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第九話 今また並んで
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「かっこよすぎて惚れてしまいそうだけど、まあいったん落ち着いて。ここまでの疲れを癒してから挑むべきよ。少し休みなさい」
ブリジットの冷静な指摘は確かにその通りだが、生粋の王女がいきなり硬い地面で眠れるわけがないだろう。
そう思ったのに、プリメラの疲れは相当なようだった。
「そうね。万全の体調で挑みたいし」
そう言ってプリメラは横になるなりすうすうと眠りに落ちていった。
「もう寝たのか……?」
ブリジットはよいしょ、と立ち上がるとプリメラの傍にいき、ロードの言葉を確かめるようにその手の平をつんつんとした。
姉妹だ。
「ぐっすりね」
こんな岩山の中に入るのも、あれほどの数の魔物と戦ったのも初めてに違いない。
神経も張り詰めていたことだろう。
「あらやだ。こんなに手がごつこつぼこぼこして。皮膚の病?」
「剣ダコですよ」
ロードの答えを聞いて、ブリジットは慈しむようにプリメラの指をそっと撫でた。
およそ王女らしくない手。
長年剣に励んできた苦労の跡ばかりが見えて胸が詰まる。
こんな華奢な体で、一人鍛えてきたのだろう。
「この子は小さい頃から、ただで死ぬのは嫌! と言って剣を振り回していたから。それが本当にこんなところまで来られるほど強くなるとはね」
言いながら、ブリジットはかがんだまま首を振り向かせた。
「もうぐっすり寝てるから、気を張らなくていいわ。手当て、手伝いましょうか?」
「気づいておられたのですか」
「あの子は返り血を浴びて鼻が利かなくなってしまっているんでしょうね」
「一人でできます」
ロードが答えると、ブリジットは「そう」とプリメラに向き直り、腰につけていたポーチをごそごそと漁った。
そうして道具を取り出すと、そっとプリメラの腕を取り、手当てを始めた。
ロードも着ていた鎧を外すと、痛みで詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
荷物の中から包帯と薬を取り出し、ぼろぼろになった服をまくり、魔物に引っかかれた傷に薬を塗っていく。
「プリメラがこれだけの怪我で済んでいるのは、あなたがいてくれたからね」
「いえ。プリメラ王女殿下の腕は騎士にもひけをとりません」
「あの子の努力をそんな風に言ってくれてありがとう」
ブリジットはプリメラの顔についた血や汚れをそっと拭った。
「手当てが終わったらあなたも休みなさい」
「気遣い、痛み入ります」
左腕にぐるぐると包帯を巻きながら、ロードはふと視線を感じて顔を上げた。
目が合ったのはブリジット。
気付けば手を止めこちらを振り向いていた。
とても興味津々の顔で。
「ムッキムキのバッキバキね。どうやって鍛えたらそこまでになるの?」
「暇だったので」
「ねえ。触っていい?」
「ダメです」
「減りはしないでしょう」
「接触した刺激による肌の摩擦で皮膚細胞がめくれるので減ります」
「何その理系な拒否の仕方」
「触れるとぼろぼろになるということについてひたすら調べた時期がありましたので――」
答えながら、はっとした。
いつのまにかプリメラの寝息が止まっていて、横になったはずのプリメラが頭をもたげてこちらをじーっと見ていた。
らんらんとした目が怖い。
「起きたのか」
「邪悪な気配を感じて」
邪悪とは。
無表情でカッと目だけを見開いているプリメラのほうがよほど怖い。
「お姉様」
「なによ、プリメラ」
「ロードに指一本でも触れたら怒るわよ」
「そうですよ、俺は呪われて――」
ロードの言葉は姉妹のやり取りに一瞬のうちに掻き消された。
「なんでよ」
「私のほうがずっと先に待ってたからよ」
「そんなの知らないわ。今そこにあるのに何故順番待ちをしなければならないのよ」
「お姉様の番は来ません」
「プリメラ。いいものを独り占めするものではないわ」
息を継ぐ暇もない。
当人を置いてけぼりにして。
「なんでそんなに他人の筋肉なんて触りたがるんだか……」
「触りたいに決まってるでしょう!?」
キッと睨んだのはプリメラだ。
「自分にないものだからこそ憧れなのよ気になるのよ。私のこのひ弱な体には」ひ弱?「筋肉増強メニューをお願いしたり、筋肉をひたすら鍛えてみたりしたことはあるけど全然つきやしないのよ!」
つい間に疑問を差し挟みたくなるが、確かに筋肉の付きやすさは男女差だけでなく個人差もある。
「よかったんじゃないか? パレードで沿道を走る馬車からムキムキな王女が手を振ってたらみんなビビるだろ」
「あら元気ねって安心できるじゃない。他国への抑止力にもなるわ」
斬新な前向きさすぎてもはやブリジットが残念な子を見るように微笑んでいるではないか。
「私だってその触り心地を確かめてみたいと思いながら我慢してるのに」
じとっと恨めしげな目を向けられても困る。
「ねえ、いい筋肉は力を入れていない時ふにふにしてるって本当?」
「いや知らんが、別にずっと固いわけじゃない」
「それいい筋肉じゃない! つんつんしたらどんな感じ? その腕にぶら下がってみたい。タックルしてみたい」
「もういい。寝ろ」
「はい」
そう返事をすると、プリメラはすんと表情を消し、ぱたりと頭を戻した。
まさかタックルするつもりだったとは。せめて挨拶のハグからにしてほしい。
再び目を瞑ったプリメラからは、秒でぐうと寝息が聞こえ始めた。
「まさか……今のは全部寝言だったんじゃ」
自分で呟きながら、ありうるな、と頷いてしまった。
プリメラとロードの会話の応酬を生暖かい目で見守っていたブリジットは、生暖かい目のままロードに声をかけた。
「相変わらず己の欲望に忠実な子ね。あなたも、筋肉に触るのは我慢してあげるからゆっくり休みなさい」
「はい」
ロードは道具を片づけると元のように鎧を着こみ、壁にもたれかかった。
プリメラはもう目を開けない。
長い睫毛を伏せ、ゆっくりと肩を上下させている。
「あなたがプリメラの傍にいてくれる人でよかったわ」
「いえ……。俺は」
その先は続けられなかった。
彼女の剣筋や懐かしいやりとりに、あの少年のことばかり思い出す理由の確信を深めた。だが何が変わるわけでもないのだ。
ただ、あの時の自分は気の迷いなどではなかったとわかっただけ。
どちらにせよ許される道ではない。
彼女はこの国の王女なのだから。
目を閉じると、どっと疲れがやってくる。
気付けば眠りに落ちていた。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
はっと目を覚ますとブリジットが立ち上がったところだった。
「もう起きたの? それほど時間は経っていないわよ」
言いながら、編まれた蔦をつたい「少し出て来るわね」と地上へ上がっていった。
ロードは息を吐き出し、抱え込んだ膝を見下ろしてびくりと肩を上げた。
その視界にじっとこちらを見るプリメラの姿があったからだ。
「……何をしている?」
「見てただけよ。触ってはいないわ」
「まだ約束は守っているわけか」
プリメラは抱えた膝の上に顎を載せたまま、ずりずりと後退しロードと並んで壁にもたれた。
「やっと思い出したのね」
「忘れてなんかねえよ。あれとこれが同じ人間だってわかるわけねえだろ」
「別に何も変わってないじゃない」
変わってないわけがあるか。
いきなり豪奢なドレスで現れ、髪も伸びて女らしく、大人っぽくなり、口調も王女そのもの。
剣を振る姿を見るまで、ずっと探していた同僚だなどと気付きもしなかったし、しばらくは思い過ごしではないのかと悩んだ。
だがロードは黙って膝に頬杖をつき、隣に座るプリメラをじろりと睨んだ。
「病気だったのか? だから倒れたのか? ずっと寝込んででもいたのか」
「いたって健康よ。健康過ぎただけ」
「どういうことだ」
「胸が発育しすぎて男用の鎧を着るために締め付け過ぎて苦しくなって、酸欠になっただけ」
その言葉にロードはがくりと項垂れた。
――成長期。
「倒れた時に、慌てた騎士団長がお兄様にバラしちゃったの。ものすごく怒られたわ。三日は髪の毛が伸びないんじゃないかと思うほど」
「それくらいで済んだならよかったな」
「よくないわ。今度修練場に行ったら剣も取り上げるって立ち入り禁止にされたんだから」
だからもう来なくなったのか。
肩から力が抜け、ロードは体中から息を吐き出した。
「心配してくれてたんだ?」
「当たり前だろうが」
死んだのかもしれないと思っていた。
もう二度と、会えないのだと思っていた。
プリメラは膝に顎を載せたままロードの顔を見上げるようにして覗き込む。
「ふうん?」
「心配かけたら『ごめんなさい』じゃないのか」
「ごめんなさい。それとありがとう」
「よし」
「寂しかった?」
「……」
「そこは素直に『会いたかった』でしょうが」
「なんでだよ」
「ほう?」
「……」
「ほおぉん?」
「……修練場に来られないなら呼び出せばよかっただろう。騎士見習いじゃなく王女なんだからいくらだって命令できる。そしてもっと早くに説明してたら俺は無駄に――。なんでもない」
「『会いたかった』ということで理解したわ」
ロードは黙って前を向いた。
「王女が騎士を呼び出したりしたら、もっとロードが居心地悪くなるでしょ。それと、いつまでも『ウィル』のままじゃ、絶対ロードは手を出してくれないから」
「王女にも手は出さねえよ」
「出させるわよ」
「おい。慎め」
「だってそうでもしなきゃロードは壁なんて飛び越えないでしょ」
ロードは「おい、あのな……!」と横を振り向き、じっとこちらを見るプリメラの視線とかちあうとしばらく黙り込んだ。
そうして再び前を向く。
顔を見ずに喋っていると、あの時のままだ。
だが顔を見てしまえば、隣にいるのはこの国の王女プリメラでしかない。
伸びた髪も、しなやかな体つきも、どうやってももう少年には見えない。
「なんで『ウィル』って偽名にしたんだ?」
初恋の男の名前でも借りたか? という軽口は何故か喉の奥で止まって出てこなかった。
「適当」
聞いて損した。
「物語とかでは自分の名前からとったり、誰かの名前を借りたりするけど、わざわざヒント与えてどうすんのって。こっちは身分を隠そうとしてるんだからさ、本来の自分とはかけ離れた存在にしないと」
王女としてではない、ウィルとしての喋り方が懐かしく、ロードは思わず苦笑した。
「なんで笑うのよ」
「いや、いちいち正論だが、髪だけは短くしなかったのはさすが『乙女』だな」
「別に髪なんてまた生えてくるんだから切ったっていいんだけど、それじゃ王女としての公務に差し支えるでしょ。短く刈りこんだ王女がびらびらのドレス着てるとか嫌じゃない?」
「すまんが爆笑するだろうな」
「ロードならね。他の人は気まずそうに目を逸らすわよ」
その光景を想像したら、笑いが込み上げた。
「おまえの基準では筋肉はよくて、短髪は駄目なんだな。どっちも突っ切ったらいいだろうが」
「久しぶりに見たわ、ロードが笑ったの。ずっとしかめっ面か苦笑ばっかりなんだもの」
そう言ったプリメラが微笑んだから。
途端に、どんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまった。
ブリジットの冷静な指摘は確かにその通りだが、生粋の王女がいきなり硬い地面で眠れるわけがないだろう。
そう思ったのに、プリメラの疲れは相当なようだった。
「そうね。万全の体調で挑みたいし」
そう言ってプリメラは横になるなりすうすうと眠りに落ちていった。
「もう寝たのか……?」
ブリジットはよいしょ、と立ち上がるとプリメラの傍にいき、ロードの言葉を確かめるようにその手の平をつんつんとした。
姉妹だ。
「ぐっすりね」
こんな岩山の中に入るのも、あれほどの数の魔物と戦ったのも初めてに違いない。
神経も張り詰めていたことだろう。
「あらやだ。こんなに手がごつこつぼこぼこして。皮膚の病?」
「剣ダコですよ」
ロードの答えを聞いて、ブリジットは慈しむようにプリメラの指をそっと撫でた。
およそ王女らしくない手。
長年剣に励んできた苦労の跡ばかりが見えて胸が詰まる。
こんな華奢な体で、一人鍛えてきたのだろう。
「この子は小さい頃から、ただで死ぬのは嫌! と言って剣を振り回していたから。それが本当にこんなところまで来られるほど強くなるとはね」
言いながら、ブリジットはかがんだまま首を振り向かせた。
「もうぐっすり寝てるから、気を張らなくていいわ。手当て、手伝いましょうか?」
「気づいておられたのですか」
「あの子は返り血を浴びて鼻が利かなくなってしまっているんでしょうね」
「一人でできます」
ロードが答えると、ブリジットは「そう」とプリメラに向き直り、腰につけていたポーチをごそごそと漁った。
そうして道具を取り出すと、そっとプリメラの腕を取り、手当てを始めた。
ロードも着ていた鎧を外すと、痛みで詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
荷物の中から包帯と薬を取り出し、ぼろぼろになった服をまくり、魔物に引っかかれた傷に薬を塗っていく。
「プリメラがこれだけの怪我で済んでいるのは、あなたがいてくれたからね」
「いえ。プリメラ王女殿下の腕は騎士にもひけをとりません」
「あの子の努力をそんな風に言ってくれてありがとう」
ブリジットはプリメラの顔についた血や汚れをそっと拭った。
「手当てが終わったらあなたも休みなさい」
「気遣い、痛み入ります」
左腕にぐるぐると包帯を巻きながら、ロードはふと視線を感じて顔を上げた。
目が合ったのはブリジット。
気付けば手を止めこちらを振り向いていた。
とても興味津々の顔で。
「ムッキムキのバッキバキね。どうやって鍛えたらそこまでになるの?」
「暇だったので」
「ねえ。触っていい?」
「ダメです」
「減りはしないでしょう」
「接触した刺激による肌の摩擦で皮膚細胞がめくれるので減ります」
「何その理系な拒否の仕方」
「触れるとぼろぼろになるということについてひたすら調べた時期がありましたので――」
答えながら、はっとした。
いつのまにかプリメラの寝息が止まっていて、横になったはずのプリメラが頭をもたげてこちらをじーっと見ていた。
らんらんとした目が怖い。
「起きたのか」
「邪悪な気配を感じて」
邪悪とは。
無表情でカッと目だけを見開いているプリメラのほうがよほど怖い。
「お姉様」
「なによ、プリメラ」
「ロードに指一本でも触れたら怒るわよ」
「そうですよ、俺は呪われて――」
ロードの言葉は姉妹のやり取りに一瞬のうちに掻き消された。
「なんでよ」
「私のほうがずっと先に待ってたからよ」
「そんなの知らないわ。今そこにあるのに何故順番待ちをしなければならないのよ」
「お姉様の番は来ません」
「プリメラ。いいものを独り占めするものではないわ」
息を継ぐ暇もない。
当人を置いてけぼりにして。
「なんでそんなに他人の筋肉なんて触りたがるんだか……」
「触りたいに決まってるでしょう!?」
キッと睨んだのはプリメラだ。
「自分にないものだからこそ憧れなのよ気になるのよ。私のこのひ弱な体には」ひ弱?「筋肉増強メニューをお願いしたり、筋肉をひたすら鍛えてみたりしたことはあるけど全然つきやしないのよ!」
つい間に疑問を差し挟みたくなるが、確かに筋肉の付きやすさは男女差だけでなく個人差もある。
「よかったんじゃないか? パレードで沿道を走る馬車からムキムキな王女が手を振ってたらみんなビビるだろ」
「あら元気ねって安心できるじゃない。他国への抑止力にもなるわ」
斬新な前向きさすぎてもはやブリジットが残念な子を見るように微笑んでいるではないか。
「私だってその触り心地を確かめてみたいと思いながら我慢してるのに」
じとっと恨めしげな目を向けられても困る。
「ねえ、いい筋肉は力を入れていない時ふにふにしてるって本当?」
「いや知らんが、別にずっと固いわけじゃない」
「それいい筋肉じゃない! つんつんしたらどんな感じ? その腕にぶら下がってみたい。タックルしてみたい」
「もういい。寝ろ」
「はい」
そう返事をすると、プリメラはすんと表情を消し、ぱたりと頭を戻した。
まさかタックルするつもりだったとは。せめて挨拶のハグからにしてほしい。
再び目を瞑ったプリメラからは、秒でぐうと寝息が聞こえ始めた。
「まさか……今のは全部寝言だったんじゃ」
自分で呟きながら、ありうるな、と頷いてしまった。
プリメラとロードの会話の応酬を生暖かい目で見守っていたブリジットは、生暖かい目のままロードに声をかけた。
「相変わらず己の欲望に忠実な子ね。あなたも、筋肉に触るのは我慢してあげるからゆっくり休みなさい」
「はい」
ロードは道具を片づけると元のように鎧を着こみ、壁にもたれかかった。
プリメラはもう目を開けない。
長い睫毛を伏せ、ゆっくりと肩を上下させている。
「あなたがプリメラの傍にいてくれる人でよかったわ」
「いえ……。俺は」
その先は続けられなかった。
彼女の剣筋や懐かしいやりとりに、あの少年のことばかり思い出す理由の確信を深めた。だが何が変わるわけでもないのだ。
ただ、あの時の自分は気の迷いなどではなかったとわかっただけ。
どちらにせよ許される道ではない。
彼女はこの国の王女なのだから。
目を閉じると、どっと疲れがやってくる。
気付けば眠りに落ちていた。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
はっと目を覚ますとブリジットが立ち上がったところだった。
「もう起きたの? それほど時間は経っていないわよ」
言いながら、編まれた蔦をつたい「少し出て来るわね」と地上へ上がっていった。
ロードは息を吐き出し、抱え込んだ膝を見下ろしてびくりと肩を上げた。
その視界にじっとこちらを見るプリメラの姿があったからだ。
「……何をしている?」
「見てただけよ。触ってはいないわ」
「まだ約束は守っているわけか」
プリメラは抱えた膝の上に顎を載せたまま、ずりずりと後退しロードと並んで壁にもたれた。
「やっと思い出したのね」
「忘れてなんかねえよ。あれとこれが同じ人間だってわかるわけねえだろ」
「別に何も変わってないじゃない」
変わってないわけがあるか。
いきなり豪奢なドレスで現れ、髪も伸びて女らしく、大人っぽくなり、口調も王女そのもの。
剣を振る姿を見るまで、ずっと探していた同僚だなどと気付きもしなかったし、しばらくは思い過ごしではないのかと悩んだ。
だがロードは黙って膝に頬杖をつき、隣に座るプリメラをじろりと睨んだ。
「病気だったのか? だから倒れたのか? ずっと寝込んででもいたのか」
「いたって健康よ。健康過ぎただけ」
「どういうことだ」
「胸が発育しすぎて男用の鎧を着るために締め付け過ぎて苦しくなって、酸欠になっただけ」
その言葉にロードはがくりと項垂れた。
――成長期。
「倒れた時に、慌てた騎士団長がお兄様にバラしちゃったの。ものすごく怒られたわ。三日は髪の毛が伸びないんじゃないかと思うほど」
「それくらいで済んだならよかったな」
「よくないわ。今度修練場に行ったら剣も取り上げるって立ち入り禁止にされたんだから」
だからもう来なくなったのか。
肩から力が抜け、ロードは体中から息を吐き出した。
「心配してくれてたんだ?」
「当たり前だろうが」
死んだのかもしれないと思っていた。
もう二度と、会えないのだと思っていた。
プリメラは膝に顎を載せたままロードの顔を見上げるようにして覗き込む。
「ふうん?」
「心配かけたら『ごめんなさい』じゃないのか」
「ごめんなさい。それとありがとう」
「よし」
「寂しかった?」
「……」
「そこは素直に『会いたかった』でしょうが」
「なんでだよ」
「ほう?」
「……」
「ほおぉん?」
「……修練場に来られないなら呼び出せばよかっただろう。騎士見習いじゃなく王女なんだからいくらだって命令できる。そしてもっと早くに説明してたら俺は無駄に――。なんでもない」
「『会いたかった』ということで理解したわ」
ロードは黙って前を向いた。
「王女が騎士を呼び出したりしたら、もっとロードが居心地悪くなるでしょ。それと、いつまでも『ウィル』のままじゃ、絶対ロードは手を出してくれないから」
「王女にも手は出さねえよ」
「出させるわよ」
「おい。慎め」
「だってそうでもしなきゃロードは壁なんて飛び越えないでしょ」
ロードは「おい、あのな……!」と横を振り向き、じっとこちらを見るプリメラの視線とかちあうとしばらく黙り込んだ。
そうして再び前を向く。
顔を見ずに喋っていると、あの時のままだ。
だが顔を見てしまえば、隣にいるのはこの国の王女プリメラでしかない。
伸びた髪も、しなやかな体つきも、どうやってももう少年には見えない。
「なんで『ウィル』って偽名にしたんだ?」
初恋の男の名前でも借りたか? という軽口は何故か喉の奥で止まって出てこなかった。
「適当」
聞いて損した。
「物語とかでは自分の名前からとったり、誰かの名前を借りたりするけど、わざわざヒント与えてどうすんのって。こっちは身分を隠そうとしてるんだからさ、本来の自分とはかけ離れた存在にしないと」
王女としてではない、ウィルとしての喋り方が懐かしく、ロードは思わず苦笑した。
「なんで笑うのよ」
「いや、いちいち正論だが、髪だけは短くしなかったのはさすが『乙女』だな」
「別に髪なんてまた生えてくるんだから切ったっていいんだけど、それじゃ王女としての公務に差し支えるでしょ。短く刈りこんだ王女がびらびらのドレス着てるとか嫌じゃない?」
「すまんが爆笑するだろうな」
「ロードならね。他の人は気まずそうに目を逸らすわよ」
その光景を想像したら、笑いが込み上げた。
「おまえの基準では筋肉はよくて、短髪は駄目なんだな。どっちも突っ切ったらいいだろうが」
「久しぶりに見たわ、ロードが笑ったの。ずっとしかめっ面か苦笑ばっかりなんだもの」
そう言ったプリメラが微笑んだから。
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