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第二十章 そして《伝説》へ…

第九話 鉄砲百合と《跳ね鹿亭》

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前回のあらすじ

改めて説明しようとするとどうしてそうなったのかと悩むもの。
本当に、どうしてこうなったのか。



 森を抜けて関所をくぐり、いつも通りのがたがた揺れる街道をしばらく進む。
 ボイは軽快に走り抜けた分、荒れ道に少しご不満のようだった。まあ、わかる。慣れてるとはいえ、ガタンガタンと揺れればお尻が痛いし、ウルウは耐えられるようだけど言葉数は減るし。

「いや、これは舌噛むから」
「辺境行きの街道は、行き来が少ないですからねえ」
「帝都付近はみんな舗装されてるらしいわね」

 もっとひどい荒れ道に慣れてるあたしたちでも、噛むときは、噛む。
 それも意識と関係ないところで容赦なく噛んでしまうので、血が出るくらいに噛む。
 こればっかりは運よねえ。

 ボイの脚でそこそこの時間進むと、程よいころ合いに宿場にたどり着いた。
 辺境から一番近い宿場で、つまり帝国内地としては最果ての宿場ってことになる。
 でもまあ、観光名所って感じではないわよね。辺境に行こうってやつは、そもそももっと手前の町とかでしっかり準備を整えるし、ここはあくまで休息場所としての宿場でしかないもの。
 そしてそれは辺境から帰ってきた人にとっても同じね。

 安心して体を休められる寝台と、暖かい食事、それさえあればもう十分なわけね。
 だからここはそんなに大きくない、さびれているとは言わないまでもひなびてはいる小宿場だ。

 御者席で手綱をとるあたしの後ろで、リリオとウルウがあたしにはわかんない思い出話をキャッキャとしてる。うーん、そこはかとない疎外感ね。
 でも三人いると結構そういうことがあるから、いまはあたしの番じゃないんだって、そう思うのが一番ね。あたしの番の時は、ウルウが割を食ったりするし。

「いやあ、懐かしいですねえ、ウルウ!」
「ええ……懐かしくはないでしょ。大変だっただけで」
「思えばここがウルウと初めての夜を過ごした場所でしたね」
「森の中でも過ごしてたでしょ」
「もう、いけずですねえ……あ、そうだ。思い出の木賃宿にしましょうか、ウルウ」
「旅籠で」

 ウルウが硬貨を一枚指ではじいて、リリオの額に命中させた。
 きらりと光る輝きは、金色。
 ウルウが最終手段として持っているっていう、金貨だ。
 換金できるかわからないし、できても価値が大きすぎるだろうからって普段は使わない。
 使わないけど、そのくせこうして遊びみたいに雑に扱ったりもするんだから、よくわかんないわよね。

 旅籠は《跳ね鹿亭》といった。
 小ぢんまりとはしていたけれど、掃除の行き届いた感じのよさそうな旅籠だった。
 いまは辺境の出入りの時期じゃないからか静かなものだったけど、あたしたちが馬車を寄せればすぐに出てきて案内してくれた。

「この子は寝藁を用意してあげてください。食事は穀物系の飼料で大丈夫です」
「はい、はい、かしこまりました。お食事がお急ぎでなかったら、奥に浴場がございますので、まずはそちらで旅の埃を流されてはいかがでしょうか」
「お風呂」
「はいはい、お風呂が先ですね。では、すこし長湯するかもしれませんので、食事はゆっくりでいいですよ」
「はい、はい、かしこまりました」

 次の宿場には、観光名所でもある有名な旅籠《黄金の林檎亭》があるけれど、この旅籠はそれよりはいくらか格が落ちるように見える。
 それでも、そもそもがあたしたちは辺境伯家のものだし、ウルウはウルウでよくわかんない価値基準があるから、その程度の格の上下はあんまり気にしない。
 清潔で、居心地が良ければ、それでいい。
 ウルウはお風呂があれば、まず言うことはない。

 部屋に荷物を置き、武装を軽くして身軽になると、あたしたちは早速奥にあるという浴場に向かった。
 この宿場には公衆浴場はなくて、ここの浴場もこの旅籠の客にだけ利用が許されているらしかった。
 客がないこの時期だから、つまりあたしたちの貸し切りってことね。

 脱衣所を手早く抜け、ひんやりした空気に気持ち小走りになりながら向かった浴場は、なるほど良くも悪くも小ぢんまりとしていた。
 旅籠の規模にふさわしい程度の造りで、装飾の類もほどほど。
 風呂の神官も、いかにも新人っぽい若い娘が、にこにこと奥のほうに浸かっているばかりだった。

「味があるねえ」
「鄙びてるっていうんじゃないの」
「落ちついた造りじゃないですか」

 まあ、言葉は違えど意味するところは同じようなものよね。

 あたしたちは好き勝手言いながら、洗い場で石鹸を泡立てて洗いっこし始めた。
 一緒になって最初のころはウルウが見かねてリリオを丸洗いする感じだったのが、いまでは三人がわちゃわちゃとお互いを洗いあう感じになった。
 ウルウがリリオの髪を洗ってる後ろで、あたしがウルウの髪を洗ったり。リリオがあたしの髪を意外に丁寧に洗っている横で、職工みたいな目つきと手つきのウルウがあたしの体を磨いてくれたり。
 ウルウの体を洗う時は、あたしとリリオの二人がかりね。左右からわしゃわしゃ泡立てて磨いてあげると、ウルウはちょっと居心地悪そうにして、でも逆らわず身を預けてくれる。その微妙な緊張が、嫌がっているわけじゃないっていうのが、いままでの付き合いでわかるのがちょっと嬉しい。

 右パイと左パイをリリオと二人で分け合って、左右から洗っていると、それはもうものすごい光景で、あたしは今でもそれを思いっきりガン見してしまう。三回に一回くらい目潰しが来るので、反射神経が鍛えられちゃうくらいよ。
 ウルウの照れ隠しって殺意に似てるわよね。

 ウルウは耳が弱くて、耳を洗ってるときもくすぐったそうだけど、耳元で「くすぐったくない?」「かゆいところはないですか?」「ほら、腕上げて」「脚を失礼しますね」って左右からささやいてあげるとかわいそうなくらい真っ赤になって、かわいい。
 でもあんまりやりすぎると、本当にしまうから、ほどほどでやめてあげないといけない。

 リリオの体を洗う時は、その時の気分にもよるけど、ウルウと二人で徹底的に磨くことが多い。
 リリオはよく動くし、革鎧も着込んでるし、なにかと蒸れるから、汗やあかで汚れやすい。それに、本人に任せておくと耳の裏とか細かいところをおざなりにしちゃうから、油断できない。
 そうして身を任せているリリオは、さすがに貴族というか、子どものころから人にさせることに慣れてるから、妙な貫禄があるわよね。
 ただ、いくら体が小さいからって、ウルウの脚の間にすっぽり収まって半分抱きしめながら洗わせた時の姿は暴君すぎた。ウルウは子ども相手っていう顔だったけど、あの時の顔に浮かんでた優越感はすごかったわね。ずるい。まああたしもしてもらったけど。

 きれいに泡を流して、湯船につかる。
 ま、わかってたけど、可もなく不可もなく。
 まああったかいお湯に全身浸かれるってだけで、可も可、何でも許せるわよね。

「それにしてもさあ」
「なによ」
「ここって、辺境に一番近い宿場なんだし、ここにこそ公衆浴場が必要なんじゃないの」
「フムン」
「辺境に行く人は、ここで身ぎれいにして行ったほうが舐められないだろうし、辺境から帰ってくる人も、ここでひとっ風呂浴びてさっぱりしたいんじゃないの」
「あーねー」

 まあ、それも一つの理屈よね。
 でも実際にはそうではないっていうのは、別の理屈があるからなのよ。

「そりゃ、ここが内地の最果てだけど、辺境に行っても、境の森と遮りの河とがあって、それを越えても、まだいくらかは歩かないといけないのよ」
「ああ……行きも帰りも飛んでたから気づかなかったけど、関所を越えてすぐ辺境の町ってわけじゃないもんね」
「そうそう。だからここで身ぎれいにしても、カンパーロにつく頃には旅の汚れがつくわけよ」
「私たちの旅の速度は普通じゃないですから、参考になりませんよねえ」

 なので、辺境に行く人は、向こうの宿場なり、町なりで風呂に入るわけ。

 それで、辺境から帰ってきた人は、また別の事情がある。

「そりゃあ、公衆浴場がくまなくあればいいんだけど、予算ってもんがあるのよ」
「あー……政府主導だけど、お金の都合でこの辺りはまだ建てられないんだ」
「そういうことです。それで、限りある予算でどこに立てるかといえば、やはり主要都市の手前になります」
「フムン。つまり、ヴォースト手前の宿場だね。そこで身ぎれいにしてからおいでってことね」
「そうそう、衛生管理としても、その方がいいってわけ」

 街に入る直前で風呂に入ってもらえば、町に汚れや病気を持ち込む確率はぐっと下がるものね。
 まあ、今後もこの衛生政策が続いていけば、いつかはこの宿場にも公衆浴場が建てられるだろうけど、何年後になるかって話よね。街道も宿場も、帝国には数えきれないほどあるんだから。

「それに、次の宿場には《黄金の林檎亭》があるでしょう」
「あそこね、美味しかった」
「そうそう、美味しい旅籠です」
「あたしは食べてないんだけど」
「あー……機会があれば寄っていきましょうね。まあ、その《黄金の林檎亭》が人気なので、辺境までいかない観光客も立ち寄ったり、人の出入りが多く栄えているんですね」
「フムン。それで公衆浴場が必要なわけだ」
「そのうち他にも名物が増えたら、新しい街に発展するかもしれませんね」

 あたしたちはそうしてだらだら喋りながら、旅の疲れを湯に溶かすように、ゆっくりと長湯した。

「《黄金林檎オーラ・ポーモ》だっけ、名物」
「そうそう。あとお肉。豚の角煮みたいなやつ」
「《角猪コルナプロの煮込み焼き》ですよ。あれは是非また食べたいですね」
「絶対食べるわよ。リリオのせいであたしは食いっぱぐれたんだもの」
「うう、その節は……」
「まあ、私は量が多かったから、トルンペートに分けてあげるよ」
「やりぃ!」
「ええっ、前回は私に分けてくれたのに……」
「連続で分けてもらおうとする根性があさましいわね」
「言葉のとげが鋭いッ!」
「食べ物の恨みって怖いね……」





用語解説

・《跳ね鹿亭》
 辺境最寄りの宿場に所在する旅籠。
 辺境の出入りが多い時期には繁盛するが、シーズンオフは静かなもの。
 名物の鹿雉ツェルボファザーノ料理からこの名がついたとされる。

・《黄金の林檎亭》
 ヴォースト手前の宿場に所在する旅籠。
 名物の菓子の名前からこの名がついた。
 境の森で獲れた角猪コルナプロの料理も人気。

黄金林檎オーラ・ポーモ
 看板にも名を掲げる名物菓子。贅沢に林檎を丸々一つ使ったもので、こちらも門外不出のレシピ。貴族でもなかなか真似できないという。

・《角猪コルナプロの煮込み焼き》
 ヴォースト直近の宿場町に店を構える旅籠《黄金の林檎亭》の名物料理。後述のデザートもあって、ここの料理を食べたいがために用もないのに宿場町まで訪れるお客さんもいるのだとか。宿泊客限定の料理で、レシピは門外不出。
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