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第一章 国王陛下のおなり
6.国王陛下が薬屋に通っていた理由
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あっさりと愚者の仮面を剥いだユーティスは楽しそうな笑みを浮かべていたものの、先程までの天真爛漫さはない。
私は呆れてカウンターに頬杖をついた。
「なんで私がそんな茶番に付き合う必要があるのよ」
「俺一人バカみたいだろうが。おまえには気遣いというものはないのか」
「幼い頃にユーティスに対する気は遣い果たしたのよ。全部無駄打ちだったからもう残ってません」
「ははは! 相変わらずだな、リリア。元気そうで何よりだ」
元気の確認方法が間違っている。
そう思ったけど、胡乱げに見返すだけで何も言わずにおいた。
楽しそうに笑ったのが、意外だったから。懐かしむように私を見るその目も。
「まあ俺の快復後の姿を見ているおまえが、噂を鵜呑みにするとは思ってはいなかったが。それにしてもバカの仮面と断じるのが早すぎやしないか。他にもいろいろ考えられるだろう? 元々こういう人間だったとか。健康になって心も健やかになったとか」
その目がどこか私を試すように 眇められたので、ちょっとむっとした。
「だって目が変わってないじゃない、目が。笑顔を張り付けて口調を甘ったるく幼くしてるだけで、中身は何も変わってない」
「ほう、そうか?」
ユーティスは何故か嬉しそうに、にやにやと笑みを浮かべていた。
「まあ俺も仮面をかぶるのは飽き飽きしていたからな。ちょうどいい、リリアには今後も付き合ってもらうとしよう」
「さっき茶番には付き合わないって言ったばかりでしょ」
「まず何に付き合うのかを訊いてから断れ」
結果は変わらないと思うけど。
ユーティスは嫌そうに顔をしかめる私をそれはそれは楽しそうに見ながら言った。
「王宮で阿呆の仮面をかぶりつづけるのは至極疲れる。だからここへは息抜きに日参するとしよう。ありのままにいられるのはおまえを相手にしているときくらいだからな」
確かに王宮の陰謀とは無関係の私相手であれば、難しいことを考えずに思ったようにずけずけと毒を吐くこともできるだろう。だが何故私がサンドバックになってやらねばならないのか。
「そりゃこれだけ本性との乖離が激しかったら疲れるのは当たり前よ。でもそれは自己責任でしょ? 何で私が付き合わなきゃいけないのよ」
私だって年ごろだ。いずれは結婚したいし、今のうちに恋もしておきたかった。
それなのにこんな整った顔を毎日見せられていたら、他の男がただの野草に見えてしまって仕方ない。
「おまえにも責任はある。自分で言ったことの責任は持つべきだ」
ん? 私何か言ったっけ。
「それ何の話?」
「たったの四年しか経っていないのに忘れたか」
「四年も経ってたら十分に忘れられるわよ」
「ほう……。俺には忘れようにも忘れられない強烈な思い出なんだがな」
『強烈な思い出』?
しかも四年前ということは、あれか? 私が思いっきりユーティスをひっぱたいたときのことか。
いやでも、あの時そんな『言質は取ったぞ』とばかりに脅されるようなこと言ったかな。
自暴自棄になってるようなユーティスを見かねてぶち切れたことは覚えてるけど、何を言ったかまでは思い出せない。
そう思って顔を上げれば、ユーティスの顔を見て固まった。
何故か笑っていたのだ。
吊り上げるような魔王のごとき笑いでもなく。
無邪気を装った張り付けた笑みでもなく
ただ、懐かしむような、その時をいとおしむような。
不意に仮面の下に隠れているこんな顔を見てしまうから、放っておけなくなってしまうのだ。
「まあ、おまえの埃程度にしか存在しない脳みそになぞはなから期待しておらん。おまえが忘れようと事実は変わらぬ。俺が覚えていればそれでいいことだ」
「埃程度の脳みそで薬屋なんてできるか!」
戸惑いはユーティスの侮辱一発でキレイに吹き飛んだ。
「どうせおまえも暇だろう? そこへ毎日来てやるんだ、嘘でも少しは喜べ」
「私はユーティスと違って猫をかぶるのは得意じゃないの」
「嘘をつけ。久しぶりに会ってみれば、おまえこそなんだその柄でもない出で立ちは。完全に擬態してるだろうが」
そう言ってカウンターに頬杖をついたユーティスは、私のゆるゆる三つ編みを弄んだ。
「ちょっと、ほどかないでよね」
そう言って髪を取り上げ背中に流すと、ユーティスはオモチャを取り上げられた子供みたいな顔をした。
「客商売だからね。薬屋っぽく、大人しそう~な格好をしてるだけよ」
私はだっさいレンズの大きなメガネを指の腹で押し上げて見せた。
でも実は理由はそれだけじゃない。
自分で言うのもなんだけど、私ってばそれなりにかわいいのだ。成長するにつれ、変な人に絡まれることが多くなって面倒だったから、真逆のイメージを作った。効果はてきめんだった。見た目で寄って来る人なんて私にメリットは何もない。
でも幼い頃の私しか見ていないユーティスがそんなことを知るわけもないから、黙っておく。
自意識過剰が過ぎるとか、おまえごときが思い上がるなよ、とかふっと笑って言われたらカチーーンとくるのは目に見えているから。
「ふうん。まあこちらとしても好都合だがな。いらぬものが寄ってたかっているのではないかと危惧したが、これなら心配はいらなそうだ」
もしかしたら幼い頃、私がよく近所の悪ガキに絡まれてたことを言ってるのだろうか。それなら解決済だ。
「大丈夫よ、あいつらは腕でなんとかしたから」
子供の頃から何故かよく近所の男の子たちに絡まれた。ただ道を歩いていただけなのに、後ろからドンと小突かれたり、髪を引っ張られたり、髪が風にそよげばくしゃみが出て迷惑だとか、とんでもない言いがかりをつけられては絡まれていた。あれは私がかわいかったからじゃないと思う。まだ美醜などわかる前の年ごろだ。
やめてと言っても通じない相手には、全て力で解決してきた。
私が昔ガキ大将をも沈めた――いや、鎮めた自慢の力こぶを盛り上げて見せると、ユーティスは目を細めた。
「相変わらずなようで安心したが、そろそろ腕に頼るのはやめておけ。同じ年頃が相手じゃ勝てんだろう」
「まだいけるわよ」
相手があんたみたいに鍛えてなければね。
そう言う暇はなかった。
私の言葉にユーティスは、息をつく間もなくカウンターに手をつくと、だん、と床を蹴った。ひらりと身を翻してカウンターを飛び越えたかと思うと、あっという間に私の体はカウンターに縫い留められる。
私の体はユーティスとカウンターに挟まれ身動きがとれない。
しかもカウンターについた彼の腕で顔の両脇を挟まれ、見たくもないのに整った顔、まさに見かけだけは王子様なフェイスを直視せざるをえなくなる。
だから目の毒だって!
「ちょっと、いきなり何? どいてよ」
必死にその胸を押し返そうとするが、ぴくりともしなかった。
「と、いうように、おまえはもう俺にも勝てん。わかったらそろそろお転婆は控えておけ」
くそう。
美麗な顔で命令するな。その低い声で耳元に囁くな。いや低くなくても耳はやめてくれ。
「わかったから!」
完全な負けを認めると、ユーティスはぱっと身を離し、再びカウンターをひらり飛び越えて元の椅子に収まった。
解放され、内心でほっと息を吐く。
心臓に悪いので本当やめてほしい。
まったく、そんなことされたら並みの乙女じゃない私だってそりゃときめくわ。
顔が赤くなっていたとしたら癪なので、しばらく薬草棚でも見て気持ちを落ち着けておこう。
私はカウンターとユーティスに背を向けたまま口を開いた。
「ユーティスこそ、そろそろその仮面も脱いだらいいじゃない。もう命を狙われるだけの子供じゃないでしょ。ユーティスのことだからもう味方も作って周りを固めてるんだろうし、布陣も万全になった頃なんじゃない?」
「ほう?」とユーティスが上げた声には楽しさが滲んでいた。
「なんだ。そこまでわかってたか。おまえはつくづく面白い。やっぱり俺が見定めた通り、飽きそうにないな」
そんなことで私をオモチャにされても困る。殺すよりうまく裏で操る方がいいと思わせ、生き延びるためにアホの子を演じていたのは、状況から考えればわかることだ。
「周りが騙されてくれる素直な人ばかりでよかったじゃない」
国の重臣たちに対して「バカばっかりで」、とは言えないので大分オブラートに包んだ。私だって言葉に気を遣えるのだ。
けどユーティスには私が呑みこんだ言葉まで伝わっていたものらしい。
「俺を見ていないだけだ。バカなわけじゃない」
そんなもんだろうか。
第一王子なんて、王宮にいたら嫌でも目につくと思うんだけど。
いい加減頬も冷えた頃かと振り向けば、その目はどこか寂し気だ。きっとユーティスは気が付いていないんだろうけど。
もしかしたらよく見ていない、というより、自然と距離を取ってしまっていたんじゃないかな。
ユーティスは幼い頃からとても聡い子供だった。だからこそ邪魔に思われたのだろうし、単純にとっつきにくかったんだと思う。
それがアホの子になって帰ってきたから、周囲も疑うよりほっとしたのかもしれない。それに、まさかプライドの高そうなユーティスがそんな演技をするなんて思ってもみないんだろう。
「でも、いつまでもこのままってわけにもいかないでしょ」
「まだだ。今はまだ時期じゃない」
私には国のことも政治のこともわからないから、ユーティスが言うならそれまでだ。
あ、そう。と返した私に、ユーティスは席を立ちあがり暇を告げた。
「と、言うわけでまた明日も来るぞ。気力が回復する薬草茶でも用意して待っておけ」
「300ニールになります」
「友人相手に商売する気か」
「殿下と私がいつ友人になったんでしたっけ」
幼い頃、「おまえが持ってきた薬はまずくて飲めん」とか言われたことは忘れていない。終始そういう調子だったのに、どうやって友人としての信頼関係が築けたと言うのか。
だが予想に反してユーティスは、いやに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ほう……。それはいい。話が早く済みそうだ」
ん?
なんで毒づいた言葉にそんなに喜ぶ?
「友人からだとなかなか次に進みにくいとよく聞くからな」
小さく呟かれた言葉は、よく聞こえなかった。
ただ、とっても悪そうな顔で笑っていたので、触らぬ神に祟りなしとばかりに訊き返しはしなかった。
だけど。
正直を言えば、母を亡くし、一人でこの店に立つのは暇なことが多いし、いらぬことを考えてばかりだったから、毎日のように決まった時間にユーティスとくだらない話をしたり舌戦を繰り広げたりするのは嫌じゃなかった。
ユーティスも、毎日ニコニコ仮面をかぶっていたせいか、その頃から少しずつ柔らかい顔も見せるようになったなと、今は思う。
黒髪に黒い瞳で一見すると冷たく見えるユーティスが、私とのつまらない話でくつくつと笑ったりするのを見るのも、嫌いじゃなかった。
でもそんな日々はある日突然終わりを告げた。
ユーティスの父、前国王が崩御したからだ。
ユーティスの命を狙っていた第二王子派と第三王子派は、愚者の仮面をかぶったユーティスが王位継承者として相応しくないとの世論が高まると、今度は互いを敵として見定め、王子たちはその犠牲となってしまったのだ。
結果として、この時王位継承者として生き残っていたのは、ユーティスただ一人だった。
だからユーティスは愚王と呼ばれる傀儡の国王となり、学園に通うこともなくなり、そしてこの薬屋にも現れなくなった。
私は呆れてカウンターに頬杖をついた。
「なんで私がそんな茶番に付き合う必要があるのよ」
「俺一人バカみたいだろうが。おまえには気遣いというものはないのか」
「幼い頃にユーティスに対する気は遣い果たしたのよ。全部無駄打ちだったからもう残ってません」
「ははは! 相変わらずだな、リリア。元気そうで何よりだ」
元気の確認方法が間違っている。
そう思ったけど、胡乱げに見返すだけで何も言わずにおいた。
楽しそうに笑ったのが、意外だったから。懐かしむように私を見るその目も。
「まあ俺の快復後の姿を見ているおまえが、噂を鵜呑みにするとは思ってはいなかったが。それにしてもバカの仮面と断じるのが早すぎやしないか。他にもいろいろ考えられるだろう? 元々こういう人間だったとか。健康になって心も健やかになったとか」
その目がどこか私を試すように 眇められたので、ちょっとむっとした。
「だって目が変わってないじゃない、目が。笑顔を張り付けて口調を甘ったるく幼くしてるだけで、中身は何も変わってない」
「ほう、そうか?」
ユーティスは何故か嬉しそうに、にやにやと笑みを浮かべていた。
「まあ俺も仮面をかぶるのは飽き飽きしていたからな。ちょうどいい、リリアには今後も付き合ってもらうとしよう」
「さっき茶番には付き合わないって言ったばかりでしょ」
「まず何に付き合うのかを訊いてから断れ」
結果は変わらないと思うけど。
ユーティスは嫌そうに顔をしかめる私をそれはそれは楽しそうに見ながら言った。
「王宮で阿呆の仮面をかぶりつづけるのは至極疲れる。だからここへは息抜きに日参するとしよう。ありのままにいられるのはおまえを相手にしているときくらいだからな」
確かに王宮の陰謀とは無関係の私相手であれば、難しいことを考えずに思ったようにずけずけと毒を吐くこともできるだろう。だが何故私がサンドバックになってやらねばならないのか。
「そりゃこれだけ本性との乖離が激しかったら疲れるのは当たり前よ。でもそれは自己責任でしょ? 何で私が付き合わなきゃいけないのよ」
私だって年ごろだ。いずれは結婚したいし、今のうちに恋もしておきたかった。
それなのにこんな整った顔を毎日見せられていたら、他の男がただの野草に見えてしまって仕方ない。
「おまえにも責任はある。自分で言ったことの責任は持つべきだ」
ん? 私何か言ったっけ。
「それ何の話?」
「たったの四年しか経っていないのに忘れたか」
「四年も経ってたら十分に忘れられるわよ」
「ほう……。俺には忘れようにも忘れられない強烈な思い出なんだがな」
『強烈な思い出』?
しかも四年前ということは、あれか? 私が思いっきりユーティスをひっぱたいたときのことか。
いやでも、あの時そんな『言質は取ったぞ』とばかりに脅されるようなこと言ったかな。
自暴自棄になってるようなユーティスを見かねてぶち切れたことは覚えてるけど、何を言ったかまでは思い出せない。
そう思って顔を上げれば、ユーティスの顔を見て固まった。
何故か笑っていたのだ。
吊り上げるような魔王のごとき笑いでもなく。
無邪気を装った張り付けた笑みでもなく
ただ、懐かしむような、その時をいとおしむような。
不意に仮面の下に隠れているこんな顔を見てしまうから、放っておけなくなってしまうのだ。
「まあ、おまえの埃程度にしか存在しない脳みそになぞはなから期待しておらん。おまえが忘れようと事実は変わらぬ。俺が覚えていればそれでいいことだ」
「埃程度の脳みそで薬屋なんてできるか!」
戸惑いはユーティスの侮辱一発でキレイに吹き飛んだ。
「どうせおまえも暇だろう? そこへ毎日来てやるんだ、嘘でも少しは喜べ」
「私はユーティスと違って猫をかぶるのは得意じゃないの」
「嘘をつけ。久しぶりに会ってみれば、おまえこそなんだその柄でもない出で立ちは。完全に擬態してるだろうが」
そう言ってカウンターに頬杖をついたユーティスは、私のゆるゆる三つ編みを弄んだ。
「ちょっと、ほどかないでよね」
そう言って髪を取り上げ背中に流すと、ユーティスはオモチャを取り上げられた子供みたいな顔をした。
「客商売だからね。薬屋っぽく、大人しそう~な格好をしてるだけよ」
私はだっさいレンズの大きなメガネを指の腹で押し上げて見せた。
でも実は理由はそれだけじゃない。
自分で言うのもなんだけど、私ってばそれなりにかわいいのだ。成長するにつれ、変な人に絡まれることが多くなって面倒だったから、真逆のイメージを作った。効果はてきめんだった。見た目で寄って来る人なんて私にメリットは何もない。
でも幼い頃の私しか見ていないユーティスがそんなことを知るわけもないから、黙っておく。
自意識過剰が過ぎるとか、おまえごときが思い上がるなよ、とかふっと笑って言われたらカチーーンとくるのは目に見えているから。
「ふうん。まあこちらとしても好都合だがな。いらぬものが寄ってたかっているのではないかと危惧したが、これなら心配はいらなそうだ」
もしかしたら幼い頃、私がよく近所の悪ガキに絡まれてたことを言ってるのだろうか。それなら解決済だ。
「大丈夫よ、あいつらは腕でなんとかしたから」
子供の頃から何故かよく近所の男の子たちに絡まれた。ただ道を歩いていただけなのに、後ろからドンと小突かれたり、髪を引っ張られたり、髪が風にそよげばくしゃみが出て迷惑だとか、とんでもない言いがかりをつけられては絡まれていた。あれは私がかわいかったからじゃないと思う。まだ美醜などわかる前の年ごろだ。
やめてと言っても通じない相手には、全て力で解決してきた。
私が昔ガキ大将をも沈めた――いや、鎮めた自慢の力こぶを盛り上げて見せると、ユーティスは目を細めた。
「相変わらずなようで安心したが、そろそろ腕に頼るのはやめておけ。同じ年頃が相手じゃ勝てんだろう」
「まだいけるわよ」
相手があんたみたいに鍛えてなければね。
そう言う暇はなかった。
私の言葉にユーティスは、息をつく間もなくカウンターに手をつくと、だん、と床を蹴った。ひらりと身を翻してカウンターを飛び越えたかと思うと、あっという間に私の体はカウンターに縫い留められる。
私の体はユーティスとカウンターに挟まれ身動きがとれない。
しかもカウンターについた彼の腕で顔の両脇を挟まれ、見たくもないのに整った顔、まさに見かけだけは王子様なフェイスを直視せざるをえなくなる。
だから目の毒だって!
「ちょっと、いきなり何? どいてよ」
必死にその胸を押し返そうとするが、ぴくりともしなかった。
「と、いうように、おまえはもう俺にも勝てん。わかったらそろそろお転婆は控えておけ」
くそう。
美麗な顔で命令するな。その低い声で耳元に囁くな。いや低くなくても耳はやめてくれ。
「わかったから!」
完全な負けを認めると、ユーティスはぱっと身を離し、再びカウンターをひらり飛び越えて元の椅子に収まった。
解放され、内心でほっと息を吐く。
心臓に悪いので本当やめてほしい。
まったく、そんなことされたら並みの乙女じゃない私だってそりゃときめくわ。
顔が赤くなっていたとしたら癪なので、しばらく薬草棚でも見て気持ちを落ち着けておこう。
私はカウンターとユーティスに背を向けたまま口を開いた。
「ユーティスこそ、そろそろその仮面も脱いだらいいじゃない。もう命を狙われるだけの子供じゃないでしょ。ユーティスのことだからもう味方も作って周りを固めてるんだろうし、布陣も万全になった頃なんじゃない?」
「ほう?」とユーティスが上げた声には楽しさが滲んでいた。
「なんだ。そこまでわかってたか。おまえはつくづく面白い。やっぱり俺が見定めた通り、飽きそうにないな」
そんなことで私をオモチャにされても困る。殺すよりうまく裏で操る方がいいと思わせ、生き延びるためにアホの子を演じていたのは、状況から考えればわかることだ。
「周りが騙されてくれる素直な人ばかりでよかったじゃない」
国の重臣たちに対して「バカばっかりで」、とは言えないので大分オブラートに包んだ。私だって言葉に気を遣えるのだ。
けどユーティスには私が呑みこんだ言葉まで伝わっていたものらしい。
「俺を見ていないだけだ。バカなわけじゃない」
そんなもんだろうか。
第一王子なんて、王宮にいたら嫌でも目につくと思うんだけど。
いい加減頬も冷えた頃かと振り向けば、その目はどこか寂し気だ。きっとユーティスは気が付いていないんだろうけど。
もしかしたらよく見ていない、というより、自然と距離を取ってしまっていたんじゃないかな。
ユーティスは幼い頃からとても聡い子供だった。だからこそ邪魔に思われたのだろうし、単純にとっつきにくかったんだと思う。
それがアホの子になって帰ってきたから、周囲も疑うよりほっとしたのかもしれない。それに、まさかプライドの高そうなユーティスがそんな演技をするなんて思ってもみないんだろう。
「でも、いつまでもこのままってわけにもいかないでしょ」
「まだだ。今はまだ時期じゃない」
私には国のことも政治のこともわからないから、ユーティスが言うならそれまでだ。
あ、そう。と返した私に、ユーティスは席を立ちあがり暇を告げた。
「と、言うわけでまた明日も来るぞ。気力が回復する薬草茶でも用意して待っておけ」
「300ニールになります」
「友人相手に商売する気か」
「殿下と私がいつ友人になったんでしたっけ」
幼い頃、「おまえが持ってきた薬はまずくて飲めん」とか言われたことは忘れていない。終始そういう調子だったのに、どうやって友人としての信頼関係が築けたと言うのか。
だが予想に反してユーティスは、いやに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ほう……。それはいい。話が早く済みそうだ」
ん?
なんで毒づいた言葉にそんなに喜ぶ?
「友人からだとなかなか次に進みにくいとよく聞くからな」
小さく呟かれた言葉は、よく聞こえなかった。
ただ、とっても悪そうな顔で笑っていたので、触らぬ神に祟りなしとばかりに訊き返しはしなかった。
だけど。
正直を言えば、母を亡くし、一人でこの店に立つのは暇なことが多いし、いらぬことを考えてばかりだったから、毎日のように決まった時間にユーティスとくだらない話をしたり舌戦を繰り広げたりするのは嫌じゃなかった。
ユーティスも、毎日ニコニコ仮面をかぶっていたせいか、その頃から少しずつ柔らかい顔も見せるようになったなと、今は思う。
黒髪に黒い瞳で一見すると冷たく見えるユーティスが、私とのつまらない話でくつくつと笑ったりするのを見るのも、嫌いじゃなかった。
でもそんな日々はある日突然終わりを告げた。
ユーティスの父、前国王が崩御したからだ。
ユーティスの命を狙っていた第二王子派と第三王子派は、愚者の仮面をかぶったユーティスが王位継承者として相応しくないとの世論が高まると、今度は互いを敵として見定め、王子たちはその犠牲となってしまったのだ。
結果として、この時王位継承者として生き残っていたのは、ユーティスただ一人だった。
だからユーティスは愚王と呼ばれる傀儡の国王となり、学園に通うこともなくなり、そしてこの薬屋にも現れなくなった。
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