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そんなことを続けていたある日だった。それは前触れもなく起きた。

………いや、もしかしたら前兆はあったのかもしれない。




「幸?最近大丈夫?」

幸の顔がやけにすぐれないことや目の下に薄黒いクマができていることが最近多くなった。
その度に大丈夫かと尋ねていたのだが、「大丈夫、テスト近くて寝不足なだけ」と強い瞳で反論された。
それこそ、一緒のベッドで寝ていたし、たまに互いを触り合うこともあって、そういうときは血の通った顔色をしていたが、たまに正気を失ったようにどこか遠くを見つめるようなときもあり、どこか調子が悪そうなのは明らかだった。

幸に病院をすすめてみたが、医師からの回答は寝不足やストレスによる不眠としかでない。明らかに疲弊している幸に、この数日で一体何が起こったのかわからなかった。

それでも幸は優しかったし、笑顔を時折見せてくれていた。幸の体調が治らず、思わず泣きじゃくってしまった時も、優しく抱きしめてくれた。そんな心優しい幸だ。何か悩みがあるのか、それは教えてくれないけど、いつか俺に伝えてくれる。そう思って、こんなのは今だけだと思っていた。

そう、思っていた、けど……。







「え…?幸、なにやって…」


ぼた、ぼた、と赤い斑点が地面に広がっていく。

「あぁ…もう帰ってくる時間か…」

幸はこちらを見てそう呟く。かき分けた髪の隙間に、幸の耳から血が垂れ流れていた。

「……っ!」

特に大きな反応を示さない幸にバッグをほったらかして駆け寄る。
明らかに幸の様子がおかしすぎる。

幸はリビングに座り込み、ただじっと血を垂れ流しながら座っていた。まるで人形のようにぼーっと一点だけを見つめ、顔色がすっかり失せている。

「ちょっ、手当てしないとっ…!」

駆け寄って、幸の体に触れるてみると、熱くはないが、冷たすぎるわけでもない。何か熱を出しているわけではないようだ。
視線を幸の全身に移すと、右手にピアッサーを抱え込んでいた。
ピアッサーには血がついて汚れている。
多分耳から血を流しているのはこれが原因だ。ピアッサーで耳に無理矢理穴をあけたらしい。

だから、耳から血を流していることはわかったが、幸のあんなピアス穴だらけの耳のどこへ穴を開けようとしたんだろうか。穴の開けどころが悪かったのか、血は未だ止まらず、ぽたぽたと地面や俺のスラックスに血滲みを作っていく。

とりあえず、耳をなんとかしないとと思い、救急箱を取りに行き、幸の耳の手当てを始める。
ティッシュやガーゼを当て、止血していると、突然幸に腕を掴まれた。

「…なんで帰ってきたの」

か細い声だった。なのに、腕を掴む力はとてつもなく強い。まるで追い詰めて離さない、かのように、ギリギリと掴む力を強めていく。

「お前、うらぎっただろ…」
「は…っ?」

「お前、雅彦と会ってただろッ!!!」

怒号が響き、掴んでいた手を勢いよく遠くへ飛ばすように離される。
俺は突然のことに体制を保つことができず、そのまま床へ激しく尻もちをついた。
その拍子に、ポケットからスマホが滑り落ち、回転して雪の方へ転がっていってしまう。

しかし、幸はそんなことにも目もくれず、こちらをギロギロと睨んでいた。


ここ最近確かにヒコたんとは話すようになった。前よりもヒコたんは俺にだけ話しかけてくれるようになったし、家に誘われる頻度も増えた。
しかし、違う。ただ、自分はヒコたんとクラスメイトとして一緒にいただけだ。ヒコたんにそれ以上の感情なんてない。
そう、弁解しようと必死に声を上げた。

「幸っ!待ってよ!何か勘違いしてる!俺はヒコたんと何も…っ」
「うるさい!うるさいうるさい!信じられるかよッ!俺がいつまで待ってたと思うッ!この1ヶ月だ!!だけど、アンタは何も話してこなかった!一切何も悪いことしてないみたいな顔してッ!!俺との約束を、簡単に破って、さらに嘘まで平気で吐き続けやがって!アンタの言うことが信じられるかッ!!!」

俺の言葉なんか一切届かないのか、荒れ狂ったように叫ぶ幸。そして、急にぐしゃぐしゃに写真を投げつけられる。ところどころ血で濡れて赤黒くなっているが、そこには沢山の俺とヒコたんがツーショットが映っており、なんならヒコたんの家の前の写真まである。

「こんな写真、ポストに毎日入れられて……俺の気を狂わせるつもりかよッ!!」

幸は髪の毛をグシャグシャにかき乱した。幸が正常じゃないのは誰の目から見ても明らかだった。
確かに、俺は幸の奥深くに隠していた地雷を踏んでしまったのだろう。いつもの余裕ある冷静な表情は消え去り、「クソがっ。なんで!なんでいつもアイツが選ばれるんだよッ!!」と吠え続けている。

ようやくわかった。幸は過剰なストレスを感じると耳へ自傷行為を行う。そして、それはヒコたんが絡んだ時に引き起こされるのだ。ヒコたんに対し、酷い劣等感を幸から感じる。それぐらい幸はヒコたんのことを『嫌っていたのだ』。


幸の突然の狂気に俺は震えて動けずにいると、突然音が鳴り響いた。

スマホの着信音が鳴り響き、表示画面には「ヒコたん」と文字が浮いている。

幸はその画面を見た瞬間、

「うああああああッ!!!」

と叫び声を上げ、右手に抱え込んでいたピアッサーを勢いよく画面に突き刺した。

バリッ!と言う音が響き渡り、ピアッサーの刃が画面をチカチカと点滅させる。
そのまま即座に着信音は途切れ、画面は真っ暗になる。


その恐ろしい殺気に喉から声がせりあがりそうになった。しかし、そのままピアッサーを手離した幸は、座り縮み込んでいる俺を押し倒して、勢いよく馬乗りになる。慌てて抵抗しようとするが、瞬時に幸が両手で首を絞めてきた。殺気は俺の方へ向いたのだ。

「ッ、やめ、っ!」
「お前が昔おれに死ねって言ったんだろ!俺と一緒に死ねよッ!!!」

そう叫ばれてはさらに首をキツく絞められる。
あの優しかった幸はどこへ行ったのか。大好きだった幸の面影は一切なく、幸の目は幾度と見てきた俺を弄び嬲る男たちの目と同じようになっていた。俺がヒコたんを拒み続ければ幸はこんなふうにならなかったのか。そう思っても、もう遅い。幸の地雷を踏み抜いたのは完全に俺だった。

「ぁ、ッか…っ」

キュ、と変な音が首からする。俺が幸の首を絞めたときも、幸はこんな苦しみを感じたのだろうか。息が吸えなくて、だんだんと記憶が朦朧としてくる。唾液さえ吹き出そうになるところで幸の顔が大きく近づいた。力は緩んだものの、両手で首を絞めたまま、幸が唇に自身の唇を触れさせてくる。食べるように、唇を食まれ、そのまま舌をねじ込まれては口内を暴れ回り、呼吸できなくてより俺の舌が痺れ始める。

「ゆ、っきぃッ…」

そう、声を上げて目の前が真っ暗になった。

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