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大智の弟 1

揺らめくフレッシュグリーン

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 ドアからソファーの距離は近く、大智は背を向けていたため、気づくのが遅れた。
 大智が止める間もない早業で、中学生ぐらいの男の子が理花に向かって手を突き出す。薫子や司や真人があっと声をあげる中、肩に衝撃を受けた理花はソファーに倒れこんだ。

「慎吾なんてことをするんだ!理花ちゃんに謝りなさい」

 大智がソファーから立ち上がり、弟に向かって大声で叱ると、慎吾と呼ばれた少年は、びくりと身体を震わせ理花を見る。その表情がみるみるうちに驚きへと変わった。

「違っ……間違えました。ごめんなさい」

 慎吾が聞こえないくらいの小声で呟き、落ち着きをなくしたようにオロオロし始める。大智がみんなに断りを入れ、慎吾をリビング続きのサンルームへと連れていった。
 理花は座っていたとはいえ、いきなりソファーに弾き飛ばされて、ショックのあまり動けず、ガラスのドアの向こうで話している大智と慎吾をぼ~っと眺めた。

「理花大丈夫?怪我してない?」

 薫子が心配そうに、目の前の床に跪いて、ソファーに横たわったままの理花に話しかける。

「うん。ちょっとびっくりしただけ。心配してくれてありがとう」

「怪我がなくて良かった。あの子が大智君の弟かしら?いきなり突き飛ばすから驚いたわ。大智君は、弟より理花を気遣うべきなのに……ちょっと幻滅」

 薫子が文句を言いながら理花を抱き起した時、ガラス戸が開いて大智が一人で戻ってきた。

「理花ちゃん。大丈夫?弟の慎吾が乱暴してごめんね」

 大智が深く頭を下げる。理花は大丈夫だと言って、大智にソファーに座るように促した。

「あの……どうして私は突き飛ばされたの?誰かと間違われたみたいだけれど、聞いていい?」

「うん。慎吾は、俺が中学校時代に付き合った彼女と理花ちゃんを、間違えたみたいなんだ。慎吾は俺にべったりだから、彼女を連れて来た時も一緒にいようとしたのだけど、それが彼女の気に障って、俺のいないときに慎吾に何かを言ったらしい。それで、彼女が来ると邪魔するようになって…」

 みんなが状況を察して、ああ、といっせいに頷いた。
 理花がサンルームの方に目をやると、ガーデンチェアにしょんぼりと座る慎吾が見える。理花はクラスメートから中傷を受けた時に、大智が語った慎吾の状態を思い出して切なくなった。

「何を言われたのかは話さなかったの?邪魔したくなるほど酷いことを言われたのかな?」

「分からない。理花ちゃんを放っておいてあいつを向こうに連れて行ったのは、パニックを起こしかけていたからなんだ。あいつの障害はすごく軽いから、話して聞かせれば収まるし、専門病院で訓練を受けていたから、社会生活も可能だけれど……迷惑かけてごめんな」

 薫子が自分の早とちりに、申し訳なさそうに目を伏せる。でも、症状を知らなかったのだから、仕方がないと思う反面、自分たちが障害者のことを知らなさ過ぎて、知らず知らずのうちに相手や家族を傷つけているのかもしれないと思った。

「慎吾君と話してきても大丈夫かな?私と大智君の撮影は、もう終わっちゃったし、一人だけここで見ていても邪魔だと思うから」

「いいけれど、その……もしかしたら、今は期待しているような会話にならないかもしれない」

「うん。大丈夫。私も普段からあまり上手くしゃべれる方じゃないから。でも、このまま帰ったら、慎吾君は私を見るたびに、嫌な思いをするでしょ?だから、何でもないよって態度で示してくる」

「ありがとう。理花ちゃん。本当に……ありがとう」

 感極まったようにお礼をいう大智に頷いて、理花はサンルームへと歩いていった。
 ドアを開けると、慎吾が反射的に振り返った。入って来たのが兄でないと分かった途端、助けを求めるように椅子から身を逸らして、理花の背後を覗き込もうとする。

「こんにちは、慎吾君。文句を言いに来たんじゃないから安心して。大智君との撮影が終わったから、暇になっちゃったの。私とお話ししてくれるかな?」

 眉をしかめて警戒しながら理花の話を聞いていた慎吾が、パチパチ瞬きをしてから、撮影?と聞き返した。理花が頷くと、身体を捻ってリビングの様子を窺い納得したようだ。

「座ってもいい?」

 慎吾とは無理に距離を詰めず、入り口のガラス扉の前に立っていた理花が改めて尋ねると、慎吾は自分に近いガーデンチェアを進めた。
 12畳ほどあるリビングに続くサンルームは、6畳ほどの部屋になっていて、東に大きな窓、南は天井近くから床までの大きな掃き出し窓があり、床はテラコッタ色のタイルが敷き詰められ、白いガーデンテーブルとチェアーが置いてある。
 余分な家具もないことから想像すると、手入れの良い庭を背景にして、お茶を飲みながら家族団らんを楽しむ部屋のようだ。

 慎吾は緊張しているのか、理花とは目を合わせず、まるで彫刻にでもなったように、庭の方に顔を向けている。
その目鼻立ちに大智の面影を見た理花は、いきなり突き飛ばされたにも関わらず、慎吾が紛れもなく大智の弟だということを再確認して、親近感が湧いてきた。

「ねぇ、慎吾君。大智君はね、慎吾君のために、本当はカメラマンをやりたかったんだって。慎吾君が大智君に映画を撮って欲しいって頼んだからって言ってたよ」

 ぴくりと慎吾が反応して、ぎくしゃくしながら理花を見る。

「大智君は良いお兄ちゃんだね」

 心からの笑顔を向けると、慎吾が口を開いた。

「はい。そう思います。兄はとても良い人です」

「だよね。さっきは、映画の中の恋人役を演じていたの。私は大智君の元彼女で、もうこの世にいないんだって。思い出のシーンを撮っていたの」

「……時々、映画のセリフを兄と練習するのですが、兄の演技はあまりよくありません。さっきの兄は、本当の恋人に接するように優しくしていました」

 その途端、理花の頭に、大智と元彼女だったという見知らぬ女の子が仲良くソファーに並んで、おしゃべりしている姿が浮かんで、むしゃくしゃした気持ちになった。
 さっき大智がじゃれるように理花に身体をぶつけたけれど、その女の子にもそうしたのだろうかと想像して、演技にしか過ぎない自分たちのじゃれあいに気落ちする。こういうのを嫉妬っていうのだろうか?と考えた時に、慎吾の暴挙もひょっとしたら、大切な兄を大智の彼女にとられてしまうという嫉妬心から起こしたのかもしれないと思った。

「慎吾君は、お肉好き?」

「?……あなたの思考回路は良く分かりませんが、僕は肉が好きです」

「私も、自分でズレてるなと思うんだよね。でも、お肉が好きなのは同じだね。じゃあ、デザートは?男の子ってあまり甘いものは好きじゃないかな?」

 慎吾は狐につままれたようにぽかんとしたが、聞かれたことに答えなければいけないと思ったのか、何とか言葉を紡いだ。

「男の子と言われても、僕はもう15歳なので子供ではありません。男性が全て甘い物が嫌いというのは間違った見解だと思います。僕は甘いものは好きです」

「そうなの?良かった!私もケーキとか果物大好き。デザートって不思議じゃない?沢山お肉を食べて、他のおかずも食べた後でも、不思議と食べられるでしょ?」

「ええ。食べられますね。それは兄の話と関係があるのでしょうか?僕は説明してもらわないと、分からない時があるんです」

「あのね。もし、大智君に彼女ができて、大智君の心が彼女で一杯になっちゃうのを心配しているのだったら、それは間違った…見解?だと思う。この場合は肉親の慎吾君がお肉の役割で、彼女がデザートなんだけど、あっ、そっちの意味のデザートじゃないよ。要は彼女ができても、別腹ってこと。大智君の心は彼女だけで満腹になったりしないから、お兄ちゃんをとられちゃうって心配しなくて大丈夫って意味」

 理花が話すのを聞いている間、慎吾は僕が肉?とか、そっちの意味のデザート?とか、難しい顔をしながら、ぶつぶつ繰り返していたけれど、別腹という単語を聞いて腑に落ちたようだ。眉間の皺が取れてすっきりした顔になった。
 これで、薫子が大智にべったりとくっついているシーンを撮ったとしても、慎吾の気持ちを害することはないだろう。
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