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理由
しおりを挟むコツ…コツ…と響く時計の音。
人払いされた食卓で、ザイラは気まずさは感じていたが居心地の悪さは感じていない。
この時計の音がやけに大きく響く沈黙も慣れたものだ。
アイヴァンと夕食を共に、と連絡があってすぐにアイヴァンは屋敷に戻ってきた。一体どこで寝起きしているのか、尋ねるのは不粋だ。
そこに干渉する気も無い。
いつもより気持ちが軽く感じて食も若干進むのは、食卓に飾られた花達のお陰かもしれない。
とてもではないが部屋には飾りきれず、屋敷の様々な場所に花を生けた花瓶を飾った。
今この屋敷の中だけは、特別華やかなな楽園のようだろう。
「…随分花が多いな」
ポツリとアイヴァンが呟いた。
「かの国の方達からの謝意だそうです。使用人達も屋敷が華やかで機嫌が良いですよ」
ザイラがそう言うと、アイヴァンはザイラを見る。
「…謝意か。皇子も大事無かったと聞いた。スチュアート侯爵も君にえらく感謝していたよ。今度夜会に誘いたいと」
ザイラのフォークを持った手が止まる。
どうやらまだスチュアート侯爵夫妻の首は体に繋がってるようで安心した。
だがスチュアート侯爵家の夜会に行く事がザイラにとっては重苦しい。そのまま気持ちだけ頂いておきたい。
「…恐れ多くも、お気持ちだけで……大した事はしておりませんし」
「あの日は、すまなかった」
アイヴァンの言葉に、ザイラはハッと顔を上げた。
まさかそんな言葉を言うとは、全く予想していなかった。
だが、アイヴァンは自分から食事に誘える位には傲慢では無い様だったし、見た目からして冷たい印象を抱くが、冷酷でもないのかもしれない。
そうなると…余計に…
なぜかまた胸が締まり、奥がジレジレと焼けて痛みが走った。
どう答えるべきだろう。
ミア嬢から、ザイラが言った言葉を聞いただろうか。
何様だと怒られるかも、とさえ思った。自らの愛する人を蔑まれたのだから。
けれども今の彼の目に怒りは見えない。ただ気まずそうに眉を下げて、ザイラの様子を伺っている。
「…アイヴァン様は」
ザイラが口を開くと、アイヴァンはピクッと目を動かした。
「アイヴァン様は、なぜ私達が結婚したのか理由をご存知ですか?」
私とあなたの共通点は一つ
この結婚を微塵も望んでなかったこと
すまなかったの返事は出来ない。
何に対して、なのかお互いきっと明確には出来ないから
アイヴァンは今得体の知れない罪悪感を抱いているのだろう。
ザイラに謝罪すれば、その罪悪感は少しでも拭えるかもしれない。
それと同時にザイラはアイヴァンの罪悪感につけ込んで、この質問をしている。
自分の狡猾さは自分でもよく分かってるつもりだ。だが、1番事情を知ってて今の現実に誰よりも反抗したであろう人は今目の前にいるのだ。
アイヴァンはフォークとナイフを置いた。
「父は…フェルゲイン侯爵は海に出たいんだ」
アイヴァンは、言葉を選びながら、どこか遠くを見るように言った。
「海?」
フェルゲイン侯爵領は特殊な土地だ。名目上は北の国境沿いに沿って広大な領地を持ち、石炭や鉄鉱石を多く産出する鉱山も持っている。しかも流通権も代々独占しているので、エネルギーにおいて国の命綱を握ってるといっても大袈裟ではないかもしれない。
「フェルゲイン領では豊富な資源を利用して製鉄業も盛んだが、国内ならまだしも輸出には手間が掛かる。
北の氏族達がそれを担っているから」
北の氏族…北の国境沿いのフィヨルドから海までを牛耳り、代々独自に諸外国と交易を行う少数民族だ。
特殊な地形から造船技術にも長けていると聞く。
「…諸外国へ輸出しようとしてもより多く効率的に運ぶには、王国が所有する海沿いの港か、ディオン公爵家が所有する港を利用する必要がある。
もし利益を出そうと思ったらフェルゲイン領から、港まで鉄道を新たに敷く必要が出てくる。その間に大小の領地があるが、その中で、1番多くの距離を占めるのはローリー領だ。」
既にローリー領には汽車が走っているが、フェルゲイン領までは直通の汽車はない。それをまた新たな鉄道を敷くとはなんとも壮大な構想だ…
「例え、港まで鉄道を通せなくても、ローリー領まで来れれば他の代替手段が取れる。
それに加えて、…ローリー領にも最近新たに鉱山が見つかったのは知ってるか?」
そんな話は聞いたことがなかった。首を横に振ると、アイヴァンは気まずそうに目を逸らす。
「ローリー領には鉱山採掘のノウハウが必要なる。インフラも発展すれば領地も栄える。
加えてローリー領は広大な森林を有しているので、木炭を利用すれば製鉄業も可能となる」
なるほど…未来の可能性を大いに秘めた、素晴らしい政略結婚だ。
アイヴァンとアレシアがストーリー通りに結ばれたのはこういう背景があったからか
妙に腑に落ちた。
ハッピーエンドなのは両家にも大きな利益があるからだ
「そうだったんですね…」
一度、フィニアスに手紙を書いてもいいかもしれない。アイヴァンの言う事を信じて無いわではないが、そのまま鵜呑みにするのもまだ早い。
それに…
ザイラはアイヴァンを見た。
アイヴァンは目を伏せ、何を考えているかは分からない。
フェルゲイン侯爵領にもいろいろあるのだな、と思った。
フェルゲイン侯爵家は代々北の氏族達を纏め上げて、独自の国を築いているのだと思っていた。
侯爵夫人は氏族の出だと聞くし、近年はより結束を強めている印象を持った。
王国にも影響力を持ち、王もその存在を気にしないわけにはいかない上、軍も牛耳る大貴族。
だが、その独自の国も中身は案外複雑らしい。
まぁローリー伯爵家が人の事をとやかく言える由縁はないのだが…
ザイラは小さく溜め息を吐く。
この結婚生活の落とし所は一体どこなのか、きっとアイヴァンも苦慮してるだろうな
「…こんな話をしてる時に言うべきか迷ったんだが」
アイヴァンが口を開いたので、ザイラもアイヴァンに視線を戻す。
「郊外にあるフェルゲインの別邸で狩猟を行う予定なんだが、北の氏族の有力者達も来る」
フェルゲインの別邸…
狩猟…
ということはフェルゲイン侯爵家と北の氏族が勢揃い…
恐ろしい魑魅魍魎が…
その先は言わないで欲しい。
急に鼓動が早くなり、汗が噴き出す。
「結婚のお披露目も兼ねているので、準備しておいて欲しい」
北の氏族のご接待か…話を聞いた後だと牽制か?
アイヴァンも中々強かなのかもしれない。
狡賢くザイラがアイヴァンの罪悪感をつついてこの結婚の話題を引き出したのも、お見通しなのだろうか。
倍返し所ではない。
こてんぱにやり返された気がした。
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