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北の氏族
しおりを挟む汽車に乗り、馬車を乗り継いで半日。
フェルゲイン侯爵の別邸は、風光明媚な場所に見合った立派な建物だった。
狩猟が行われるのは明日。
アイヴァンに伴われて、アイヴァンの両親であるフェルゲイン侯爵夫妻と妹のロシーンと挨拶を交わした。
エドガーが居ないということは、帰国はまだなのだろう。
フェルゲイン侯爵はアイヴァンと同じく銀髪だったが、赤銅色の瞳を持っていた。その赤銅色がなんとも恐ろしく感じたのは、やはりフェルゲイン侯爵の持つ特異な雰囲気のせいだろう。
精悍な顔立ちだが、表情は全く読めない。読むどころでは無い。何を考えてるのか、気にせずにはいられない、そんな圧を感じる男だった。
アイヴァンは夫人似の顔立ちなのは会って初めて分かったことだ。
燃えるような赤髪に、雪のように白い肌を持ち、緑色の瞳を持つ控えめな美女は姉と言われても納得するほど若く見えた。
北の氏族の出身らしく王国とは少し違ったドレス姿だったが王国のドレスも良く似合うだろう。
そして妹のロシーンはといえば…
「お姉様、お姉様は異国の血が入っているのでしょう?その見た目ならきっとそうよね?何?分からないの?確かエルメレといったかしら。そこに行く事はある?」
フェルゲイン侯爵家の中では1人、特別陽気な雰囲気のよく喋る年頃の娘だった。
顔立ちは両親には似ていない様な気がするが、目のくるりとした可愛らしい顔立ちで、その表情は目まぐるしく変わる。
このような人がフェルゲインにいるのは意外だ。
髪は赤毛だが、瞳は真っ青だ。
話を聞くと北の氏族の息子と許嫁の関係だそうだが、死ぬほど相手が嫌いなので、どうしてもそうはしたくないらしい。
北のフェルゲイン領は寒く、目新しいものも無いので理由を付けては王都に出掛けて滞在期間を伸ばしている、とうんざりした顔でそう話した。
「私は自分で決めたいのです。あんな寒いところで結婚して、あんなバカと一緒に人生を共にするなんて絶対に嫌」
なんだか聞いた事ある話だな…なんて思いながら適当に相槌を打った。
「これが噂の嫁殿か」
後ろに気配を感じると、そこに居たのはえらく立派な体格の男性だ。それもそうだろう、北の国境沿いを守っているのは氏族達だ。精鋭部隊と言って良い。
長い赤毛を後ろで束ね、瞳は青く、立派な髭を蓄えている。
王国のパンツスタイルだが、上に羽織っているジャケットは北の氏族のものだった。
「げっ」
ロシーンは可愛らしい顔を酷く歪めて人目も憚らずそう言った。
却ってザイラの方が気まずくなる。
「行きましょ、お姉様」
ロシーンはザイラの腕に手を回して、歩き出そうとする。
「まぁ待て」
すると、赤髪の男はザイラの肩を掴んだ。
思わずビクッと体が跳ねる。
「噂通り、まるっきりエルメレ人じゃないか。アイヴァンの好みは幅広いんだな」
男は体を屈めてザイラをマジマジと見ると、何気無しに言ってのける。
これだけ直球を投げられると、むしろ清々しい。
「ドゥガル殿。既婚の女性に馴れ馴れしく触れてはいけませんよ。あとそれ以上近づかないで下さい」
ロシーンは苛立ちに顔をピクピクとさせながら、ザイラの腕を引っ張りドゥガルと呼ぶ男からザイラを引き離す。
「つれないな、ロシーン。会うのは久しいのにそんな事を言われては。」
ドゥガルと呼ばれる男は面白くて堪らないといった顔で長い足を前に一歩、ゆっくりと出す。
とドゥガルと同じ動作で一歩、ロシーンは後ろに下がった。
ロシーンに腕を掴まれてるザイラも一緒に一歩下がる。
この2人、年頃は同じ位だろう、ということは。
「ロシーン、我が妻よ。そんな顔をしないで少し話そう」
「妻じゃありません。他人です」
やっぱり許嫁はこのドゥガルだろう。
「あなたのように分別も無く、気配りも出来ない男性は生涯1人ものでしょうね」
ロシーンは敵意を剥き出しにして吠えるが、ドゥガルはロシーンが可愛い故に構っているような印象しか受けない。
まるできゃんきゃん騒ぐ子犬を構う大型犬…
ロシーンがいくら牙を剥いても、ドゥガルはチョロチョロとその周りを回ってご機嫌だ。
疲れたのでそろそろ部屋に戻ってもいいだろうか
ザイラがそう言おうとした時
「ロシーン、ドゥガル、その辺にしてくれ。ザザは疲れてる」
アイヴァンがやってきた。
「アイヴァン、俺はただ嫁殿に挨拶をしたいだけだ。それと明日の狩り、嫁殿も一緒にどうかと」
「「一緒に?」」
アイヴァンとザイラの声が被る。
珍しいこともあるものだ。
お互い思わず見合ってしまった。
「ちょっとドゥガル!婦人達は皆でお茶を楽しんで待つのよ!」
ロシーンが殊更ザイラの腕をギュッと掴む。
王都から来た義姉に興味津々なのだろう。
「嫁殿は馬の扱いも上手いと聞いた。英雄コナー・ローリーの姪なのだから狩りもきっと得意なのだろう?」
やけに詳しいな
ザイラは少し体を緊張させる。
「…乗馬は得意か?」
アイヴァンは少し驚きながらザイラを見下ろす。
こちらはこちらで意外に知らなかったらしい。
「はい。」
とても。
なんなら狩りも嫌いではありません。
「どうせ猟犬達に狐を追わせる遊びだ。」
ドゥガルの言い方はどこか棘を感じる。
王国の貴族のくだらない遊びだ、とでも言いたげだ。
「危ない事は何も無い。いいだろう?アイヴァン、アイヴァンも一緒なのだから。乗馬服を持ってきて無いならロシーンのものもあるだろうし…
ああ、そうか。ロシーンの服では丈が全然足りないな」
ドゥガルはまたわざと煽るような事を言って小柄なロシーンを揶揄う。
ロシーンは歯を剥き出しにしてキーキーと応戦するが、ドゥガルは相変わらず嬉しそうだ。
ロシーンの意思に反して、ドゥガルは許嫁を大層気に入ってる。
「ザザは良いのか?」
アイヴァンがザイラに問う。
日がな一日、男性陣の帰りを待ちながら婦人達と甘いお菓子を食べ紅茶を楽しむより、動き回る方がザイラの性には合っている。
フェルゲイン侯爵夫人始め、氏族の婦人達…
そしてフェルゲイン侯爵とやたらズケズケ言う氏族に名ばかりの夫…
悩ましい。非常に悩ましいが、乗馬は久しぶりだ。
これを断れば次に乗れる機会はいつ訪れるか…
「では…」
案の定、乗ってしまっていた。
なんて気持ち良いんだろう。
猟犬達の鳴き声がけたたましい以外はザイラは概ね満足していた。
あの後熟考の末、義母にも一応相談を持ちかけた。
「あなたの好きにしたらよろしいわ」
と冷たく言うと、ふいっと顔を逸らしてすぐにどこかに行ってしまった。
だが、きちんと乗馬服は用意してくれた。
婦人は横乗りをするために裾の長いスカートを履かないといけない。
足が見えないようにするためだ。
だが、どう考えても横乗りの方が不安定なので裏技がある。
偽の足を横に引っ付けて自分は馬に跨るのだ。さも横乗りに見えるが実際は跨いでるのでスピードも出しやすい。
話の分かる義母はその偽の足も用意してくれた。
なんと素晴らしい気配りが出来るのだろう。さすがあのフェルゲイン侯爵と結婚しただけある。
そう思っていた。だが身につけた乗馬服はスカートが長めと言ってもくるぶしより上になってしまう。ジャケットも裾が短すぎた。
その結果、細めの紳士用のパンツを借りた。最近は王都でもこういった服を着る女性もちらほら居ると聞く。
少しピタッとしているが、動き易い方が良いのでザイラとしてもこちらが良かった。
だが、褒めてくれたのはロシーン位で、あとのご婦人はヒソヒソと怪訝そうな顔でザイラを見た。
フェルゲイン侯爵夫人は諦めたようにわざとらしい溜め息を吐いている。
だが殊の外、男性方には勇ましくて良いと好評だった。ドゥガルに至ってはなぜこれを着たか話すと腹を抱えて笑っていた。
フェルゲイン侯爵は、全く興味が無いようで、氏族の長達と熱心に何やら話し込んでいる。
あとは一応の夫であるアイヴァンの反応だが…
「ジャケットは決して脱ぐな」
何やら不満そうな顔でそれだけ言うと、笑い転げるドゥガルを睨みつけていた。
ジャケットのお陰で幸いお尻の形は見えない。
足の形が見えるので、やはり良家の子息はこういったものは好まないのだろう。
貴族の狩猟でも大勢で馬に乗るのは狐狩り位だろう。
狩というより猟犬達に狐を追い詰めさせて最後は八つ裂きに食い殺させる。
正直言って、ザイラもこの手の狩りは好きでは無かった。
食べるために獲る狩りならまだしも、ただ追っかけて殺すというのに楽しみは見出せなかった。
馬に乗るのは楽しいが、なんだかなぁ…とスピードを落として、馬の歩みを緩めた。
景色も綺麗だ。空気も良い。
顔を上に上げて目を瞑る。
木漏れ日を浴びて、本当に気持ちが良い。
「おい、今あそこに鹿が見えなかったか」
ザイラの体がビクッと跳ねる。
この男はいつも人を突然驚かせて心臓に悪い。
鹿がいると言った男は声を顰めているがその存在感で鹿はとっくに逃げただろう。
まさかザイラより後方に人が居るとは思わなかったが…
「…もう逃げたのでは?」
そうザイラが言うと、声量が気になったのかしっ!と口に人差し指を当てて声を抑えろと言う。
これだけ騒がしい集団が過ぎた後だ。
鹿にとったらここだけには来ないでと言ってるようなものだろう。
「いや確かに見た」
そう言ってドゥガルが馬を降りる。
仕方なしにザイラも降りた。
音を立てないようにしてその男はどんどん森の中に進む。
氏族達も王国の乗馬服を着て軽い素材で作られた一応の剣を脇に差しているが、ドゥガルが差していたのは最新式の連発銃だ。
しかも綺麗な彫りを入れて装飾が施されている。
以前ローリー領でコナー叔父さんを訪ねてきた客が見せてくれたことがある。
外国製だと聞いたが、エルメレのものだろう。
交易を生業としてる北の氏族なら持っていてもおかしくはない
だがその富を見せびらかすようにしてるのは、何もドゥガルだけでは無い。
富をひけらかして見栄の張り合いをしてこそ、社交というものだ。
どこに行った?
流石に向こうは足が長いので一歩が大きい。追いつくのも大変だ。
こんなところで遭難なんて、フェルゲイン侯爵夫人にまた呆れられてしまう。
音を立てないように、そっと辺りを見渡す。
本当に見失った…?と冷や汗が出た時。
ガチャリ
ザイラの頭の真後ろで、不穏な機会音が響いた。
撃たれる
咄嗟に頭を横へ逸らして振り向き、銃身を掴む。
「バンッ」
男は特別大きくも無い声でそう言った。
その顔に、妖しい笑みを浮かべながら。
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