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第一章 冒険屋
第四話 白百合と魔法の布団
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前回のあらすじ
洗っていない犬の匂いがする(柔らかい表現)リリオを丸洗いし、その上平手打ちした閠。
事案である。
昨夜は酷い目に遭いました。
全裸にひん剥かれた挙句に全身をまさぐられて、最後は気持ちよくなってしまうなんて。
いやーしかし久しぶりにさっぱりしました。旅してる間はそんな余裕なかったので気にしていませんでしたけれど、やっぱり体を清潔に保つのは大事です。これだけで体が軽くなった気さえします。替えの下着に着替えた時点でもう無敵になった気分です。
あ、でもやっぱり駄目です。
お陰様で自分の匂いに麻痺していた鼻も回復したらしく、もう服着れません。臭いです。ものすごく臭いです。具体的には汗と垢と血と脂と土とその他得体の知れない匂いがします。ぺっとりしてます。一度脱いだらもう駄目な奴でした。
仕方がないのでウルウが身体を拭っている姿を下着姿でぼんやり眺めていましたが、ウルウはずるいです。私のこと丸洗いしたんですから私にもさせてくれればいいのに、不器用そうだから嫌だと拒否されました。心外です。こう見えても私、牧羊犬の仔犬のお風呂手伝ったこともあるんですよ。最終的に親犬にまとめて洗われてましたけど。はい。わかってます。諦めます。
でもでもそれだけでなくずるいです。
私は恩恵によって見た目より力があるとはいえ、鍛えている分やっぱり筋肉がついているんですよ。ちょっと力入れたらむきっとしますからね、これでも。だから胸に脂肪がいかないのは仕方がないんです。
だというのに、ウルウときたら全然筋肉ないんです。むしろちょっと痩せ気味なくらいで、そのくせ私より胸はあるんです。ごつごつしてないで、でも張りはあって、そんな体なのに熊木菟をあっさり倒してみたり、平然と持ち上げてみたり、世の中不平等です。さっき喰らった平手打ちなんか首が飛ぶかと思ったのに。
さらにさらにずるいです。
ふわっふわの毛巾で体を拭って、長い黒髪の水気を絞って、《自在蔵》の中から着替えを取り出すと、下着もつけずに着こんでしまったのです。聞けば寝るときは下着はつけないという何とも言えない主張でしたけど、まあ百歩譲ってそれはいいとして、着替えがあるのはずるいです。
私も持っているには持っていますけど一着だけですしそれにしたって似たような汚れ具合ですし、こんなに綺麗さっぱりになったのに改めて着るのは辛すぎます。残り湯で洗うことも考えましたけれど絶対明日の朝までには乾きません。
こうなれば下着一丁で旅に出る覚悟を決めるべきでしょうか。初夏ですし風邪もひかないでしょうから、恥を覚悟しさえすれば。
というようなことを言ってみたら、そんなことしたら私は絶対に姿を現さないし他人のふりをすると断固拒否されました。それでもお別れだとは言わないあたりウルウは優しいですけれど、でも困りました。
私がうんうんうなっていると、ウルウはものすごく面倒くさそうな顔で《自在蔵》をあさって、なんだかよくわからないものを取り出しました。
しいて言うならば、ぬめぬめとしめった赤い生肉の塊でした。
しかもこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊は、ウルウの手の中でびくびくぐねぐねびちびち動いてます。
できるだけ体から遠ざけるように手を精一杯伸ばしてこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を持つウルウに、そのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊は何なのですかと聞いてみると、アカナメの舌だと言います。なるほど舌と言えば舌っぽいです。牛などの舌はこんな感じです。でもさすがに引っこ抜かれた状態でびくびくぐねぐねびちびちようごめくぬめぬめとしめった赤い生肉の塊にお目にかかるのは初めてです。
ウルウがそのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を持つよりも余程嫌そうに私の服をつまむと、なんとおもむろにそのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊をおしつけるではありませんか。ぬちゃぐちゃぞりぞりれろぬろぐりぬちゃじゅるりじゅぞばばばぬるろろろとしめった音とともに、ウルウの手の中のぬめぬめとしめった赤い生肉の塊が私の装備の上で踊り狂うようにのたうち回り、嘗め回していきます。
この名状しがたき悍ましい光景を目の当たりにして悲鳴を上げなかった私を褒めてもらいたいところですが、正直なところ声にならぬ声しか出てこないほどの衝撃にかたまっていただけでした。
しばらくそうしてぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を私の装備に押し付けて全体を嘗め回させた後、いまだに元気よくびちびちぐねぐねびちびちとうごめくこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を《自在蔵》にしまい込んで、何事もなかったかのようにウルウは装備一式を毛巾で拭って私に寄越しました。
涎まみれにされたように思った私の装備はむしろ綺麗に磨き上げられ、よくよく丁寧に洗い上げられたように新品同然の状態で帰ってきました。恐る恐る鼻を近づけて匂いを嗅いでみましたが、想像していたようないやらしく悍ましい匂いもなく、革の匂いと布の匂いがするばかりでした。
「アカナメの舌は」
呆然としている私に、ウルウは努めて何も考えないようにしているような遠い目で、あのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊について説明してくれました。
「本来装備品の耐久値が下がったり、特定のモブから受ける状態異常である泥濘や汚損を回復するためのアイテム。簡単に言えば汚れを綺麗にしてくれる」
意味はよく分かりませんでしたが便利そうではあります。
「なんで切り取った後も動いてるのか、舐めとった汚れがどこに行くのかは私も知らない」
意味はよく分かりませんでしたがかなり怖そうなことを言っている気がします。
とにかく汚れを綺麗にしてくれる道具で、私の装備もそのおかげで綺麗になったということがわかれば十分です。深く考えると着づらくなります。
「ところで、こんなに便利ならどうして体の汚れを取るのにつかわなかったんですか?」
「生理的に嫌」
これ以上ない程説得力のある顔と言葉でした。私も幾ら節約になるとはいえ、あれで体中舐めまわされるのは御免被りたいです。
それはそれとしてこれを着て寝るのは少し怖いものがあるなあとぼんやり思っていると、風邪をひくからとウルウがおそろいの寝巻を貸してくれました。恐ろしく着心地がいいです。こんばっとじゃーじというそうです。恐ろしく縫製もいいですし、きっと高価な物でしょう。
えらく潔癖だったり、きっとウルウってかなりいいところの育ちなのでしょうね。私も実はいいところの育ちだったりするのですが、ウルウに関してはとても良い教育を受けていそうです。世間知らずっぽいですし、箱入りっぽいですし、手なんかすべすべで水仕事なんてしたことなさそうですし。
肉体的ではなく精神的に疲れた気分で、じゃあもう寝ましょうかと言うと、まだだ、とウルウに止められます。今度は何でしょう。
「歯」
「は?」
「歯を磨かないと」
うん。確かに歯磨きは大事です。
ものの本にも、朝夕歯を磨けば虫歯にならないとも言いますし、歯磨きは大事です。でももう眠いですし疲れましたし今日はいいじゃないですかと言えば、またあの怖い顔でじっと見てきます。
「うう……わかりましたよう」
私は諦めて鞄から歯刷子を取り出しました。細い柄の先に毛を植えたこの手の歯刷子が出てきたのはここ最近のことで、これも結構いい品物なんですけど、ウルウは特に気にした様子もありません。やはりいいところのお嬢さんで、この手の品は珍しくもないのでしょうか。と思っていたらウルウが取り出した歯刷子のほうが余程上等です。思わずうっわ金持ちと言いかねないくらい上等です。なんだか釈然としない思いで漫然と歯を磨いていると、ウルウに顎をがっしり掴まれました。
「うふぇぇええ!?」
「しっかり、磨きなさい」
どうやら私のいい加減な磨きかたが気に食わなかったようです。
顎をがっちりつかまれた上で口を大きく開けさせられ、一本一本丁寧に歯を磨かれます。なんだかかなり間抜けな絵面です。ウルウの真剣な目が注がれていますが、まったく嬉しくない注目です。
さっき体を洗ってもらった時も思いましたけど、これはもはや人を見る目ではありません。出荷前の経済動物を検品する目つきです。明日には精肉屋さんの店頭に並ぶのねって顔です。
しばらくそうして下の歯から上の歯まで徹底的に磨かれ、がらがらぺっとうがいまで見守られ、最終的になんかさっぱりした香りの香草を噛まされて匂いの確認までされて解放されました。ものすごくいい香りが自分の口からして意味不明です。おかしいです。なんなのでしょうこれは。
さていよいよ寝るかと思って寝台に向かえば寝藁が捨てられています。板ですか。板で寝ろと。ちらっとウルウを見ると、ええ、ええ、もう驚きませんとも。《自在蔵》から何やらずるずると引きずり出しているではないですか。
「………今度は何ですか?」
「布団」
「ふとん」
「………オフトゥン」
「発音ではなくて」
どこの世界に木賃宿に高級羽毛布団と枕を持ち込む旅人がいるんでしょうかここにいました。はい。
ほぼ板でしかない寝台に、ふわっふわの羽毛布団が敷かれているこの意味不明さに私の常識がいろいろ崩れていきます。試しに腰を下ろしてみれば、柔らかくしかししっかりと体を受け止めてくれる心地よさはもはや実家の布団より上等かもしれません。
「じゃあ、おやすみ」
ウルウはそう言って反対の寝台に向かいますが、そちらにはお布団がありません。板だけです。そこに外套を敷いて横になろうとするウルウを慌てて止めます。
「眠いんだけど」
「私もですけど、そうじゃなくて、ウルウのお布団は?」
「ない」
「えっ」
「それは予備がない」
じゃあ寝る、と即座に横になろうとするのを全力で止めます。
「なに」
「なにじゃなくて、それならウルウがあっちで寝てください」
「やだ」
「やだじゃなくて」
余程眠いのでしょうか。ちょっと三人ばかり殺してきたような目つきの悪さです。
あれはウルウのものなのだからウルウが使うべきですと言えば、子供の君を置いて自分だけ布団では寝れないといいます。
これでも私は成人です。なり立てではありますけれど。そう言い張っても、ウルウは頑として首を縦に振りません。大人としての矜持のようなものなのかもしれませんが、眠そうなのも相まって、子供の駄々と大差ないようにさえ見えます。
しばらく、やだ、と駄目です、の応酬を繰り返して、じゃあ一緒に寝ましょうと言えばやっぱり断られます。
「いいですか、ウルウ。ウルウがお布団で寝ないなら私も使いません」
「子供はちゃんと寝なさい」
「私をちゃんと寝させたいならウルウも妥協してください」
「むー……ん……」
「寝るだけ。寝るだけですから。なんにもしませんから」
「ぬー……」
「ほーら大丈夫ですよー。怖いくないですからねー」
「く、ふぁ……」
眠気の限界がきているらしいウルウを適当に言いくるめて、隙をついて抱き上げてお布団に放り込みます。そうなるともうお布団の魔力には逆らえないらしく少しもぞもぞしたかと思うとすぐにすやすやと寝息を立て始めてしまいました。ちょろいものです。しかしそれにしたって私も眠気の限界です。
私はウルウの細身な体に少し端に寄ってもらって、なんとか狭い隙間に体を潜り込ませました。一人分の寝台に二人で潜り込んでいるのですから恐ろしく狭いです。しかしそれでも、お布団の魔力は私にもすぐに浸透して、目の前の黒髪に顔をうずめるようにして、私も意識を手放したのでした。
用語解説
・ぬめぬめとしめった赤い生肉の塊
正式名称《垢嘗の舌》。ゲームアイテム。装備品の耐久値を回復させ、また一部の敵や環境から受ける状態異常である泥濘や汚損を回復させるアイテム。アカナメというモンスターからドロップする他、店売りもしている。回数制限はないが、使用後確率で消滅する。
『魚の水より出でて水を口にするように、この妖怪も穢れより出でて穢れを喰らうとさるる。穢れため込みし者はよく驚かさるる』
・こんばっとじゃーじ
正式名称|《コンバット・ジャージ》。《布の服》よりは良い品であるが、所詮は数売りの安い装備。ただしどこの店でも手に入り、加工がしやすく、装備の耐久を削る敵や環境のある地域では捨てることを前提に装備するプレイヤーも多い。
『動きやすく、丈夫で、そして安い。そんな頼れるこの一品だが、頼りすぎると気づいた時には死んでいる。大事なのは装備よりも技量だということだけは忘れぬように』
・うっわ金持ちと言いかねないくらい上等な歯ブラシ
正式名称《妖精の歯ブラシ》。ゲームアイテム。装備した状態で敵を倒すと、ドロップアイテムのうち《歯》や《牙》に該当するアイテムが店舗での販売額よりも高額のお金に変換されて手に入る。
『おや、歯が抜けたのかい。それなら枕の下に敷いてみるといい。翌朝には妖精がコインに換えてくれるから……おや、だからって抜いちゃダメだったら!』
・なんかさっぱりした香りの香草
正式名称|《ヌプンケシキナ》。アイテム画像はミント系のハーブのように見える。これ自体は《SP》をほんの僅か回復させる効果があるが、基本的には上位アイテムの素材として使われる。
『北の端に目の覚めるような香りの草が生えていた。摘んで食んでみると爽やかな香りがするので、里の男たちはみな、長い狩りの時は眠気覚ましにこれを奥歯で噛んだという』
・オフトゥン
正式名称《鳰の沈み布団》。ゲームアイテム。使用すると状態異常の一つである睡眠状態を任意に引き起こすことができる。状態異常である不眠の解除や、一部地域において時間を経過させる効果、また入眠によってのみ侵入できる特殊な地域に渡る効果などが期待される。
『水鳥は本質的に水に潜る事よりも水に浮く事こそが生態の肝要である。しかして鳰の一字は水に入る事をこそその本質とする。命無き鳰鳥の羽毛は、横たわる者を瞬く間に眠りの底に沈めるだろう。目覚める術のない者にとって、それは死と何ら変わりない安らぎである』
洗っていない犬の匂いがする(柔らかい表現)リリオを丸洗いし、その上平手打ちした閠。
事案である。
昨夜は酷い目に遭いました。
全裸にひん剥かれた挙句に全身をまさぐられて、最後は気持ちよくなってしまうなんて。
いやーしかし久しぶりにさっぱりしました。旅してる間はそんな余裕なかったので気にしていませんでしたけれど、やっぱり体を清潔に保つのは大事です。これだけで体が軽くなった気さえします。替えの下着に着替えた時点でもう無敵になった気分です。
あ、でもやっぱり駄目です。
お陰様で自分の匂いに麻痺していた鼻も回復したらしく、もう服着れません。臭いです。ものすごく臭いです。具体的には汗と垢と血と脂と土とその他得体の知れない匂いがします。ぺっとりしてます。一度脱いだらもう駄目な奴でした。
仕方がないのでウルウが身体を拭っている姿を下着姿でぼんやり眺めていましたが、ウルウはずるいです。私のこと丸洗いしたんですから私にもさせてくれればいいのに、不器用そうだから嫌だと拒否されました。心外です。こう見えても私、牧羊犬の仔犬のお風呂手伝ったこともあるんですよ。最終的に親犬にまとめて洗われてましたけど。はい。わかってます。諦めます。
でもでもそれだけでなくずるいです。
私は恩恵によって見た目より力があるとはいえ、鍛えている分やっぱり筋肉がついているんですよ。ちょっと力入れたらむきっとしますからね、これでも。だから胸に脂肪がいかないのは仕方がないんです。
だというのに、ウルウときたら全然筋肉ないんです。むしろちょっと痩せ気味なくらいで、そのくせ私より胸はあるんです。ごつごつしてないで、でも張りはあって、そんな体なのに熊木菟をあっさり倒してみたり、平然と持ち上げてみたり、世の中不平等です。さっき喰らった平手打ちなんか首が飛ぶかと思ったのに。
さらにさらにずるいです。
ふわっふわの毛巾で体を拭って、長い黒髪の水気を絞って、《自在蔵》の中から着替えを取り出すと、下着もつけずに着こんでしまったのです。聞けば寝るときは下着はつけないという何とも言えない主張でしたけど、まあ百歩譲ってそれはいいとして、着替えがあるのはずるいです。
私も持っているには持っていますけど一着だけですしそれにしたって似たような汚れ具合ですし、こんなに綺麗さっぱりになったのに改めて着るのは辛すぎます。残り湯で洗うことも考えましたけれど絶対明日の朝までには乾きません。
こうなれば下着一丁で旅に出る覚悟を決めるべきでしょうか。初夏ですし風邪もひかないでしょうから、恥を覚悟しさえすれば。
というようなことを言ってみたら、そんなことしたら私は絶対に姿を現さないし他人のふりをすると断固拒否されました。それでもお別れだとは言わないあたりウルウは優しいですけれど、でも困りました。
私がうんうんうなっていると、ウルウはものすごく面倒くさそうな顔で《自在蔵》をあさって、なんだかよくわからないものを取り出しました。
しいて言うならば、ぬめぬめとしめった赤い生肉の塊でした。
しかもこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊は、ウルウの手の中でびくびくぐねぐねびちびち動いてます。
できるだけ体から遠ざけるように手を精一杯伸ばしてこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を持つウルウに、そのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊は何なのですかと聞いてみると、アカナメの舌だと言います。なるほど舌と言えば舌っぽいです。牛などの舌はこんな感じです。でもさすがに引っこ抜かれた状態でびくびくぐねぐねびちびちようごめくぬめぬめとしめった赤い生肉の塊にお目にかかるのは初めてです。
ウルウがそのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を持つよりも余程嫌そうに私の服をつまむと、なんとおもむろにそのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊をおしつけるではありませんか。ぬちゃぐちゃぞりぞりれろぬろぐりぬちゃじゅるりじゅぞばばばぬるろろろとしめった音とともに、ウルウの手の中のぬめぬめとしめった赤い生肉の塊が私の装備の上で踊り狂うようにのたうち回り、嘗め回していきます。
この名状しがたき悍ましい光景を目の当たりにして悲鳴を上げなかった私を褒めてもらいたいところですが、正直なところ声にならぬ声しか出てこないほどの衝撃にかたまっていただけでした。
しばらくそうしてぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を私の装備に押し付けて全体を嘗め回させた後、いまだに元気よくびちびちぐねぐねびちびちとうごめくこのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊を《自在蔵》にしまい込んで、何事もなかったかのようにウルウは装備一式を毛巾で拭って私に寄越しました。
涎まみれにされたように思った私の装備はむしろ綺麗に磨き上げられ、よくよく丁寧に洗い上げられたように新品同然の状態で帰ってきました。恐る恐る鼻を近づけて匂いを嗅いでみましたが、想像していたようないやらしく悍ましい匂いもなく、革の匂いと布の匂いがするばかりでした。
「アカナメの舌は」
呆然としている私に、ウルウは努めて何も考えないようにしているような遠い目で、あのぬめぬめとしめった赤い生肉の塊について説明してくれました。
「本来装備品の耐久値が下がったり、特定のモブから受ける状態異常である泥濘や汚損を回復するためのアイテム。簡単に言えば汚れを綺麗にしてくれる」
意味はよく分かりませんでしたが便利そうではあります。
「なんで切り取った後も動いてるのか、舐めとった汚れがどこに行くのかは私も知らない」
意味はよく分かりませんでしたがかなり怖そうなことを言っている気がします。
とにかく汚れを綺麗にしてくれる道具で、私の装備もそのおかげで綺麗になったということがわかれば十分です。深く考えると着づらくなります。
「ところで、こんなに便利ならどうして体の汚れを取るのにつかわなかったんですか?」
「生理的に嫌」
これ以上ない程説得力のある顔と言葉でした。私も幾ら節約になるとはいえ、あれで体中舐めまわされるのは御免被りたいです。
それはそれとしてこれを着て寝るのは少し怖いものがあるなあとぼんやり思っていると、風邪をひくからとウルウがおそろいの寝巻を貸してくれました。恐ろしく着心地がいいです。こんばっとじゃーじというそうです。恐ろしく縫製もいいですし、きっと高価な物でしょう。
えらく潔癖だったり、きっとウルウってかなりいいところの育ちなのでしょうね。私も実はいいところの育ちだったりするのですが、ウルウに関してはとても良い教育を受けていそうです。世間知らずっぽいですし、箱入りっぽいですし、手なんかすべすべで水仕事なんてしたことなさそうですし。
肉体的ではなく精神的に疲れた気分で、じゃあもう寝ましょうかと言うと、まだだ、とウルウに止められます。今度は何でしょう。
「歯」
「は?」
「歯を磨かないと」
うん。確かに歯磨きは大事です。
ものの本にも、朝夕歯を磨けば虫歯にならないとも言いますし、歯磨きは大事です。でももう眠いですし疲れましたし今日はいいじゃないですかと言えば、またあの怖い顔でじっと見てきます。
「うう……わかりましたよう」
私は諦めて鞄から歯刷子を取り出しました。細い柄の先に毛を植えたこの手の歯刷子が出てきたのはここ最近のことで、これも結構いい品物なんですけど、ウルウは特に気にした様子もありません。やはりいいところのお嬢さんで、この手の品は珍しくもないのでしょうか。と思っていたらウルウが取り出した歯刷子のほうが余程上等です。思わずうっわ金持ちと言いかねないくらい上等です。なんだか釈然としない思いで漫然と歯を磨いていると、ウルウに顎をがっしり掴まれました。
「うふぇぇええ!?」
「しっかり、磨きなさい」
どうやら私のいい加減な磨きかたが気に食わなかったようです。
顎をがっちりつかまれた上で口を大きく開けさせられ、一本一本丁寧に歯を磨かれます。なんだかかなり間抜けな絵面です。ウルウの真剣な目が注がれていますが、まったく嬉しくない注目です。
さっき体を洗ってもらった時も思いましたけど、これはもはや人を見る目ではありません。出荷前の経済動物を検品する目つきです。明日には精肉屋さんの店頭に並ぶのねって顔です。
しばらくそうして下の歯から上の歯まで徹底的に磨かれ、がらがらぺっとうがいまで見守られ、最終的になんかさっぱりした香りの香草を噛まされて匂いの確認までされて解放されました。ものすごくいい香りが自分の口からして意味不明です。おかしいです。なんなのでしょうこれは。
さていよいよ寝るかと思って寝台に向かえば寝藁が捨てられています。板ですか。板で寝ろと。ちらっとウルウを見ると、ええ、ええ、もう驚きませんとも。《自在蔵》から何やらずるずると引きずり出しているではないですか。
「………今度は何ですか?」
「布団」
「ふとん」
「………オフトゥン」
「発音ではなくて」
どこの世界に木賃宿に高級羽毛布団と枕を持ち込む旅人がいるんでしょうかここにいました。はい。
ほぼ板でしかない寝台に、ふわっふわの羽毛布団が敷かれているこの意味不明さに私の常識がいろいろ崩れていきます。試しに腰を下ろしてみれば、柔らかくしかししっかりと体を受け止めてくれる心地よさはもはや実家の布団より上等かもしれません。
「じゃあ、おやすみ」
ウルウはそう言って反対の寝台に向かいますが、そちらにはお布団がありません。板だけです。そこに外套を敷いて横になろうとするウルウを慌てて止めます。
「眠いんだけど」
「私もですけど、そうじゃなくて、ウルウのお布団は?」
「ない」
「えっ」
「それは予備がない」
じゃあ寝る、と即座に横になろうとするのを全力で止めます。
「なに」
「なにじゃなくて、それならウルウがあっちで寝てください」
「やだ」
「やだじゃなくて」
余程眠いのでしょうか。ちょっと三人ばかり殺してきたような目つきの悪さです。
あれはウルウのものなのだからウルウが使うべきですと言えば、子供の君を置いて自分だけ布団では寝れないといいます。
これでも私は成人です。なり立てではありますけれど。そう言い張っても、ウルウは頑として首を縦に振りません。大人としての矜持のようなものなのかもしれませんが、眠そうなのも相まって、子供の駄々と大差ないようにさえ見えます。
しばらく、やだ、と駄目です、の応酬を繰り返して、じゃあ一緒に寝ましょうと言えばやっぱり断られます。
「いいですか、ウルウ。ウルウがお布団で寝ないなら私も使いません」
「子供はちゃんと寝なさい」
「私をちゃんと寝させたいならウルウも妥協してください」
「むー……ん……」
「寝るだけ。寝るだけですから。なんにもしませんから」
「ぬー……」
「ほーら大丈夫ですよー。怖いくないですからねー」
「く、ふぁ……」
眠気の限界がきているらしいウルウを適当に言いくるめて、隙をついて抱き上げてお布団に放り込みます。そうなるともうお布団の魔力には逆らえないらしく少しもぞもぞしたかと思うとすぐにすやすやと寝息を立て始めてしまいました。ちょろいものです。しかしそれにしたって私も眠気の限界です。
私はウルウの細身な体に少し端に寄ってもらって、なんとか狭い隙間に体を潜り込ませました。一人分の寝台に二人で潜り込んでいるのですから恐ろしく狭いです。しかしそれでも、お布団の魔力は私にもすぐに浸透して、目の前の黒髪に顔をうずめるようにして、私も意識を手放したのでした。
用語解説
・ぬめぬめとしめった赤い生肉の塊
正式名称《垢嘗の舌》。ゲームアイテム。装備品の耐久値を回復させ、また一部の敵や環境から受ける状態異常である泥濘や汚損を回復させるアイテム。アカナメというモンスターからドロップする他、店売りもしている。回数制限はないが、使用後確率で消滅する。
『魚の水より出でて水を口にするように、この妖怪も穢れより出でて穢れを喰らうとさるる。穢れため込みし者はよく驚かさるる』
・こんばっとじゃーじ
正式名称|《コンバット・ジャージ》。《布の服》よりは良い品であるが、所詮は数売りの安い装備。ただしどこの店でも手に入り、加工がしやすく、装備の耐久を削る敵や環境のある地域では捨てることを前提に装備するプレイヤーも多い。
『動きやすく、丈夫で、そして安い。そんな頼れるこの一品だが、頼りすぎると気づいた時には死んでいる。大事なのは装備よりも技量だということだけは忘れぬように』
・うっわ金持ちと言いかねないくらい上等な歯ブラシ
正式名称《妖精の歯ブラシ》。ゲームアイテム。装備した状態で敵を倒すと、ドロップアイテムのうち《歯》や《牙》に該当するアイテムが店舗での販売額よりも高額のお金に変換されて手に入る。
『おや、歯が抜けたのかい。それなら枕の下に敷いてみるといい。翌朝には妖精がコインに換えてくれるから……おや、だからって抜いちゃダメだったら!』
・なんかさっぱりした香りの香草
正式名称|《ヌプンケシキナ》。アイテム画像はミント系のハーブのように見える。これ自体は《SP》をほんの僅か回復させる効果があるが、基本的には上位アイテムの素材として使われる。
『北の端に目の覚めるような香りの草が生えていた。摘んで食んでみると爽やかな香りがするので、里の男たちはみな、長い狩りの時は眠気覚ましにこれを奥歯で噛んだという』
・オフトゥン
正式名称《鳰の沈み布団》。ゲームアイテム。使用すると状態異常の一つである睡眠状態を任意に引き起こすことができる。状態異常である不眠の解除や、一部地域において時間を経過させる効果、また入眠によってのみ侵入できる特殊な地域に渡る効果などが期待される。
『水鳥は本質的に水に潜る事よりも水に浮く事こそが生態の肝要である。しかして鳰の一字は水に入る事をこそその本質とする。命無き鳰鳥の羽毛は、横たわる者を瞬く間に眠りの底に沈めるだろう。目覚める術のない者にとって、それは死と何ら変わりない安らぎである』
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しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
チート幼女とSSSランク冒険者
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【更新休止中】
三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が
過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。
神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。
目を開けると日本人の男女の顔があった。
転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・
他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・
転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。
そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語
※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
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〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
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