上 下
20 / 29

第十九夜 王妃デルカシュル

しおりを挟む
 案内役の侍女を下がらせると、部屋の中には王妃とハティーシャの二人きり。他に人の気配はない。
 ただ、部屋の隅で王妃の飼っている白い長毛の猫が寝そべっているだけだった。

 王妃デルカシュルはその猛禽に似た鋭い鳶色の瞳で跪くハティーシャをねめつける。刺し貫くような冷えた視線にハティーシャは身を固くした。

 だが、こうして小さくなっている為にわざわざここまで足を運んだのではない。

「王妃様……恐れながら申し上げます。……国王陛下にお会い出来ると聞いて参ったのですが、国王陛下はどちらに……?」

 妃の答えはにべもない。

「陛下は御多忙ゆえ、お会いにはなりません」
「……っ……お願いです、王妃様。今日はお別れの挨拶に参ったのです。私はこの王宮を出ます。きっともう、お会いすることもないでしょう……ですからせめて最後に一目、国王陛下にお会いしたいのです」

 絨毯の上に額ずいて懇願するハティーシャを、妃は嘲笑うかのように目を細めた。

「……そう言って陛下のご同情を引き、王女の勅許を得ようという魂胆なのであろう」
「滅相もない! 私は本当に、ただ……」
「言い訳など聞きたくもない。あの女の娘らしい浅ましさよ」
「……母を、ご存じなのですか」

 ハティーシャは震える声で問いかけた。
 身籠った母を王宮から追い出したのは、この王妃であるという。そう、噂には聞いてはいたが、母から直接聞いた訳ではない。母は王宮での暮らしについて多くを語らなかった。ただ、思い出の曲だと言ってウードを弾き歌ってくれただけ。だからこそ、真偽のほどすらハティーシャには定かではない。

「あの女は、わたくしの元へ陛下がお渡りになる夜には決まって庭先でウードを奏で歌を歌い、誘惑するような恥知らずよ。……お前とそっくりの、あの、声で……」

 妃はその屈辱を思い出したのか、忌々しげに唇を歪めた。手にした象牙の扇がミシミシと悲鳴のような音を立てる。
 
「それに……お前、この国を出て一体何処へ行くつもりです? 大方、あの女と同じように……シャムザの王子を誑かし、身を寄せるつもりなのでしょう?」
「ち、違います! 私が、王子殿下を誑かしただなんて……」

ハティーシャは咄嗟に顔を上げ、否定した。

「では何故、王子が『正式に王女の勅許を』と願い出るのだ? お前がそそのかしたに違いあるまい! 既に王子はすっかりそのつもりであろう。これは、正式に王女と認められれば、お前を連れて国へと戻り、妻に迎えたいという内々の打診に違いあるまい」

 ハティーシャは雷で撃たれたような衝撃を受けた。

 確かに鷹狩りのあの日。王子から、共にシャムザ神聖王国へ行こうと、その為にも勅許を得られるように口添えをしよう、と申し出を受けたのは事実だ。だが、はいともいいえとも言う前に、鷹の鉤爪によってその話は立ち消えになったと思っていた。

「……い、いいえ、いいえ! 私は……本当にそんなつもりは……!
「お前、この期に及んでまだ善良そうなフリをしているのか? 白々しいこと!」
「王妃様、本当です。私は最早、王女の勅許など欲しておりません。王子殿下のご厚意を利用するつもりも断じてありません。ただ、本当に、国王陛下に一目お会い出来さえすれば、黙って王宮を去るつもりだったのです! どうか、信じてください……」

 ハティーシャの釈明に、王妃は鼻から耳を貸すつもりなどなかったのだろう。

「つくづく腹立たしい! 賢しらな娘よ。それも全て、お前のはかりごとのうちか? こうなれば、最早お前を黙って外へなどやれるものか。我が国が、大国シャムザの王子直々の進言を、無碍になど出来まい!」

──バチッ!

 再び絨毯の上に平伏するハティーシャの肩に、象牙の扇が投げつけられた。ハティーシャは痛みを堪えてその場にひれ伏したまま、微動だにしなかった。

「……ッッ……」
「だが、シャムザの王子に偽物の王女を差し上げたとなれば、一大事。大神殿で婚姻を誓うというのに、出自を謀うは万死に値する大罪ぞ………これは、お前一人の問題ではない。我が国にも累が及ぶこと」

 王妃は不意に、笑みにも似た吐息を零す。

「ゆえに、お前に最後の機会をやろう。本物の王女かどうか、証して見せよ」

 ハティーシャは恐る恐る顔を上げた。

「そ、それは……一体、どのような………」
「後宮の中庭から、尖塔を見たであろう」
 
 中庭に入ってすぐ、目についたあの美しい尖塔。ハティーシャは小さく頷いた。

「あの塔で一昼夜を過ごし、魔神ジンの名を得るのだ」
「……魔神の、名を?」
「あの塔は、”魔神の尖塔”と呼ばれておる。遥か昔、この国を興した王が魔神と契約して建てたと言われる塔だ。以来、この国の王家の血を引く者の前にのみ、かの尖塔の魔神は現れるという」

 王家を守護する尖塔の魔神。
 そんな話は、ハティーシャには勿論初耳であった。

 魔神とは、人智を超えた力を行使する魔術の支配者。
 『願いを叶える力』を持ち、自らの契約者には莫大な富や名誉、望み通りの栄華をもたらすとさえ言われている。
 砂漠の真ん中に、まるで奇跡のように忽然と現れた、恵み豊かな大オアシスの都。この小さな国が魔神の契約者の願いによって興ったというのは、あり得ぬ話ではなかった。

「真実、王家の血を引く王女であるなら、お前の前にも魔神は現れるはず。魔神が現れた証拠として、皆の前で魔神の名を明かすがよい」
「そんな……魔神だなんてっ、無理です! 第一、私には……魔神を呼び出す魔力もありませんし、魔神などこれまで見たこともありません」
「では、国王陛下の娘であると言ったのは、嘘だと認めるのだな?」
「……嘘では、ありません」
「どちらにせよ、お前に選ぶ道は二つに一つしかない。王女だと名乗ったのは嘘だと認めて大人しく罰を受けるか、それとも魔神の名を明かして王家の血の証明とするか。……良いか、逃げられると思うでないぞ。もしもお前が逃げ出したなら、お前の代わりにあの狼の首を刎ねてくれよう
「……ダリルは、……ダリルは、関係ありません!」

 震えながら顔を歪ませるハティーシャの様子に、王妃はさも愉快そうに笑みを深めた。

「国王陛下や我が国のみならず、シャムザの王子殿下をも欺いた罪は重い。証しすることが出来ぬのなら、二度と嘘偽りを述べられぬよう、お前の舌を切り落としてくれる。そうすれば、あの二度とあの忌々しい歌を歌うことも出来まい。だが感謝するが良い……命だけは、助けてやろう」

 太陽は、既に傾いていた。

「期限は明日の日没。それまで精々、尖塔で魔神に祈るが良い。落とし子のハティーシャよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下から逃げようとしたら、もふもふ誘拐罪で逮捕されて軟禁されました!!

屋月 トム伽
恋愛
ルティナス王国の王太子殿下ヴォルフラム・ルティナス王子。銀髪に、王族には珍しい緋色の瞳を持つ彼は、容姿端麗、魔法も使える誰もが結婚したいと思える殿下。 そのヴォルフラム殿下の婚約者は、聖女と決まっていた。そして、聖女であったセリア・ブランディア伯爵令嬢が、婚約者と決められた。 それなのに、数ヶ月前から、セリアの聖女の力が不安定になっていった。そして、妹のルチアに聖女の力が顕現し始めた。 その頃から、ヴォルフラム殿下がルチアに近づき始めた。そんなある日、セリアはルチアにバルコニーから突き落とされた。 突き落とされて目覚めた時には、セリアの身体に小さな狼がいた。毛並みの良さから、逃走資金に銀色の毛を売ろうと考えていると、ヴォルフラム殿下に見つかってしまい、もふもふ誘拐罪で捕まってしまった。 その時から、ヴォルフラム殿下の離宮に軟禁されて、もふもふ誘拐罪の償いとして、聖獣様のお世話をすることになるが……。

帝国最強(最凶)の(ヤンデレ)魔導師は私の父さまです

波月玲音
恋愛
私はディアナ・アウローラ・グンダハール。オストマルク帝国の北方を守るバーベンベルク辺境伯家の末っ子です。 母さまは女辺境伯、父さまは帝国魔導師団長。三人の兄がいて、愛情いっぱいに伸び伸び育ってるんだけど。その愛情が、ちょっと問題な人たちがいてね、、、。 いや、うれしいんだけどね、重いなんて言ってないよ。母さまだって頑張ってるんだから、私だって頑張る、、、?愛情って頑張って受けるものだっけ? これは愛する父親がヤンデレ最凶魔導師と知ってしまった娘が、(はた迷惑な)溺愛を受けながら、それでも頑張って勉強したり恋愛したりするお話、の予定。 ヤンデレの解釈がこれで合ってるのか疑問ですが、、、。R15は保険です。 本人が主役を張る前に、大人たちが動き出してしまいましたが、一部の兄も暴走気味ですが、主役はあくまでディー、の予定です。ただ、アルとエレオノーレにも色々言いたいことがあるようなので、ひと段落ごとに、番外編を入れたいと思ってます。 7月29日、章名を『本編に関係ありません』、で投稿した番外編ですが、多少関係してくるかも、と思い、番外編に変更しました。紛らわしくて申し訳ありません。

異世界で狼に捕まりました。〜シングルマザーになったけど、子供たちが可愛いので幸せです〜

雪成
恋愛
そういえば、昔から男運が悪かった。 モラハラ彼氏から精神的に痛めつけられて、ちょっとだけ現実逃避したかっただけなんだ。現実逃避……のはずなのに、気付けばそこは獣人ありのファンタジーな異世界。 よくわからないけどモラハラ男からの解放万歳!むしろ戻るもんかと新たな世界で生き直すことを決めた私は、美形の狼獣人と恋に落ちた。 ーーなのに、信じていた相手の男が消えた‼︎ 身元も仕事も全部嘘⁉︎ しかもちょっと待って、私、彼の子を妊娠したかもしれない……。 まさか異世界転移した先で、また男で痛い目を見るとは思わなかった。 ※不快に思う描写があるかもしれませんので、閲覧は自己責任でお願いします。 ※『小説家になろう』にも掲載しています。

見捨てられたのは私

梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。 ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。 ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。 何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

婚約破棄目当てで行きずりの人と一晩過ごしたら、何故か隣で婚約者が眠ってた……

木野ダック
恋愛
メティシアは婚約者ーー第二王子・ユリウスの女たらし振りに頭を悩ませていた。舞踏会では自分を差し置いて他の令嬢とばかり踊っているし、彼の隣に女性がいなかったことがない。メティシアが話し掛けようとしたって、ユリウスは平等にとメティシアを後回しにするのである。メティシアは暫くの間、耐えていた。例え、他の男と関わるなと理不尽な言い付けをされたとしても我慢をしていた。けれど、ユリウスが楽しそうに踊り狂う中飛ばしてきたウインクにより、メティシアの堪忍袋の緒が切れた。もう無理!そうだ、婚約破棄しよう!とはいえ相手は王族だ。そう簡単には婚約破棄できまい。ならばーー貞操を捨ててやろう!そんなわけで、メティシアはユリウスとの婚約破棄目当てに仮面舞踏会へ、行きずりの相手と一晩を共にするのであった。けど、あれ?なんで貴方が隣にいるの⁉︎

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

処理中です...