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第十七章 巣立ちの日
第五話 亡霊とこれからのこと
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前回のあらすじ
お肉を食べると脳がはぴはぴするお話。
まだ手が痛いんだけど、などとぐちぐち言う気はないけれど、義理の兄になるらしいリリオのお兄さんは、どうも父親の性根をしっかり引き継いでいる気がする。
つまり妹さえ関わらなければ至極まっとうな貴族のお坊ちゃんなんだろう。
夕食の席は、異世界で初めてどころか、前世でも体験したことのないガチ目のフルコースだった。
美しいカトラリーも並べられ、一品ずつ運ばれてくる皿は、いままで培ってきた辺境貴族というイメージをいい意味で裏切る洗練された品々だ。
席がちょっと離れちゃって、トルンペートの解説が聞けないのは残念だけれど、メイドさんが給仕するたびに簡単に説明してくれるし、私が首を傾げると適切にサポートしてくれるので、成程優秀だ。
あとは私が人見知りで不愛想でなければ完璧だったんだけど、まあ仕方ない。
ティグロ君はリリオとお喋り、というかリリオのお喋りをまるで天使みたいな顔で聞き入っている。オタクの知り合いが顔のいい推しについて語っている時の顔と同じだから、触れない方がいいだろう。放っておこう。尊さに包まれてあれ。
トルンペートは同僚らしいメイドさんにちょこちょこからかわれてるみたいだけど、楽しそうで何よりだ。同僚と仲がいいって言うのはほんと、大事なことだよ。仕事選ぶときは仲良くなれそうかどうかっていうのほんとよく考えてほしい。職場って言うのは生理的に無理な相手とも同じ部屋で時間を過ごさなければならない地獄だからね。
食前酒にはきりりと冷えた白ワインを出してくれた。ウオッカとか飲みそうなイメージだったけど。
この世界のワイン、そこら辺の酒場とかで飲むような葡萄酒ってやつは、ブドウの種類とかできとか気にせず一緒くたにした奴が多くて、赤も白もないようなものが多い。でもこれはしっかりと白ワインで、ピンと張りのある辛口だ。それでいてフルーティーでさわやかな香りが膨らむいいお酒だね。
私、お酒の良さはよくわからないけど。
食事中は水でいいんだけどなあと思うけど、飲用水って案外割高なんだよね。
代わりに出てきたのは酸汁とかいう黒っぽい飲み物で、炭酸の抜けたコーラを麦茶で割りましたみたいなそんな味がする。そこにフルーツフレーバーと甘酸っぱさ。謎だ。何ものなんだろうこれ。まずくはないけど。
前菜にはルイベが出てきた。あれだよ。北海道の、鮭の凍った刺し身みたいなやつ。現地で食べたことはないけど、解凍ミスって半凍りの刺し身食べたことあるから知ってる。勿論こちらのお味はそんなものとは比較にもならないけど。
続くスープは黄色というかクリーム色っぽいポタージュかな、と思ったら、なんとびっくり、甘い。
かぼちゃの甘さとかではない、がっつり甘い。甘酸っぱい。果物の甘さだ。聞けば林檎と木苺の類だって言うんだから驚きだ。
熱々ではなく、程よく暖かく、美味しいは美味しいけど、脳が混乱する。
塩気を補うかのように登場した魚料理は、一尾丸々の姿。パン粉をつけて、揚げ焼きみたいにしたのかな。骨はどうしてるんだろう、と思ってナイフを入れると、すんなり刃が通る。開けば白い。白いふわふわ。成程マッシュポテトを腹に詰めているのだった。
美味しいけど、でもトルンペートの作るマッシュポテトの方がおいしいよなあって、ちらっと見やれば何やら当人と目が合った。唇を尖らせてじろりと見ている。
私はアイコンタクトなどという高等スキルは持ち合わせていないし、人の顔色など俯いてやり過ごしてきた人種だから、そういうわかれよみたいな目付きをされても困る。
困るけど、何しろ私も《三輪百合》の一員として人間一年生を頑張ってきた身だ。そろそろ仲間の顔色くらいうかがえるようになってきたとも。
わかる。わかるぞ。リリオがティグロ君に取られちゃって寂しいんだろう。席が離れてお喋りもしづらいしな。
でもせっかくの高級料理なので私はご飯を優先したいのだ。疑似独り飯を堪能したいのだ。
唇だけで後でお喋りしようねと伝えて、私は次の料理を待ち構えた。
お肉料理は、現地ではおたぐりと呼ばれている煮込みだった。
ちっちゃな土鍋で提供されたそれは、ぱっと見た感じ、モツ煮だ。前世では居酒屋の定番だったかもしれないが、こちらの世界ではあんまり見かけない。
というのも、内臓は傷みやすいからね。それに処理も手間だし。冷蔵庫があるとはいっても容量には限りがあるわけで、内臓はそんなに人気がない。
とにかく安いので、さばいたばかりのお肉屋さんとかで早々に売りさばいて、屋台や家で調理されてしまって、地元の人以外はあんまり食べられない、秘かな現地の味だね。
味付けもまあモツ煮って感じで、胡桃味噌のちょっと甘めの味噌味と、生姜の感じかな。濃い目だけど、くにゅくにゅしたモツを噛んでいるうちにちょうど良くなってくる。
雪葩が出てデザートかなって思ったけど、口直しなんだってね。まあ、確かに、口直しは必要だろう。
ちんまりした氷菓を頂けば、すぐにも次の料理がやってくる。
それはロースト・ビーフだった。牛肉なのだった。いやまあ牛って言ってもあのでかいモグラみたいのなんだけど、とにかくそれは私がこの世界に来てからもしかすると初めて目にした「お肉」だった。
完全に食用のために飼育されて、調理されたお肉。恐ろしく柔らかく、恐ろしく味わい深いこのお肉のパワーは。リリオじゃないけどしあわせ成分が大量に含まれていること間違いなしだった。
一皿ずつの量はそこまでではないんだけど、さすがにそろそろしんどい、というところで、終わりを感じさせるサラダが出てきた。さすがに辺境で一番偉い家とは言っても、冬場に生野菜はやっぱり大変みたいで、茹でて角切りにした馬鈴薯や血蕪と、玉葱や漬物を酢なんかで和えたものだった。
血蕪の、テーブルビートみたいな赤さが全体を染め上げていて、スプーンですくいあげて食べてみるとしゃくしゃきとして、少し甘い。
さすがにもう終わってくれるかなと思い始めていたら、銀のお盆に乗った何かを選ぶように言われる。まじまじと眺めてみれば、それは小さく切り分けられたチーズみたいだった。牛をたくさん育てていて、酪農も盛んだということだから、チーズも美味しいのだろう。
でも私はあまりチーズに詳しくないので、あんまりにおいがきつくないものをとお願いした。
いくつか並べられたチーズに、ミルクピッチャーみたいなちっちゃな容器がひとつ。何かと思えば、楓蜜だそうだ。お好みでチーズに蜜をかけて食べるらしい。ハイカラというか、異文化というか。私にとってお酒のつまみのチーズってチーズサンドとかチーズかまぼことかだし。
メイドさんが選んでくれたチーズは、成程なかなかいいチョイスだった。
猫と鼠が喧嘩しそうな穴あきチーズは、結構硬い。そしてチーズ臭いと言うより、ナッツみたいな香ばしい香りがして、悪くない。ビールと合うんじゃないの。
二つ目は、これも硬質なチーズで、でも単に硬いって言うんじゃなくて、シャリシャリっとした結晶みたいな食感がある。かなり密な感じで、白ワインとかで、口の中でとかしながら味わうのがよさそう。
三つめは白カビに覆われたもので、中身は柔らかく、自重でとろりと崩れかけるほど。見た目通りねっとりして、こってりしてるけど、塩気が強めでさっぱりとした後味。
四つ目は大理石模様みたいに青カビが走るブルーチーズだった。
私これ絶対苦手なんだよなあ。と敬遠しそうになっていたら、メイドさんにメープルシロップをかけるように言われた。甘さで誤魔化そうとしたって無理だよこの匂いは。独特の臭いとかじゃなくて臭いんだよ。
それでも自信満々におすすめされるので、「まことにござるかぁ?」という顔でシロップをかけてしぶしぶかじってみると、これが、美味しい。
鼻先に運んだだけで顔をしかめそうになるあの匂いが、メープルシロップの豊かな香りにくるりと包まれ、強すぎるくらいの塩味が甘みと混ざり合って程よく丸くなっている。そうして尖った部分が緩和されると、ブルーチーズが本来持っていた濃厚な旨味がしっかりと味わえるようになっていた。
あとから、喉奥から鼻に独特の香りが昇ってくる気もするんだけど、これをワインで流し込んでやるのも、悪くない。
こうして食事がすっかり終わって、料理の皿を乗せていたプレイスプレートが下げられ、ようやくデザートだ。
甘いものって、人間を幸せにする効果があるよね。疲れて死にそうなときにコンビニのやっすいスイーツはある種のカンフル剤だったくらいだ。
コンビニスイーツを侮るつもりはないけれど、さすがに貴族のおうちのスイーツは格が違った。
これでもかとこんもり木苺の類が盛り込まれたタルトに、あえて牛乳のシンプルな美味しさで勝負する雪糕。それに生の林檎の飾り切りが優美に飾られている。
帝国って、なんちゃって中世ファンタジー世界の癖に、砂糖を普通に量産してるから結構お菓子の類も発展してるんだけど、やっぱり良くて菓子パンみたいなのがパン屋に並ぶくらいで、ガチのお菓子屋さんとかケーキ屋さんって少ないんだよね。
そこに貴族の家の菓子職人が大人気なく全力で仕留めにかかってくるんだから、これがまずいわけがない。
デザートを頂いた後の豆茶、じゃないなこれ。なんだ。
メイドさんによれば不凍華茶といって、以前食べた不凍華の根っこを焙煎して淹れたお茶なんだそうだ。つまりタンポポコーヒーみたいなものか。
見た目は黒いし、香りは豆茶に似てるけど、味はどちらかというとほうじ茶とかに近いかもしれない。さっぱりとして、後味がすっきりしている。それでいて、香ばしい甘みがある。
リリオは砂糖やミルクを入れるみたいだけど、私はこのままの方が好きかな。
一緒についてきたチョコレートと合わせると丁度いい感じ。
あれ。そう言えばチョコレートってこっちに来てから初めてかも。貴重なのかな。もうちょっと味わって食べればよかった。
恐ろしく高級だろう料理を、メイドさんに給仕されて食べることになっても、なんだかんだ平然と楽しめるようになってしまったあたり、私のずぶとさも大概パワーアップしているな。何があっても「リリオの身内だもんなあ」というワードが頭にポップアップしてしまうし。
夕食を終えた私たちは、モンテートの温泉ほどではないにしても立派な浴室をお借りして湯あみした。ほかほか温まった後は寝室に案内されたのだが、気が利いているというか、なんというか、私たち《三輪百合》は三人で一つの部屋を宛がわれることとなった。
下世話な気の遣い方でないことを祈るけど、まあ、差配があのティグロ君なら大丈夫だろう。単に妹がそうしたいからとかいう理由っぽいし。
なんだか見慣れてきた天蓋付きのベッドに三人で潜り込み、まるで当たり前みたいな顔をして両側から引っ付かれて、少し窮屈だけど、少し暖かい。
暗闇の中で、心地よい眠気に身を任せながら、ぼんやりと思ったのは到着早々のひと悶着だ。
「リリオのお父さんとマテンステロさん、あれ、大丈夫かな」
「大丈夫よ。御屋形の術師は腕がいいの。明日には復活なさってるわ」
「それはそれで怖い」
あれだけ全身ぐずぐずにされて、翌日にはケロッとしているというのは、ちょっと想像し辛い。以前野盗相手に使ったポーションも一瞬で治してしまったけれど、果たしてこの世界にそれだけの医療技術があるんだろうか。
何しろこのパーティの面子はろくに怪我をしないので参考にならない。
ともあれ、復活するっていうんなら、明日はリリオ父との面談タイムだろう。
それで、それから、どうするんだろう。
「どうするって、何がですか?」
「一応これで、成人の儀ってやつはひと段落ついたんでしょ」
「まあ、帰ってきちゃいましたし、そうなりますね」
「だからさ。また旅に出るの? それとも家でまた暮らすっていうのもあるんじゃないの」
「それは」
リリオはどんな顔をしてるんだろう。
私はただぼんやりと天蓋を見上げて、その刺繍を目でなぞった。
「家族と楽しそうにしゃべってるリリオを見てさ、ちょっと思ったんだ。リリオのお父さんはちょっと過激だけど、でも、傍にいてほしいっていう気持ちは、確かだと思うよ。家族なんて、いつなくなっちゃうかわかんないんだし」
「ウルウのお父様は、そうでしたね」
そうだ。いつまでもあると思っていたけれど、父は呆気なく亡くなった。
痛いとか、辛いとか、そう思うこともなんだか億劫になるほど、それは私の心を鈍麻させて、そして死ぬまでそのままだった。
いまになって後悔するようなこともあるけれど、それはもういろんな意味でどうしようもないことだった。
リリオは少しの間、私の髪に顔をうずめて、それでも、とつぶやくように言った。
「それでも私は、冒険に出たいんです。まだ見たことのないものを見に行きたい。まだ知らないものを知りたい。ウルウは……ウルウは、ついてきてくれますか?」
「……君が、」
「『君がそうであるならば、君がそうであるうちは、君の寂しさを埋めてやるのも、やぶさかではない』」
「む」
「ねえ、それウルウの決め台詞なの?」
「そう言えばトルンペートいなかったですものね。あのですね、ウルウがですね」
「やめて。やーめーて。そうじゃなくなったら私、他所行くからね」
「『きっと! きっとそうします! そうなります!』」
「こんにゃろ」
「ふぐむぐぐぐ」
「あたしを置いていちゃつかないで貰えるかしら嫁ども」
「トルンペートはついてこないの?」
「行くわよ。行くに決まってるでしょ。あんたらだけじゃ不安過ぎるわ」
「じゃあトルンペートも『そう』なりましょう!」
「ねえ、だからそれなんなの?」
「あのですね」
「なんでもないったら!」
用語解説
・オタクの知り合いが顔のいい推しについて語っている時の顔
オタクはすぐ自分の好きなキャラを「顔がいい」というワードでくくろうとするが、この一言に含まれる意味合いは多様かつ豊富なため、簡単には説明できない。
・チーズ
辺境では酪農と共にチーズ作りが盛んである。
知名度や流通では東部や北部のものが有名だが、年間かなりの量のチーズが消費されている土地柄でもある。
その原料も牛だけでなく、ヒツジやヤギなどからも絞る。
・不凍華茶
タンポポに似た不凍華の根を焙煎して淹れた飲料。
見た目はコーヒーに似るが、カフェインは含まれない。
飲み過ぎると腹を下すこともあるが、逆に言えば便秘にもよく、通じが良くなるとして健康茶扱いもされる。
・チョコレート
現地では楂古聿(ĉokolado)と呼ばれる。
豆茶と同じく南大陸で発見され、輸入される可可(Kakao)から作られる。割と高価な品ものなのである。
チョコレート菓子を最初に作ったものは、神の啓示を受けたと主張しており、「神はばれんたいんでーを望んでおられる!」という発言が当時の新聞に残っているが、完全に発狂していて詳しくはわからなかったとのことである。つまりいつもの。
お肉を食べると脳がはぴはぴするお話。
まだ手が痛いんだけど、などとぐちぐち言う気はないけれど、義理の兄になるらしいリリオのお兄さんは、どうも父親の性根をしっかり引き継いでいる気がする。
つまり妹さえ関わらなければ至極まっとうな貴族のお坊ちゃんなんだろう。
夕食の席は、異世界で初めてどころか、前世でも体験したことのないガチ目のフルコースだった。
美しいカトラリーも並べられ、一品ずつ運ばれてくる皿は、いままで培ってきた辺境貴族というイメージをいい意味で裏切る洗練された品々だ。
席がちょっと離れちゃって、トルンペートの解説が聞けないのは残念だけれど、メイドさんが給仕するたびに簡単に説明してくれるし、私が首を傾げると適切にサポートしてくれるので、成程優秀だ。
あとは私が人見知りで不愛想でなければ完璧だったんだけど、まあ仕方ない。
ティグロ君はリリオとお喋り、というかリリオのお喋りをまるで天使みたいな顔で聞き入っている。オタクの知り合いが顔のいい推しについて語っている時の顔と同じだから、触れない方がいいだろう。放っておこう。尊さに包まれてあれ。
トルンペートは同僚らしいメイドさんにちょこちょこからかわれてるみたいだけど、楽しそうで何よりだ。同僚と仲がいいって言うのはほんと、大事なことだよ。仕事選ぶときは仲良くなれそうかどうかっていうのほんとよく考えてほしい。職場って言うのは生理的に無理な相手とも同じ部屋で時間を過ごさなければならない地獄だからね。
食前酒にはきりりと冷えた白ワインを出してくれた。ウオッカとか飲みそうなイメージだったけど。
この世界のワイン、そこら辺の酒場とかで飲むような葡萄酒ってやつは、ブドウの種類とかできとか気にせず一緒くたにした奴が多くて、赤も白もないようなものが多い。でもこれはしっかりと白ワインで、ピンと張りのある辛口だ。それでいてフルーティーでさわやかな香りが膨らむいいお酒だね。
私、お酒の良さはよくわからないけど。
食事中は水でいいんだけどなあと思うけど、飲用水って案外割高なんだよね。
代わりに出てきたのは酸汁とかいう黒っぽい飲み物で、炭酸の抜けたコーラを麦茶で割りましたみたいなそんな味がする。そこにフルーツフレーバーと甘酸っぱさ。謎だ。何ものなんだろうこれ。まずくはないけど。
前菜にはルイベが出てきた。あれだよ。北海道の、鮭の凍った刺し身みたいなやつ。現地で食べたことはないけど、解凍ミスって半凍りの刺し身食べたことあるから知ってる。勿論こちらのお味はそんなものとは比較にもならないけど。
続くスープは黄色というかクリーム色っぽいポタージュかな、と思ったら、なんとびっくり、甘い。
かぼちゃの甘さとかではない、がっつり甘い。甘酸っぱい。果物の甘さだ。聞けば林檎と木苺の類だって言うんだから驚きだ。
熱々ではなく、程よく暖かく、美味しいは美味しいけど、脳が混乱する。
塩気を補うかのように登場した魚料理は、一尾丸々の姿。パン粉をつけて、揚げ焼きみたいにしたのかな。骨はどうしてるんだろう、と思ってナイフを入れると、すんなり刃が通る。開けば白い。白いふわふわ。成程マッシュポテトを腹に詰めているのだった。
美味しいけど、でもトルンペートの作るマッシュポテトの方がおいしいよなあって、ちらっと見やれば何やら当人と目が合った。唇を尖らせてじろりと見ている。
私はアイコンタクトなどという高等スキルは持ち合わせていないし、人の顔色など俯いてやり過ごしてきた人種だから、そういうわかれよみたいな目付きをされても困る。
困るけど、何しろ私も《三輪百合》の一員として人間一年生を頑張ってきた身だ。そろそろ仲間の顔色くらいうかがえるようになってきたとも。
わかる。わかるぞ。リリオがティグロ君に取られちゃって寂しいんだろう。席が離れてお喋りもしづらいしな。
でもせっかくの高級料理なので私はご飯を優先したいのだ。疑似独り飯を堪能したいのだ。
唇だけで後でお喋りしようねと伝えて、私は次の料理を待ち構えた。
お肉料理は、現地ではおたぐりと呼ばれている煮込みだった。
ちっちゃな土鍋で提供されたそれは、ぱっと見た感じ、モツ煮だ。前世では居酒屋の定番だったかもしれないが、こちらの世界ではあんまり見かけない。
というのも、内臓は傷みやすいからね。それに処理も手間だし。冷蔵庫があるとはいっても容量には限りがあるわけで、内臓はそんなに人気がない。
とにかく安いので、さばいたばかりのお肉屋さんとかで早々に売りさばいて、屋台や家で調理されてしまって、地元の人以外はあんまり食べられない、秘かな現地の味だね。
味付けもまあモツ煮って感じで、胡桃味噌のちょっと甘めの味噌味と、生姜の感じかな。濃い目だけど、くにゅくにゅしたモツを噛んでいるうちにちょうど良くなってくる。
雪葩が出てデザートかなって思ったけど、口直しなんだってね。まあ、確かに、口直しは必要だろう。
ちんまりした氷菓を頂けば、すぐにも次の料理がやってくる。
それはロースト・ビーフだった。牛肉なのだった。いやまあ牛って言ってもあのでかいモグラみたいのなんだけど、とにかくそれは私がこの世界に来てからもしかすると初めて目にした「お肉」だった。
完全に食用のために飼育されて、調理されたお肉。恐ろしく柔らかく、恐ろしく味わい深いこのお肉のパワーは。リリオじゃないけどしあわせ成分が大量に含まれていること間違いなしだった。
一皿ずつの量はそこまでではないんだけど、さすがにそろそろしんどい、というところで、終わりを感じさせるサラダが出てきた。さすがに辺境で一番偉い家とは言っても、冬場に生野菜はやっぱり大変みたいで、茹でて角切りにした馬鈴薯や血蕪と、玉葱や漬物を酢なんかで和えたものだった。
血蕪の、テーブルビートみたいな赤さが全体を染め上げていて、スプーンですくいあげて食べてみるとしゃくしゃきとして、少し甘い。
さすがにもう終わってくれるかなと思い始めていたら、銀のお盆に乗った何かを選ぶように言われる。まじまじと眺めてみれば、それは小さく切り分けられたチーズみたいだった。牛をたくさん育てていて、酪農も盛んだということだから、チーズも美味しいのだろう。
でも私はあまりチーズに詳しくないので、あんまりにおいがきつくないものをとお願いした。
いくつか並べられたチーズに、ミルクピッチャーみたいなちっちゃな容器がひとつ。何かと思えば、楓蜜だそうだ。お好みでチーズに蜜をかけて食べるらしい。ハイカラというか、異文化というか。私にとってお酒のつまみのチーズってチーズサンドとかチーズかまぼことかだし。
メイドさんが選んでくれたチーズは、成程なかなかいいチョイスだった。
猫と鼠が喧嘩しそうな穴あきチーズは、結構硬い。そしてチーズ臭いと言うより、ナッツみたいな香ばしい香りがして、悪くない。ビールと合うんじゃないの。
二つ目は、これも硬質なチーズで、でも単に硬いって言うんじゃなくて、シャリシャリっとした結晶みたいな食感がある。かなり密な感じで、白ワインとかで、口の中でとかしながら味わうのがよさそう。
三つめは白カビに覆われたもので、中身は柔らかく、自重でとろりと崩れかけるほど。見た目通りねっとりして、こってりしてるけど、塩気が強めでさっぱりとした後味。
四つ目は大理石模様みたいに青カビが走るブルーチーズだった。
私これ絶対苦手なんだよなあ。と敬遠しそうになっていたら、メイドさんにメープルシロップをかけるように言われた。甘さで誤魔化そうとしたって無理だよこの匂いは。独特の臭いとかじゃなくて臭いんだよ。
それでも自信満々におすすめされるので、「まことにござるかぁ?」という顔でシロップをかけてしぶしぶかじってみると、これが、美味しい。
鼻先に運んだだけで顔をしかめそうになるあの匂いが、メープルシロップの豊かな香りにくるりと包まれ、強すぎるくらいの塩味が甘みと混ざり合って程よく丸くなっている。そうして尖った部分が緩和されると、ブルーチーズが本来持っていた濃厚な旨味がしっかりと味わえるようになっていた。
あとから、喉奥から鼻に独特の香りが昇ってくる気もするんだけど、これをワインで流し込んでやるのも、悪くない。
こうして食事がすっかり終わって、料理の皿を乗せていたプレイスプレートが下げられ、ようやくデザートだ。
甘いものって、人間を幸せにする効果があるよね。疲れて死にそうなときにコンビニのやっすいスイーツはある種のカンフル剤だったくらいだ。
コンビニスイーツを侮るつもりはないけれど、さすがに貴族のおうちのスイーツは格が違った。
これでもかとこんもり木苺の類が盛り込まれたタルトに、あえて牛乳のシンプルな美味しさで勝負する雪糕。それに生の林檎の飾り切りが優美に飾られている。
帝国って、なんちゃって中世ファンタジー世界の癖に、砂糖を普通に量産してるから結構お菓子の類も発展してるんだけど、やっぱり良くて菓子パンみたいなのがパン屋に並ぶくらいで、ガチのお菓子屋さんとかケーキ屋さんって少ないんだよね。
そこに貴族の家の菓子職人が大人気なく全力で仕留めにかかってくるんだから、これがまずいわけがない。
デザートを頂いた後の豆茶、じゃないなこれ。なんだ。
メイドさんによれば不凍華茶といって、以前食べた不凍華の根っこを焙煎して淹れたお茶なんだそうだ。つまりタンポポコーヒーみたいなものか。
見た目は黒いし、香りは豆茶に似てるけど、味はどちらかというとほうじ茶とかに近いかもしれない。さっぱりとして、後味がすっきりしている。それでいて、香ばしい甘みがある。
リリオは砂糖やミルクを入れるみたいだけど、私はこのままの方が好きかな。
一緒についてきたチョコレートと合わせると丁度いい感じ。
あれ。そう言えばチョコレートってこっちに来てから初めてかも。貴重なのかな。もうちょっと味わって食べればよかった。
恐ろしく高級だろう料理を、メイドさんに給仕されて食べることになっても、なんだかんだ平然と楽しめるようになってしまったあたり、私のずぶとさも大概パワーアップしているな。何があっても「リリオの身内だもんなあ」というワードが頭にポップアップしてしまうし。
夕食を終えた私たちは、モンテートの温泉ほどではないにしても立派な浴室をお借りして湯あみした。ほかほか温まった後は寝室に案内されたのだが、気が利いているというか、なんというか、私たち《三輪百合》は三人で一つの部屋を宛がわれることとなった。
下世話な気の遣い方でないことを祈るけど、まあ、差配があのティグロ君なら大丈夫だろう。単に妹がそうしたいからとかいう理由っぽいし。
なんだか見慣れてきた天蓋付きのベッドに三人で潜り込み、まるで当たり前みたいな顔をして両側から引っ付かれて、少し窮屈だけど、少し暖かい。
暗闇の中で、心地よい眠気に身を任せながら、ぼんやりと思ったのは到着早々のひと悶着だ。
「リリオのお父さんとマテンステロさん、あれ、大丈夫かな」
「大丈夫よ。御屋形の術師は腕がいいの。明日には復活なさってるわ」
「それはそれで怖い」
あれだけ全身ぐずぐずにされて、翌日にはケロッとしているというのは、ちょっと想像し辛い。以前野盗相手に使ったポーションも一瞬で治してしまったけれど、果たしてこの世界にそれだけの医療技術があるんだろうか。
何しろこのパーティの面子はろくに怪我をしないので参考にならない。
ともあれ、復活するっていうんなら、明日はリリオ父との面談タイムだろう。
それで、それから、どうするんだろう。
「どうするって、何がですか?」
「一応これで、成人の儀ってやつはひと段落ついたんでしょ」
「まあ、帰ってきちゃいましたし、そうなりますね」
「だからさ。また旅に出るの? それとも家でまた暮らすっていうのもあるんじゃないの」
「それは」
リリオはどんな顔をしてるんだろう。
私はただぼんやりと天蓋を見上げて、その刺繍を目でなぞった。
「家族と楽しそうにしゃべってるリリオを見てさ、ちょっと思ったんだ。リリオのお父さんはちょっと過激だけど、でも、傍にいてほしいっていう気持ちは、確かだと思うよ。家族なんて、いつなくなっちゃうかわかんないんだし」
「ウルウのお父様は、そうでしたね」
そうだ。いつまでもあると思っていたけれど、父は呆気なく亡くなった。
痛いとか、辛いとか、そう思うこともなんだか億劫になるほど、それは私の心を鈍麻させて、そして死ぬまでそのままだった。
いまになって後悔するようなこともあるけれど、それはもういろんな意味でどうしようもないことだった。
リリオは少しの間、私の髪に顔をうずめて、それでも、とつぶやくように言った。
「それでも私は、冒険に出たいんです。まだ見たことのないものを見に行きたい。まだ知らないものを知りたい。ウルウは……ウルウは、ついてきてくれますか?」
「……君が、」
「『君がそうであるならば、君がそうであるうちは、君の寂しさを埋めてやるのも、やぶさかではない』」
「む」
「ねえ、それウルウの決め台詞なの?」
「そう言えばトルンペートいなかったですものね。あのですね、ウルウがですね」
「やめて。やーめーて。そうじゃなくなったら私、他所行くからね」
「『きっと! きっとそうします! そうなります!』」
「こんにゃろ」
「ふぐむぐぐぐ」
「あたしを置いていちゃつかないで貰えるかしら嫁ども」
「トルンペートはついてこないの?」
「行くわよ。行くに決まってるでしょ。あんたらだけじゃ不安過ぎるわ」
「じゃあトルンペートも『そう』なりましょう!」
「ねえ、だからそれなんなの?」
「あのですね」
「なんでもないったら!」
用語解説
・オタクの知り合いが顔のいい推しについて語っている時の顔
オタクはすぐ自分の好きなキャラを「顔がいい」というワードでくくろうとするが、この一言に含まれる意味合いは多様かつ豊富なため、簡単には説明できない。
・チーズ
辺境では酪農と共にチーズ作りが盛んである。
知名度や流通では東部や北部のものが有名だが、年間かなりの量のチーズが消費されている土地柄でもある。
その原料も牛だけでなく、ヒツジやヤギなどからも絞る。
・不凍華茶
タンポポに似た不凍華の根を焙煎して淹れた飲料。
見た目はコーヒーに似るが、カフェインは含まれない。
飲み過ぎると腹を下すこともあるが、逆に言えば便秘にもよく、通じが良くなるとして健康茶扱いもされる。
・チョコレート
現地では楂古聿(ĉokolado)と呼ばれる。
豆茶と同じく南大陸で発見され、輸入される可可(Kakao)から作られる。割と高価な品ものなのである。
チョコレート菓子を最初に作ったものは、神の啓示を受けたと主張しており、「神はばれんたいんでーを望んでおられる!」という発言が当時の新聞に残っているが、完全に発狂していて詳しくはわからなかったとのことである。つまりいつもの。
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幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
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見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
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16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
放置された公爵令嬢が幸せになるまで
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アイネス・カンラダは物心ついた時から家族に放置されていた。両親の顔も知らないし兄や妹がいる事は知っているが顔も話した事もない。ずっと離れで暮らし自分の事は自分でやっている。そんな日々を過ごしていた彼女が幸せになる話。
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