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第5章 フリージア=リークハルトの道先
第5話
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「ジェフリー! いつの間にそんなところに!」
遠く群衆の中にいた母親が気付いて駆け寄れば、騎士団が有事に備えるように動き出し、つられるように群衆も少しずつこちらに歩み寄ってくる。
「おかあさん、この灰色の耳のお姉さんだよ。前にさ、大工さん家の近くで遊んでたら、棒がいっぱい倒れてきて、あぶないっ! ってなったときに、助けてくれたんだよ」
リッカが「内緒って言ったじゃないですか」と苦笑すれば、ジェフリーと呼ばれた男の子は「あっ」と思い出したように両手で口をぱたりと覆った。
必死な顔で駆け寄っていた母親は勢いをなくし、戸惑うようにリッカをちらりと見る。
「ジェフリー、でもその人は……」
「びっくりすると耳が出ちゃうんだって。今日も、みんながケンカしてるからびっくりしちゃったんだね。ねえ、お姉ちゃんたちはどうしてどっかに行かなきゃいけないの?」
純粋なその問いに、母親は言葉を探すように目をさまよわせた。
代わりにリッカが答える。
「みんなが幸せに暮らすためですよ。私たちは、もっと仲間がいっぱいいるところに行くのです」
「お姉ちゃんがいた方が僕は幸せだよ。みんなはどうしてお姉ちゃんたちがいたら幸せにならないの?」
周囲に迷いと気まずさが広がっていく。
誰も目を見ようとしない。
そんな空気の中、一人の足音が群衆から抜け出した。
「フリージア様、私も行きます!」
それはいつものお仕着せではなく、旅装に身を包んだアニーだった。
息を切らしているところを見ると、異変を嗅ぎつけ、アシェント伯爵家から追いかけてきたのかもしれない。
「アニー、あなたには家族がいるでしょう。家族からあなたを奪うなんてできないわ」
「家族と一緒に後を追いかけます。だからどこへ行くのか教えてください。もう私たちもこの国に住むのは限界なんです」
「限界、って……。一体何があったの?」
戸惑い訊ねたフリージアの前で、アニーがぐっと力をこめたのがわかった。
その瞬間、かぶっていた帽子がふわりと浮いて、その下から兎の耳が現れた。
「私も魔物との混血なんです。母を始めとして、兄弟たちは姿の制御がうまくありません。リッカさんのように、驚くとすぐに耳が出てしまいます。だから外で働けるのは私だけで。でも、兄弟たちも大きくなって、私一人で養っていくのは限界です。私たちはもう、この国では生きていけないんです」
「そんな……全然知らずにいたわ。今まで力になれなくてごめんなさい」
フリージアは心底から驚いた。
この邸に来る前に、既に魔物との混血に会っていたとは思いもしなかった。
「いえ! 隠していてごめんなさい! フリージア様の声もずっと聞こえていたんです。グレイ様を想い、邸から出たがっている声が。でも、私は仕事を失うわけにはいかなくて、何もできなくて――。ごめんなさい。ごめんなさい、フリージア様」
アニーはぼろぼろと涙を零した。
その懺悔はあまりにやるせなかった。
「私こそ、そんなアニーの気持ちに気付いてあげられなくてごめんなさい。重い気持ちを背負わせてしまってごめんなさい」
優しく抱きしめれば、アニーはいっそう激しく泣きじゃくった。
「これまで辛かったわね。それなら、一緒に行きましょう。ジェームズ様がサルーシュナの国王様とお話ができるそうなの。だからまずはそこに行ってみるつもりよ」
「だったら俺も……、俺もこの国を出る」
群衆の中から、ぽつりとそんな声が聞こえた。
一つ上がると、また一つ「オレも行く」「私たちも家族で移住するわ」と声が続いた。
カーティスが訝しげに眉を顰める。
「何を言っている……? 正気か」
「私の家族も、ずっと隠れて暮らしてきたのです。でも、いつバレてしまうかと冷や冷やしながら生きるのは、もう疲れました」
「うっかり耳でも出ちまったら、どうなるかわかりゃしない。そんな恐怖におびえながら生きるなんて、もう懲り懲りだ。この国を出るなんて今まで考えられなかったけど、一人じゃないなら、グレイ様たちがいるなら、オレも行きたい!」
次から次へと群衆から人が抜け出せば、騎士団からも一人進み出る者があった。
「俺も、いつ仲間にバレるかと気が気じゃなかった。王宮なんかに勤めている以上、見つかれば終わりだ。ストレスで、もう限界だったんだ」
「お前?! お前もそうだったのか!」
「嘘だろ……。当たり前に暮らしてた中に、こんなにも潜んでたっていうのか」
ぽつりと呟かれた言葉は、静かな風に乗って動揺を広げていく。
そして町人たちと同じように、後から続く者が何人もあった。
騎士たちの間に動揺が広がっていく。
「な、なあ、第二騎士団からこんなに人が抜けたってわかったら、第一も、第三も同じ事にならないか? どれだけ減るんだ? そんな時に国に何かあったらどうする」
「サルーシュナに行くって言ってたよな? その動きが他国にも伝われば、攻め込む絶好の機会だと見られないか?」
「そうなったらこの国は終わりじゃないか! この町の人だけじゃない、騎士団もってことは、他の町にもたくさんいるってことだろ? ここにいるだけでも、二割……、いや、三割だ。国民が三割も他の国に流れるんだぞ!」
騎士団の動揺は町人たちの比ではなかった。
「お、おい、考え直せよ。お前がこれまで姿を隠してたことは驚いたけど、でもおれたちに危害を加えるような奴じゃないってことはよくわかってる。だからここだけの秘密にするから、お前たちは騎士団に残れよ」
ついにそんな声が上がり始めれば、残った町人たちも顔を見合わせ、ざわつきはいっそう大きくなった。
遠く群衆の中にいた母親が気付いて駆け寄れば、騎士団が有事に備えるように動き出し、つられるように群衆も少しずつこちらに歩み寄ってくる。
「おかあさん、この灰色の耳のお姉さんだよ。前にさ、大工さん家の近くで遊んでたら、棒がいっぱい倒れてきて、あぶないっ! ってなったときに、助けてくれたんだよ」
リッカが「内緒って言ったじゃないですか」と苦笑すれば、ジェフリーと呼ばれた男の子は「あっ」と思い出したように両手で口をぱたりと覆った。
必死な顔で駆け寄っていた母親は勢いをなくし、戸惑うようにリッカをちらりと見る。
「ジェフリー、でもその人は……」
「びっくりすると耳が出ちゃうんだって。今日も、みんながケンカしてるからびっくりしちゃったんだね。ねえ、お姉ちゃんたちはどうしてどっかに行かなきゃいけないの?」
純粋なその問いに、母親は言葉を探すように目をさまよわせた。
代わりにリッカが答える。
「みんなが幸せに暮らすためですよ。私たちは、もっと仲間がいっぱいいるところに行くのです」
「お姉ちゃんがいた方が僕は幸せだよ。みんなはどうしてお姉ちゃんたちがいたら幸せにならないの?」
周囲に迷いと気まずさが広がっていく。
誰も目を見ようとしない。
そんな空気の中、一人の足音が群衆から抜け出した。
「フリージア様、私も行きます!」
それはいつものお仕着せではなく、旅装に身を包んだアニーだった。
息を切らしているところを見ると、異変を嗅ぎつけ、アシェント伯爵家から追いかけてきたのかもしれない。
「アニー、あなたには家族がいるでしょう。家族からあなたを奪うなんてできないわ」
「家族と一緒に後を追いかけます。だからどこへ行くのか教えてください。もう私たちもこの国に住むのは限界なんです」
「限界、って……。一体何があったの?」
戸惑い訊ねたフリージアの前で、アニーがぐっと力をこめたのがわかった。
その瞬間、かぶっていた帽子がふわりと浮いて、その下から兎の耳が現れた。
「私も魔物との混血なんです。母を始めとして、兄弟たちは姿の制御がうまくありません。リッカさんのように、驚くとすぐに耳が出てしまいます。だから外で働けるのは私だけで。でも、兄弟たちも大きくなって、私一人で養っていくのは限界です。私たちはもう、この国では生きていけないんです」
「そんな……全然知らずにいたわ。今まで力になれなくてごめんなさい」
フリージアは心底から驚いた。
この邸に来る前に、既に魔物との混血に会っていたとは思いもしなかった。
「いえ! 隠していてごめんなさい! フリージア様の声もずっと聞こえていたんです。グレイ様を想い、邸から出たがっている声が。でも、私は仕事を失うわけにはいかなくて、何もできなくて――。ごめんなさい。ごめんなさい、フリージア様」
アニーはぼろぼろと涙を零した。
その懺悔はあまりにやるせなかった。
「私こそ、そんなアニーの気持ちに気付いてあげられなくてごめんなさい。重い気持ちを背負わせてしまってごめんなさい」
優しく抱きしめれば、アニーはいっそう激しく泣きじゃくった。
「これまで辛かったわね。それなら、一緒に行きましょう。ジェームズ様がサルーシュナの国王様とお話ができるそうなの。だからまずはそこに行ってみるつもりよ」
「だったら俺も……、俺もこの国を出る」
群衆の中から、ぽつりとそんな声が聞こえた。
一つ上がると、また一つ「オレも行く」「私たちも家族で移住するわ」と声が続いた。
カーティスが訝しげに眉を顰める。
「何を言っている……? 正気か」
「私の家族も、ずっと隠れて暮らしてきたのです。でも、いつバレてしまうかと冷や冷やしながら生きるのは、もう疲れました」
「うっかり耳でも出ちまったら、どうなるかわかりゃしない。そんな恐怖におびえながら生きるなんて、もう懲り懲りだ。この国を出るなんて今まで考えられなかったけど、一人じゃないなら、グレイ様たちがいるなら、オレも行きたい!」
次から次へと群衆から人が抜け出せば、騎士団からも一人進み出る者があった。
「俺も、いつ仲間にバレるかと気が気じゃなかった。王宮なんかに勤めている以上、見つかれば終わりだ。ストレスで、もう限界だったんだ」
「お前?! お前もそうだったのか!」
「嘘だろ……。当たり前に暮らしてた中に、こんなにも潜んでたっていうのか」
ぽつりと呟かれた言葉は、静かな風に乗って動揺を広げていく。
そして町人たちと同じように、後から続く者が何人もあった。
騎士たちの間に動揺が広がっていく。
「な、なあ、第二騎士団からこんなに人が抜けたってわかったら、第一も、第三も同じ事にならないか? どれだけ減るんだ? そんな時に国に何かあったらどうする」
「サルーシュナに行くって言ってたよな? その動きが他国にも伝われば、攻め込む絶好の機会だと見られないか?」
「そうなったらこの国は終わりじゃないか! この町の人だけじゃない、騎士団もってことは、他の町にもたくさんいるってことだろ? ここにいるだけでも、二割……、いや、三割だ。国民が三割も他の国に流れるんだぞ!」
騎士団の動揺は町人たちの比ではなかった。
「お、おい、考え直せよ。お前がこれまで姿を隠してたことは驚いたけど、でもおれたちに危害を加えるような奴じゃないってことはよくわかってる。だからここだけの秘密にするから、お前たちは騎士団に残れよ」
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