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第一章 国王陛下のおなり

7.国王陛下に女傑にされました

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「なるほどねえ。リリアと国王の間にはそんな繋がりがあったんだね。それにしたっていろいろと驚くところもあったけど、王宮に行きたくない理由はわかった気がするよ」

 ラスがくりくりとした翡翠色の瞳を感嘆と納得の色にきらめかせ、もう一度「なるほどねえ」とため息を吐くように相槌を打った。

「そう。ユーティスから毎日のように学園に通う貴族の愚痴とか聞いてたし、王宮が陰謀まみれだってことは幼い頃から嫌というほど思い知ってたもの。宮廷薬師なんて、とても考えられない」

 そのことはユーティスだって百も承知のはずだ。
 それなのにいきなり城へ来いなんて、そもそもがおかしい話だった。
 父を心から慕っていたユーティスが、本心からあんなことを言うわけもなかった。母のことも、あのユーティスが料理がおいしいと褒めるくらい、二人には心を開いているように見えたから。

 こうやって冷静に考えればあの時のユーティスはおかしいことだらけだったのに、一週間前に亡くなったばかりだった父のことを持ち出されて、ついかっとなってしまった。

 それもこれも、愚王の仮面を脱ぐため利用されたのだ。
 二年前に彼は、まだ時期じゃないと言った。あれからずっと機会を狙っていたのだ。
 そして今、政権を己の手に取り戻す機がやっと巡ってきたのだろう。

 それにしたって、私を巻き込むなとは思ったけど。
 なんとなく、その答えはわかっている。
 ユーティスが完全な為政者としてこの国に君臨したことを、てっとり早く人々に知らしめるためだったんだと思う。
 そうして正統な王位継承者であるユーティスが国王として相応しい英知を取り戻したとなれば、国民感情を味方につけることができる。そこにまた毒殺など企めば、民の反感が国に向かうぞと、王宮の人々を牽制したんだろう。
 王宮内で同じことをしても、噂が国民に知れ渡るにはタイムラグがある。その間にまた暗殺されてはたまらないから、こんな町中であんな小芝居を繰り広げたのだ。

 ただ、ユーティスは副産物を置いていった。
 私は『国王の目を覚ました女傑』ということになってしまった。
 おかげでどんな女が店主かと恐れられ、一見の客はめっきり来なくなった。
 来るのは常連の客か、ラスのような暇を持て余した近所の人々だけだ。
 完全なる営業妨害なので、後日訴えようかなと思う。

 そんな物騒なことを考えていると、ふわふわとした長い茶色の髪を弄んでいたラスがじっとこちらを見ていた。
 その目には気づかわしげな色がある。

「でもさー、こんな小さい薬屋やってるよりも宮廷薬師の方が安定して稼げるのは確かじゃん。……これからはリリア一人なんだからさ、先を見据えて選択肢の一つとして考えてみたら?」

 父が亡くなってから一週間ほどしか経っていない。ナイーブな話題だけど、それでも口にしたのはやはり気にしてくれているからだろう。
 私も先のことを何も考えてないわけじゃない。

「うーん。目標のためにお金が欲しいって本音はある。けど反対にこの薬屋も畳んでしまおうかと思ったこともある」

 そう言えば、ラスがわずかに目を瞠った。
 私は苦笑して続けた。

「あの時ユーティスにかっとなって引っぱたくほど腹を立てたのは、それが図星だったせいもあるんだ」

 ユーティスが言っていたことはただの事実だ。薬は父と母の命を助けてくれるものではなかった。
 薬も医者も万能ではない。
 全ての病に特効薬があるわけではない。
 だからこそ一日一日を大切に生きなければならないと、父は言った。だけどなかなか呑み込めるものでもなかった。

「両親とも薬で助けることはできなくて、やさぐれちゃってたんだね」
「うん。でも、そんな時に思い出したのが、皮肉にもユーティスのことだったんだよね」

 ユーティスがうなされながら必死に毒と戦っていたこと。
 父がユーティスのために日々の具合に合わせて慎重に調合していたこと。
 そうして父の調合した薬で快復し、ユーティスが王宮へと戻っていく姿を見送りながら、薬ってすごい、と思ったこと。

「薬で助かった人がいることも確かだもんね。私だって胃もたれしたときにリリアの薬は本当に助かってるし。おかげでいろいろと楽になったんだよ。感謝してるんだから、そういうときは私のことも思い出してよね」

 ラスの言葉に「ありがとう」と笑って頷く。
 ラスのことだって勿論そうだ。
 薬は万能じゃない。だけど助かる命がある。生きるのが楽になることもある。決して無意味じゃない。そのことを思い出して、私は無常観から抜け出すことができたのだ。

「でも、だったら宮廷薬師になって国に関わる人たちを助けるってのはやりがいのあることじゃない?」
「引っ掛かってるのはそこなのよ。あんなにユーティスを苦しめて、殺そうとした人たちが王宮にはいる。そんな人たちのために、危険をおかしてまで働きたいとはどうしても思えない」

 ユーティスがまだ幼い体で必死に毒と戦っていた、あの記憶は鮮明だ。
 それにずっと先の話だけど、いつか貧しい人にも必要な薬が行き渡るようにするのが私の夢だ。まだ一部の薬は高価で、誰もが自由に手にできるわけじゃないから。
 だからお金を稼ぎたい気持ちは確かにあるけど、手段はちゃんと選ばないと。

「なるほどね。リリアが宮廷薬師になりたくない理由は、よくわかった」
「いくら稼ぎがよくても、何事も命あってのことよ。陰謀渦巻く王宮なんかで過ごす方が致死率高いと思う」

 そう言うとラスは、「致死率! 確かに!」と腹を抱えて笑った。
 いやいや、笑い事じゃない。けっこうマジな話なんだから。

「まあ、何年も王位継承者が毒殺される事件が相次いだもんね」

 目の端に溜まった涙を拭いながらラスに言われて、頷く。
 その結果ユーティスが生き残り、愚王の仮面を被ったまま傀儡政治が始まったのだ。それでもなおこの国が崩壊していないのは、ユーティスがうまくコントロールしていたか、任せておいても問題ない人たちだったのか、まだ膿がでていないからなのだろう。
 それもユーティスがわざわざあんな小芝居をしかけて愚王の仮面を脱ぎ捨てたことを思えば、三番目の可能性が高いのかもしれない。
 だとしたら、ユーティスはこれから腐った政治に切り込んでいくのだろう。
 幼少の頃から彼の苦悩や苦労を知っているから、ユーティスには頑張ってほしいと素直に思った。
 主に、私の安定した薬屋生活を守るために、だけど。

 考え続ける私に、ラスは小さくため息を吐くとカウンターの椅子からひょいっと降りた。

「まあ、今日はリリアの気持ちが聞けてよかったよ。これからのこともさ、拘らずにいろんな可能性を考えてみたらいい。まだまだ先は長いんだからさ」
「うん、ありがとう。久しぶりに会えて嬉しかったわ」

 そう言って、はたと思い出す。

「そういえば、ラスと前に会ったのっていつだったっけ。随分久しぶりな気がするんだけど」

 それに、どことなく前と印象が違う気がする。
 前はスラっとしたシンプルな服を好んでいたのに、今日は肩回りもふわっとした服を着ている。髪の毛も、うざったくはないのかと思うほど頬にかかっていて、はっきりさっぱりさばさばとしていたラスらしくない。

「ああ。えー……と。いろいろあって、ね。また近いうち、毎日会うようになると思うよ」
「別に毎日は来なくていいわよ。ラスだって暇じゃないんでしょ」
「まあ、今日の所はお暇するよ。またね、リリア」

 そう言ってラスは茶色の髪をふわりとなびかせ扉の外に出て行ってしまった。
 扉が閉まる前、その後ろ姿にリリアは首を傾げる。
 どことなく、服がむちむちとしていたような気がする。特に、肩と腕。
 何か鍛え始めたんだろうか。
 あれは太ったとかじゃない、筋肉だ。
 というより、肩幅とか骨格自体が、こう、大きくなったような?

 ふと思う。
 ラスって、普段何をしているんだっけ。
 町に住む子供たちは初等部が六年、中等部に二年通うのが普通で、十六歳にもなれば大抵は働き始める。
 ラスが何歳なのか聞いたことはなかったけど、見た感じは私と同じ十六歳くらいだと思う。
 祖父の持病の薬を買いに来たことから仲良く話すようになったんだけど、こうして考えてみると実はラスのことをほとんど知らないということに気が付いた。

 この薬屋にはラスの他にも、老舗の薬屋の娘エトさんや、ひょんなことから仲良くなったルーラン伯爵夫人が遊びに来てくれる。
 エトさんからも果物の砂糖漬けにハマってる話や、ルーラン伯爵夫人がパーティで見た素敵なカップルの話とか、いろんな話を聞いたけど、不思議とラスからはラス自身の話を聞いたことがないように思った。

 こんな性格だったから友達なんてあまりいなかったけど、みんな私のことを面白がってよく遊びに来てくれた。
 だから一人で店番をしていても、特に寂しいと思うことはなかったし、この薬屋を続けたいと思った。
 ラスも、間違いなく私を支えてくれた一人だ。
 いつも私の話ばかり聞いてくれていたんだから、今度はラスにもいろいろと聞いてみよう。

 そう思っていたけど、私がラス自身のことを聞くのは、ここではない場所になった。
 それもこれも、全部ユーティスのせい。


 そう。
 完全に終わったこととして、私は気を抜いていたんだ。
 私はまだユーティスの真の目的に気が付いていなかった。
 ちゃんと彼は『また来る』と言い置いていたのに。

 でも私だって言い訳したい。
 父が亡くなったばかりで、実のところ私はまだぼんやりとしていたのだ。

 まさか、彼がそこまで計算に入れていたとは考えるまい。

 ――考えるまい。
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