされていく。
「鹿雉の背肉と肝臓、脳でございます」
へえ!
背肉ってことは、ロースか。
脂身が少なく、お肉としての味がよく味わえるんだっけか。
それに肝臓に、脳と来た。
レバーはわかる。鹿のレバーは食べたことないけど、牛とか豚のレバニラ炒めとかはよく食べてた。
実家にいたころはよくお父さんが作ってくれたものだ。特に思春期の頃。っていうか具体的には私にはじめてが来てから。
ほうれん草とか、鉄分多めな食材とかさあ。あと豆腐とかの大豆食品とか。おやつにドライプルーンとか置いてあってさあ。
いまならわかるけど、さあ。当時の私は全然気づいてなかったよね。何でも美味しい美味しいって普通にモリモリ食ってたよね。
いや、わかるよ。お父さんもあえて何も言わなかったの。男親に気を遣われるの、思春期の閠ちゃんにはめっちゃくちゃ恥ずかしかっただろうからさあ、わかるよ、うん。
鉄分、大事だよねえ。お父さんありがとう。娘の繊細なハートまで守ってくれて。
で、だ。
脳は、あんまり食べたことがない。生前は一度もない。
脳筋蛮族ガールズも、獣とか仕留めても、脳を食べることは少ない。
っていうのも頭蓋骨が頑丈なので普通に面倒くさいからだ。頭まわりのお肉も、その場でさっと調理して食べるには、ちょっと面倒が多いんだよね。
私がそれと意識して食べたことがあるのは縞椋栗鼠の脳みそくらいかな。チタタㇷ゚したときのやつ。トルンペートが一個だけ脳みそ取り分けてくれて、焼いて食べさせてくれたんだよね。
強いて言うなら白子っぽくて、まあ美味しいはおいしいけど、二人の言うようになにがなんでも食べたいってほどでもなかった。
鹿雉の脳は、その身体の大きさに比べるとあまり大きくなさそうに見えたけど、それでも縞椋栗鼠のよりはもちろん大きい。
これがまあ、見た目はしわしわで露骨に脳みそっていうヴィジュアルなんだけど、特に衣もつけないで焼くので、結構メンタルに来る絵面だ。
思わず口元がきゅっとなったのを、二人から生暖かい目で見られてしまった。
フレンチなんかで出てくるとは聞いたことあるけどさあ。やっぱりえぐい。
目をそらしてみても、悲しいことに私は完全記憶能力者、いつまでたっても忘れられない鮮明な画像が脳内に居座るのだ。まあそのうち慣れると思うけど。
魚の白子は割と平気だしな。見た目似たようなものだし、精巣なんだからもっと忌避感わいてもいいのに。結局はおいしさの前にはすべてが無意味だよね。
丁寧に揚げ焼きにされた鹿雉ロースとレバー、脳みそが皿に盛られ、クレソンっぽいものとカリカリになった脂身を添えてお出しされる。
フムン。こうしてきれいに盛り付けられると、ちゃんとした料理って感じでグロテスク感はだいぶ和らいだ気がする。個人差はあると思うけど。
でもさすがにいきなり脳みそは勇気がいるので、ヘタレの私は安牌のロースからいただく。鹿ステーキだ。まあ鹿そのものではなく、なんか鹿っぽい見た目の鳥類なんだけど、いまさらではある。
きこきことナイフで切り分けてみると、中心部はほんのり赤い。血が滴る赤っていうんじゃない。火は通っているけれど赤さが残っている、そういうピンク色っぽい感じ。ロゼっていうのかな。
口に含んで歯を立ててみると、ぎゅっと力強い歯ごたえ。硬いは硬い。でも顎に心地よい硬さだ。肉を食べているんだって感じる、いわば肉感あふれる歯ごたえ。
生前では柔らかい肉がもてはやされてたけど、こういうしっかりもの食べてるんだっていう歯ごたえは、味覚ではない味わいとして、脳を刺激してくれる。
ソースも何もかかっていない、シンプルな塩味。でもそれがいい。がりがりっと削られた岩塩の粒が、口の中ではじけるように感じられる。水炊きでも美味しくいただいた鹿雉肉だけど、焼いた肉っていうのは、人間の脳のもっとも古い記憶を揺さぶる、そんな気がする。
まあぶっちゃけ水分飛んで味わいが凝縮してるのと、メイラード反応の化学的暴力だとは思うけど、そんなの関係ねえとばかりに旨味が殴りつけてくる。
ひとしきり肉の歯ごたえを味わったら、今度はレバーに挑んでみよう。
レバーステーキというか、レバーフライというか。切り分ける感触は肉よりだいぶ柔らかい、というか肉とは全然違う不思議な感触だ。
レバーはさすがに芯まで加熱されていて、赤身はない。濃い目の灰色がかった色合いは、あまりおいしそうには見えないけど、私はレバーという美味を知っているのだ。
歯ごたえは、ねっちり。表面はカリッと焼き目がついているけど、レバー特有の不思議な触感。
まずいレバーっていうか、まずいレバーの調理法として、食べた時にぼそぼそした触感がするっていうのがある。あれはまずい。同じレバーなのにどうしてこんなにっていうくらいまずい。いや、このねっちりした触感が苦手っていう人も聞くけどね。私はそのどっちかで言えば、後者のほうが断然好きだ。
あと、香り。っていうかにおい。
全然臭くないです!とかレポーターみたいなことは言えない。レバーはね、臭いんだよ。
血抜きをきれいにしようと、臭い消ししようとも、レバーそのもののにおいは、どうしようもない。普通に臭う。ごま油とか香りの強いもので隠そうとしても、苦手な人には貫通してくるらしい。
なので、そういう人には私の感想は何の参考にもならないと思う。
私、レバー結構好きだしなあ。
臭いのも個性のうちだよ。もちろん処理がまずい奴は普通に嫌いだけど。
鹿雉のレバーも普通に臭う。牛とか豚のそれとは少し違うけど、でも共通してレバー臭い。
「鉄分がね……多いんだよ。レバーには」
「なんか語り始めたわよ」
「ビタミンとかも多くてね……食べ過ぎなければ、とても健康にいいんだ」
「なにか悲しいことでも思い出しました?」
「お弁当にレバニラ炒めが入ってたことがあってね……」
「ああ……」
私はそれが普通だと思ってたんだけど、弁当にレバーはねえよってドン引かれたことがあるんだよね。いいじゃん、美味しいじゃん。でもレバーもニラも、匂いが強いからさ。結構からかわれて、恥ずかしさのあまり泣きそうになったよね。
まあ、そのころの、中学の頃の私はすでにまわりの男子見下ろしてたから、睨んだら黙ったけど。どうした、笑えよ男子。
お父さんに泣いて訴えたら、鶏レバーの甘辛煮とかになって、普通においしくてどうでもよくなったけど。あとお父さんが弁護士の算段立て始めたからそれどころじゃなかったし。
少し悲しい過去をうっかり思い出したりしちゃったけど、心を立て直して脳みそに挑もう。
なんて、結構覚悟したみたいな言い回しだけど、実際のところここまでくると別にそこまでグロくは感じなくなってた。
というか、縞椋栗鼠をチタタㇷ゚した時のグロさを思えば、たいていのことは大したことがない。
割合気も楽にナイフを入れてみると、かなり柔らかい。すとんと刃が入る。
断面は、やはり白っぽい。なんか、豆腐っぽい。豆腐ステーキだ。そう思ってしまうと、もうこれをグロテスクには感じなくなってくる。これと比べたら、みそ汁に白子が浮いてた時のほうが、子ども心に怖かった。完全に培養液とかに浮かんでる脳みそだった。
さっそく一切れ口にしてみると、表面は揚げ焼きにしたためか、カリッとしている。
そのカリッの内側では、豆腐のように柔らかな触感がふわふわと感じられる。でも、豆腐とは違って、不思議な旨味がある。お肉のような濃厚な旨味じゃない。どちらかというと、脂の甘味に近い、そういう旨味。
見た目の淡白さに比べて、結構こってりしてる。こってりしてるけど、脂そのもののようなくどさじゃない。
白子の天ぷら、こんな感じだったなあ、なんてちょっと思い出す。
あれは、ちょっといいお店だった。天ぷらのほかに、新鮮な生の白子を、ポン酢でいただいてさ。
アレに近い。白子の感じだ。ありだね。全然あり。
そこに、鹿雉の脂身だ。
脂身っていうか、鶏皮みたいな感じ。それを、脂がすっかり抜けてカリカリになるまで、焼いたものだ。
ほとんど薄いおせんべいみたいな、そういう感じになってしまっている。
フォークを押し当てると、ぱりんって割れてしまう。
これだけ食べても、パリパリ触感と油のうまみで十分美味しいんだけど、脳みそと一緒に食べると、食感が補完しあって、また、いい。
かりかり、ふわふわ、かりかり、ふわふわ。
脂っこくて、口の中がくどくなるまで繰り返して、そこにきゅっといっぱい、林檎酒をいただく。さわやかな酸味が、さぱっとキレイに洗い流してくれて、あとには心地よい満足感が残るって寸法だ。
私たちは鹿雉をたっぷりおいしく堪能し、ストーブの火に当たりながらいただく林檎のシャーベットで最後まで楽しませてもらったのだった。
用語解説
・安牌
麻雀用語である「安全牌」を略したもの。
麻雀では自分のターンで山から牌を一枚取り、手牌から不要な一枚を捨てるのを繰り返し、定められた役をそろえるというのが基本の流れ。
手牌から一枚捨てた際に、他のプレイヤーはこの捨て牌を奪って役を揃えるいわゆる「ロン」で上がることができる。
安牌とはこのロンをされることがないだろうと推測される、文字通り安全な牌のこと。
転じて、危険がなく安全であるもの・ことを指す言葉として使われる。
・メイラード反応
おおまかにざっくりと言えば、食品の糖とアミノ酸を過熱した時に見られる褐変、つまり茶色っぽくなる反応。
わかりやすい例でいえば、肉を焼いたときに赤色から茶褐色に変化したり、玉ねぎを炒めたら茶褐色になったりという反応。
ただし、焦げるのは炭化であり、メイラード反応とは異なる。
この反応に伴って食品は様々な香ばしい風味を発するようになる。
ゴスリリと言ったらご飯回。
これは言い訳できません。うるせえ。
十秒チャージのゼリー飲料とブロックタイプの栄養補助食品で生きてるやつとか意味わかんないよね、などと脈絡もなく過去の自分をディスったりしつつ、鹿雉の水炊きから始まるコースを堪能した。
いやもう本当にね、最近はもう以前の私がどうしてあんな食生活をできたのかわからなくなってきたよね。
いや、覚えてはいるし、当時の心境とかも普通に言えるけど、もうあのころには戻れないよね。感覚が別物になってる。というかあの頃が人間として間違ってる方向に転がり続けてたっていうか。
食事に魅力を感じない、最低限で済ませたいっていう人が一定数いるのは知ってるし、そういう人たちの感覚が異常だっていうわけじゃない。
ただ、こうして美味しいごはんを楽しんでいる私はそういう人たちじゃあなくて、むかしの私が食事を楽しめなかったのは妛原閠としては深刻な故障に陥っていたんだなって、そういう話。
もともと私は、食べるの好きだったはずなんだよね。
そりゃあ、中学校の頃とかはさ、急に背も伸びたりして、不安になって、無理なダイエットとかもしたけど、でも食べること自体は好きだったんだよ。
それは本当に、父のおかげだったと思う。栄養バランスやいろどりに気を遣って、私が健やかに育つように手をかけてくれた父の。
父はそれこそ本当に、食べることに特別の意味は持っていなかった人で、栄養が補給できればそれでいい人だったけど、それでも父は私にそうあるようには求めなかった。私がどのような個性を持っていても、どのような嗜好を持っていても、好きな道を歩めるように、選択肢を狭めることのないように、与えられるものをすべて与えてくれていたんだと、いまはそう思う。
私は、私自身の悲観的な性質のために、父の与えてくれた選択肢を、うつむいたまま自ら放棄してしまったけど、父の……お父さんのくれたものすべてが、無駄ではなかったと、そう思う。そう思いたい。
私は、なにものにもなれないまま死んでしまって、なにものにもなれないまま遠い異世界に来てしまったけど、お父さん、私はいまの生活を結構気に入っています。
「めっっっっちゃおいしそう」
「ウルウの語彙が死んでしまいました」
「割と頻繁に死ぬわよね」
うるせえ。
いや、仕方ないって。
亡き父に思わず報告しちゃうくらい、美味しそうなのだ。
水炊きからスープパスタまでの一連の流れでコースは終わったかなと思ったら、メインはこれかららしいのだった。
いま卓上コンロの上には土鍋に変わってフライパンがかけられていて、なにかの脂身を焼いていた。まあ、なにかっていうか、流れ的にこれも鹿雉の脂身なんだろうね。ちょっと分厚い鶏皮みたいなのがじっくりと火にかけられて、油を吐き出していっている。
そしてその油が熱せられて、鹿雉の脂身をじっくりと揚げていく。自分の油で自分を揚げ焼きにしていくなんて、自家発電めいている。
そして脂身がすっかり油を吐き出し、カリカリのきつね色に揚がったらフライパンから取り出し、今度はそこにお肉を投入だ。それに、なんだろう、赤黒いつやつやした部位と、白っぽいふにゃふにゃしたなにかもフライパンにそっと横たえられ、鹿雉の油で揚げ焼きにされていく。
「鹿雉の背肉と肝臓、脳でございます」
へえ!
背肉ってことは、ロースか。
脂身が少なく、お肉としての味がよく味わえるんだっけか。
それに肝臓に、脳と来た。
レバーはわかる。鹿のレバーは食べたことないけど、牛とか豚のレバニラ炒めとかはよく食べてた。
実家にいたころはよくお父さんが作ってくれたものだ。特に思春期の頃。っていうか具体的には私にはじめてが来てから。
ほうれん草とか、鉄分多めな食材とかさあ。あと豆腐とかの大豆食品とか。おやつにドライプルーンとか置いてあってさあ。
いまならわかるけど、さあ。当時の私は全然気づいてなかったよね。何でも美味しい美味しいって普通にモリモリ食ってたよね。
いや、わかるよ。お父さんもあえて何も言わなかったの。男親に気を遣われるの、思春期の閠ちゃんにはめっちゃくちゃ恥ずかしかっただろうからさあ、わかるよ、うん。
鉄分、大事だよねえ。お父さんありがとう。娘の繊細なハートまで守ってくれて。
で、だ。
脳は、あんまり食べたことがない。生前は一度もない。
脳筋蛮族ガールズも、獣とか仕留めても、脳を食べることは少ない。
っていうのも頭蓋骨が頑丈なので普通に面倒くさいからだ。頭まわりのお肉も、その場でさっと調理して食べるには、ちょっと面倒が多いんだよね。
私がそれと意識して食べたことがあるのは縞椋栗鼠の脳みそくらいかな。チタタㇷ゚したときのやつ。トルンペートが一個だけ脳みそ取り分けてくれて、焼いて食べさせてくれたんだよね。
強いて言うなら白子っぽくて、まあ美味しいはおいしいけど、二人の言うようになにがなんでも食べたいってほどでもなかった。
鹿雉の脳は、その身体の大きさに比べるとあまり大きくなさそうに見えたけど、それでも縞椋栗鼠のよりはもちろん大きい。
これがまあ、見た目はしわしわで露骨に脳みそっていうヴィジュアルなんだけど、特に衣もつけないで焼くので、結構メンタルに来る絵面だ。
思わず口元がきゅっとなったのを、二人から生暖かい目で見られてしまった。
フレンチなんかで出てくるとは聞いたことあるけどさあ。やっぱりえぐい。
目をそらしてみても、悲しいことに私は完全記憶能力者、いつまでたっても忘れられない鮮明な画像が脳内に居座るのだ。まあそのうち慣れると思うけど。
魚の白子は割と平気だしな。見た目似たようなものだし、精巣なんだからもっと忌避感わいてもいいのに。結局はおいしさの前にはすべてが無意味だよね。
丁寧に揚げ焼きにされた鹿雉ロースとレバー、脳みそが皿に盛られ、クレソンっぽいものとカリカリになった脂身を添えてお出しされる。
フムン。こうしてきれいに盛り付けられると、ちゃんとした料理って感じでグロテスク感はだいぶ和らいだ気がする。個人差はあると思うけど。
でもさすがにいきなり脳みそは勇気がいるので、ヘタレの私は安牌のロースからいただく。鹿ステーキだ。まあ鹿そのものではなく、なんか鹿っぽい見た目の鳥類なんだけど、いまさらではある。
きこきことナイフで切り分けてみると、中心部はほんのり赤い。血が滴る赤っていうんじゃない。火は通っているけれど赤さが残っている、そういうピンク色っぽい感じ。ロゼっていうのかな。
口に含んで歯を立ててみると、ぎゅっと力強い歯ごたえ。硬いは硬い。でも顎に心地よい硬さだ。肉を食べているんだって感じる、いわば肉感あふれる歯ごたえ。
生前では柔らかい肉がもてはやされてたけど、こういうしっかりもの食べてるんだっていう歯ごたえは、味覚ではない味わいとして、脳を刺激してくれる。
ソースも何もかかっていない、シンプルな塩味。でもそれがいい。がりがりっと削られた岩塩の粒が、口の中ではじけるように感じられる。水炊きでも美味しくいただいた鹿雉肉だけど、焼いた肉っていうのは、人間の脳のもっとも古い記憶を揺さぶる、そんな気がする。
まあぶっちゃけ水分飛んで味わいが凝縮してるのと、メイラード反応の化学的暴力だとは思うけど、そんなの関係ねえとばかりに旨味が殴りつけてくる。
ひとしきり肉の歯ごたえを味わったら、今度はレバーに挑んでみよう。
レバーステーキというか、レバーフライというか。切り分ける感触は肉よりだいぶ柔らかい、というか肉とは全然違う不思議な感触だ。
レバーはさすがに芯まで加熱されていて、赤身はない。濃い目の灰色がかった色合いは、あまりおいしそうには見えないけど、私はレバーという美味を知っているのだ。
歯ごたえは、ねっちり。表面はカリッと焼き目がついているけど、レバー特有の不思議な触感。
まずいレバーっていうか、まずいレバーの調理法として、食べた時にぼそぼそした触感がするっていうのがある。あれはまずい。同じレバーなのにどうしてこんなにっていうくらいまずい。いや、このねっちりした触感が苦手っていう人も聞くけどね。私はそのどっちかで言えば、後者のほうが断然好きだ。
あと、香り。っていうかにおい。
全然臭くないです!とかレポーターみたいなことは言えない。レバーはね、臭いんだよ。
血抜きをきれいにしようと、臭い消ししようとも、レバーそのもののにおいは、どうしようもない。普通に臭う。ごま油とか香りの強いもので隠そうとしても、苦手な人には貫通してくるらしい。
なので、そういう人には私の感想は何の参考にもならないと思う。
私、レバー結構好きだしなあ。
臭いのも個性のうちだよ。もちろん処理がまずい奴は普通に嫌いだけど。
鹿雉のレバーも普通に臭う。牛とか豚のそれとは少し違うけど、でも共通してレバー臭い。
「鉄分がね……多いんだよ。レバーには」
「なんか語り始めたわよ」
「ビタミンとかも多くてね……食べ過ぎなければ、とても健康にいいんだ」
「なにか悲しいことでも思い出しました?」
「お弁当にレバニラ炒めが入ってたことがあってね……」
「ああ……」
私はそれが普通だと思ってたんだけど、弁当にレバーはねえよってドン引かれたことがあるんだよね。いいじゃん、美味しいじゃん。でもレバーもニラも、匂いが強いからさ。結構からかわれて、恥ずかしさのあまり泣きそうになったよね。
まあ、そのころの、中学の頃の私はすでにまわりの男子見下ろしてたから、睨んだら黙ったけど。どうした、笑えよ男子。
お父さんに泣いて訴えたら、鶏レバーの甘辛煮とかになって、普通においしくてどうでもよくなったけど。あとお父さんが弁護士の算段立て始めたからそれどころじゃなかったし。
少し悲しい過去をうっかり思い出したりしちゃったけど、心を立て直して脳みそに挑もう。
なんて、結構覚悟したみたいな言い回しだけど、実際のところここまでくると別にそこまでグロくは感じなくなってた。
というか、縞椋栗鼠をチタタㇷ゚した時のグロさを思えば、たいていのことは大したことがない。
割合気も楽にナイフを入れてみると、かなり柔らかい。すとんと刃が入る。
断面は、やはり白っぽい。なんか、豆腐っぽい。豆腐ステーキだ。そう思ってしまうと、もうこれをグロテスクには感じなくなってくる。これと比べたら、みそ汁に白子が浮いてた時のほうが、子ども心に怖かった。完全に培養液とかに浮かんでる脳みそだった。
さっそく一切れ口にしてみると、表面は揚げ焼きにしたためか、カリッとしている。
そのカリッの内側では、豆腐のように柔らかな触感がふわふわと感じられる。でも、豆腐とは違って、不思議な旨味がある。お肉のような濃厚な旨味じゃない。どちらかというと、脂の甘味に近い、そういう旨味。
見た目の淡白さに比べて、結構こってりしてる。こってりしてるけど、脂そのもののようなくどさじゃない。
白子の天ぷら、こんな感じだったなあ、なんてちょっと思い出す。
あれは、ちょっといいお店だった。天ぷらのほかに、新鮮な生の白子を、ポン酢でいただいてさ。
アレに近い。白子の感じだ。ありだね。全然あり。
そこに、鹿雉の脂身だ。
脂身っていうか、鶏皮みたいな感じ。それを、脂がすっかり抜けてカリカリになるまで、焼いたものだ。
ほとんど薄いおせんべいみたいな、そういう感じになってしまっている。
フォークを押し当てると、ぱりんって割れてしまう。
これだけ食べても、パリパリ触感と油のうまみで十分美味しいんだけど、脳みそと一緒に食べると、食感が補完しあって、また、いい。
かりかり、ふわふわ、かりかり、ふわふわ。
脂っこくて、口の中がくどくなるまで繰り返して、そこにきゅっといっぱい、林檎酒をいただく。さわやかな酸味が、さぱっとキレイに洗い流してくれて、あとには心地よい満足感が残るって寸法だ。
私たちは鹿雉をたっぷりおいしく堪能し、ストーブの火に当たりながらいただく林檎のシャーベットで最後まで楽しませてもらったのだった。
用語解説
・安牌
麻雀用語である「安全牌」を略したもの。
麻雀では自分のターンで山から牌を一枚取り、手牌から不要な一枚を捨てるのを繰り返し、定められた役をそろえるというのが基本の流れ。
手牌から一枚捨てた際に、他のプレイヤーはこの捨て牌を奪って役を揃えるいわゆる「ロン」で上がることができる。
安牌とはこのロンをされることがないだろうと推測される、文字通り安全な牌のこと。
転じて、危険がなく安全であるもの・ことを指す言葉として使われる。
・メイラード反応
おおまかにざっくりと言えば、食品の糖とアミノ酸を過熱した時に見られる褐変、つまり茶色っぽくなる反応。
わかりやすい例でいえば、肉を焼いたときに赤色から茶褐色に変化したり、玉ねぎを炒めたら茶褐色になったりという反応。
ただし、焦げるのは炭化であり、メイラード反応とは異なる。
この反応に伴って食品は様々な香ばしい風味を発するようになる。
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