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九話目 蔦草の四阿 ※

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 庭園の木陰の小さな円柱型の四阿は、屋根を支える柱に巻き付いたジャスミンの蔦ですっかり覆われていた。花の時期にはまだ早い。小さな白い蕾が幾つも付いている。
 四阿には、庭園を散策する者が足を休められるようにと、柱の間を繋ぐ円形の柵に沿って石造りのベンチが拵えられていた。イルディスはララファの手を引きたどり着くと、ふい、と顔を背けてそのベンチに腰掛けた。先ほどの水路の方を向いたまま早口で告げる。
 「……そのようなはしたない格好では出歩けまい。み、みっ……見るに堪えん!せめてその、服を……絞るとか!乾かすとか!何とか!私は後ろを向いて見張っているゆえ、その柱の陰で衣服を整えるのだ」
 「ぁ、はい……」
 言われて初めてララファは自分のあられもない格好に気づいた。まろみのある肩から下半身までべったりと濡れて張り付き、透けた布地はまるで艶かしい下着姿のようだ。長い銀色の毛先から垂れ落ちた水が胸の谷間に溜まっている。普段は風をはらんで涼しい襞のたっぷりある裾も、べたべたと足に絡みついて気持ち悪いことこの上ない。
 確かにこの姿では、長い回廊を歩いて部屋まで戻るのは恥ずかしい。とはいえ、見るに堪えないとはあんまりでは?と先程の言葉が引っ掛かる。
 そして、濡れた薄衣を躊躇いなく脱ぎ捨てた。

 「大神官さま……!」
 「もう、良いのか、ァ、っっ!?…………何故脱いだ!?」
 四阿のベンチに腰掛けたまま後ろを振り向いたイルディスは仰天した。空気の足りない魚みたいにアワアワしてしまう。
 すぐ目の前に、裸同然の格好でララファが立っていた。胸元と秘所を隠す白いレースの下着以外、その蜂蜜色の肌を覆うものは何もない。
 「一度は脱がねば絞れませんわ」
 ララファはさも当然とばかりに胸を張って答えた。思った以上のイルディスの慌てっぷりに、胸がすく。少しだけ、意地悪な気持ちになってしまう。
 「それに、見るに堪えないとの仰せでしたので」
 「……な、なに?」
 またそんな思ってもない事を口走っていたというのか。イルディスは動揺を隠せない。
 「いいから!いいから早く、服を……」
 そう言いながらも、その美しい肢体から目が離せなかった。

 年相応に華奢な肩や腕には不釣り合いな豊かな乳房。なだらかな曲線を描く引き締まった腰つきから、すらりと真っすぐに伸びた足。足先の小指の爪さえも、水晶のかけらのように美しい。その現実感の無さに、思わずぼんやりと見惚れてしまう。
 「イルディスさま……?」
 伺うように名を呼ばれ、暁色の瞳に見つめられてハッとする。耳も顔ものぼせたように火照る。蒼褪めた白い肌に朱がさしていく。
 イルディスの視線が体の上をゆっくりと彷徨うのが、ララファにも分かった。その様子に、ララファは思わず胸がときめいた。初心で不器用で、嗚呼、なんてお可愛らしいひと!

 「イルディスさま。あなたさまこそ、ずぶ濡れでいらっしゃる!幾ら夏とはいえ……脱がねばお風邪を召しますわ」
 「……よい、私のことは気にするでない。寧ろ暑いくらいだ!それより、きみが、っ!服を着ろ、着てくれ……一刻も早く!誰かに見られたらどうするのだ!?」
 「そんなことより、大神官さまのお体の方が大事ですもの。お任せあれ!わたくしが、脱がせて差し上げます!」
 「…………そんなことでは……え?」
 食い気味に言葉を遮られた。とんでもないことを言われているのではないか?とイルディスは混乱する。これは現実か?と自問自答した。
 
 この時期にどこで咲いているというのか、もう散ってしまった筈の薔薇の香りがするような気がしていた。銀の髪が鼻先に触れるほどに近づいて、その香りの正体にやっと気づいた。濃く、匂い立つような薔薇の香りは、艶やかな琥珀色の首筋に塗りこめられた香油の香りだ。

 「大神官さま……イルディスさま……」
  華やかな薔薇の香りと共に耳元で甘く名前を呼ばれると、イルディスは魔法にかけられたかのように思考が乱れる。惑乱の極みに陥って、伸びて来る手を拒めない。
 ララファは腰掛けたイルディスに跪くように身を寄せると、首元を覆う詰襟のボタンを外していく。一つ一つ堪能するかのように丁寧に、そのたびに小さな冷たい指先が喉をくすぐる。
 拒否するべきか、それともいっそ何でもないことのように鷹揚と構えているべきなのか、どう振る舞うのが正解なのかも分からないまま、身動き出来ずに身を任せる。寛げた首筋にするりと指先が触れて、思わずイルディスの喉が鳴った。
 ララファは、イルディスの肩から垂れ落ちた布地と共に、黒に近い藍染めの長衣の胸元をすっかり寛げてしまう。夏とはいえしっかりと着込んだ神官服に隠された骨張った胸板は、太陽を知らぬかのように白かった。
 そっと、その薄い胸板に手のひらで触れる。雪を欺く真っ白な肌とは対照的な、琥珀色の自分の手。
 イルディスは王国領で最も北方の、トバルチェリの出身だと聞いたことがある。南の果ての砂漠の生まれである自分とは、肌の色さえもこんなにも違う。ララファはそのことに感慨を覚えた。

 寛げた衣服の下の鎖骨から胸の中心へ、確かめるようにするすると触れていく細い指先の擽ったさに、ぴくり、とイルディスの肩が跳ねる。
 「……待て、巫女殿!?何をして……」
 「……このようにゆっくりと、あなたさまのお体を拝見するのは初めてで……ぁっ……」
 不意に、さも嬉しげにララファの声が弾む。
 「ふふっ……こんなところにも、ほくろがふたつ」
 イルディスの胸の突起のすぐ下辺りに、小さな褐色のほくろが並んで二つ。つん、つん、と整えた爪先で、軽くつつく。
 その戯れるような仕草に、イルディスはカッと全身に熱を帯びるのが分かった。顔が、体が、茹だるように熱い。薄い胸が大きく膨らんで、忙しげに息を吐き出した。羞恥に目が眩む。流石にやめさせようとララファの手首を掴んだ。
 「ッッ!?何故そんな、はしたない真似を……や、やめなさい……!」
 「いいえ、いいえ!」
 ふるふると首を振った。掴まれた手に指先を滑らせ、絡めて、ぎゅっと繋ぎ返す。
 「わたくしは、あなたさまのことなら……なんでも知りたいのですもの」

 それぞれの指に指を絡めれば、捕らえられたのは一体どちらだったか。ベンチに腰掛けたままの脚の間に膝を割り入れ、乗り上げるように身を寄せて、ジャスミンの蔦草が絡まる柱へとイルディスを押し付ける。
 「知りたい?な、なんでも、とは?巫女殿っ、一体何を考えているのだ!?」
 思わず逃れようと反る真っ白い首筋に、ララファはちゅぅ、と口付けた。痩せた首筋から鎖骨へ、れろ、と舌を這わせる。鎖骨から、荒く上下する胸の上へ、ちゅ、ちゅ、と殊更音を立てて口付けで辿る。その度に白い肌は熱を帯びて淡く色付く。
 「ん……言葉通りですわ。たれにも知られぬ、体中のほくろの数だって……」
 左胸の二つのほくろ。その場所を、ぢゅ、と一際強く吸って、薄紅の花弁のような鬱血の痕を刻む。
 「ぅぁ……っ……」
 「何処がお好きか、どうされるのが快いのかも、全部」
 かぷ、と胸の突起に歯を立てる。
 「……ひ、ぅッ……!」
 感じたことのない甘い痺れに、思わずイルディスの声が跳ねる。体から力が抜けていく。目が眩みそうな羞恥と共に、ふつふつと体の奥で湧き上がる堪え難い熱を感じた。

 「わたくしに……ララファに教えてくださいませ?」


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