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それは飴、あるいは…※R15 キアラとバルドリックの話です。内容的に一応のR15です。苦手な方はお控え下さい

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 深夜、バルドリックが目を覚ますと、キアラは軽い羽織もの一つで窓辺の椅子に腰掛け、月を眺めていた。
 
 月明かりに照らされたその姿は、正しく天界から降り立った神のようで、思わず息が止まる。
 
 しかし、キアラがそうしているのを穴が開くまでずっと見る程アクイラ卿は気の利かない愚かな男では無い。
 
 
 アクイラ卿の部屋は、様々な深い色味が品よく纏められた、どちらかと言えばアクイラ卿の郷土に馴染みある色合いが強い部屋だ。
 
 
 やはり、この部屋では落ち着かれないのかもしれない…
 
 アクイラ卿は音もなく起き上がると、自らも軽い羽織ものを纏う。
 
 
 お互いに最低限の物を身に付け、微睡みながらもアクイラ卿はキアラが寝付くのを最後まで見届けた。
 そして、いつもの様に、今宵もキアラより先に目覚めるつもりで眠りについた。
 目覚めたら、キアラが居ない、そんな事は避けたいからだ。
 
 キアラの眠りがこうも浅い時は、考え事が多くある時なのをアクイラ卿はよく知っている。
 
 
 
『風邪を召されます。暖炉の近くへ…』
 そう言ってアクイラ卿はキアラの肩へ暖かい毛布を掛けた。
 
『起こしたか…』
 キアラが肩に載せられたアクイラ卿の手に、視線を落とす。
 
『何か暖かい飲み物を持ってこさせましょう。体が冷えてらっしゃいます』
 
 慕う者同士なら、もしくは夫婦であれば、その背中を包み込む事に、これほど躊躇はしないのに…アクイラ卿は、自分がそうして良いとは思っていない。
 
 身が焦がれるほどに、その人を思い続けていても…
 
 
『バルドリック、そなたも欲の無い者よ。人に与えてばかりでは、己が枯れてしまうぞ…』
 
 何を指しているか…。
 
 トロメイの後処理の事だろうか…
 
 
 アクイラ卿の父親は命を捧げても良いと申し出て、ジャニスの命乞いをした。
 アクイラ卿も、多くの血を流す事には反対した。かなりの覚悟を持って、そう進言したのだ。
 
 数え切れぬ程、様々な一族が居る帝国で、特にあちら側は複雑な力関係と何世代にも渡って築かれた人の繋がりがある。
 
 過酷な地だからこそ、皆生きていくために、遠からず支え合っているのだ。
 
 この機に乗じれば、アクイラの一族はかなりの影響力を持つだろう。
 
 だが、それが一概に良い未来へ繋がるという確証は無い。 
 
 
 
 
『…私は気の利いた事を言えるような人間ではありません。ならば、せめて真心を込めるくらいしか…』
 
 その言葉は、キアラに向けた本心だ。
 
 
 あの者なら、こんな時なんと言うのだろうか
 あの、男か女かも分からない、国で随一と謳われる″美しい人″とやらは
 
 すぐにするりと懐に入り込み、相手の望む事を汲んで満たし、包み込む…
 
 
 唯1人の寵愛を、今もこれからも独占するであろう、あの男は…一体どう癒し、慰めるのだろう…
 
 
『バルドリック…そなたはここでの暮らしが、苦しいか?…此度の事で、そなたが誠に情深いのはよく分かった』
 
 キアラは、アクイラ卿の手を見つめたまま、そう呟く。
 
『苦しい…とは?』
 アクイラ卿の手に、俄かに力が籠る。
 いつも、キアラに触れる時は、最大限気をつけているというのに。
 
 
『バルドリックには側室に留めておくのに惜しい才がある。頼もしく心強いが… ここは、其方が産まれ育ったアクイラ領とも全くと違う。それに、余が戴冠すれば、もっと側室も増える…』
 
 嫌な予感がする、とアクイラ卿の胸に暗雲が翳り始めた。
 
 まさか…追いやるつもりなのか…ここから…?
 
 アクイラ卿の鼓動は速く脈打つ。
 
 
『…もし苦しみがあるのなら、それは私がどれほど殿下を思っているか、その証となりますね』
 
 縋る様な目で、アクイラ卿はキアラを見つめた。
 
 
 だが、アクイラ卿にはそれがキアラの弱音にも聞こえる。
 
 本来ならば、苦しいか、なぞ側室に尋ねる必要も無い。追いやりたければ、去れと追いやるか、キアラの渡りも無いだろう…
 それ程、今回の事で頭を悩ましている…
 
 なのに、それでも、気の利いた言葉なぞ、アクイラ卿には浮かばなかった。
 
 その抱え切れぬ重しを背負う背を、あるいは、抱き締めることが出来るなら…
 
 
 
『余は…国の為、子を産まねばならない。だが、本音を言えば、多くは望んでいない。余と血を分けた弟、妹の子を養子としても良いのだ。…父上と違い、多くの側室と血を残す事は、この身一つでは叶わぬ』
 
 やはり、自分は用済みなのか…もしくは、今回差し出がましい進言をしたことへの罰なのか…
 
 何が言いたいのか分からない振りをして、アクイラ卿は首を微かに傾げる。
 
 こんな様子のキアラを見るのは、アクイラ卿は初めてだった。
 
 
 
 
『…そういえば、トロメイの地でレイモンドは出産に立ち会い、赤子はその名にちなんだ名を授けられたと聞いた』
 
『レイモンド殿とライラ様、ジャニス様の息子のデュマン様が力を尽くされたそうです。名付け親は、デュマン様です』
 
 不意に降ってきた話題にアクイラ卿は面食らったが、キアラの雰囲気は少し柔らかになる。
 あの一件以来、デュマンは随分雰囲気が変わった印象がアクイラ卿にはあった。
 
 
『レイモンド…あの者は兄にちっとも似ていないが、フォーサイスの者は皆不思議と頼りになる。口も固く、余計な詮索もせん。なにより仕事に誠実だ…』
 
 フォーサイスの名、そして、その兄…その話を溢す時のキアラは年相応の女性に見える…とアクイラ卿は思った。
 
 いつものような強く揺るぎない存在では無く、どこか儚く、切ない表情が垣間見える。
 
 
『余は子を孕み、産んでも、育てる事は出来ぬ。出来る限り手元に置きたいが、政務が最優先だ。
 …そなたは、良き父となる。余には分かるのだ。子は、そういう者の手で育てて貰いたい…』
 
 
 キアラがアクイラ卿を見上げる…
 アクイラ卿は、真っ青な空のような瞳を大きく目を見開いた。
 
 
 ″『あまり長い期間、子を孕まぬ様にすると、体はそれに慣れて薬が無くても孕まないようになります。
 そういった仕事を主とされる方も…薬だけで無く、遂にはあらゆる堕胎法を試されます。やはり繰り返せば子を孕めなくなる方が殆どです。 
 自然の摂理に反する以上、母体にも深刻な影響があるのです。女性の体は、男性が考えているよりずっと繊細です。この薬を飲まれている方がどなたかは分かりませんが、もし、妊娠を希望されるなら早めに薬をお止めになるようにご進言下さい。』″
 
 レイモンドからの書類が手元に届いた時、キアラには考えた事があった。
 
 自らが命を賭ける時とは、一体いつか…
 
 もしくは、命に換えても守りたいと本能が働く対象とは何か…
 
 
 1つは争い事が起きた時。
 国を背負い、より大きなものを守る為、
 もしくは争いに敗れた時だ。
 
 2つ目は、女であるが故の事柄と言える。
 自らにそんな感情が果たして湧くのか、キアラはずっと疑問だった。女や母である前に、この国に立つ人間として、そんな感情は芽生えるのか…
 
 国と、自らの子を天秤に掛けたら、迷わず国を選ばなくてはならない。
 勿論、選ぶしか無いと、それを疑った事など一度も無かったのに…
 
 
 フェリクスは、自らの命を賭けて、ジャニスの命乞いをした…
 違う一族の者同士にも関わらず…
 
 
 奪われる前に奪い、奪われないようにまた奪い合う…常に、自分のような人間は、そうやって生きていかないとならない。
 
 誰にも気を許してもならない。
 誰も信じてはならない。
 孤独に苛まれても、時に迷い、苦しんでも…
 
 許されないから、諦めた事などごまんとあった。諦める前に、捨て置いた事も数え切れない。
 
 
 
 それが成せなくても良いと思っていたのに、このままでは出来なくなりますよ、と忠告された途端に、キアラの中には何かに突き動かされる感情が芽生えた。
 
 キアラが、キアラだけが成せる術で、命を賭けて次世代へ繋がりを持てるたった一つの方法を、みすみす手放したく無いと焦燥感に駆られた。
 
 これが自らの業なのか、本能なのかはキアラにはまだ分からない。
 
 だが、賭けてみたいと願った。
 自らに芽生えた、その感情に。
 
 
 そして冷静に考えた。
 今の国の状況を鑑みて、何が最適なのか。数少ない自らの子ならば、誰とそれを成し、誰の手に託すだろう、と。
 
 
 キアラの肩に置かれたアクイラ卿の手を、キアラはそっと握りしめる。
 
 
 
『バルドリック…そなたには出来るか? 余に何かあれば…余の命より、子の命を選ぶことが』
 
 
 アクイラ卿は大きく息を吸い込む。
 これ以上無いほど開かれた真っ青な瞳が、満月の光に照らされていた。
 
 
 キアラは一瞬間を置き、己の思いを言葉にして紡ぐ。
 
 
『これより先、産まれくる子の…父として』
 
 
 
 
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