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第二章

第6話

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 スフィーナがアンリーク家の次期当主に決まり、グレイグが婿に入ることになったという噂はあっという間に広がった。
 ミリーは婚約がなくなったことでショックに打ちひしがれており、修道院に入るという話もある。

 スフィーナの義母であるイザベラは、ギリギリと親指の爪に歯を立てていた。

「忌々しい……。やはりさっさと始末しておくべきだったわ」

 そんな噂話は勝手に広まったもので、事実ではない。
 ダスティンに真偽を確かめたが、勝手な噂など放っておけと言うばかりだ。
 しかし本来はそうあるべきという声まで強く聞こえてきていた。
 そんな声に背を押され、ダスティンがその通りに決断をしてしまわないとも限らない。

 イザベラはここまで何もかもがうまくいっておらず、次々と手を打ってきた。
 モルント鉱山を手に入れるため。
 希少価値の高いピンクダイヤモンドを手に入れるため。

 だがどれも失敗に終わった。
 結局実の娘であるミリーをアンリーク家の当主とするという正攻法しか着実に進んでいなかったというのに。

 ダスティンは食えない男だ。
 イザベラがアンリーク家に入り込むよう指示を受け、初めて対面したあの時から。

     ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 アンリーク家にはダイヤモンドがいまだ多く眠る鉱山がある。それを手にしないかと常連客に持ち掛けられ、イザベラの心は踊った。
 つまらない毎日。
 働いても働いても楽にはならず、変化もない。
 だがいまや希少となったダイヤモンドを得るためにその人生を捧げ画策するというのは想像しただけでも刺激的で、そこに飛び込むことにためらいはなかった。

 いつもアンリーク家の馬車が通るという時間に合わせて、イザベラは街道の端で身を潜めていた。
 近づいてきた馬車の家紋がアンリーク家のものであることを確認し、イザベラはよろよろと街道に躍り出た。
 馭者は慌てて綱を引いたが、怪我をさせてしまったと慌てふためいた。イザベラは頬に傷をつけてあったのだ。

 何事かと中から出てきたのは、絵に描いたような貴族の夫婦。
 夫人は慌てて飛び出し、必死にイザベラを介抱しようとした。
 夫の方は最初心配そうに見ていたものの、やがてその目には疑惑の色が浮かんだ。
 それでも「放っておけない」という妻に押し切られるような形で、アンリーク伯爵であるダスティンは手当てのためイザベラを馬車に乗せ邸に連れ帰った。

 行くあてがないことを訴えたイザベラは、そのままアンリーク家の侍女となった。
 そうして哀れなイザベラを演じ、ダスティンを篭絡するつもりだった。
 だがダスティンは妻であるサナ以外に興味を示さなかった。
 あくまで主従として、涙ながらに話した人生には憐れみを向けるも話を聞くだけで、相談事には適切な人を紹介し、心を傾けることはなかった。
 悔しくなって、一つだけ本当のことを話した。
 だがそれも他の嘘に紛れて同じように流された。

 アンリーク伯爵夫人であるサナの方はというと、イザベラにいたく同情し、あれこれと世話を焼いた。
 サナは、不思議な魅力を持っていた。
 この国では見かけない真っ黒な髪に、いつも光を湛えた黒い瞳は優しくイザベラを見た。
 貴族であるのにとても気さくで、使用人たちとお茶をするような、そんな人間だった。

 それがまたイザベラの鼻についた。
 どんなに庶民ぶっても貴族は貴族だ。
 サナも生まれは貴族ではないと聞いたが、今現在貴族である人間と、そうではない人間はまったく違う。もはや同じではないのだ。
 それなのにイザベラのことがわかるというような口ぶりで話を聞き、世話を焼く。
 世話を焼けるのは上にいるからだ。人の話を涙を浮かべて聞けるのは、心に余裕があるからだ。
 すべては貴族であるがゆえなのに、上下など気にしていないという口ぶりが癇に障った。

 何もかもに恵まれ、安穏と笑っているサナが憎かった。
 だからいつか同じ位置に立って、イザベラもそうして幸せそうに笑うのだと心に誓った。

 イザベラをアンリーク家に送り込んだ男とはずっと繋がっていた。
 そうして子ができた。
 父親は決して明かさなかった。だが必ず意味ありげにダスティンを見た。
 ダスティンの子なのではないかと周囲の疑いが向くように。

 使用人たちは思った通りにひそひそと噂話をした。
 しかし当事者であるダスティンとサナは揺らがなかった。
 まるで互いを疑うことを知らないように。

 そんな姿を見せつけられるのも腹が立った。
 豊かだから、そんな余裕が持てるのだ。
 生活に必死にならず生きているから。
 あそこに自分がいれば、もっといい人生を歩めるのに。

 だからサナを追い出そうとした。
 あの手この手を使ったが、サナはダスティンを疑うことはせず、常に誰かに守られ、健気に強く、まっすぐに立っていた。

 サナが邪魔だった。

 ある日サナがスフィーナと出かけることになったとき。
 スフィーナをサナの目の前で連れ去るよう、男の手の者に頼んだ。
 そうして慌てて追いかけたサナを巧妙に誘い出し、馬車の前に飛び出させたのだ。

 葬儀が終わるまでスフィーナは口を開かなかった。
 そしてその時の記憶を失っていた。

 万が一覚えていたら、もっと早くにその命をも奪うつもりだった。
 その日サナの目を逸らすために偶然を装って話しかけたのが、イザベラにダイヤモンドの話を持ち掛けた男だったからだ。

 だが母に続いて子までなくなれば、さすがに怪しまれる。
 慌てずとも子供などいつでも消せるし、サナにしたのと同じように、邪魔なダスティンを消すのに使えるかもしれない。
 だからそのままに置いた。

 サナを失ったダスティンは目に見えて憔悴していた。
 そこにつけこみ、代わりに自分が支えるから後妻にしてほしいと頼んだ。
 互いに片親の子がいるのだから、協力し合うことができると。
 スフィーナとて母を亡くし寂しいはずだが、姉妹ができればいくらか心も慰められるだろうと。

 ダスティンはしばらく相手にしなかったが、喪が明けるとすぐに後妻を勧めてくる者が後をたたなかった。
 そこにイザベラは畳みかけた。
 このままではミリーが不幸になると。サナが可愛がってくれていたミリーを自分一人では幸せにしてやれず申し訳ないと。
 サナの意思だと説き伏せたのが効いたのか、後妻をとあちこちから持ち掛けられるのが面倒だったのか、ダスティンはイザベラを後妻にと選んだ。
 そうしてダスティンはイザベラとその子ミリーを温かく迎え、笑みの溢れる家庭となった。
 ミリーが使用人たちにいじめられたりしないようにと、ダスティンと血のつながった子だということにした。
 真実を知っている使用人たちはイザベラが全てやめさせた。それもすべてミリーのためだと言って。

 ダスティンは何でも言うことを聞いてくれた。
 欲しいものは与えてくれた。
 だが心と体は明け渡そうとはしなかった。
 目には見えなくとも、ダスティンの隣にはいつまでもサナがいるのだとわかった。
 受け入れたくせに、本当は受け入れていない。
 そんなダスティンが憎かった。死んでまで幸せを独り占めにするサナが憎かった。

 その気持ちがミリーにも伝わったのか、スフィーナの後については何でも欲しがるようになった。
 困ったようにしながらも、何でも与えるスフィーナが鼻についた。
 そもそもがすべてミリーのものであったかもしれないのに、自分のもののような顔をしているのが癪だった。
 イザベラはどこかで何かを間違えただけ。
 ミリーはそのあおりをくらってしまっただけ。

 スフィーナは髪も目の色もダスティンに似ているのに、その顔は紛れもなくサナの子だった。
 肌の白さや顔の作り、その身にまとう雰囲気がサナを思い出させた。

 だから、そうして歯噛みするイザベラを、死人が目の前で嘲笑っているようだった。
 どうせお前のものにはならない、と。

 自然とスフィーナにきつく当たるようになっていた。
 ダスティンは諫めたが、いつでも邸にいるわけではない。
 その間にスフィーナがさらにひどく当たられるとわかり、何も言うことはなくなった。
 邸のことはなんでもイザベラの思い通りになった。
 だが希少価値のあるピンクダイヤモンドが眠るモルント鉱山だけは手に入らなかった。

 こっそり人をやって採掘するのも難しかった。
 元鉱山夫が管理を委託され近くに住んでおり、しかも近くに騎士の訓練所があった。
 何かあればすぐに騎士が飛んでくるような場所では、モルント鉱山の所有者として堂々と採掘する権利を得るほかはなかった。

 ダスティンに閉山しているなら辺りを再開発して名物を作ってはどうか、その管理を任せてくれないかと人を紹介すると、話はにこにこと聞くものの、頷くことはなかった。
 モルント鉱山だけを話題に出すと企みが露見する。
 だからあらゆる誘いをかけ、目的は巧妙に隠した。
 イザベラの伝手も。
 あらゆる人脈を駆使し、煙に巻いた。

 そうして余計な手をかけていることもあってこれほど時間もかかっているのに、それでも手に入らない。
 だからあと一年もすれば学院を卒業し、結婚適齢期となるミリーに跡を継がせ、ダスティンを排除するしかない。

 そう思っていたのに。

「ここまできていきなりスフィーナを当主にするだなんて……。そんなこと、許せるわけがない」

 再びギリギリと歯を噛みしめ考えを巡らせ始めたとき、ドアがコンコンと明るくノックされた。

「お母様、いいかしら? お父様が今度のパーティのためにドレスを作ってくださったのよ」

 ミリーの声だ。
 ゲイツが逃げ出したと知った時は悔しさに地団駄を踏んでいたが、新たな婚約者をいくつか見繕ってやったら機嫌が直った。
 今度のパーティにはダミアン侯爵の次男ジードがエスコートすることになっている。
 本来ならあの男と繋がりのある人間をミリーの夫に据えられれば盤石なのだが、あの男との繋がりが露見するリスクがある。
 だから相手が誰であろうと構わないのだ。意に沿わぬようならまた排除すればいいだけだから。
 とかく領地の所有権がダスティンの手から離れさえすれば、後はどうとでもなる。

「今行くわ」

 機嫌を取り直し、軽やかに答えてミリーと共に新しいドレスを見に行く。
 部屋には珍しくダスティンもいて、ご機嫌で真っ赤なドレスをあてて見せるミリーを、にこにこと眺めていた。

「ミリー。その髪の色とよく合っているよ」

「ありがとう、お父さま!」

「とても豪華で、かわいらしいミリーの顔によく映えるわ。パーティに行くのが楽しみね」

 イザベラは満足げに笑みを浮かべそれだけ言うと、ダスティンがミリーと話をしている間にそっとその場を離れた。
 ダスティンの執務室に身を滑りこませれば、そこには黄色のドレスが飾られてあった。

「やっぱりね」

 ダスティンはミリーとスフィーナに差をつけない。
 だがこうして隠しておいておくのは、スフィーナのドレスも用意していることがわかればイザベラとミリーが文句を言うのがわかっているからだ。

 ドレスを同じように用意したということは、スフィーナも今度のパーティには参加させるつもりなのだろう。
 ラグート伯爵邸にいるのだから、出席させないわけにもいかない。

 イザベラはスフィーナのドレスをじっと眺めた。
 レモンのような爽やかな黄色はあの子の白い肌によく映えるだろう。
 裾にだけあしらわれた控えめなレースもあの子をよく表している。
 いつも控えめなドレスばかりだったが、真っ赤なドレスを送ったダスティンなりの良心なのか、肩に大きな花の飾りがついているのが幸いだった。
 スフィーナの顔などよく知らなくとも、これだけの目印があれば誰かと間違うことはないだろう。

 このドレスを着た時が、彼女の最後になる。

 イザベラは執務室の扉をそっと閉めた。
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