『魔法使いと植物図鑑― The Mage and Magic arts Tree book ―』

文字の大きさ
上 下
6 / 61
第1章 Departure for the Fantastic World

第6話 リーナの日記『あなたに会えてよかった』

しおりを挟む

『1910年 8月10日』

 今日、ワイト島に着いた。大佐はしらばっくれていたけど、絶対これは左遷だと思う。確かにわたしが扱い辛いと言われれば否定できないけれど、これはないと思う。
 そもそもな話、もう子供のことなんか見つけなくてもいいと言わんばかりの人員派遣だ。それにだって腹が立った。真面目に探したいのに、わたしひとりじゃ本当に資料の整理と監視くらいしかできない。

 でも、まさか到着したその日に仕事につけるなんて思ってなかった。てっきり初日は宿を探すのに手間取るとばかり思っていたのに、そんな心配は杞憂に終わってしまった。

 理由は簡単。船から降りると、わたしの家の馬車がなぜか待っていたから。以上。
 
 そう言えば前に、義父様がこの島にも管理しているカントリー・ハウスがあるとか話していたような気がする。たしか、仲が良かった貴族の経営が傾いたから代わりに管理しているとかなんとか……全く関係ないことだったからすっかり忘れていた。

 多分、大佐が連絡を入れてくれていたんだと思う。何というか、大佐の思惑が大体読めてしまったような気がする。普段針の筵だから、気分転換にでも――とか、きっとそんなところなんじゃないだろうか。あと、やっぱり警察の人たちからは嫌な目で見られた。

 それから、行方不明になっていた人の人数が増えていた。

 増えていたのは三人で、最初に行方不明となった少年と同じ十三歳の少年たちだ。消えたのは、事件が起こってから二日後。遊びに行くと言ったっきり、帰ってこなくなったようだ。事件が起こったのが4日だから、いなくなったのは私がここへの派遣を命じられたちょうどその日になる。

 そしてもう一つ、〝迷い霧の森〟という場所が気にかかる。
 このカントリー・ハウスと事件が起きたイーストツリーのちょうど中間くらいに広がっている広い森だ。町に行くときにも遠くからだがその森が目に入った。

 名前の由来は、その名の通りたまにかかる深い霧からとられている。いつもは普通の森なのだが、不定期に森に謎の霧がかかるらしい。発生理由も何もかもが不明。それでも、一度霧がでると一週間から十日ほど霧は消えない。森全体というわけではないが、霧がかかる範囲だけでも相当な広さがある。

 どう考えてもこの場所が怪しい。まるで遊んでくれとでも言わんばかりの森だ。子供たち(特に男の子)の好奇心がくすぐられるはずだということは私にも解った。
 にもかかわらず、その森はまだ捜索がされていない。
 理由は一つしかない。まだ、霧がかかっているからだ。

 これは町の人たちに訊いた話だが、その森の霧は私が思っている以上に厄介なものらしい。霧がかかると、どんなに森を熟知した人たちでも迷ってしまうのだと教えてくれた。それは目印をしていても同様で、いつの間にか目印があるはずの場所に別の木があったなんて話が延々と語り継がれている。ここに住む人たちはみんな、それを子供のころから教えられてきたのだという。

 だから、みんなその森には捜索に行かない。霧が晴れるのを待ってから捜索を開始しようと思っているんだ。
 怪しいと解っているのに、そこを探すことができないのがもどかしい。
 何とかして、迷わずに探すことができないだろうか……。

 いけない。ただの愚痴になってしまってる。あとで見ても面白くないからやめないと。ごめん、未来のわたし。

 嬉しかったことと言えば、わたしが案内された屋敷にアネットがいた。歳は今年で五十になったみたいで、ここの屋敷のハウスキーパーをしていると話してくれた。それに、夜にアッサムミルクティーとヴィクトリアスポンジケーキを持ってきてくれた。慣れない生活にストレスが溜まっていたあの時に、私の側付き使用人だったマーガレットと三人でお茶を飲んでいたことを覚えてくれていたらしい。とってもおいしかった。

 あと、アネットがやっと話してくれた。わたしが軍に入るといった時に引き止めなかったのは、「止められなかったから」らしい。わたしの眼がだんだん死んだようになっていることに気が付いていたみたいだ。やっぱりアネットはすごい。全部お見通しだった。

 もちろん、わたしには釣り合わない生活だとか、そんなひねくれた意味なんかじゃない。毎日が退屈だったという意味でもない。

 オルブライト家では、わたしは人間ではなかった。

 この家に拾われて、上流階級としてのふるまいも教わった。わたしが育ってきた環境を加味してなんだろう、まず真っ先に叩き込まれたのは人としてのモラルだった。避けるべきこと、やってはいけないこと、法と道徳と倫理――それを破ればどうなるのかを徹底的に教えられた。

 わたしにとって、それは呪詛だった。
 悪気はなかったのだと知っている。そんなつもりで言っているのではないということも解っていた。だけど、どうしてもそうはとらえられなかった。

 お前のやったことは許されることではない。
 それは禁忌だ。
 人がやることじゃない。
 お前は、人間じゃない。

 そう言われ続けているように感じてしかたなかった。
 かびたパンを食べて、お風呂に入れない日なんかざらにあって、何かしらの罪を犯さないと生きていけない……そんなヒトたちは、上流階級の中で人間とは思われていなかった。

 だから、必死で仮面をかぶった。「わたし」を押し殺し、「オルブライト家の令嬢」としてふるまった。だってそうしないと、わたしは人として見てもらえないから。こんなに幸せになったのに、次の瞬間には人以下に叩き落されるのが怖くてたまらなかったから。

 一度気にしてしまったら、もう駄目だった。
 授業を受けていても、食事をしていても、誰かと話していても、椅子に座っているときも、寝ているときでさえも考えてしまう。
 この人たちは、わたしのことを人間とは思っていないかもしれない。

 真実は解らない。

 もしかしたら違うかもしれないし、違っていてほしいと心から願っている。だけど、口でいくら否定されようと「言葉」を信じることができなくなっていた。
 心が強かったらどれだけよかっただろう。他人の思っていることなんかどうでもいいと、この暮らしができるだけでもありがたいと割り切れたらどれだけよかっただろう。

 でもわたしは、そこまで強くはなかったから。
 存在を全否定されているかもって考えながら平然と気にしないでいられるほど、わたしは図太くはなれなかったから。

 わたしの考えは、身勝手で恩知らずだ。以前の私の生活を続けている人たちがこの想いを聞けば、顔に唾を吐きかけるだろう。助けてもらえたくせに、その身分だって自分の物じゃないくせに、捨てるならくれ、そう言われると思う。わたしだって絶対にそう言う。

 身勝手だ。傲慢だ。恥知らずで恩知らずだった。だけど譲れなかった。このままいけばどうなってしまうのか、本能が悟ってしまっていたから。よりにもよって軍隊に志願したのは、心の自己防衛機能が働いたんだと思う。

 このままここにいたら、わたしはわたしじゃなくなる。
 なにより、どんなことより、それが一番怖かった。

 この家にいること自体が苦痛で、わたしの過去を知られて失望されるのが怖くて、わたしが拾われた世界にはわたしの居場所が無いんだって落ち込んでいたことも、アネットにはお見通しみたいだった。

 ――それが、リーナ様のお望みなら――

 その時言われた言葉だ。
 アネットは、まるでわたしがそう言うのを解っていたかのようにそう言ってくれた。

 それでどれだけ心が軽くなったことか。
 義父様、義母様に相談するための勇気がもらえたことか。

 やっぱり、アネットはすごい人だ。
 わたしよりも物知りで、思慮深くて、人の細かな変化に気が付ける。その人の気持ちを察してあげられる。

 それでいて、使用人のトップとして恥ずかしくないようにふるまう。他に厳しい以上に、自分を律して使用人としての役割を果たしてくれている。彼女が冷静さを欠いた場面を、わたしは一度も見たことが無い。

 だから、あれは気のせいなんだと思う。

「あなたに出会えてよかった」

 あの時言えなかったお礼をやっと言えた時、
 彼女の目が潤んで見えたのはきっと気のせいだ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後悔はなんだった?

木嶋うめ香
恋愛
目が覚めたら私は、妙な懐かしさを感じる部屋にいた。 「お嬢様、目を覚まされたのですねっ!」 怠い体を起こそうとしたのに力が上手く入らない。 何とか顔を動かそうとした瞬間、大きな声が部屋に響いた。 お嬢様? 私がそう呼ばれていたのは、遥か昔の筈。 結婚前、スフィール侯爵令嬢と呼ばれていた頃だ。 私はスフィール侯爵の長女として生まれ、亡くなった兄の代わりに婿をとりスフィール侯爵夫人となった。 その筈なのにどうしてあなたは私をお嬢様と呼ぶの? 疑問に感じながら、声の主を見ればそれは記憶よりもだいぶ若い侍女だった。 主人公三歳から始まりますので、恋愛話になるまで少し時間があります。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

処理中です...