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第十五章 竜囲い

第十一話 鉄砲百合と老拳士

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前回のあらすじ

蛮族野試合三番勝負、手早く二本連続。
蛮族の名に恥じない試合でしたね。





 ひどい目に合ったわ。
 もはや手合わせはお約束みたいなかんじだけど、まさかばっちゃん直々に揉まれるとは思わなかったわよ。
 だって、あたしが初めて会った時からばっちゃんはばっちゃんだったし、その癖初めて会った時から恐ろしく強かったから、あたしの頭が上がらない人間名簿にキッチリ記名済みなのだ。

 ああ、まあ、でも、こんなに強いんだってことを、はじめて知ったわ。
 それはつまり、ばっちゃんが言うように、あたしがそれがわかるくらいには成長したってことで、嬉しくはある。まだ届かないんだって思うくらいには、まだまだ弱っちいんだけど。
 そりゃ、武闘派の子爵閣下と幼馴染だって言うだけあるわよ。
 まあ、あたしもリリオの幼馴染であるからには、弱いままではいられないんだけど。

 すっかり疲れ切っちゃって、軽食を頂いて回復に専念している間に、リリオとグラツィエーロ様の試合が始まった。
 相変わらずグラツィエーロ様はええかっこしいだけど、あれで実力もあるので恐ろしい。
 あの人、あれだけ強い癖に、本職は飛竜乗りなのよ。
 飛竜乗ってた方が強いってのよ、あれで。
 そりゃ強い飛竜に乗ってたら単純に強いでしょうけど、飛竜乗りってのは単に飛竜に乗っかった人ってわけじゃない。飛竜を乗りこなして、飛竜単体よりもずっと強くある、そういうものなのよね。

 まあ、いくら強くてもあの調子で子供っぽいというかむきになるところがあるから、ばっちゃんに窘められるんだけど。
 っていうと、なんか悪戯した子供が叱られてるみたいな字面だけど、実際のところは空爪と放電が飛び交う中をしれっとした顔でするする掻い潜って、拳で物理的に黙らせてるから。
 飛竜革の前掛けにも一応矢避けの加護あるけど、皮革の量的にも魔力的にもそんな強力には張れないはずなのよ。つまり自力で避けてんのよねあれ。

 あたし、あれ目指さないといけないのよね……。
 まあ、ウルウの変態回避よりまだ目指し甲斐はあるけど。

 そのウルウは、いよいよ出番となって死にそうなほど面倒くさそうな顔で対戦相手と向き合ってた。
 相手はウルウと比べなくても小柄なおじいちゃん。子爵家の剣術指南役のカーンドさんだ。背筋は伸びてるけど、いかにも細身で、禿げあがった頭に優しそうな顔をした柔和なご老人。
 っていうこと以上のことを、実はあたしは知らなかったりする。

 リリオが遊びに来た時、剣の稽古を見てもらったりすることはあったんだけど、立ち合いとかはしないで、剣の構え方とか、振り方、脚運びなんかを、ゆっくりやってみせて、言葉で言って聞かせて、実際にさせてみて、そういう教え方だった。
 その教えは勿論、リリオの剣をよく伸ばしてくれたんだけど、カーンドさんの腕のほどはというとあたしたちは見たことがないのだった。

 そのカーンドさんはいま、剣も持たず身一つで、ウルウに柔らかく微笑んで見せた。

「お初にお目にかかります、棒振りなど教えさせてもらっている、カーンドと申しますもので」
「ウルウと言います」
「ウルウ殿は、アマーロ家のコルニーツォ殿を圧倒されたそうで」
「いえ、圧倒というほどでは」
「ふ、ふ、ふ、謙遜召されるな。コルニーツォ殿は実に良い腕をされておられて。子爵バンキーゾ殿もあの方を買われておりました。わしなどは、は、まあその代わりのようなものでして」

 照れるようにつるりと禿げあがった頭をなでるカーンドさん。
 うーん。実際どうなんだろう。コルニーツォさんの剣技は先日見せてもらったけど、確かにあれは凄まじいものがあった。体格も良くて、気迫もあった。
 それに比べると、カーンドさんは、なんていうか、悪く言うわけじゃないんだけど、老後に近所の子供とかに剣の振り方教えてるご隠居さんみたいな、そう言う感じがある。

「ウルウ殿は剣は得手でないとお聞きしますので、どうでしょうかな、ここはお互い無手で戯れてみるというのは」
「私はその方がありがたいですけど……いいんですか?」
「ふ、ふ、ふ、構いませんとも。戯れですので」

 ううん。
 やっぱり、とても柔らかい雰囲気で、握った拳も枯れ木みたいで、ウルウも困惑してるみたいだ。
 大丈夫かなあ、なんて思っていると、子爵閣下が笑った。

「マテンステロ、お前、あの娘が遊びのできん奴じゃち言うたべ」
「ええ、言ったわね」
「じゃからこっちからは遊びの得意なやつを宛がったわ」

 などと言う。
 となると、演武のような形で型を見せるような、そんな試合になるのか。
 なんていう予想は完全に甘かった。

 軽く礼をして、ウルウはどうやって戦おうか、って言うよりどうやって逃げ切ろうかみたいな顔をしていた。
 そこに、カーンドさんは緩く握った拳を胸辺りに構えて、散歩でもするみたいにするする歩み寄った。それがあんまりにも無防備で自然なもんだからあたしは初手を見損なった。

 攻撃があったのだと気づいたのは、ウルウの先足が跳ね上がったからだった。
 ウルウ自身が驚いたその挙動は、カーンドさんが緩く握った拳に隠して、何気ない所作でえげつなくひねり込んできた足払いを避けたものだった。
 ぎょっとして足元を見下ろすウルウに、カーンドさんは優しく微笑んだまま、鉤のように曲げた指先で顔を掬い上げるように眼球を狙ってくる。
 なにしろ見下ろしたところにそんなものが迫ってくるもんだから、ウルウももちろんのけぞって避けるのだけれど、それは悪手だ。
 目潰しの挙動は全然力の入っていない牽制だ。勿論、ウルウが暢気にしてたら容赦なく眼窩に突き立ててたろうけど、本命じゃない。

 すっかり体勢を崩したところに、流れるように体を翻したカーンドさんの足払いが、稲穂を刈り取るようにウルウの足元を掬い上げる。
 あわやひっくり返りかけたウルウの身体は、浮き上がるように宙返りして、後方に飛び退る。

 咄嗟に構えたウルウに、カーンドさんは追撃しないで、にっこりと微笑んだ。

「コルニーツォ殿は、強いお方でした。しかし残念ながら手合わせする機会には恵まれませんで」

 今日は天気がいいですねといった世間話でもするように、カーンドさんは柔らかな声で言った。

「戦う前に比較された汚名を、ウルウ殿で雪ぐのも悪くはありますまい?」

 ああ、うん。
 あたしは悟ったわね。
 この爺さん、絶対性格悪い。

 いままでのはお試しとばかりに、そこから先は容赦のないものだった。

 距離を取りたがるウルウに対して、カーンドさんは徹底的に距離を詰めてくる。水草にまとわりつく川の水のように、柳の枝に絡みつく風のように、つかず、離れず、攻め立ててくる。
 小柄な体はむしろ懐に入り込みやすく、短い手足は却って回転速度が速い。
 そしてその攻め方がまたいやらしい。
 ばっちゃんと同じように、魔力のしなやかな運用法を心得てるんだろう、腕はよくしなり、拳は鋼のように鋭い。そしてそれらの素直な打撃の合間に、あたしからは多分としか言えないけど、多分空爪を放っている。

「なんっ、こ、れっ!?」
「戯れなれば、手妻でも」

 空爪と言っても、グラツィエーロ様みたいに遠くに飛ばすものじゃない、本当に極近く、拳の先に置くように、見えない打撃を置いてくる。決して速くはなく、むしろゆっくりと飛ぶ打撃。
 これが近間にまとわりつきながら間合いを自在に変じさせて、戦闘慣れしていないウルウの処理能力を追い込んでいく。

 そして、傍から見ていてやっと気付いたのだけれど、この空爪の本当にいやらしい点は、間合いを自在に変えることじゃなく、意味のない攻撃を置くことができるってことだ。
 ウルウには、すべてが見えてしまって、そのすべてに対応しなければと頭が引きずられ、動きが鈍る。

 鈍るとはいっても、ウルウの身体はほとんど自動的に回避行動に移る。本人に言わせれば本当に自動的らしいけど、この爺さんはそこを見抜いて狙ってきてる。
 散りばめた無数の空爪は、そのどれもが牽制であると同時に、そのどれもが当たれば十分な打撃になる武器だ。避けなくても大丈夫なものもあれば、避けなくてはならないものもある。そして今は避けなくて良くても、数瞬後に回避の邪魔になる位置に置かれるものもある。
 時間差で当てられる武器、いや、これはもはや罠ね。

 そしてそれらに翻弄されている間、カーンドさんの足は常に立ち位置を変え、いやらしくウルウの足元に絡みつく。ウルウがいくら人間離れした動きをするからって、動きの起点は地面にある。地面を蹴る脚にある。
 それを執拗に狙われれば、たとえ避けられても、避けること自体がウルウの行動を制限する。

 拳、空爪、絡みつく足、それらがまるで詰め将棋シャーコのように、ウルウは縛られていく。
 まだ当たりはしない、当たりはしないけれど、確実に未来が狭められて行く。
 いよいよ足が滑ったり、躓いたりして逃れているけど、それはつまりぎりぎりだってことだ。

「ふ、ふ、ふ、面妖な。しかし、まあ、これも戯れなれば」
「こ、のっ、もうっ!」

 ついにはそのさえも貫通してカーンドさんの手がウルウの黒衣を掴み、引き寄せる。
 ウルウの回避はあくまでもという、無茶苦茶な精度だけど当たり前のことしかできない。
 だから掴まれてしまえばもう、逃げられは、

「ふ、ふ?」
「辺境の、爺様は、本当に!」

 掴まれて拳をねじ込まれたウルウの背後に、もう一人ウルウがいる。

「私に《技能スキル》を使わせ過ぎだ!」

 しっかりと掴まれたはずのウルウの体はカーンドさんの腕の中でほろほろと崩れていき、咄嗟に飛び退ったその足元の影がゆれる。
 沼のように波紋を揺らがせる影の底から、と顔を出すものがいる。
 さしものカーンドさんも目をみはるけど、時すでに遅し。
 影から伸び上がるように現れた長身痩躯が、手刀を突き付けていた。

「全く、辺境の遊びっていうのは、私には向かないみたいだ」
「ふ、ふ、ふ、戯れ過ぎたようですな」

 疲れきったような顔で、ウルウはため息をついた。
 確かに、あれだけ激しいやり取りだったのだ。戦い慣れしていないウルウには、目も回るような思いだっただろう。
 お疲れさまと素直に言ってあげたい。
 でももうちょっと頑張ってもらわないと困る。

 触発された奥様と閣下が素手でやり合い始めたから、ね。
 まるで飛竜同士が戯れるような有様に、ばっちゃんも手早く撤収準備を整えていた。
 そうね、怪物同士の戦いだもの、処置なしってこと。
 げんなりした顔のウルウに肩をすくめて、あたしたちも逃げ出す算段を立てるのだった。





用語解説

・カーンド(Kando)
 モンテート子爵マルドルチャ家の剣術指南役。
 カンパーロ男爵アマーロ家剣術指南役のコルニーツォは同年代でよく比べられていたが、住んでいた地域が違い、実際に手合わせする機会はなかった。
 非常にしなやかな魔力運用を心得ており、当代の人間としては珍しく三次元的な攻防を理屈立てて習得し、教えている。
 長男グラツィエーロの非常に伸びのある空爪も彼の教えによるもの。

・浮き上がるように宙返りして
 実はこの時、咄嗟にゲーム内《技能スキル》を使わされている。
 《薄氷うすらひ渡り》といい、《暗殺者アサシン》系統がおぼえる。
 設定では「一時的に体重をなくす」ことができるとされ、水上を歩行可能にするだけでなく、使用中所持重量限界を緩和できる。
 また足音が消え、一部の敵Mobから発見されなくなるまたは発見されにくくなる効果がある。
『生きるということは、薄氷を踏んで歩くが如く』


将棋シャーコ(ŝako)
 帝国将棋シャーコ。おおむねチェスのようなゲーム。
 盤のマス目の数や、駒の種類など、地方によってさまざまな種類があり、統一されていない。
 また、駒の役目が同じでも、形や名称が違うということもある。

・しっかりと掴まれたはずの~
 ゲーム内《技能スキル》のひとつ、《幻影・空蝉クイック・リムーブ》。
 事前にかけておくことで、致命的なダメージを受けた際に一度だけ身代わり人形を召還し、ダメージを肩代わりしてもらえる。人形はそのダメージで破損し、自身は極近くの安全地帯に転移する。
 ウルウはあくまで保険としてかけていたのだが、つまりあの爺さん致命的な拳をねじ込んできたのである。
『フフフ……馬鹿め! それは本体だ!』

・沼のように波紋を揺らがせる影の底から~
 ゲーム内《技能スキル》のひとつ《影身シャドウ・ハイド》の効果。
 《隠身ハイディング》系統のハイエンド。隠密効果はむしろ下がったが、攻撃に対する回避性能が非常に高い。
 発動中攻撃不可になる代わりに、物理攻撃無効の他、一部障害物の無効、魔法・範囲攻撃に対して確率で回避といった高性能な《技能スキル》。
 《SPスキルポイント》消費は激しいので、ボスの範囲必殺技を回避したりという使い方が多い。
『俺自身が影となることだ』
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