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第二章 世界樹と咎人
第2章ー8 『ご・め・ん』と、ありがとう 1
しおりを挟む――……ここは?
気が付けば、俺は不思議な場所にいた。
どこまでも続く、果てのない世界。クラリとするほど真っ青な空が、上にも、下にも一面に広がっている。陸と空の境界が溶け込み混ざり合った、不思議な世界。その果ての無さは、底のない海の闇を見た時と同じ恐怖を俺に突きつける。だけど、不思議と冷静でいられた。
一歩前へと踏み出し、ここがどういうところなのかようやく理解する。足元に広がっているのは確かに底のない空。それでも、足の裏には確かに地面の感触がある。
きめ細かな砂のようなものが足元にはあり、その上から薄く水が張っている。軽く足を動かせば、足下そっかの空はいとも簡単に歪んでしまう。この空は本物じゃない。そうだ、ここは例えるのなら――、
「……塩湖?」
ウユニ塩湖……正確にはウユニ塩原。かつては美しい塩の大地として知られ、今ではその下に埋まるリチウムの採掘によってその姿を無残なものに変えられてしまった大地だ。しかしなぜ俺はこんなところにいるのだろう。場所が解ったところで、それが解らなければどうしようもない。
まるであの時みたいだ――そんな感覚を抱きながら、直近の記憶を掘り起こしてみる。
日中は、ミレーナから課せられた依頼の山を雨宮たちと三人でこなしていたはずだ。その後、後藤の店で少しだけ話をし、それからしばらくしてレグ大尉に食事へと誘われていた。
しかし、それ以降の記憶がない。どっと疲れて寝てしまったのだろうか。だとしたら、ここは夢の中だろうか。それにしては、色彩がはっきりしているし身体も思うように動く。普通の夢のように、身体が言うことを聞かないとかそういったことが無い。
そして、俺を困惑させているものがもう一つ。
――……鏡?
すぐ真正面に立てかけられた、姿見だ。
俺の全身が映るほどの、そこそこきちんとした鏡。よく見ると、これにも見覚えがある。そうだ、これは現実世界の俺の部屋にあったものと同じだ。高校になって一人暮らしを始めるからと、父さんたちが買ってくれた「独り暮らし応援何とか」に入っていたもの。
それだけがここにあった。
それだけしか、この世界にはなかった。
――何なんだよ……ここ。
いよいよ訳が分からなくなり、ぼうっと姿見に映る自分の姿を眺めてみる。もちろん映るのは、真っ青な空とそれを移す鏡のような地面。そして、目の前にいる自分自――、
『よう。元気そうだな』
「⁉」
自分自身、そのはずだった。
笑った。鏡の中の俺が。
腕を上げた。そんなこと、鏡の前の俺はしていないのに。
「お前、誰だよ」
『解ってるだろ? オレは、お前だよ』
解って当然という態度で、オレは俺を置いてきぼりにし話を進める。だが、俺にとっては全く理解不能の状況なのだ。できることといえば、ただひたすらに困惑するだけ。解らないという意思表示をすればいいと気が付いたのは、数秒後だ。
「いや……知らない」
『あー、そっか。覚えてないのか』
返答を聞くや否や、めんどくさそうに鏡の向こう側で頭を掻く。その仕草も、口調も、自覚している限りでは俺と全く同じ。向こうのオレの言うように、もう一人の俺がいるという認識が一番近かった。
だとしたら、どうして俺はふたりいるのだろう。
一番簡単なのは、夢だからで片付けることだ。というよりも、それが一番可能性が高いだけだが。あと考えられるのは、俺のクローン。または精神に侵入している悪魔とかそのあたりだろうか。可能性は低そうだが。
「ここは、どこなんだ?」
『ん? ああ。ここはお前の精神世界だよ。別の世界とかじゃない』
「じゃあ、何で俺はここに?」
『んー……、多分、相当無茶したからじゃないか? 心当たりとかは?』
「あ……、あの時の薬」
『多分それだな』
すぐに思い当たったのは、迷宮内で使ったあの薬。結局、使えるということしか解っておらず大博打を打つに近いものだった。オレも頷いていることからして、どうやらそれを使った時の後遺症にこれは入るらしい。
あの薬は、確か扱えるオドのリミッターを瞬間的に外すものだ。ということは、それを使ったことでこの世界に入る回路が開いてしまったということだろうか。
「もう一つ質問。どうして出てきたんだ? 俺と入れ替わろうとか考えてる?」
『まさかっ。そんなわけないだろ』
ケタケタと、オレが愉快そうに笑う。腹を押さえ、うっすらと涙を張り、声を押さえることもなく。その表情からは、敵意や悪意といった類の感情は読み取れない。
それどころか、その笑顔は少し悲しそうにすら見えた。
『ただ、謝りたかったんだ』
「?」
どういう意味を指しているのか、解らなかった。
「それは、一体どういう……、」
『お前が――――――』
そこからさきは、聞き取れなかった。
なぜなら、世界から音が消えたから。
鏡の向こうで。オレは俺に向かって何かを言っている。しかし、何を言っているのかが全く分からない。
理解できないということじゃない。ただ聞こえない。音が空気を震わせる感覚が唐突に消えたのだ。先ほどまで鼓膜を震わせていた振動が消え、風が肌を撫でる感覚だけが残る。
「ちょっ、なんて? 聞こえない」
そのとき、
ぐにゃりと、世界が歪んだ。
まるで、色粘土を混ぜるかのように景色がつぶれ、引き延ばされ、境界線があいまいになっていく。陸と空の青が混ざり、溶け合い、色が消えていく。
白い空間に、鏡と俺たち二人だけが残った。
「―――――っ⁉」
どうなってっ⁉ そう言ったつもりだった。だが、自分の声すらも耳には届かなかった。喉を震わせている感覚はあるのに、音は聞こえない。喉は揺れているのに、それを伝える媒体が無い。
ズブリと、身体が地面にのめり込んだ。
『時間切れ』この四文字が脳裏に浮かぶ。そうか、ここは俺の精神世界。ということは、夢から覚めるのと同じで時間制限が存在するのか――本能的に、そう理解していた。それ故に、抵抗はしなかった。
世界が、崩れていく。
目の前の鏡だけが、はっきりと形を保っている。
その向こう側で、オレが何かを言っていた。
『ご・め・ん』
そう言っているように感じた。
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