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第十六章 おかえりなさい

第十一話 白百合とかなりアレな人

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前回のあらすじ

庭師のエシャフォドさんブチ切れるの巻。





「ヤンデレだ」

 呟くウルウ。
 なんでしたっけヤンデレって。確か以前説明してもらったときは、相手が好きすぎて心が病んじゃってる人のことでしたっけ。
 それらしい人をお父様以外に知らないので、正しい使い方なのかどうなのかいまいちわからないのですけれど、まあ、うん、確かにお母様のこと好きすぎて病んじゃってますよね。
 劇とか小説とかでは見たことあるような気もしますけれど、そう言うのは大抵短剣で背中から一突きとか、毒薬を飲んで心中とか、そういう感じだったんですよね。
 少なくとも畑耕すみたいなノリで、大剣で石畳と凍った地面を掘り返すような力強さではないんですよね。

 ウルウの目が遠いです。
 その隣のトルンペートも現実から逃げ出した目をしています。
 私も逃げ出したいです。
 切に逃げ出したいです。
 でも原因となるお母様を連れてきたのは私たちで、つまりこの大惨事を引き起こしたのは私たちなんですよね。
 そっと隣の二人を見たらそっと目をそらされましたけど、今更他人のふりしても遅すぎますからね。

 私たちが見たくないんだけれど見ざるを得ないといった調子で眺める先で、完全に殺す気としか思えない魔力の奔流が吹き荒れ、つられた風精が嵐のように前庭を荒れ狂います。
 お父様が大剣を振るう度に大気が音を立てて爆ぜ、振り下ろされるたびに大地が砕けて爆ぜていきました。人足要らずのお手軽土木工事ですね。なお基礎は吹き飛びます。
 そしてその爆弾でも振り回しているのかという猛撃を、お母様は平然といなして、踊るように双剣を振るいます。触れただけで何もかもずたずたに引き裂きそうな大剣が、完全に威力をそらされては、しゃらりしゃらんと鈴のように澄んだ音を立てて剣が触れ合っては離れてを繰り返します。

 まあ、綺麗な音を立てるのは刃だけで、大気は爆発するような音を立てますし、大地は実際爆発してますし、踏み込みの度に何もかも砕け散りますし、それに対してお母様が剣を振るい足踏みするたびに風が切り裂き大地が隆起しと大騒音が続いてるんですけど。

 しかし、ヤンデレですか。
 私からするとお父様が壊れてしまったようにしか見えませんけれど、これをずっと押し隠してきたんでしょうか。私たちの前では冷静沈着で落ち着いた大人の顔を保ち続けてきたのでしょうか。
 その理性的なところがかえって怖いですよね。
 落ち着いて狂ってるみたいな。 
 いや、本当に、いままであんな素振りが全くなかっただけに、私としては困惑の一言です。
 本当に全くなかったのかというとちょっと自信ないですけど。

「お父様はいったいどうなさってしまわれたのでしょうか……」
「どうにかなっておられるのでしょうねえ」

 突然の声に振り向くと、お父様付きの老武装女中ペルニオがいつの間にか私たちにそっと寄り添って、佇んでいました。
 老とはいっても、それは単に私が子供の頃からずっと仕えていて、それどころかお会いしたこともないお父様のお父様、お爺様にも仕えていたというので結構な年配だと予想しているだけで、見た目は若い女性のそれです。少女という程には幼くありませんけれど、乙女にしてもかなり若い顔つきです。
 その顔つきも、そもそもどこの人なのかもわからない何とも曖昧な顔立ちで、整ってはいるのですけれど、整い過ぎていて、ちょっと人間味に欠けます。見ているとたまに不安になるほどですね。
 緩く編まれた暗灰色の髪はいつ見ても艶やかで、熾火のようにちろちろとした赤をのぞかせる瞳は動揺にわずかに揺れたことさえもありません。
 顔以外は肌もさらさず、一度たりともお仕着せを着崩したことのない、完璧に完璧を重ねたような完璧女中ですので、一層正体不明です。種族すらわかりません。
 正体を探るといって彼女の裳袴ユーポをめくろうとしたお兄様は、結局その裾をひるがえさせることもできないまま、体力切れで断念していましたね。

 その偉く若作りな武装女中は、昼下がりのお茶を何ということもなくすするような顔つきで大惨事を眺めた後、固定したかのように崩れない無表情をそのままに私たちを順繰りに眺めていきました。見慣れないウルウの姿に目を留めると、僅かに小首を傾げ、それからまた戻し、視線が私に戻ります。
 昔から私はどうにもこの目が苦手でした。なんだか絵の中の人物が自分をじっと見つめていることに気づいたような、そんな怪談じみた圧力があります。
 トルンペートもどうにも得意ではないようで、居心地の悪そうな、座りの悪そうな顔でわずかに目をそらしました。

「ペルニオ、ねえペルニオ。お父様はどうなさってしまったのでしょう。いくら何でも、あんな風になるなんて……あんなお父様は見たことがありません」
「左様でございますねえ」

 ペルニオは私の言葉を咀嚼するように、ゆっくりと何度か頷いて、僅かに目を伏せて考えているようでした。
 その落ち着いた仕草を見せつけられると、礼儀作法や仕草の授業のあまりよろしくなかった評価を思い出します。
 長らく当主の傍に仕えているだけあって、私よりよほど貴族に見えるような落ち着きです。
 決して慌てず、言葉も急がず、まるでお手本のように完璧です。

「少し前に、奥様からのお手紙を頂きまして」
「ああ、お母様が飛ばしたものですね」
「それ以来、一睡もしておられません」

 噛んで含めるようにゆっくりと、極めて美しい発音で述べられた意味がいまいち飲み込めませんでした。

「えーっと?」
「三日ほど、前のことでしょうか。お手紙を受けとりましたわたくしが、お開きして差し上げるのも待ち切れず、ご自分でお取りになられると、こう、お開きになられました。どうやら奥様がお帰りになられるとのことで、ええ、ええ、それはもう大層なお喜びようで。小さなアラーチョお坊ちゃまの頃のように、大いにはしゃがれまして」
「嬉しかったんですね」
「ひとしきりはしゃがれましたあと、ぜんまいの切れた時計のように、こう、ぴたりとお止まりになられまして、こう仰いました。『またどこかへ行ってしまわないだろうか』と」
「ああ、うん、それは……」

 ないとは言えないでしょう。
 というかお母様としては結構頻繁に実家のあるハヴェノに帰りたかったみたいですので、今後もちょくちょく帰ると思います。少なくとも冬場は嫌だと言いかねません。一度は野良飛竜に無理矢理乗って抜け出したくらいですし。なんならその野良飛竜でモンテート要塞さえも突破したわけですし。
 お父様の心配ももっともです。

「それで、そう、御屋形様もお悩みになられまして、食事も喉を通らぬ有様。わたくしも大いに面どもとい心配いたしました。そうしましたら、突然お部屋でお笑いになられました。とても楽しそうにお笑いになって、それから、とても良い解決策を思いついたと無邪気に仰られました」
「すでにいい予感がしないんですけれど」
「『手足を落として僕がお世話しよう』と」

 大分ぶっ飛んだ解決策でした。
 もっと他に最善策があると思います。
 それでさっきそんなことを言っていたんですね。挑発か何かかと思っていたら本気でした。

「もちろん止めてくれたんですよね?」
「ええ、ええ、それは勿論、わたくしも御屋形様を支える傍仕え。盛り上がっておられるところに水を差すようで心苦しくはありましたけれど、きちんとお伝えいたしました。『これ以上の愛玩動物は困ります』と」
「ちがーう。ちがいます。そうではないのです」
「小粋な女中冗句にございます」

 この完璧女中の何が怖いって、表情一つ変えずに、誰が相手でも平然とふざけたこと言いだすところですよね。
 しかもこれが、つまりそういう発言をしたという冗句なのか、そういう冗句をお父様に言ったということなのか、判断に困ります。
 もう考えるだけ疲れるので気にしないことにしましょう。

「お父様は、やはりあまりにも衝撃が強くて、壊れてしまわれたのでしょうか」
「左様でございますねえ。少し、違うように思われます」

 ペルニオはゆっくりと小首を傾げ、そしてまたゆっくりと戻して、一拍置いてから続けました。

「もともとアレな方なのです」
「もともとアレな方」
「失礼いたしました。訂正いたします。もともとかなりアレな人にございます」
「もともとかなりアレな人」
「思い込んだら、こう──まっすぐなお方です」
「まっすぐ、ですか」
「つまり、古今稀に見る馬鹿です」

 古今稀に見る馬鹿の一閃が、前庭の土を盛大に爆散させていました。





用語解説

・ペルニオ(Pernio)
 特等武装女中。
 暗灰色の髪に緋色の瞳。肌は白く、外見年齢は十代中盤から二十前後。
 種族も実年齢も不明。
 先代当主に仕えていた他、先々代にも仕えていたらしい。
 表情が変わったところを見たものがない、着替えるところを見たものがない、顔以外の肌を見たものがない、走る姿を見たものがない、いつ寝ているのか誰も知らない、とないない尽くし。
 恐らく現役最年長にして、恐らく現役最強の武装女中。
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