上 下
59 / 61
第五章 魔王、帰る

最終話.タマ、帰る

しおりを挟む
 半年が過ぎても珠美は帰ってこなかった。



 あの日ラースは、小屋近くの異世界への出入り口まで見送った。

「いってきます」

 そう言って笑ったのを合図にするように、足元の地面にぽっかりと穴が開き、珠美は落ちて行った。

 この世界に落ちてきたように、あちらの世界でも空から落ちたりしないのだろうか。
 あちらで珠美はうまく魔力が使えるのだろうか。空から落ちても生きているだろうか。
 そんなことが心配になってラースはクライアに詰め寄ったが、「大丈夫、大丈夫」と全く信用ならない返事が返っただけだった。

 クライアは珠美が改革した魔王の仕事を引き継いだ。
 これまで人々のためにならねばとがむしゃらにやってきたが、魔王として、力を持つものとしての役割を見つめ直し、珠美が残した方法のほうがよりよいと判断したらしい。

 クライアがこれまで身を粉にして人々の間を駆け回ってきたのは、初代魔王田中の考えを受け継いだためもある。
 だがそれだけではなく、初代魔王田中の犠牲の元、強大な魔法が使えるようになったのであり、それを人々に還元しなければならないと考えていたからだった。
 
 今は国民やクルーエルからの依頼はギルドが管理することになり、対応しきれないものは適任者に割り振った。
 珠美が気にかけていた治水工事も始められた。
 農業も地域や季節にあわせた作物が作られるようになり、魔王の力に頼らず育てられるようになっていった。

 クライアは嵐や大雨、噴火など人の力で対応できないような災害から人々を守った。
 戦争には決して介入しないものの、クルーエルだけでなく、サンジェストやダーナシアなど国交のある国にも助力するようになった。

 他国から様々なものが流入するようになり、人々の間にも浸透していくと一層にぎわった。話題が増え、笑顔が増え、人とのつながりが増え、人々の生活は豊かになった。

 珠美が目指した通り、モンテーナは変わり始めていた。

 ゼノンは竜の姿に変え、それらを空から悠然と見て回った。
 そして長い眠りについた。

 ゼノンは竜人ではなく、竜そのものであり、人の姿に変えていただけだった。
 人よりも長命ではあったものの、寿命は近かった。
 だが旅立つならもう一度珠美に会ってから、と言ってそれまで眠りにつくことにしたのだ。

 クライアとセレシアは一年後に結婚することが決まり、準備を進めていた。
 やる気はあるものの空回りしがちで暴走しがちなクライアを、セレシアはうまく誘導し、支えていた。

 ユラもソラも、モルランも、猫耳の獣人たちも、ミッドガルドも、変わったこの国を珠美に見てほしいと、帰りを待っていた。

 そうしてさらに時がたち、珠美が異世界へと帰ってから一年が経った。

   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 ラースが小屋の外で薪をくべ、その上で鍋をぐつぐつと煮ていると、珠美が『スペード型だ』と言っていた木の葉が舞い落ちてきた。
 鍋に入らぬよう手を伸ばせば、ひらりとその手をすり抜けていった。

 ラースが珠美と一緒にいたのはたったの八か月ほどのことだった。
 それなのに、ラースが過ごしたどんな時間よりも胸に色濃く残っている。
 戦いに身を投じていた日々よりも、腕を磨くために厳しい訓練に耐えていたときよりも。
 モンテーナへとやってきて、気ままな護衛生活をしていたときよりも。

 ベッドは変わっていないのに、一人で眠るベッドは広く感じた。
 朝起きると、自然と手が珠美のふわふわの髪の毛を探していた。
 夜中に肌寒さに目覚めることもあった。

 珠美がいない。

 ただそれだけの現実が、胸に大きな穴を開けていて、替わるものはなかった。

 前の日常に戻っただけだ。
 生活物資が乏しくなったら町へ買いに行き、お金がなくなれば隊商について護衛をする。
 そんな生活に不満を抱いたことなんてなかった。
 望んだままに生活していたはずだった。
 それなのに今は、ラースが求めているのはこれではないと強い焦燥感と寂寥感が胸を占めた。

 いつまででも待つつもりだった。
 それとは裏腹に、いつ帰ってくるのかと焦る気持ちが胸の底を炙った。

 やはりあちらの世界がよくなったのかもしれない。
 あちらで何かあったのかもしれない。
 親戚だと言う人たちに引き留められているのかもしれない。
 初代魔王田中の家族に会って、残された人を思い、考えを変えたのかもしれない。

 そんな風に考えても仕方のないことを延々と考えてしまうなど、女々しいと思うのに。
 こんな情けない自分がいたのかと、ラースは初めて知った。

 ため息を吐きながら鍋をかき混ぜれば、風の音が耳を通り過ぎていった。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 悲鳴みたいに木々の間を吹きすさぶ風に、ラースは目を細めた。

「ぁぁぁぁぁぁぁあぁあああぁあ」

 違う。

 風の音ではない。

「っあああああああああああぁぁぁあああ!!」

 落ちてくる。
 悲鳴が、落ちてくる。

 ラースは駆け出した。

 二年前に空から降ってくる珠美を見つけた場所へと。
 一年前に珠美を見送った場所へと。

「あああああああああああああああああ!!!! ラーーーーーースーーーーーー!!」

 見上げれば、両腕を広げて落下してくる珠美の姿があった。
 水色のワンピースにジーンズ。そして眼鏡はどこかへ吹っ飛んでいってしまったのか。あちらでも不要だったのか。

 その背には大きな荷物を背負っていた。
 まるで家出をしてきたみたいに。

「珠美!!」

 受け止めるつもりで、両腕を広げて待ち構えた。

「だめ、危ない、ぶつかるって! 二人とも死んじゃうって!!」

 珠美は慌てふためき、ばたばたと手足を動かした。
 ラースが動かないことを見てとると、こめかみに指を当て、ぶつぶつと口の中で呟いているのが見えた。
 もう珠美は城ほどの高さ。

 ラースが覚悟を決めたとき、珠美は見えない何かにばいん、と弾かれるようにして落下を止めた。
 そして再び緩やかに落下を始めた珠美を、ラースはしっかりと受け止めた。

「珠美。おかえり」

 腕の中には温もりがあった。
 懐かしくも『当たり前』となっていた温もりが。

「ラース! ただいま!」

 笑ってぎゅっと抱きついた珠美は、見送ったときと何も変わっていなかった。
 抜けるようなその笑顔に、ラースは腹の底から笑った。
しおりを挟む
script?guid=on
感想 4

あなたにおすすめの小説

空からトラブルが落ちてきた

ゆめ
ファンタジー
森の奥深くにある小さな村の領主は自分の人生に満足していた。 だが穏やかな日々は突然終わりを告げる。 静かな朝に空から落ちてきた『それ』によって。 どう扱ってよいか分からないので甘やかしたら懐かれた挙句、助けたお礼に国をくれるとか言い出した。 いやいらないんだが……言ってみたけど無視された挙句嫁も用意された吸血鬼の苦労話。 ※他サイトでも掲載中。

異世界の片隅で引き篭りたい少女。

月芝
ファンタジー
玄関開けたら一分で異世界!  見知らぬオッサンに雑に扱われただけでも腹立たしいのに 初っ端から詰んでいる状況下に放り出されて、 さすがにこれは無理じゃないかな? という出オチ感漂う能力で過ごす新生活。 生態系の最下層から成り上がらずに、こっそりと世界の片隅で心穏やかに過ごしたい。 世界が私を見捨てるのならば、私も世界を見捨ててやろうと森の奥に引き篭った少女。 なのに世界が私を放っておいてくれない。 自分にかまうな、近寄るな、勝手に幻想を押しつけるな。 それから私を聖女と呼ぶんじゃねぇ! 己の平穏のために、ふざけた能力でわりと真面目に頑張る少女の物語。 ※本作主人公は極端に他者との関わりを避けます。あとトキメキLOVEもハーレムもありません。 ですので濃厚なヒューマンドラマとか、心の葛藤とか、胸の成長なんかは期待しないで下さい。  

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

追放されて老女になった男爵令嬢は、呪われて子どもになったイケメン魔術師と暮らしはじめました~ちょっと噛み合わないふたりが、家族になるまで~

石河 翠
ファンタジー
婚約者のいる男性に手を出したとして、娼館送りにされた男爵令嬢リリス。実際のところそれは冤罪で、結婚相手を探していたリリスは不誠実な男性の火遊びに利用されていただけだった。 馬車が襲撃を受けた際に逃げ出したリリスだが、気がつけば老婆の姿に変化していた。リリスは逃げ出した先で出会った同じく訳ありの美少年ダミアンの世話役として雇われることになり……。 人生を諦めていて早くおばあさんになって静かに暮らしたいと思っていた少女と、ひとの気持ちがわからないがゆえに勉強のために子どもの姿にされていた天才魔術師とが家族になるまで。ハッピーエンドです。 この作品は、エブリスタ及び小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりアディさんの作品をお借りしております。

【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?

歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。 それから数十年が経ち、気づけば38歳。 のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。 しかしーー 「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」 突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。 これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。 ※書籍化のため更新をストップします。

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話。

美味しい料理で村を再建!アリシャ宿屋はじめます

今野綾
ファンタジー
住んでいた村が襲われ家族も住む場所も失ったアリシャ。助けてくれた村に住むことに決めた。 アリシャはいつの間にか宿っていた力に次第に気づいて…… 表紙 チルヲさん 出てくる料理は架空のものです 造語もあります11/9 参考にしている本 中世ヨーロッパの農村の生活 中世ヨーロッパを生きる 中世ヨーロッパの都市の生活 中世ヨーロッパの暮らし 中世ヨーロッパのレシピ wikipediaなど

異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜

山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。 息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。 壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。 茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。 そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。 明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。 しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。 仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。 そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。

処理中です...