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「目が覚めたか」

そう声が降ってきた。
ぼんやりとしていた意識が次第に覚醒していぬと、まぶしい笑顔が目に入った。

「ひ、こたん……?」
「体調は大丈夫か?今、水持ってくるな」
俺の頭を撫で、そう言ったヒコたんは、立ち上がると遠くへ行ってしまう。しかし、しばらくすると水が入ったコップを片手に持って帰ってきた。
言っていた通り、水を持ってきてくれたようだ。

ヒコたんは俺に優しく水を渡してきた。俺は頭が働かず、素直に受け取ってしまう。コップはひんやりとしている。俺は水を一口のむと、いつのまにか呟いていた。

「俺…どうして……」
「俺が運んだんだ。ここは俺の部屋だ。たまたま用事があって、幸の家を訪れたら、幸の叫ぶ声が聞こえてきて、お前と幸が倒れているところを見つけた。幸は怪我をしていたから病院にいる」
「ゆ、き……」

そうだ。俺は幸に半ば殺されかけた。

おぼろげながらも、悪夢でも見ていたかのようなおぞましい光景が目に浮かぶ。その一方で、幸の顔は、思い出したくとも、恐怖のあまりか、輪郭すら思い出せない。意識すると一瞬で血に濡れたような真っ赤な視界になり、それ以上思い出させるのを本能的にやめさせてしまっているようだ。
その悪寒に体が震えだしてしまう。

「俺…幸にあわ、ないと……」
「裕里、無理をするな。震えているぞ」
「で、でも……」

このままではまずいことは確かだ。でも、どうしていいのかわからない。体の震えを抑えようと自分の肩を抱き寄せるが、手も震えていて、全く力が入らない。

すると急に身体が前に傾く。ヒコたんに抱きしめられていた。

「大丈夫だ。俺はここにいる。お前が気が休まるまでずっと一緒にいるから大丈夫だ」

そう言って背中をトントンと叩かれながら、身体丸ごと抱きしめられる。

ヒコたんのことを全て信じきることはできない、というのが本心だ。しかし、ヒコたんがそばにいてくれることで、恐怖で強張った気持ちが和らいでいくのも確かで。
俺はそのままじっと、ヒコたんに体を預けていた。

そうやってしばらくしていくと、震えが止まり、荒かった呼吸も落ち着いてくる。脳みそも冷静になってきて、そうすると抱きしめられているのが次第に恥ずかしくなってきた。俺は思わず、肩にあったヒコたんの手をそっと押し返した。すると、ヒコたんは特に抵抗せず、あっさり俺の肩を離してくれた。

「ヒコたん、もう大丈夫。あ…ありがとう…」
「そうか。まぁ裕里も混乱してるだろうし、とりあえず今はゆっくり休め、な?もう夜も遅いし泊まっていくだろう?」
「え……?」
「こんな状態じゃ帰られないだろう?」
「え、あ……う、うん…」

なんだか勢いに押されて俺は断ることができなかった。自分の家には保護者がいるはずもなく、幸の家に引き返すこともできなくなってしまった。俺の帰る家はないのだ。


ヒコたんの好意で泊まることになったとしても、俺はいまだにヒコたんのことを信じていいのか、判断しかねていた。自分でもよくわからないのだ。ヒコたんに対するトラウマみたいなものは拭うことができない。これ以上裏切られることに俺はもう怖くて仕方ないんだ。

そうためらっていると、ヒコたんは何かを俺の手に乗せてきた。

「アイスだ、食べるか?裕里の好きなチョコアイスだぞ」

そう言って、にこりと笑ってくる。
その笑顔は俺の大好きだったヒコたんの笑顔だった。その笑顔を見ただけなのに、くすぶった俺の心はドキドキとする。
水の入ったコップを近くのテーブルに置くと、少しひんやりとしたアイスを受け取り、放送を剥ぎとって、棒突のチョコレートアイスを口に含む。柔らかい甘さが口に広がる。確かにこの味は俺が好きなチョコレートアイスだ。

その甘さからか、安心感とどっとした疲れが降りてきた。糖分のおかげもあって脳みそは嫌でも回りだす。
あれは一体何だったんだろう。俺の信じていた幸は嘘だったのだろうか。まだ夢としか思えないほど、俺はあの出来事が現実に起こったのか信じられなかった。
幸の混乱した様子や罵詈雑言、恐ろしい血の跡。挙げ句の果てに心中しようとする始末で、理路整然とした幸が全部壊れてしまったみたいだった。幸は何か悪いものに取り付かれていた方がずいぶんマシだ。


(幸、幸、幸っ……!)


「裕里、大丈夫かっ…」
ヒコたんの、焦ってうわずった声が聞こえた。
俺はいつの間にか涙を流していたのだ。

幸、大好きだったのに。俺…どうしてこんなことに。俺、幸を信じてたのに。

涙は全然止まらなくて、今までみたいな自己嫌悪からくる涙ではなく、むしろ虚しくて、悔しくて、何もかも裏切られたような気持ちから溢れ出たものだった。

アイスクリームを持った手をつよくにぎられ、そのまま体を引き寄せられる。

「すまない…っ、気づいてやれなくて。好きだと言ったのに守ってやれなくて、すまない」

ヒコたんは、俺がまだ襲われた恐怖に涙をしていると勘違いしているかもしれなかった。
違う、そういうことじゃない。そうじゃないんだ。そう言うにも、嗚咽が止まらなくて言葉がうまく出てこない。それでも、ヒコたんが抱きしめてくれるだけで、どこかこの虚しさが落ち着くような気がして、さっきみたいに腕を振り払うことはできない。しかし、それは幸を裏切っているという自分でもあった。

ヒコたんの腕は離れなかった。俺が手に持っているアイスが服についても構わない位深く強く抱きしめてきた。

「すまない……」

ヒコたんはそれ以上、何も言わない。それでもぎゅっと抱きしめてくれる力がとても強くて、俺はもうそれ以上抗うことはできなかった。気づけば俺はヒコたんの腕に手を回していた。

結局俺はこういう人間だ。
ヒコたんのことも、幸のことも、あきらめがつかない。結局前の自分と何も変わらなかった。だからこそ幸を傷つけてしまったのかもしれない。俺はそもそもはじめから幸のことを好きになる資格はなかったのかもしれない。
涙が頬を伝っていった。


「…裕里、俺を恋人にしてくれ。もうこれ以上お前を1人にしたくない。お前を近くで守りたい。その権利を与えてくれ」

2度目のヒコたんからの告白だった。

俺の涙はそのままヒコたんの肩へと落ちていき、溶けていく。
そのまま視界が反転した。チョコレートのアイスクリームは俺の手からすべり落ち、床に溶け落ちてしまった。
べちゃりと嫌な音が響く。

「裕里、好きだ。好きだ…好きだ……」 

聞こえたのくぐもった苦しそうな声が耳に響く。俺のカラダはだんだん重くなっていく。落ちたアイスクリームのようにベッドへと深く沈み込み、そのまま溶けてなくなりそうだ。その俺の体に必死にすがりつき、好きだ好きだとヒコたんはささやく。
俺が欲しかった言葉をヒコたんはくれた。今ここで、俺は欲しかったものを手に入れてしまった。なんでこのタイミングなんだ。なんで今なんだ。前だったら喜べたはずなのに。
いないはずの幸が泣きそうな顔でこちらを見ていた。ちがう、勘違いしないで、俺はまだ、幸のことが。

幸はここにいなくとも、あの時、俺のことを睨んだんだ。



ヒコたんは、俺の顔に手を置くと、そっと口づけた。暖かい感触が何度も何度も唇に触れ合う。俺の体はピクリとも動かなかった。心と身体が乖離してしまったように、指先ひとつ動かない。ヒコたんは俺の身体へと触れていく。俺はただそれを見つめるだけで、俺の心だけがどんどん置いていかれていく。ヒコたんは今までにないくらい丁寧に優しく俺の体に触れた。ヒコたんの口は小さく、小さく、好きだと呟いていた。


俺は息を薄く吐く。

「良かった…裕里も気持ち良くなってくれて」

ヒコたんはそう言って、幸せそうに優しく笑った。俺の息は甘さをうっすらと帯びていた。

あんなことがあったのに、俺の体はヒコたんを求めた。あんなに幸と慰めあっても勃たなかった性器は、硬くなり、立ち上がって、下着を濡らしはじめる。

どうしてどうしてどうして?

また涙が出てきたが、俺の体はやはり動かなかった。
呼吸しては嬌声が漏れ、溢れ出る涙は生理的なものかもうわからない。

ヒコたんが俺の下着を脱がし、垂れたカウパーを溶かしながら、優しく性器を包み込む。ヒコたんは耳元で甘い言葉を囁きながら、俺の身体を慰めようとする。
俺は麻薬みたいな心酔する幻想にもう何も考えられなくなって、身を委ねた。
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