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第五章 魔王、帰る

1.空飛ぶ竜の背中で

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 ラースは珠美を膝の前に座らせ、その体と両腕でがっしりと囲むようにしてゼノンの背に乗った。

 船でサンジェストへ向かったのとは比べものにならないほどに、あっという間に景色が行き過ぎる。
 小竜とも速さが全く違った。

 下から見上げていたときには優雅に見えたが、実際にその背に乗ると気を緩めれば振り落とされかねないほどだった。
 ゴオゴオと耳を打つように向かいから吹きすさぶ風はすさまじく、その背も空を泳ぐように波打つからだ。
 ラースがいなければ珠美は乗ることもできなかっただろう。
 よくも簡単に背に乗れと言ったものだと、ラースは文句を言いたくなった。

「ねえ、ラース」

「なんだ、タマ」

「さっきシルビアさんに何て言われてたの?」

「ああ……」

 振り仰ぐように振り向いた珠美は、しかしすぐにぱっと前に向き直った。
 思ったよりも顔が近くにあって驚いたのかもしれない。
 何か月も体が小さいままでいたから、元の体にまだ慣れないのだろう。
 ラースは思わず苦笑した。

「まあ、疑いが晴れたってとこだな」

「なにそれ?」

 不可解そうに、そしてラースが笑ったせいか不満そうに問われたが、ラースはそれ以上答えなかった。

『隊長が本当にロリコンになったわけじゃないってわかって、安心しました』

 シルビアはそう言ったのだ。
 そうしてちらりと珠美を見たことを、珠美は知らない。

 ラースは珠美の頭に顎を乗せ、大きくため息を吐き出した。

「なに?! 痛いんだけど! 顎がささってるよ!」

 猛然と抗議するものの、珠美はゼノンのたてがみに捕まるのに必死で手を離さない。
 振り払うように頭を振ると、逆にぐりぐりと顎がささる。

「痛いってば!」

「ははははは! 心配させた罰だ」

「なにそれ?!」

 わかっている。
 王子からの呼び出しがあったら応えないわけにはいかなかったことを。
 しっかりと伝言も残していったし、珠美に落ち度はない。

 わかっている。

 だが生きた心地がしなかった。
 クエリーの元へ行ったと聞いた時から。
 王族の居住区域へ踏み込もうとして衛兵に止められ、モンテーナの魔王の護衛という身分をかざし、宰相を呼びつけ、共に踏み込むまで。

 クエリーに組み敷かれたようになっている珠美をその目にした時など、気がおかしくなりそうだった。
 あの場でクエリーに殴りかからなかったのは、珠美の目がラースを見て潤んだのを見たからだ。
 その双眸からぽろりと涙が零れたのを見たからだ。
 助けを得たように、その顔がほっとして、そして輝いたのを見たからだ。

 一瞬の間に珠美は自らクエリーの腹に一撃を加え、その下から逃げ出した。
 飛びついてきた珠美をその手に抱きしめた時、やっと呼吸ができた気がした。
 胸いっぱいに息を吸えば、珠美の変わらぬ匂いに胸が満たされ、安堵した。
 力強く抱きしめるほどに、その力が返されて。

 誰にも渡したくないと、強烈な思いが沸いた。

 誰にも指一本触れさせたくないと。

 どうしようもないほどに、身を焦がすほどに胸の底から沸きあがるそれを自分ではどうにもできず、ただ珠美を抱きしめた。
 しがみつくように抱きつく珠美が愛しくてたまらなかった。
 その場でどうにかしてしまいそうなほどに。

 この強い強い風に吹き晒されて、ラースの煩悩も一緒に流れて行ってしまえばいいのに。
 ラースの体にすっぽりと収まる、この小さくて懸命に生きる命がそこにある限り、その思いは捨て去っても、風に流しても、後から後からラースの中に沸いてくるのだ。

 もう否定はできない。
 もう奥底にしまうことはできない。

 ラースは珠美が好きだ。
 これまで他の誰かにこんな思いを抱いたことなどない。嫉妬で狂いそうなほどに、一人の人間を思ったことなどない。帰らないでほしい。ずっと傍にいて欲しい。そんな風に強烈に願ったことなど、なかった。

 だが珠美には帰るべき世界がある。
 珠美を無理矢理縛り付けるようなことはしたくない。
 珠美には珠美らしく生きてほしいし、望む通りに生きてほしい。

 そう思うのに、理性ではない部分が願っていた。
 ずっとこの世界にいたいと、珠美が思ってくれたらいいのに、と。
 ラースが、そう思わせられたらいいのに、と。
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