異世界幻想曲《ファンタジア》

文字の大きさ
上 下
59 / 124
アルトレイラル(迷宮攻略篇)

ヴィンセント・コボルバルド 3

しおりを挟む
 始めの合図とともに、羊皮紙を裏返す。そこに書かれているのは、大気中のマナ濃度・気温・湿度・風向き・日光量・発動する魔術、その他諸々。その情報を瞬時に脳へと叩き込み、発動する魔術を構築する。

 脳内空間に、計算式が光の線で描かれる。コンマ数秒で完成させ、その中に与えられた情報を埋め込む。計算式がカラクリのように機能し、紙面上に魔術を構築していく。

 属性、効果、威力、射程範囲、発動時間――高速演算で、最適解をはじき出す。導き出した答えを記述して、即座に端末のストップウォッチを止める。

 かかった時間は、十秒。記述時間を除けば、約五秒。
 及第点だ。

「――――ふぅぅぅぅぅううう……」

 緊張が途切れ、身体が急に重くなる。目がチカチカし、脳が異様な熱を持っているように感じる。とうぜん、そんなことはあり得ない。ただの錯覚だ。そう錯覚してしまうくらい、頭をフル回転させたのだ。

 横に置かれた水差しから水を注ぎ、一思いに飲み干す。冷たい水が喉を伝って流れ込み、身体を内側から冷やす。心なしか、体温が少しだけ下がったような気がする。

 言い訳にはならないことは知っている。だが、並行思考はやはり堪える。

 戦闘時には、仲間の位置や敵の動きなども考慮しなければならない。それとは別の思考回路を用いて、この演算をやらなくてはならないのだ。こんなに頭を酷使する作業を、いままで経験したことがない。

 物覚えが良い頭で助かった。瞬間記憶――自分でもチートだと思う――それができなければ、修行は確実に詰みだった。

 通しで二時間。計百二十枚の演算記録をまとめ、採点に移る。一応答えは準備したが、見る必要はない。切羽詰まっていなければ間違えることなんてない。

 カリカリと、羊皮紙の上を赤線が走る。円弧を描き、ときに鋭角に跳ね、羊皮紙に赤い模様を作っていく。たっぷり二十分後、赤線の乱舞は終わる。

 八問不正解。

 それも、初歩的な計算ミスだ。値を入れ間違えたものがほとんど。明らかに結果が違うのは、使う計算式そのものを間違えたからか……いまやっと、魔術ミスの理由が判った。

 今まで魔術ミスをしてきた状況は、どれも時間的な余裕がなく、とっさの判断をするしかない場合のみ。思考には余裕がなく、心が凪いでいることなど一度もなかった。

 魔術師の基本だ。そんな状況では、魔術は感情に引っ張られる。
 普段は行う検算はできない。計算結果が狂っていれば、それを鵜呑みにして魔術は発動し、相乗効果で何倍もの威力になる。感覚的な側面が強くなってしまった時にありがちな制御ミスだ。

 それを防ぐには、平常心を保つか、ないしは、その場で計算する必要もないほどに演算をパターン化するかの二つだ。感覚任せは怖すぎる。

「……まだまだだなぁー」

 そう独り言ちる。達成感なんてない。こんなことは、できて当たり前なのだから。

 師であるミレーナも、ルナも、これを当たり前に使いこなしている。魔導士・魔術師を名乗る者として……いや、魔術を行使する者として最低限のスキルだ。制御が完璧にならなければ、戦闘では使えない。いざという時、仲間に誤射をしてしまう間抜けになる。

 もっと、特別な力でもあるものかと思っていた。

 漫画や小説なら、力のある者がこの世界に誘われるという流れが鉄則だ。それなら、自分にもそんな力があるのではないかと、そう考えていた。

 こちらの世界で考えれば規格外の力を秘めていて、少し修行をすれば何倍も強くなる。こちらの住人では太刀打ちできないような怪物だって、その力でねじ伏せる。英雄視され、そのうち元の世界に帰る。

 現実は、そんなに甘くなかった。

 魔術の修行は、ことごとく躓く。模擬戦では、樹を殺しかける。もし、実践になったとしたら、いまの状態ではいざという時に限って晴香は使い物にならない。これで上手くいっているというのなら、魔術なんか願い下げだ。

 落胆が、焦燥感が、積もり続けているのが自身でも解った。今のままでは足手まといだということも、樹には迷惑しか掛けられないということも分かっていた。

 もしかしたらこれは、嫉妬なのだろうか。
 初歩魔術すら使えない樹が戦うのを見て心がもやもやとするのは、妬みなのだろうか。

 自分はこんなに頑張っているのに、まったく前に進まない。それなのに、魔術が使えない樹がどんどん先へと進んでいく。頑張れば頑張るほど、その差は開いていくように感じてならない。自分には何が足りないのか。どうして、使えない樹が先なのか。

 魔術が使えないという、デメリットの塊なのに。

 ――性格悪いなあ……。

 チクリと、心に針が刺さる。
 ため息をつく。どうしようもなく、自分が嫌になる。失敗を棚に上げて、順調に進んでいる樹を疎んでいる心があることに気が付き、もやもやはさらに大きくなる。想い人にこんな感情を抱いていたことが、何より面白くなかった。

 はっきりわかった。これは嫉妬だ。
 自分ができることができないにもかかわらず、ずっと先へと進んでいる樹に対する、汚い嫉妬だ。それは、晴香が最も嫌う感情のひとつ。互いに不和しか生むことのないと、経験で解っているからだ。

 このままこうしていても、その感情は消えないだろう。押し殺すことはできるかもしれないが、そんなことをしていても解決にはならない。いつか、爆発してしまう。

 もっと、頑張らなきゃ。

 樹が驚くくらい、一緒に肩を並べて、戦えるくらい強くならなくては。願わくば、ひとりでも守れるくらいに。

 そうなりたいなら、嫉妬なんかしている時間はない。

 その時間は無駄だ。何の生産性もない。そんなことを考えるくらいなら、すこしでも修行をしなくては。魔術を自由に使えるように、訓練を重ねないと。

 頑張らないと。

 もっと、頑張らないと。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

番だからと攫っておいて、番だと認めないと言われても。

七辻ゆゆ
ファンタジー
特に同情できないので、ルナは手段を選ばず帰国をめざすことにした。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

妹に出ていけと言われたので守護霊を全員引き連れて出ていきます

兎屋亀吉
恋愛
ヨナーク伯爵家の令嬢アリシアは幼い頃に顔に大怪我を負ってから、霊を視認し使役する能力を身に着けていた。顔の傷によって政略結婚の駒としては使えなくなってしまったアリシアは当然のように冷遇されたが、アリシアを守る守護霊の力によって生活はどんどん豊かになっていった。しかしそんなある日、アリシアの父アビゲイルが亡くなる。次に伯爵家当主となったのはアリシアの妹ミーシャのところに婿入りしていたケインという男。ミーシャとケインはアリシアのことを邪魔に思っており、アリシアは着の身着のままの状態で伯爵家から放り出されてしまう。そこからヨナーク伯爵家の没落が始まった。

【完結】魔術師なのはヒミツで薬師になりました

すみ 小桜(sumitan)
ファンタジー
 ティモシーは、魔術師の少年だった。人には知られてはいけないヒミツを隠し、薬師(くすし)の国と名高いエクランド国で薬師になる試験を受けるも、それは年に一度の王宮専属薬師になる試験だった。本当は普通の試験でよかったのだが、見事に合格を果たす。見た目が美少女のティモシーは、トラブルに合うもまだ平穏な方だった。魔術師の組織の影がちらつき、彼は次第に大きな運命に飲み込まれていく……。

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

処理中です...