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第三章 【誓】
フラッシュバック
しおりを挟む攻めの事はまるで考えていないかの様なブッケンの守り。カットで凌いで凌いで相手のミスをただひたすらに待つ。
対する水沢夏も不用意に前に出る事はしない。
相手が大技を出す、その一瞬の隙を突く機会を虎視眈々と待っている。水沢夏に言わせれば、だだそれだけで勝てる相手なのだから──
そして長い長いラリーを制したのは水沢夏。ブッケンのコートで跳ねたボールはエッジにぶつかり、思わぬ形で追加点を奪った。
【4-8】
──今の……取れたのに……もう一回、集中! もう少し、もう少しの筈なんだ──
失点してもブッケンの集中力は途切れない。今を耐えることにより、その先の未来を掴み取る、その時まで──
【5-8】
満身創痍のブッケンが、フラついても縺れても、立て直し踏ん張り執念でもぎ取った一点。そしてこの最高のタイミングで待ちに待ったその時がやって来る。
ブッケンの得点が決まったと同時に、審判が一旦試合を止めたのだ。
そして審判はお互いを制し、二人にこう告げた──
「時間が過ぎましたので、これより【促進ルール】を採用します。サービス水沢選手で始めます」
その言葉を聞いた水沢夏は、全く頭に無かったのか一瞬硬直状態になった。それに反し、ブッケンはやっと来たかとばかりに顎の下の汗を手の甲で拭い、長い前髪の奥から鋭く前を見据えた。
「促進ルールって……」
「卓球のルールの中に、試合を円滑に進めるために促進ルールというものがあるんだよ。ざっくり説明すると──
一セットの時間が10分を超えた所から採用される。
そしてその後のセットは全て促進ルールが用いられる。
サーブは一球交代になる。
一回のラリーは13球まで。つまり、サービス側の13球目をレシーブできれば、レシーバー側の得点となる」
「それってつまり……」
「レシーバー側は守るだけで得点出来て、逆にサービス側は攻めなきゃ失点するって事だね。正に、今の二人の均衡をひっくり返すにはもってこいのルールだね」
「そんな事を狙ってたのか……ブッケン……頑張って」
促進ルールに入ってからの最初のサーブは水沢夏。彼女にとっては、攻め切らなければならないターンである。
今まで相手の得意球を狙い撃ちして流れを掴んできたが、ここに来て立場が逆転する事になってしまった。
──まさか、これを狙ってたんすか? 嫌でも攻めざるを得ないって訳っすか……けど、私は攻めが苦手なんて、一言も言ってないっすよ──
鋭いサーブ。
それに対しカットでうまく返したブッケン。カットで7球返せば得点になる状況──
──甘いっすよ、粒高ラバーは攻めても一級品の代物っす!──
水沢夏のスマッシュが相手コートを襲う。ラケットを反転させた、球速差のある遅いスマッシュだ。
──ボールが思った以上に来てないッ、でも──、我慢するのは得意なんだ。これだけは……負けちゃダメ──
タイミングを外されながらも打ちに行ったブッケンのラケットは、我慢強くボールを呼び込み、見事にラケットにミートさせた。そしてカウンターとなったボールはクロス方向に飛び、相手コートを突き刺した。
【6-8】
続くブッケンのサーブ。13球ラリーが続く前に得点をしなければならない状況──
深い伸びのある前進回転のサーブでカットを狙う水沢夏を遠ざけた。
そして帰ってきたボールに飛び出てうまくフリックで合わせる3球目攻撃──
【7-8】
──3球目っすか!? こいつ……なんて度胸してんすか──
3球目に来る事は水沢夏にとっては大誤算。相手がミスする可能性を踏まえれば、攻撃してくるのは少なくとも7球目以降、そう考えていたからだ。
駆け引きの選択肢が増え、餌を撒いて待っているだけでは居られなくなった水沢夏。ここからは自力も含めた総力戦が余儀なくされる。
続く水沢夏のサーブが13球粘られた末にブッケンの得点となると、いよいよ潮目が変わってきたと言っても過言ではない。
会場内の雰囲気がガラリと変わるのを肌で感じる程に、二人の関係性がひっくり返った。
──努力、忍耐、我慢。才能なんて全然無い私だからこそ、これで負けたらダメ。相手より先に根をあげたら、私には何も残らない──
攻めを余儀なくされた水沢夏の攻撃に、必死で食らいついていくブッケン。守り切れば自ずと得点が付いてくる事は、精神的にも圧倒的にプラスである。
そしていつしか二人の得点は逆転し、迎えたマッチポイント──
【11-10】
水沢夏からのサーブで始まる展開ゆえ、13球目を守り切ればブッケンの勝利が決まる大事な場面。
二人の意地がぶつかり、両者一歩も譲らない。
2球目、4球目、6球目──
落ち着いて丁寧に返した。
8球目、10球目、12球目──
バランスを崩しながらも必死に手を伸ばした。
そして14球目のレシーブ。
最後の勝負を挑んだ水沢夏の、相手の逆を突く強烈なスマッシュ──
──これさえ取れば、5セット目に望みを繋げられる! 絶対取らなきゃ……絶対────っ!?──
────────ッ
ブッケンの努力の証として流れ落ちた汗がいつしか足元に溜まり、思わぬタイミングで足を滑らせてしまった。
その時ブッケンの頭の中であの日の事がフラッシュバックする。
小学生最後の試合で最後の打球。
未だに頭に残る、その光景。
あの時と同じだ──
体が仰け反る。
反応が遅れ、次なる一歩にも力が入らない。
ボールは伸ばした手よりも遙か遠くに飛んできている──
──ダメ……ダメだよ……これは取らなきゃダメなんだ。あの日から今日までの時間は、今、この一球を取るためにやって来たんだ。たったこの一球のために!──
大きく滑らせた左足でなんとか踏ん張り、崩れる体ごとボール目掛けて左足を蹴り上げた。
それでも距離が足りないならば、右手で床を掴み、更に前へと体を押し上げ。
そうやって必死に伸ばした左手のラケットの先に、僅かに感じるピンポン球の感触──
それを受け、残った手首の力で目一杯ボールをすくい上げる。
入れ ─────────。
ボールが跳ねる音だけが聞こえる。
一回、二回、三回……
そしてその後に聞こえて来た大歓声──
【12ー10】
一年半、積み上げて来たものが届いた。
「や……やった」
セットカウント【2ー2】(フルセット)
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