『魔法使いと植物図鑑― The Mage and Magic arts Tree book ―』

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第1章 Departure for the Fantastic World

第19話 魔法が万能だったなら、それは〝奇跡〟と呼ばれているだろう。(2)

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 アーケード街を抜けた先、ゴブリン街南区三番通路のずっと向こうに目指す薬屋はあった。
 この区画は地底湖に面していて、区画全体の湿度が高い。そのせいなのか、この場所でも数少ない森がある区画になっている。

 森は地上では見たことが無いくらい太く高く育っている。なんでも、マナをため込むことで大きく成長できる種類の木らしく、この場所にしか生えない珍しい品種なんだとか。

 あちこちにコブのように膨らんだ部分があって、内側は空洞になっている。この種は、中に動物たちを住まわせることでその糞尿を養分にしている、いわゆる共存型という種だ。大きいものでは普通の家なんかよりも何倍も大きくコブが成長する。中はかなり快適で、よく妖精たちが住処にしているのだ。わたしたちが目指した薬屋も、このコブの中に店を作っている。

 だがしかし、快適なのは室内だけで決して外観がいいというわけでもない。妖精や動物たちが住処にするんだから、そもそもの話、人間が暮らしやすいように生えているわけでもないのだ。目の前に見える薬屋がいい例だと思う。

 端的に言えば、目の前のこれはボロ屋だ。
 ツタが木を覆っている。それにはトゲが生えていて、意志があるかのように不自然に、まるでピアノを弾くみたいに縦横無尽にしなっている。もしくは何かを探しているのか。近くを大きなコガネムシが飛ぶ。唐突にツタが伸びて、蛇のようにコガネムシを絡めとった……なるほど、あのツタは肉食らしい。

 ツタだけじゃない。ヒカリゴケのようなものが階段を緑色に染め上げているし、ところどころに膨らんだ袋を持つキノコが生えている。ハルによると、あれは毒を吹き出すから踏んではいけないのだとか。

 長々と描写してしまったが、つまり、簡単に言うとこうだ。
 これ、本当に人住んでるの?

「本当に、ここ薬屋なの?」

「まあね。…………見た目はアレだけど」

 見た目については、ハルにも思うところがあるみたいだ。
 行こう、と言ってハルは階段を上り始める。途端にツタが伸びてきてわたしたちを捕えんとする。しかしそれも、ハルが腕を払うと階段を避けるように離れていく。ハルの後に続いて、キノコを踏まないように気を付けながら一段ずつ上っていく。

 階段はほんの十数段で、すぐに扉の前にたどり着く。
 ベキッという湿ったような破砕音が足元から聞こえる。

 《おいでませ! マンスリーのキノコ薬局》

 というボロボロの看板が足元に転がっていた。ハルの言う通り、ここは薬屋らしい。看板によれば、開店時間は午後九時から午前三時まで。ちなみに今は午後一時だ。

 錆びきったドアノブにハルが手を伸ばす。
 すると――、

「おごっ!?」

 ドン! 冗談抜きでそんな音がした。

 ノブがひとりでに回り、外に向かって開いたドアが勢いよくハルの額に直撃した。

「お、おぉぉぉぉ……っ」

「ちょ、大丈夫っ? すっごい音したけど」

「星がぁ、星がみえるぅ……」

「ああもう、とりあえず離れて離れて」

 ぐらぐらと頭を揺らすハル。目はうつろで焦点が定まっていない。肩を抱いて扉の前から離脱、横に逸れて壁に寄りかからせる。どうやら予想通り痛かったようで、固くつむった目には涙が浮かんでいる。抑えた部分は真っ赤になっていて――……これはコブができるんじゃないだろうか。見ているだけでも痛い。記憶が飛んだりしていないければいいけど。

 半開きのドアの向こうには、誰もいなかった。薄暗い室内の一角が見えるだけだ。向こうで影がゆらゆら揺れている。ひとつは小さく、もうひとつは大柄な身体だ。

 なるほど、おおかた、子供がドアを勢いよく開けてハルにぶつけてしまったんだろう。それで怖くなって奥に帰っていってしまったと……、何とタイミングが悪い。全く、ハルにとって今日は災難な日だ。

 何となく立てていたその予想は、すぐに当たりだと判った。なぜなら、ゆらゆらと揺れる影と共にドタバタと いう足音が近づいてきたからだ。

 だけど同時に、予想外のことも起こった。

「申し訳ない! 娘がご迷惑を――」

 現れたのは、予想通り大柄な男だった。年齢は多分四十歳前後。白髪が混ざった茶髪にかなりの筋肉質で、十歳くらいの少女を小脇に抱えている。

 と、

「あっ! はるにーちゃん!」

 男性の言葉を遮り、抱えられた少女がぱぁ! っとひまわりのような笑顔を浮かべた。その声にハルも顔を上げる。そして、さっきとは別の理由で目を白黒させる。

「ミシェル!? ガードナーさん!?」

 まさかまさか。
 出てきたのは、ハルの知り合いだった。



 ◇◆

「ほら、ミシェル。もう一度きちんと謝りなさい」

 そう言って背中を押された少女は、気の毒なくらい落ち込んでいるのがまるわかりだった。
 ソフィより少し幼いくらいの年頃で、短い茶髪にくりくりの瞳。ぎゅっとスカートの端を握りしめている様子がとっても愛らしい。例えるならリスだ。

「ごめんなさい……」

「いいよ。怒ってなんかないから。ほら、おいで」

「わあぁぁい!」

 どうやらいつものことらしい。ハルの声は穏やかで、仕方ないなぁとでも言いたげに苦笑をうかべていた。

 男性に叱られしょぼんとした様子で謝っていた少女が、その言葉で〝ぱぁ!〟という擬音語が似合いそうな満面の笑みを浮かべてハルに抱き着く。キャメル色に近い茶髪が揺れる。抱きしめられたハルの胸の中に顔をうずめてぐもった声で笑っている。

 その様子は、わたしから見れば少し歳の離れた兄妹そのものだった。なんだろう、見ているこっちが幸せな気分になる。

「彼の父親とは古い仲でね。家族ぐるみの付き合いをしているんだよ。ミシェルが小さい時から彼が面倒を見てくれてね、すっかり懐いてしまったみたいだ」

 いつの間にかわたしの隣に立っていたのは、さっきまでミシェルのそばにいた男性だ。

「オルブライトさん……でよかったかな?」

「リーナで構いません。呼びづらいでしょうから」

「そうか。ではリーナ君、キミも驚かせてしまってすまないね」

「いいえ。わたしは別に何もないですから。むしろこういうのを見るのが好きなんです」

「ははは。君はやさしい子だ。ハルが連れているのも納得できる」

 そう言って優し気に微笑むのは、シリウス・ガードナー。いまハルとはしゃいでいるミシェルの父親だ。店に入った時にしてくれた自己紹介によると、昔は魔法技術を開発する魔法技術開発本部というところにいて、今は出向しイギリスと魔法世界の人の行き来を管理する出入国在留管理局の局長らしい。定期的に、向こうの世界の学校でも教鞭をとっていると教えてくれた。

 彼もまた、ハルと同じ魔法使いだ。

「…………」

「……………………」

 しばらく、どちらが喋るわけでもなくはしゃぐハルとミシェルを眺める。やっぱり、ふたりは本当の兄妹にしか見えなくて、自然と口元が緩んでしまう。教会で子守をしていた時と同じ気持ちだ。やっぱり、わたしはこんな光景を見ているのが好きみたいだ。

 一分だろうか、二分だろうか。
 唐突に、

「君は、見習いなんだね」

 ハルとミシェルに目を向けたまま、穏やかな声でガードナー氏が話しかけてきた。

 見習いとはその言葉の通り、魔法使いの見習いだ。魔法使いに庇護してもらう代わりに、助手となって魔法の研究や仕事を手伝う。そして、見習いはその過程で師匠である魔法使いの技術を学んでいく。言ってみれば「魔法使いの弟子」ということだ。

「……はい」

 肯定する。妖精の国に入る前にハルから言われていたことだ。軍に所属しているわたしの身分がバレるとマズい。だから制度上、そういうこととなる。ハルから言われたその設定で突き通す。完全に嘘というわけもない。だけどわたしに好意的に接してくれている人にそう言うのは、それでもやっぱり心が痛んだ。

「こっちの世界の人間が見習いになるのは珍しい。君がいいのなら、成り行きを訊いても?」

「実は、森に入っていたら妖精に捕まってしまって……昨日のことです」

「そうか、それは災難だったね。彼の判断は正しい。君をひとりにしておくと、どんなに気を付けていてもきっと君はまた同じ目に合う」

「どうして、そう思うんです?」

「匂いさ。君は、妖精たちがとても好む匂いをしている。エクトホルモンと言った方がいいかな」

 とっさに、襟の前を掴んでしまう。わたしとしては別に変な臭いを感じるわけじゃない。だけど指摘されるということは、その臭いがしているということだ。

 ――もしかして……臭い?

「心配しなくていい。臭くはないさ。わたしにもにおいは分からない。君の周りにいる微精霊たちの反応をみて言っただけだよ」

 そう言われて、とりあえずほっと息をついた。

「ハルからは聞いていないのかい?」

「ええ」

「まぁ昨日の今日だからな、そういうこともあるか。それでは、わたしが少しだけでしゃばってみよう。何か訊きたいことは無いかい?」

 そう提案した顔は、少し楽しそうだった。教育者の性なのだろうかと、そんな益の無いことを考える。

「えっと、それじゃあ、」

 だけど、わたしにとってはすごくありがたい。ハルのこと、魔法のことを知るためには願ってもないことだ。だから素直に厚意に甘えて、気になっていた疑問をいくつか訊ねてみる。

「魔法って何ですか? どうしてあなたたち魔法使いは、わたしたち一般人から神秘を隠すんですか?」

「いい質問だ。ふたつとも世界の核心を突く」

 少しだけ目を丸く開き、彼は嬉しそうに破顔した。

「簡単に言うなら、魔法は〝この世界の理そのもの〟だ。物は下に落ちる、燃えているものは熱い、それらはすべて君も知っている科学で説明が着く。だけどそれらは、世界が決めた理のたった一面を見ているに過ぎない。それよりももっとたくさんの法則が下に埋まっている」

「氷山、みたいなものですか?」

「ふむ、言いえて妙だね。その例えが一番解りやすいかもしれない」

 そう発した言葉は、少し弾んでいた。
 腰のベルトから、差し棒のようなものを取り出した。それは、あの森でハルが使っていたものとよく似ている。
「魔法の杖だよ」そう教えてくれた。

「君の例えを借りるなら、魔法とは、氷山の隠れた場所を使っているれっきとした技術だ。まるで自由自在のように見せることもできるが、それらはすべてマナという大気中の粒子の力を使って法則に則ったもの。つまり、魔法と科学はエネルギー源が違うだけで根底は同じものなんだよ」

 握られた杖の先が、ペンのように宙に青い光の筋を残す。描かれたのは、角ばった石のような絵と、丸い輪っか、その輪の中に散らばる細かい光る粒子だ。
 その二つを上下に並べ、〝=〟で繋ぐ。多分角ばった方が石炭で、細かい粒子がマナだ。その二つを結んだということは……。

「さて、ここで二つ目の質問に答えよう。なぜ我々が君たちから神秘を隠匿しているのか。それは、魔法が君たちにも使えてしまう技術だからだ」

 わたしの予想は、ガードナー氏の口から肯定された。

「もちろん、わたしたちのように直接は使えない。だが機械を使って間接的に魔法を行使することなら君たちにもできる。魔法の存在が明るみに出れば、きっと君たちはその術を探るだろう」

「でも、それは仕方のないことなのではないですか? そうやって進化をしてきたのが、わたしたち人間です」

「そうとも。そしてそれはわたしたちも同じ。もちろん、技術の発展そのものを疎ましく思っているわけじゃない」

「それじゃあ、どうして……」

「君たちが魔法を使えば、君たち自身が滅んでしまうからだ」

 言葉に迷いは感じられなかった。
 1+1=2のように、自明の理であるというように、何の感情も遠慮もためらいもなかった。

「魔法は確かに便利だ。科学では未だ達成できないことでも、魔法を使えば解決できることが山ほどある。その気になれば、君たちは時代を百年先に進めることも可能だろう。だけどそんな力が、何のリスクもないなんて甘い話はない。わたしたちの世界で基礎とされている理論がある。それが、リバウンド理論だ」

「…………」

「わたしたちの使う魔法は、マナという粒子を使うことで世界の法則に干渉し、独立するはずの法則をつなぎ合わせることで発動させている。自然を歪ませているわけなのだから、当然その歪みは必ずどこかに現れる――それがリバウンド理論だ。君たちのように大規模な発展をすすめれば、どれだけの歪みが現れるかはわたしたちにも予測不可能。そんな危なっかしい人たちに魔法の存在を気づかせるわけには行かない」

 その言葉にも、一切の迷いはなかった。
 さっきの言葉と違ったのは、言葉に確固とした意志が込められていたこと。

「もちろん、身の丈に合った発展を遂げれば影響は少ない。だがこの世界の人間がそんなことを考えないのは歴史が証明している。君も、何か心当たりくらいあるだろう?」

「……はい」

 否定はできなかった。十分すぎるほど心当たりがあったから。

 工場ができたことで発生し始めたスモッグ。そのスモッグが空に昇って生まれた雲からは、酸の雨が降り注いだ。酸性雨のせいで枯れた森林。残った森林でさえ、輸出のために切り倒されて数が減っている。

 そしてそのどれにも、わたしたちは何の対策すらしていない。このままではいけないということは解っているのに、誰もそんなことを言う人はいない。

 多分それは、わたしたちの生活が便利になった理由がそれだからだ。やめてしまえば、自分たちの快適な生活が壊れてしまうから、見て見ぬふりをしているだけなんだ。

 考えてみる。もしも、と、思考してみる。
 もしそんなわたしたちに、使い方を間違えれば大変なことになる魔法の力が手渡されたら。わたしたちは手に負えない力を使ってさらに発展をしていくだろう。そしていつか……。

 彼の言う通り、わたしたちは自分で自分を亡ぼすことになるのかもしれない。

 と、その時。
 わたしたちの会話を遮るように、

「あら、はじめてみるお嬢さんですね」

 奥の扉が開く。奥から女性が姿を現した。

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