上 下
47 / 53
第5章 フリージア=リークハルトの道先

第5話

しおりを挟む
「ジェフリー! いつの間にそんなところに!」

 遠く群衆の中にいた母親が気付いて駆け寄れば、騎士団が有事に備えるように動き出し、つられるように群衆も少しずつこちらに歩み寄ってくる。

「おかあさん、この灰色の耳のお姉さんだよ。前にさ、大工さん家の近くで遊んでたら、棒がいっぱい倒れてきて、あぶないっ! ってなったときに、助けてくれたんだよ」

 リッカが「内緒って言ったじゃないですか」と苦笑すれば、ジェフリーと呼ばれた男の子は「あっ」と思い出したように両手で口をぱたりと覆った。
 必死な顔で駆け寄っていた母親は勢いをなくし、戸惑うようにリッカをちらりと見る。

「ジェフリー、でもその人は……」

「びっくりすると耳が出ちゃうんだって。今日も、みんながケンカしてるからびっくりしちゃったんだね。ねえ、お姉ちゃんたちはどうしてどっかに行かなきゃいけないの?」

 純粋なその問いに、母親は言葉を探すように目をさまよわせた。
 代わりにリッカが答える。

「みんなが幸せに暮らすためですよ。私たちは、もっと仲間がいっぱいいるところに行くのです」

「お姉ちゃんがいた方が僕は幸せだよ。みんなはどうしてお姉ちゃんたちがいたら幸せにならないの?」

 周囲に迷いと気まずさが広がっていく。
 誰も目を見ようとしない。
 そんな空気の中、一人の足音が群衆から抜け出した。

「フリージア様、私も行きます!」

 それはいつものお仕着せではなく、旅装に身を包んだアニーだった。
 息を切らしているところを見ると、異変を嗅ぎつけ、アシェント伯爵家から追いかけてきたのかもしれない。

「アニー、あなたには家族がいるでしょう。家族からあなたを奪うなんてできないわ」

「家族と一緒に後を追いかけます。だからどこへ行くのか教えてください。もう私たちもこの国に住むのは限界なんです」

「限界、って……。一体何があったの?」

 戸惑い訊ねたフリージアの前で、アニーがぐっと力をこめたのがわかった。
 その瞬間、かぶっていた帽子がふわりと浮いて、その下から兎の耳が現れた。

「私も魔物との混血なんです。母を始めとして、兄弟たちは姿の制御がうまくありません。リッカさんのように、驚くとすぐに耳が出てしまいます。だから外で働けるのは私だけで。でも、兄弟たちも大きくなって、私一人で養っていくのは限界です。私たちはもう、この国では生きていけないんです」

「そんな……全然知らずにいたわ。今まで力になれなくてごめんなさい」

 フリージアは心底から驚いた。
 この邸に来る前に、既に魔物との混血に会っていたとは思いもしなかった。

「いえ! 隠していてごめんなさい! フリージア様の声もずっと聞こえていたんです。グレイ様を想い、邸から出たがっている声が。でも、私は仕事を失うわけにはいかなくて、何もできなくて――。ごめんなさい。ごめんなさい、フリージア様」

 アニーはぼろぼろと涙を零した。
 その懺悔はあまりにやるせなかった。

「私こそ、そんなアニーの気持ちに気付いてあげられなくてごめんなさい。重い気持ちを背負わせてしまってごめんなさい」

 優しく抱きしめれば、アニーはいっそう激しく泣きじゃくった。

「これまで辛かったわね。それなら、一緒に行きましょう。ジェームズ様がサルーシュナの国王様とお話ができるそうなの。だからまずはそこに行ってみるつもりよ」

「だったら俺も……、俺もこの国を出る」

 群衆の中から、ぽつりとそんな声が聞こえた。
 一つ上がると、また一つ「オレも行く」「私たちも家族で移住するわ」と声が続いた。

 カーティスが訝しげに眉を顰める。

「何を言っている……? 正気か」

「私の家族も、ずっと隠れて暮らしてきたのです。でも、いつバレてしまうかと冷や冷やしながら生きるのは、もう疲れました」

「うっかり耳でも出ちまったら、どうなるかわかりゃしない。そんな恐怖におびえながら生きるなんて、もう懲り懲りだ。この国を出るなんて今まで考えられなかったけど、一人じゃないなら、グレイ様たちがいるなら、オレも行きたい!」

 次から次へと群衆から人が抜け出せば、騎士団からも一人進み出る者があった。

「俺も、いつ仲間にバレるかと気が気じゃなかった。王宮なんかに勤めている以上、見つかれば終わりだ。ストレスで、もう限界だったんだ」

「お前?! お前もそうだったのか!」

「嘘だろ……。当たり前に暮らしてた中に、こんなにも潜んでたっていうのか」

 ぽつりと呟かれた言葉は、静かな風に乗って動揺を広げていく。
 そして町人たちと同じように、後から続く者が何人もあった。
 騎士たちの間に動揺が広がっていく。

「な、なあ、第二騎士団からこんなに人が抜けたってわかったら、第一も、第三も同じ事にならないか? どれだけ減るんだ? そんな時に国に何かあったらどうする」

「サルーシュナに行くって言ってたよな? その動きが他国にも伝われば、攻め込む絶好の機会だと見られないか?」

「そうなったらこの国は終わりじゃないか! この町の人だけじゃない、騎士団もってことは、他の町にもたくさんいるってことだろ? ここにいるだけでも、二割……、いや、三割だ。国民が三割も他の国に流れるんだぞ!」

 騎士団の動揺は町人たちの比ではなかった。

「お、おい、考え直せよ。お前がこれまで姿を隠してたことは驚いたけど、でもおれたちに危害を加えるような奴じゃないってことはよくわかってる。だからここだけの秘密にするから、お前たちは騎士団に残れよ」

 ついにそんな声が上がり始めれば、残った町人たちも顔を見合わせ、ざわつきはいっそう大きくなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

処理中です...