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露見
しおりを挟む『キアラ第一皇女様にご挨拶申し上げます』
滑らかな肌に黒く艶やかな髪を品よく纏め上げ、長い睫毛に縁取られた灰色の目は恭しく伏せられる。
仄かに香るミルクと花のような甘い香りは、誰もが振り返る特別なものだ。
年齢を感じさせない美しさと凛とした佇まいが寵妃たる由縁の1つだろう。
『オクサナ妃も変わりないようですね』
キアラが挨拶を返すと、2人とも椅子へ腰掛ける。人払いした庭園の東家は、手入れの行き届いた美しい花々が咲き乱れていた。
『…珍しい香りですね』
オクサナ妃は用意されたお茶の香りに、興味津々な様だ。
キアラを見上げる表情が、バイラムによく似ている、とキアラは思った。
『フィデリオが王国から送ってくれたのです。王国のお茶も、種類が豊富で香りが良いので、たまには良いかと』
キアラが答えると、オクサナ妃は目を伏せ、笑みを浮かべる。
『フィデリオ第二皇子殿下と…ベルナルディ侯爵家の…レオ様が王国に行かれて、もう随分時が経ちましたね』
オクサナ妃はお茶に口を付けて両眉を上げる。
口に合ったようだ、とキアラも軽く笑みを浮かべた。
内密に話をしたい、とオクサナ妃から手紙を貰ったキアラは直ぐに場を設けた。
バイラムの夜遊びがバレたのか、それとも…
『ミリアムが…いい加減レオ様に会いたいとまた駄々を捏ねるので、手を焼いております…』
『幼き頃からよく見知った仲ですから。 さぞ恋しいのでしょう…』
キアラもそう言ってお茶を啜る。
いよいよこの話が来たか、とキアラは思った。
皇帝陛下の望みが叶えられると同時に、子離れが出来ないオクサナ妃の願った通りの未来が手に入る。
寵妃、その立場を存分に利用すれば訳ない事だ…
だが、あの無鉄砲な男がみすみす与えられた場所に収まるとはキアラは思っていない。
それに、王国でのレオはフィデリオの目の無いところで好きにし始めたと聞く…
押さえつけようとすれば、レオが何をするか…
キアラでさえ、一手見誤ればレオを永遠に失うかもしれないという一抹の恐怖を抱いていた。
『…キアラ皇女殿下は、私の出生をご存知ですよね?』
耳に心地の良い声で、オクサナ妃がキアラに問う。
知ってるも何も…知らない者の方が少なかろう…とキアラは思った。
公の場では皆が口を閉ざすのに、あえて自らその話題を持ち出すとは…
平民出身の母親から産まれた私生児…
しかも一度は母に捨てられ、叔母の元で育ったという。
母親の再婚と共に引き取られ、裕福な継父の溺愛の元、二回り以上上の貴族階級の夫と結婚…結婚後間も無く夫が亡くなり、その財産を全て手に入れた。
莫大な財産を持つ年上の夫に嫁いだ、若き未亡人…ここまではそう珍しい話では無い。
だがオクサナ妃はその容姿と腰の低さ、明るく機知の富んだ話術でその後も社交界の華として数々の有力貴族と浮名を流し…遂には皇帝陛下の後宮入りまで果たした。
前代未聞、そして、市井ではその成り上がり人生が物語となる程の人気を博す…
『オクサナ妃の人気には誰しもあやかりたいものですね…』
キアラがそっと話題を逸らす。
嫌みなく、あくまで朗らかに。
『私には、産まれた時…何もありませんでした。愛、称号、将来…何も約束されたものはございませんでしたが、稀に見る幸運でここまで生き延びて参りました。
そして、大国の頂に侍る事を許され…何者にも代え難い御子まで授けていただいたのです』
オクサナ妃の大きな瞳がキアラを捉える。
『…ですが、バイラムは体が弱く……。 産まれ落ちた時から全てを与えられているにも関わらず、満足に動き回る事すら出来ぬ体を…私が与えてしまいました』
バイラムは確かに体は弱いが、最近はたまに夜遊びに抜け出す事もある…どうやらそれはオクサナ妃にはまだ知られていないらしい…とキアラはオクサナ妃を見た。
『あの子がこの先、何を成せるのか…皇室に尽くす事はできても、何かを自分で勝ち取る事は難しいでしょう…。キアラ皇女殿下が御即位された際、それに見合うお力添えが、私にも出来れば良いのですが…』
オクサナ妃が目を伏せそう言う。
バイラムを…皇室から出さないでくれ、遠回しにそう言っているのがキアラにも分かる。
病弱な息子が婿に行くのが心配なのか、与えられた今の称号から降格するのが恐ろしいのか…
オクサナ妃にしては、やり方があからさまだな…とキアラは思った。
だが、それも既に…皇帝陛下に根回しも済んでいるのだろう…
後の心配は、キアラが即位した後…
皇帝陛下の命が長く無い事を察して、先手を打ちに来たということだ。
『ミリアムがベルナルディの長男ならともかく、三男に嫁ぐというのは余り考えられません。もし婚姻を結ぶとしても父上はミリアムを殊更可愛がっています故、婿として皇室に迎えるのが筋となるでしょう。その前に、レオが婚姻に承諾するかも確信はありません。
その上、バイラムも残るとなると…』
いくら寵妃といえど、度が過ぎている、とキアラは朗らかだが鋭い視線をオクサナ妃へ送った。
口だけの約束をして流しても構わないが、後々の憂いごとは増やしたく無いのがキアラの本音だった。
オクサナ妃がカップへ手を伸ばし、香りを楽しむように口に含む。
コクっと飲み込むと、その視線を上げた。
『…ミリアムはレオ様と結ばれる事はありません。それは出来ないのです』
オクサナ妃の灰色の目が、どこか冷たさを帯びる。
キアラは顎を上げて首を軽く傾げた。
『これは、今まで誰にも告げた事が無きこと…』
オクサナ妃は庭に咲き誇る花へ目をやる。
『…ミリアムは、レオ様と異母兄妹となります。結ばれる事は禁忌…』
キアラの目が一瞬大きく見開かれた。
それとは裏腹に、オクサナ妃の様子は落ち着き払っている。
『…どういうことか?』
キアラがそう聞き返すと、オクサナ妃はまたお茶を口に含んだ。
『私がなぜ寵妃となったか、お分かりですか?陛下が誠に愛していらしたのは亡き皇后お1人。ではなぜか…』
キアラの頭の中にただ1人の人物が浮かぶ。
その獰猛さと武人としての天賦の才で、大小の国々を蹂躙し、エルメレをここまでの大国へ押し上げた1人…
だがその残忍さや暴虐性で、皇室を転覆寸前まで追いやった、皇帝陛下の弟…
レオの父親である、その人だ。
『慈悲を掛けて下さったのです。情け、かもしれません。
ですが陛下の大きな懐で、私は今も幸せにここで生きております。寵妃、その称号まで賜って…』
キアラはオクサナ妃から視線を外さない。
『あの頃、皇弟殿下がされる事を止められる御方など、国には居ませんでした。
実際、お一人を止めるのに…一体何人が手を組まれたのか…
レオ様を見ると思い出すのです。
あの体躯、あの眼差し…お母上似でいらっしゃいますが、やはり纏う空気は皇弟殿下そのもの…。
ミリアムを孕っていると気付いたのは、皇弟殿下が身罷れてからでございます。
陛下は…お気づきなのでしょう。全てに…。気付かれない筈がありません。
それでも、それをお言葉に出す事はありませんでした。私が確信したのは、ミリアムがレオ様と縁を結びたいと陛下に直談判した時です。陛下は私を一度見ると、首を振りました…。それだけは、ならぬ、と…。
陛下と皇弟殿下は亡き皇太后様より産まれた皇子…唯一無二の繋がりがおありだったのでしょう。陛下は幼き頃のお話を、近頃よくされるのです。
出てくるのは、皇弟殿下のお話ばかり…』
暴虐の限りを尽くした皇弟に手籠にされたオクサナ妃に同情して、皇帝陛下が目をかけた…
オクサナ妃の言葉にキアラは表情1つ変えない。ただじっと、オクサナ妃の話に耳を傾けた。
『ミリアムは幸いな事に、大きな病1つなく、健やかに育ちました。ですが、皇帝陛下の御子であるバイラムは…バイラムは、あの子は可哀想な子なのです。 与えられたもの全てに…今後あの子が苦しめられる日が来るかもしれません。何も成せぬ自分は何者なのか…と…』
自らが産んだ子供達に、それなりの意義を与えてやりたい…
と言う所か…とキアラは思った。
とはいえ、キアラが抱くバイラムへの印象とは隔たりがある。バイラムは可哀想というよりも、それを跳ね返す強さを確かに持っているのだが…今目の前に居る母のように。
『私の産まれ故、身の程知らずとは承知の上でございます。ですが、バイラムにはせめて誇って欲しいのです…。
私の腹から産まれた事が、間違いで無かったと。そしてその為に…ミリアムには必要な物があります…』
柔らかな表情だが、オクサナ妃の目には確かに強い気持ちが込められていた。
『身の程知らずと知っていて尚、望みがあるのですか?貴女はご自分で階段を駆け上がり、ご自分の望むもの全てを手にしてきた。与えられなかったものを奪い返すかのように…その勇ましさは確かに称賛に値するでしょう』
キアラはもう一度軽く首を傾げる。
『ミリアムには、大義が必要なのです。この国の為となる、明確な大義が。未来永劫、歴史に名を残す程の…』
オクサナ妃の言い方は相変わらず穏やかだが、その中身は余りにも荒唐無稽だった。
バイラムの存在を肯定するために、ミリアムを使いたいと言う。
子のためでは無く、自分の為では無いのか…?
自らが腹を痛めて産んだ子等に落ち度など無かったと、肯定したいようにキアラには聞こえる。
『…なんと欲の深き事か。ご自分の事だけでは飽き足らず、そなたの御子達まで使って歴史に名を刻み込みたい、なぞと…』
復讐か、それとも野望か…
キアラが鋭い目つきでオクサナ妃を見遣る。
気の毒にも皇弟に手籠にされたのか、手札を増やす為オクサナ妃自らが望んだのか…あの小さく形の良い頭にどのような策があるのか、開けて見てみたいものだ…
この先、いや遠く無い未来に自らの力では及ばない事があると悟ったオクサナ妃が、遂に助けを求めた相手が自分とは…
キアラは小さく失笑する。
『確かに、貴女と皇弟の血を引いているのなら、ミリアムの今後も頼もしいでしょうね…』
この秘密の使い道は、キアラに託された。
オクサナ妃は笑みを浮かべる。
だが、微かに体は震えていた。
手を伸ばした茶器がカタカタと小刻みに音を立てた。
そして、オクサナ妃は一気に茶を飲み干す。
『…ありがとうございます、キアラ皇女殿下。キアラ皇女殿下なら、分かって下さると信じておりました』
オクサナ妃は目を伏せ、そう言った。
母の愛、いや、自らの出生を覆い隠すように、自らと御子の正当性を求める様に、オクサナ妃はキアラの情けを期待する。
後宮の寵妃にまで上り詰めた女の手練手管…やはり、頭の中を覗いてみたいものだ…とキアラは席を立つオクサナ妃の背中を眺めながら思う。
だが、この秘密を日の下へ晒したと言う事は、皇帝陛下もまた、キアラの手にこの秘密を委ね…尚且つ希望通りの処遇が下されると信じているということだ。
華奢に見えるその背中は、確かに儚気に見えて同情を誘う…。
もし、オクサナ妃は手籠にされたのでは無かったとしたら…
既に考えてもどうにもならない事に、珍しくも、キアラの胸はどこか騒がしかった。
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