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期待と不安
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「おっし、できた! 革に続いて和紙の天蓋風ドレープ飾りの考案。こより和紙を使って、壁に陰影を作ろうと思う。四季によって色づかいや模様を変える予定。瑛士、どう思う?」
PC画面と睨めっこをしていた北斗が、顔をあげて隣の席の瑛士に訊ねると、どれどれと呟きながら瑛士が椅子を滑らせて画面を覗き込んだ。
「いいじゃないか!収納型なんだろ?これ一つで部屋の雰囲気がうんと変わるな」
「うん。きっちりした様式を好む人と、モダンを好む人のどちらにも対応できる和式の部屋だ。水穂さんは顔が広いからね」
「冴えているな。本当に素晴らしいよ!今週に入ってから、北斗の様子が少しおかしかったから心配したけれど、もう完全復活だな」
瑛士が北斗の肩をポンと叩くと、北斗が曖昧な笑みを浮かべ、あのさ…と言いにくそうに続けた。
「個人的な質問なんだけれど、瑛士は彼女と泊まるとき、ボクサーパンツかトランクスのどっちを穿く?」
「はぁ~っ?どっちの下…痛っ」
下着といいかけた瑛士の足を、北斗が思い切り踏んで黙らせた。瑛士が靴を抜いで椅子に片足を上げ、大げさに手で擦っているが、顔は歪むどころか、にやにやしながら北斗にからかいの視線を向けてくる。
「今度は反対の足を踏んでやろうか?」
ムスッとしながら北斗が睨めば、悪かったと言いながら、にやつく口元はそのままで、ビキニはどうだ?と瑛士が答えたので、その脛を蹴っ飛ばしてやった。
「…っ。痛いな!冗談だってば。女受けするのはボクサーパンツじゃないか?でも、僕は解放感がないから好きじゃないんだよな」
「分かる。男にしか分からない悩みだよな。じゃあさ、もし俺のとこに泊まりに来るなら、瑛士はトランクスを穿くんだな?」
「男同士で泊まるのに、別に下着が何だって構わないだろ?いちいち考えないよ」
「だな?そうだな…あは…あはは……ふぅ」
「大丈夫か?着ているもの全てにチェックを入れて、金がかかっているかどうかで判断したり、自分の好みに従わせようとする女の誘いなら蹴っちまえよ。自分に合わないものを着続けることなんてできないんだからな」
「ん。ありがとう」
そうだよな。普通、男同士ならパンツなんてどっちでもいいはずなんだ。
俺アホみたいに、昨日お泊りの用意をする時に悩んだんだよ。
乙女じゃあるまいし、いい歳をした二十六歳の男が、パンツ一枚のことで悩むなんておかしいとは思うけれど、それでもさ、あの人に気に入られたいと思って、ベッドにパンツを並べたんだよ。
「ああ、俺って健気だな~」
「変な女にだけは本気になるなよ。北斗は外見だけ見ると、クールビューティーで近寄りがたいけれど、中身は人情に厚いから、だめだと分かっていても最後まで世話を焼きそうで心配だ」
「それ、間違ってない?俺、他人のことを面倒見られるほど器が大きくないし、優しくないよ」
「自分でそう思っているだけで、周りはちゃんとお前の優しさを分かっているよ。水穂さんのことだって、投げ出さずに面倒を見ているのは、お前ぐらいだからな」
「それは・・・・・・アドバイスをしてくれた人がいたから切り抜けられたんだ。じゃなかったら、俺もみんなと同じで匙を投げていたよ」
「前にもその人のことはちらりと聞いたな。同業者か?」
「違う。でも、人の悩みを聞いて対応する職業だから、考え方や対処の仕方は参考になるし、尊敬できる部分もある。大人だし、包容力もあるし、憧れるところも・・・・・・」
「なんだ、パンツの相手は年上の女性か?そういうしっかりした人なら安心だな。それにしても・・・・・・」
瑛士のニヤニヤが気に障り、北斗がムッとした表情で、何だよと突っかる。
「クールビューティーが形無しだ。顔にべた惚れですって書いてある」
絶句した北斗が、急に両手で顔をこすったのを見て、瑛士が堪らず笑い出した。
ちょうど、水穂が来たことを知らせにきたチーフが、応接室に聞こえると注意したので、瑛士は笑いを収めたが、腹に据えかねた北斗は、丸めた図面で瑛士の頭をパカンと叩いてやった。
先日はアイディアのラフスケッチのみだったが、今回は立体にした映像を見せながらの説明だ。
全てを見終えた水穂は、北斗のアイディアを全て気に入って、嵐のような賞賛と感激を北斗に浴びせた。施工する期日を確認しあい、大喜びで帰っていく水穂を見送りながら、北斗の胸は大きな充実感に満たされていた。
トイレに行くふりをして廊下に出た北斗は、頓挫していたプランが、拓真のアドバイスのおかげでようやく施工段階に入ることの報告と、お礼を書いて拓真に送信する。しばらくして返事が返ってきた。
『難しい案件を投げずによく頑張ったと誇りに思う。スペインバルを見ても分かるが、北斗のアイディアは素晴らしいだけでなく、人を優しく包み込む空間を作る。今回のことも、俺がアドバイスしなくても、北斗はやり遂げただろう。全て北斗の実力だ』
読んでいる北斗の顔がくしゃっと歪んだ。
「ばっかじゃねぇの。カッコつけて。俺のおかげだって言っとけよ」
わざと乱暴な言葉を吐いてみても、胸がじんじんと熱くなるのは誤魔化せない。読み返したいのに、文字がにじんで読めず、北斗は悪態をついてオフィスに戻っていった。
それからは、がむしゃらに頑張って定時で仕事を終えると、北斗はお泊りセットの入ったバッグを手に取り、会社を出て地下鉄の駅に向かった。
地下鉄の車内に次に止まる駅名が流れ、その駅の周辺にある商業施設が紹介さる。何気なしに聞いたアナウンスの中に、成瀬美容整形外科クリニックの名前を聞き取った途端、北斗の心臓が嬉しさに跳びはねて、北斗は落ち着かなくなった。
今までこの区域の地下鉄は幾度となく利用している。その度に成瀬美容整形外科クリニックの名前は何度も聞いたはずなのに、気に留めることもないただの固有名詞として、耳をすり抜けていたようだ。
それなのに、拓真を知った今は、病院名を聞いただけで拓真のものだと感慨深くなる。
ホームに降りたら降りたで、地下鉄付近の看板に目を走らせ、まるで拓真自身を探すように、成瀬美容整形外科クリニックの文字を見つけようとしてしまう。
「何やってるんだか……」
苦笑も収まらないうちに、通り過ぎる看板に名前を見つけ、あった!と口元がほころんでしまうのだから、自分でもどうしようもない。
地下鉄の階段を軽く駆け上がって急くままに歩き、お目当ての建物を見つけた途端、今度は期待と不安が胸に広がった。
勢いでここまで来たけれど、自分は元々ゲイではない。拓真の期待に添えるだろうか?
門の前を行ったり来たりしていたら、防犯用のビデオに映る北斗の姿を認めたのか、拓真が迎えに出てきた。
「何してるんだ?美容整形外科の前でうろついていたら、注目されるぞ」
「うん、ちょっと考え事をしていたんだ」
「今更、怖気づいて帰るなんて言うなよ」
「い、言うかよ!中に入れてくれ。ここにいると目立つんだろ?」
拓真の探るような顔に笑顔が浮かび、ドアの前から身体をずらして北斗を迎え入れた。そのまま連れ立って二階へと上がっていく。
「さっき、母から電話がかかってきて大変だったんだ。Misawaのホームページから北斗のポーセレンドールが消えたことで、母が七星さんに理由を訊ねたそうだ。母の名をかたって俺が秘密で購入したことを七星さんが喋ってしまったから、どういうことだと電話で問い詰められて困ったよ」
拓真の口から母という言葉が出た途端、北斗は男同士の歪な関係を意識した。
拓真しか見えていなかった目の前に、急に常識やノーマルというネオンが瞬いて、背こうとする自分は暗闇に隠れていなければならないような気持ちになる。
「大丈夫だったか?俺と付き合っていることはバレなかった?」
「どうして言ってはいけないと思うんだ?家族に恋人を紹介して何が悪い?」
「だって、あん…拓真さんには地位や立場があるし、病院の跡取りを作るための結婚を期待されたりしないのか?男と付き合っているのがバレたらやばいんじゃないのか?」
「実家の病院は兄が継いでいるし、俺は家族にはカミングアウトをしているから問題はない。元々今夜一緒に過ごしてみて、北斗が本当に俺を受け入れて、一緒に過ごしていけるかどうかを見極めてから、家族に紹介するつもりだった」
そこまで真剣に思ってくれていたのかと、北斗は胸が震えるのを感じた。
疚しい気もちなんて持たなくていい。男だとか性別を気にすることなく、好きでいてもいい。
自分が前向きでいれば、受け止めてくれる人たちがいる。鼻の奥がツンとなり、北斗は目をしばたかせた。
拓真が北斗の頬に手を当てて上を向かせる。目が潤んでしまったのを見られたくなくて北斗が首を振って逃れようとすると、両手で頬を包まれ、拓真の指先が北斗の髪をかいくぐって、こめかみをやさしく撫でる。
緊張をほぐすような指の動きが気持ちよくて、北斗は思わず素直に頭を預けたくなった。
その反面、あたふたとするだけの自分と違い、現実をしっかり受け止めて大人の男の余裕を見せる拓真の態度が癪に障り、憎まれ口を叩きたくなる。
「じゃあ、もし今夜俺が拓真さんを拒否したら、俺とのことは無かったことにするつもりだったのかよ?」
「拒否するつもりだと、わざわざここまで言いに来たのか?」
額を合わせて目を覗きこまれると、もう何も言い返せなくなる。
ほんとうに意地が悪いと唇を尖らせて睨みつけたが、焦点も合わないほど顔を寄せていては何の威力もない。
「男を捨てるんだから、少しは足掻かせてくれたっていいだろ? だって、俺不安なんだ。抱かれたら俺が俺じゃなくなるかもしれない」
唇をかみながら拓真の首を抱き込むと、拓真があやすように北斗の背中を撫でた。
「俺は北斗に女のように振舞って欲しい訳じゃない。セックスした後を心配しているなら、体感は変わるかもしれないが、外見は何も変わらない。北斗は北斗のままだ。嫌なら無理には抱かないから心配しなくていい」
「えっ?いいの?」
顔を上げると、拓真にかぷっと鼻を噛まれた。
「先に腹ごしらえをしよう。俺は簡単な炒め物くらいしかできないから、出来あえの物しか用意していない。その代わり、いいワインを手に入れたから、北斗の仕事が上手く進んだことを祝おう」
ダイニングテーブルに連れていかれた北斗は、そこに揺らめくキャンドルの炎を発見して面映ゆくなった。
「うわっ。すごいバラの花!俺なんて女のために飾ったことが無いのに」
ダイニングとリビングに生けられたバラの本数はかなりのもので、これを自分のために花屋に注文したのかと思うと、嬉しさと恥ずかしさで顔がのぼせそうになる。
自分がやれば気障か、いきがっているようにしか見えないだろうに、拓真の恋人を喜ばせるためのさりげない演出に男の差を感じて、ほんの少し悔しい気もする。
同じ男なのにどうしてこうも違うかな?と拓真の顔をじっと見ていたら、拓真がワインを勧めてきた。
「緊張するなら沢山飲んで、この間みたいに素直に甘えればいい」
「…っ。俺は忘れたくない。酔って流されるのなんてまっぴらだ。早く食べてとっとと三階へ行くぞ」
「本当にお前は、こういう時に色気がない」
そういいながら、拓真が楽しそうに笑っているのを見て、北斗は少し気が楽になった。
食事は正直味が分からなかった。出来あえと言っても、拓真が用意したものなら、それなりに有名店のものなのだろうけれど、この後のことを考えると気もそぞろになる。
拓真が席を立って、手を差し伸べた時になってようやく、自分の皿が空になっていることに気が付いた。
ペシッと拓真の手を叩いて、立ち上がった北斗は、平気だぞと胸を逸らして歩きだす。リビングから三階へと続く階段へと向かうところで、腕を掴んで引き寄せられた。
「二階の風呂に入ろう。洗ってやる」
「やだよ。風呂くらい自分で入る。何で今日はそんなに構いたがりなんだ?最初なんていきなり襲ってきたくせに」
「仕切り直しだ。ソフトなのは嫌いか?」
「恥ずかしいって言ってるんだよ。俺はこれでも長男なんだから、いつも面倒みるほうなの!甘えろって言われてもどうしていいか分からないんだよ」
「だから、酔えばいいと言ったのに…‥」
うるさいと言おうとしたら、拓真に手をひかれてダイニングに戻り、そこから廊下に出て、右手の洗面所に押し込まれた。
PC画面と睨めっこをしていた北斗が、顔をあげて隣の席の瑛士に訊ねると、どれどれと呟きながら瑛士が椅子を滑らせて画面を覗き込んだ。
「いいじゃないか!収納型なんだろ?これ一つで部屋の雰囲気がうんと変わるな」
「うん。きっちりした様式を好む人と、モダンを好む人のどちらにも対応できる和式の部屋だ。水穂さんは顔が広いからね」
「冴えているな。本当に素晴らしいよ!今週に入ってから、北斗の様子が少しおかしかったから心配したけれど、もう完全復活だな」
瑛士が北斗の肩をポンと叩くと、北斗が曖昧な笑みを浮かべ、あのさ…と言いにくそうに続けた。
「個人的な質問なんだけれど、瑛士は彼女と泊まるとき、ボクサーパンツかトランクスのどっちを穿く?」
「はぁ~っ?どっちの下…痛っ」
下着といいかけた瑛士の足を、北斗が思い切り踏んで黙らせた。瑛士が靴を抜いで椅子に片足を上げ、大げさに手で擦っているが、顔は歪むどころか、にやにやしながら北斗にからかいの視線を向けてくる。
「今度は反対の足を踏んでやろうか?」
ムスッとしながら北斗が睨めば、悪かったと言いながら、にやつく口元はそのままで、ビキニはどうだ?と瑛士が答えたので、その脛を蹴っ飛ばしてやった。
「…っ。痛いな!冗談だってば。女受けするのはボクサーパンツじゃないか?でも、僕は解放感がないから好きじゃないんだよな」
「分かる。男にしか分からない悩みだよな。じゃあさ、もし俺のとこに泊まりに来るなら、瑛士はトランクスを穿くんだな?」
「男同士で泊まるのに、別に下着が何だって構わないだろ?いちいち考えないよ」
「だな?そうだな…あは…あはは……ふぅ」
「大丈夫か?着ているもの全てにチェックを入れて、金がかかっているかどうかで判断したり、自分の好みに従わせようとする女の誘いなら蹴っちまえよ。自分に合わないものを着続けることなんてできないんだからな」
「ん。ありがとう」
そうだよな。普通、男同士ならパンツなんてどっちでもいいはずなんだ。
俺アホみたいに、昨日お泊りの用意をする時に悩んだんだよ。
乙女じゃあるまいし、いい歳をした二十六歳の男が、パンツ一枚のことで悩むなんておかしいとは思うけれど、それでもさ、あの人に気に入られたいと思って、ベッドにパンツを並べたんだよ。
「ああ、俺って健気だな~」
「変な女にだけは本気になるなよ。北斗は外見だけ見ると、クールビューティーで近寄りがたいけれど、中身は人情に厚いから、だめだと分かっていても最後まで世話を焼きそうで心配だ」
「それ、間違ってない?俺、他人のことを面倒見られるほど器が大きくないし、優しくないよ」
「自分でそう思っているだけで、周りはちゃんとお前の優しさを分かっているよ。水穂さんのことだって、投げ出さずに面倒を見ているのは、お前ぐらいだからな」
「それは・・・・・・アドバイスをしてくれた人がいたから切り抜けられたんだ。じゃなかったら、俺もみんなと同じで匙を投げていたよ」
「前にもその人のことはちらりと聞いたな。同業者か?」
「違う。でも、人の悩みを聞いて対応する職業だから、考え方や対処の仕方は参考になるし、尊敬できる部分もある。大人だし、包容力もあるし、憧れるところも・・・・・・」
「なんだ、パンツの相手は年上の女性か?そういうしっかりした人なら安心だな。それにしても・・・・・・」
瑛士のニヤニヤが気に障り、北斗がムッとした表情で、何だよと突っかる。
「クールビューティーが形無しだ。顔にべた惚れですって書いてある」
絶句した北斗が、急に両手で顔をこすったのを見て、瑛士が堪らず笑い出した。
ちょうど、水穂が来たことを知らせにきたチーフが、応接室に聞こえると注意したので、瑛士は笑いを収めたが、腹に据えかねた北斗は、丸めた図面で瑛士の頭をパカンと叩いてやった。
先日はアイディアのラフスケッチのみだったが、今回は立体にした映像を見せながらの説明だ。
全てを見終えた水穂は、北斗のアイディアを全て気に入って、嵐のような賞賛と感激を北斗に浴びせた。施工する期日を確認しあい、大喜びで帰っていく水穂を見送りながら、北斗の胸は大きな充実感に満たされていた。
トイレに行くふりをして廊下に出た北斗は、頓挫していたプランが、拓真のアドバイスのおかげでようやく施工段階に入ることの報告と、お礼を書いて拓真に送信する。しばらくして返事が返ってきた。
『難しい案件を投げずによく頑張ったと誇りに思う。スペインバルを見ても分かるが、北斗のアイディアは素晴らしいだけでなく、人を優しく包み込む空間を作る。今回のことも、俺がアドバイスしなくても、北斗はやり遂げただろう。全て北斗の実力だ』
読んでいる北斗の顔がくしゃっと歪んだ。
「ばっかじゃねぇの。カッコつけて。俺のおかげだって言っとけよ」
わざと乱暴な言葉を吐いてみても、胸がじんじんと熱くなるのは誤魔化せない。読み返したいのに、文字がにじんで読めず、北斗は悪態をついてオフィスに戻っていった。
それからは、がむしゃらに頑張って定時で仕事を終えると、北斗はお泊りセットの入ったバッグを手に取り、会社を出て地下鉄の駅に向かった。
地下鉄の車内に次に止まる駅名が流れ、その駅の周辺にある商業施設が紹介さる。何気なしに聞いたアナウンスの中に、成瀬美容整形外科クリニックの名前を聞き取った途端、北斗の心臓が嬉しさに跳びはねて、北斗は落ち着かなくなった。
今までこの区域の地下鉄は幾度となく利用している。その度に成瀬美容整形外科クリニックの名前は何度も聞いたはずなのに、気に留めることもないただの固有名詞として、耳をすり抜けていたようだ。
それなのに、拓真を知った今は、病院名を聞いただけで拓真のものだと感慨深くなる。
ホームに降りたら降りたで、地下鉄付近の看板に目を走らせ、まるで拓真自身を探すように、成瀬美容整形外科クリニックの文字を見つけようとしてしまう。
「何やってるんだか……」
苦笑も収まらないうちに、通り過ぎる看板に名前を見つけ、あった!と口元がほころんでしまうのだから、自分でもどうしようもない。
地下鉄の階段を軽く駆け上がって急くままに歩き、お目当ての建物を見つけた途端、今度は期待と不安が胸に広がった。
勢いでここまで来たけれど、自分は元々ゲイではない。拓真の期待に添えるだろうか?
門の前を行ったり来たりしていたら、防犯用のビデオに映る北斗の姿を認めたのか、拓真が迎えに出てきた。
「何してるんだ?美容整形外科の前でうろついていたら、注目されるぞ」
「うん、ちょっと考え事をしていたんだ」
「今更、怖気づいて帰るなんて言うなよ」
「い、言うかよ!中に入れてくれ。ここにいると目立つんだろ?」
拓真の探るような顔に笑顔が浮かび、ドアの前から身体をずらして北斗を迎え入れた。そのまま連れ立って二階へと上がっていく。
「さっき、母から電話がかかってきて大変だったんだ。Misawaのホームページから北斗のポーセレンドールが消えたことで、母が七星さんに理由を訊ねたそうだ。母の名をかたって俺が秘密で購入したことを七星さんが喋ってしまったから、どういうことだと電話で問い詰められて困ったよ」
拓真の口から母という言葉が出た途端、北斗は男同士の歪な関係を意識した。
拓真しか見えていなかった目の前に、急に常識やノーマルというネオンが瞬いて、背こうとする自分は暗闇に隠れていなければならないような気持ちになる。
「大丈夫だったか?俺と付き合っていることはバレなかった?」
「どうして言ってはいけないと思うんだ?家族に恋人を紹介して何が悪い?」
「だって、あん…拓真さんには地位や立場があるし、病院の跡取りを作るための結婚を期待されたりしないのか?男と付き合っているのがバレたらやばいんじゃないのか?」
「実家の病院は兄が継いでいるし、俺は家族にはカミングアウトをしているから問題はない。元々今夜一緒に過ごしてみて、北斗が本当に俺を受け入れて、一緒に過ごしていけるかどうかを見極めてから、家族に紹介するつもりだった」
そこまで真剣に思ってくれていたのかと、北斗は胸が震えるのを感じた。
疚しい気もちなんて持たなくていい。男だとか性別を気にすることなく、好きでいてもいい。
自分が前向きでいれば、受け止めてくれる人たちがいる。鼻の奥がツンとなり、北斗は目をしばたかせた。
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緊張をほぐすような指の動きが気持ちよくて、北斗は思わず素直に頭を預けたくなった。
その反面、あたふたとするだけの自分と違い、現実をしっかり受け止めて大人の男の余裕を見せる拓真の態度が癪に障り、憎まれ口を叩きたくなる。
「じゃあ、もし今夜俺が拓真さんを拒否したら、俺とのことは無かったことにするつもりだったのかよ?」
「拒否するつもりだと、わざわざここまで言いに来たのか?」
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「男を捨てるんだから、少しは足掻かせてくれたっていいだろ? だって、俺不安なんだ。抱かれたら俺が俺じゃなくなるかもしれない」
唇をかみながら拓真の首を抱き込むと、拓真があやすように北斗の背中を撫でた。
「俺は北斗に女のように振舞って欲しい訳じゃない。セックスした後を心配しているなら、体感は変わるかもしれないが、外見は何も変わらない。北斗は北斗のままだ。嫌なら無理には抱かないから心配しなくていい」
「えっ?いいの?」
顔を上げると、拓真にかぷっと鼻を噛まれた。
「先に腹ごしらえをしよう。俺は簡単な炒め物くらいしかできないから、出来あえの物しか用意していない。その代わり、いいワインを手に入れたから、北斗の仕事が上手く進んだことを祝おう」
ダイニングテーブルに連れていかれた北斗は、そこに揺らめくキャンドルの炎を発見して面映ゆくなった。
「うわっ。すごいバラの花!俺なんて女のために飾ったことが無いのに」
ダイニングとリビングに生けられたバラの本数はかなりのもので、これを自分のために花屋に注文したのかと思うと、嬉しさと恥ずかしさで顔がのぼせそうになる。
自分がやれば気障か、いきがっているようにしか見えないだろうに、拓真の恋人を喜ばせるためのさりげない演出に男の差を感じて、ほんの少し悔しい気もする。
同じ男なのにどうしてこうも違うかな?と拓真の顔をじっと見ていたら、拓真がワインを勧めてきた。
「緊張するなら沢山飲んで、この間みたいに素直に甘えればいい」
「…っ。俺は忘れたくない。酔って流されるのなんてまっぴらだ。早く食べてとっとと三階へ行くぞ」
「本当にお前は、こういう時に色気がない」
そういいながら、拓真が楽しそうに笑っているのを見て、北斗は少し気が楽になった。
食事は正直味が分からなかった。出来あえと言っても、拓真が用意したものなら、それなりに有名店のものなのだろうけれど、この後のことを考えると気もそぞろになる。
拓真が席を立って、手を差し伸べた時になってようやく、自分の皿が空になっていることに気が付いた。
ペシッと拓真の手を叩いて、立ち上がった北斗は、平気だぞと胸を逸らして歩きだす。リビングから三階へと続く階段へと向かうところで、腕を掴んで引き寄せられた。
「二階の風呂に入ろう。洗ってやる」
「やだよ。風呂くらい自分で入る。何で今日はそんなに構いたがりなんだ?最初なんていきなり襲ってきたくせに」
「仕切り直しだ。ソフトなのは嫌いか?」
「恥ずかしいって言ってるんだよ。俺はこれでも長男なんだから、いつも面倒みるほうなの!甘えろって言われてもどうしていいか分からないんだよ」
「だから、酔えばいいと言ったのに…‥」
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