上 下
38 / 53
第4章 来客

第6話

しおりを挟む
 フリージアが素直な思いで口にしたことはジェームズもわかっている。
 たった十数年しか生きていないのだから、そう思ってしまうのも仕方のないことだ。

「相手を好きになったところで、その相手が同じように想いを返してくれるとは限らないのはどんな種族でも同じだが、私はその上に竜との混血であることも受け入れてもらわねばならない。確証も得られず想いを傾けた結果、相手に拒絶されれば、費やした時間と想いの大きさの分、痛手も大きい。何度もそんなことを繰り返していれば、誰でもいいとなるのは当然だろう」

 そんなことはたった一度経験すれば十分だったのに、懲りもせずに何度も夢を見ては心の中の何かを失っていった。
 何十年経とうとも、何百年経とうとも、傷は癒えない。
 それどころか、もうあんな想いはしたくないと臆病になるばかりで凝り固まっていく。
 身体は鋼のように堅くとも、心までそうとはいかない。

「何も知らずに勝手なことを言ってごめんなさい」

 フリージアが瞳をかげらせ、俯く。

 フリージアが今ジェームズを傷つけるつもりがなかったのと同じように、ジェームズとて誰かを不幸にしたいわけではない。仲睦まじい夫婦を引き裂きたかったわけではない。
 ジェームズには、もうそれしかなかったのだ。

 ジェームズは人の姿のまま一生を過ごすつもりはなかった。それは自分を否定することだからだ。
 だがそうすれば竜に変じた瞬間に人にも魔物にも恐れられ、それまで築いた関係などなかったことになってしまう。

 むなしい。

 先程まで好意的に向けられていた目が、畏怖に変わるのを目にする度に、ジェームズの中がすかすかと空虚になっていく。

「フリージアがもっと早く生まれていれば。あの青年よりも先に私が会っていれば。そうすれば、フリージアは私のものになっていたかもしれないのにな」

 寂しげにそう呟けば、フリージアは少しだけ首を傾げ、じっと考えた。
 そしてややあって、再び口を開いた。

「グレイ様に会っていなければ、私はこれほど強くはなれなかったと思います。私を変えたのはグレイ様なのです。ですから、先にジェームズ様に会っていたとしたら、それは今の私とは違う私です」

 だから、そんな仮定などなりたたない、ということか。
 あくまで竜を恐れないのはグレイが相手だったからだ、と再三言われてきたことではあるが、そうまで言われてしまえば、もうジェームズに言えることはない。
 どうあってもフリージアはグレイでなければ駄目だと言うのだから。

 ジェームズは思わず苦笑した。

「心の底からあの青年を羨ましく思う」

 ただの遠い親戚の名など、覚えはしない。
 一度会った人間に二度会うことなど珍しいからだ。
 
「私の寿命はまだ尽きそうもない。この永の時を一人過ごさねばならないのは、もう耐えがたい」

 思わず体の中の何かを吐き出すようにそう呟いた。

 フリージアの瞳が揺れる。
 帰る間際に見送りに出た時もそうだった。
 何かを言おうと必死に言葉を探している様子がわかった。


 いけるかもしれない。


 再びそう思った。

 ジェームズは長く生きただけあって傷も多いが、その分強かでもある。
 常に状況を見て己の行動も考えも変える。
 だから泣き去っても次の日にはけろりと現れた。

 最初から、フリージアに嫌われていないだろうことはジェームズにもわかっている。
 そしてフリージアが、優しい心の持ち主であろうことも。

 何よりもフリージアは、ジェームズ自身を拒んでいるわけではないのだ。グレイがいるからグレイを選んだだけ。
 先程はそんな仮定の話はなりたたないと言ったが、逆ならばどうか。

 グレイとは二度と会えないとなれば、諦めるのではないか。
 今は頑なでも、時間をかければほだされるのではないか。
 だとしたら、次の手を――

 そう考えた時だった。

 思考に割り込むように何かがキィンと甲高くうるさく騒ぐ。

「おい、あんた。誰に何してくれてんの?」

 その声はフリージアには聞こえていないようだ。

「それ、うちの奥様なんだけど。それ以上近づくと、殺すよ?」

 黒く小さな虫のようなものが、目の前をひらりと舞う。
 目で追いかければ、それはジェームズとフリージアの間を切り裂くように飛び回るコウモリだった。

「あっ――、もしかして、ユウ?」

「ご名答ですよ。こんな姿になったのは初めてですけど、思ったよりも便利ですね。コウモリは最速らしいし――って、どうせコウモリの超音波は人間の耳には聞こえないだろうけど」

「通訳してやろうか?」

 ジェームズが言えば、カチンときたようなユウの声が返る。

「お断りだよ。なんて翻訳されるかわかったもんじゃない」

 飛び回るコウモリの姿を目で追えば、空からまた別の黒い塊が突っ込むように滑空してくる。
 それは大型の黒い鳥で、ジェームズを威嚇するように鋭い足を向け何度もバサバサとその場で羽ばたいて見せた。
 まるでフリージアにこの男から離れろと言わんばかりに。

 意図が通じたわけでもあるまいが、鳥の羽ばたきに固まっていたフリージアが一歩二歩と後退する。

「ジュナまで……、追いかけてきてくれたの?」

 その時、どこか遠くから風の音が聞こえた。

 フリージアにも聞こえたのか、はっとして夜空を見上げる。
 ややあってそこに現れたのは、赤い竜が羽ばたく姿だった。

「グレイ様!! ここです!」

 夜空に向かって叫んだフリージアの顔が、月のような光を放ち、明るんだ。
 寒さを耐え忍んだ花が太陽の光を受けてぱっと花開くように。

 ジェームズはそれを見た瞬間、どんな手を使っても無駄なのだなと悟った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

今日、大好きな婚約者の心を奪われます 【完結済み】

皇 翼
恋愛
昔から、自分や自分の周りについての未来を視てしまう公爵令嬢である少女・ヴィオレッタ。 彼女はある日、ウィステリア王国の第一王子にして大好きな婚約者であるアシュレイが隣国の王女に恋に落ちるという未来を視てしまう。 その日から少女は変わることを決意した。将来、大好きな彼の邪魔をしてしまう位なら、潔く身を引ける女性になろうと。 なろうで投稿している方に話が追いついたら、投稿頻度は下がります。 プロローグはヴィオレッタ視点、act.1は三人称、act.2はアシュレイ視点、act.3はヴィオレッタ視点となります。 繋がりのある作品:「先読みの姫巫女ですが、力を失ったので職を辞したいと思います」 URL:https://www.alphapolis.co.jp/novel/496593841/690369074

【完結】妹が旦那様とキスしていたのを見たのが十日前

地鶏
恋愛
私、アリシア・ブルームは順風満帆な人生を送っていた。 あの日、私の婚約者であるライア様と私の妹が濃厚なキスを交わすあの場面をみるまでは……。 私の気持ちを裏切り、弄んだ二人を、私は許さない。 アリシア・ブルームの復讐が始まる。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

婚約破棄は別にいいですけど、優秀な姉と無能な妹なんて噂、本気で信じてるんですか?

リオール
恋愛
侯爵家の執務を汗水流してこなしていた私──バルバラ。 だがある日突然、婚約者に婚約破棄を告げられ、父に次期当主は姉だと宣言され。出て行けと言われるのだった。 世間では姉が優秀、妹は駄目だと思われてるようですが、だから何? せいぜい束の間の贅沢を楽しめばいいです。 貴方達が遊んでる間に、私は──侯爵家、乗っ取らせていただきます! ===== いつもの勢いで書いた小説です。 前作とは逆に妹が主人公。優秀では無いけど努力する人。 妹、頑張ります! ※全41話完結。短編としておきながら読みの甘さが露呈…

処理中です...