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第四章 魔王、旅に出る

8.殿下のお誘い

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「タマミ、この後少し時間をもらえないかな?」

 クエリーの言葉に珠美は戸惑い、思わずラースを見上げた。
 昨日までより近くにあるラースの顔は、どこかむっつりと怒っているようにも見える。

「どのようなご用件ですか」

 どこかつっけんどんに返したラースに、クエリーは面白そうに眉を吊り上げた。

「ラース。別にタマミはおまえのものではないだろう?」

 さすがに王子相手に失礼だったと、珠美は慌てて声を上げた。

「いえ、あの。先程詳細も詰めることもできましたし、必要な書類もいただきましたし。国を長い時間空けることもできませんので」

 口を開いたものの、何と言えばいいかわらかずしどろもどろに「だからお暇しようかと」と珠美が続けようとすると、クエリーは「そうだ」と思いついたようにぱん、と手を打ち鳴らした。

「二国間の友好の証に私にタマミをもてなさせてはくれないかい? 急ぐなら少しの時間でもいい。どうせラースは兵舎に寄るんだろう? 朝から兵士たちの気合が入っていたからね。その間だけ、タマミを預からせてもらえないか?」

「私は珠美の護衛なので傍を離れるわけにはいきません」

 頑なに答えたラースに、クエリーは「ははは」と軽く笑った。

「この王宮内で滅多なことがあるわけがないだろう? 私の護衛もいる。何よりタマミは強いんだろう? あのディザーナを容易く捕まえてしまうくらいに。ラースなんて用なしだったじゃないか」

「そんなことはありません! ラースがいなければ私は今ここには立っていませんでしたから」

 それは確かなことだ。
 いきなり異世界に落とされて不安だった珠美を助けてくれたのはラースだ。
 様々なことを教え、ここまで守ってくれたのも、ラースだ。
 思わず、ラースの服の裾を掴む手に力が入る。

 憤然と言い放った珠美はひょいっと脇を抱えられて、いつものようにラースの右肩に抱えられた。
 大きくなった体ではバランスがとれず、ぐらりと傾ぐ。

「ちょ、ラース、この体じゃ無理だってば!」

 慌てて首元にしがみついた珠美を今度は横抱きにして、ラースはけろりと言った。

「まあそういうわけで、これ以上護衛の仕事をさぼったらクビにされかねないんでね。タマからは離れませんよ」

 クエリーは驚いたように目を丸めていたものの、すぐに「ふうん」と面白がるように目を細めた。

「なるほどね? でもラース、タマミは昨日まで子供の姿だったんだろう?」

「それが何か? タマはどんな姿になってもタマですよ」

 その言葉に珠美はほっとするのを感じていた。

 何故だか今朝からラースの様子がおかしかったから。
 あまり目を合わせてくれないし、終始気まずそうにしていた。

 子供の姿ではなくなり、どこか変になってしまったのだろうか。
 それとももう子供ではないのだからもっとしっかりしろと思っているのだろうか。
 そんなことをずっとぐるぐると考えていたから。

 変わらないと言ってくれた言葉が胸に沁みる。
 嬉しくて、思わずしがみつく手に力がこもった。

 クエリーはそんな珠美の様子をじっと見ていた。
 そしてどこか諦めたように、肩をすくめて笑った。

「まあ、わかったよ。それなら、ラースが兵舎に寄った後……そうだな、昼食でもてなすとしようか」

「いえ、あのクエリー殿下、お気遣いなく。昨夜も今朝も十分においしくいただきましたので」

「これから貴国とは長い付き合いになるんだから、この機会に親睦を深めておくべきだろう?」

 代理とはいえ、珠美は国のトップとして今この国に来ている。
 あまりクエリーの誘いを無碍にすることもできない。

「わかりました。ではお言葉に甘えまして」

「うん。じゃあ、兵舎の方に迎えを寄こすから。そうそう、むさくるしい訓練に付き合うのが嫌になったら、いつでも私の元に来てくれていいからね。私は今日一日予定がないから」

 礼をしてその場を辞すと、クエリーはいつまでもその場でひらひらと手を振っていた。
 にこにことした笑顔が崩れることは終始なかった。

 なんとなく、底が知れないと思った。

「ねえ、ラースはクエリー殿下と親しいようだったけど。よく知ってるの?」

「まあな。だからこそ、タマにはあんまり近づいてほしくない」

「どうして?」

 珠美も何となく感じるところはあったが、ラースの意見を聞きたくて問えば、その顔は何と答えたらいいものか迷っていた。

「殿下は少々正直に生きすぎているところがあるからだ。たとえどんな手を使っても、欲しいものは手に入れる。さっきからずっとタマばかり見てただろう? たぶんこの国にも近隣の国にもないその容姿が珍しかったんだろうな。まさか魔王を囲うつもりではないだろうが、用心するにこしたことはない」

「囲う、って、それ……」

「そうだ。愛人として、って意味だよ。この国の王族は一夫多妻制だからな。既に側室が三人、本妻もいる」

 既婚者だったのか、と珠美は驚いた。
 二十五歳頃のように見えたから年齢的には驚くことでもないのだが、生涯現役とでもいうようなガツガツとした感じで妻帯者と言われたのが意外だった。
 しかし物珍しさから珠美までそこに加えようとされているのかと思うと、全力で首を振った。

「嫌。絶対イヤ。そもそも一夫多妻とか受け入れられない」

「はは。おまえは相手が一人でもわたわた手一杯そうだもんなあ」

「ちょっとラース! ……いや、うん、そうかもしれないけど。好きな人とかいたことないし、当然誰かと付き合ったこともないし」

「ああ、やっぱりなあ。ははは」

 何故か楽しそうに笑われ、珠美はむっと口を閉じた。

「万年色気ムンムンのイケオジに比べたらまだおこちゃまですし? 私はそんなのどうでもよかったんですーだ!」

 ついつい大人げなく返してしまえば、ラースは珠美の境遇を思い出したのか、笑うのをやめた。

「そうだったな。タマはずっとそれどころじゃなかったんだもんなあ。最初に会った頃はガッチガチで人を寄せ付けないところがあったから、本当に一人で生きてきたんだろうなあと思ってたが、最近はよく人にも柔らかい顔を向けてるからな。そんなこととは忘れてたよ」

 そう言われてしまうと、怒るに怒れなくなる。

「まあ、タマもこれからだ。自分の人生を生き始めりゃ、周りを見る余裕も出てくる。そうなりゃあっという間に好きな奴もできるだろう」

 珠美は何故だかラースの顔が見られなかった。
 どんな顔をしてそれを言っているのか、見たくなかった。

 珠美はラースに横抱きにされたままだ。
 いつもなら早く下ろしてと言うのに。
 珠美はしがみつく手にぎゅっと力をこめ、揺れる廊下に目を落としていた。
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