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第三章 魔王と人々
6.鬼軍曹
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一人さっぱりとした顔をしているミッドガルドに、ラースは答えなかった。
ラースの肩に乗せられたままの珠美は、二人の顔を交互に見まわした。
反応のないラースに、ミッドガルドは「あれ、違った?」ときょときょとしている。
「いやだってさ、サンガル虎の獣人で、褐色の肌に白髪って聞いたし。さっきから殺気がピリピリすごいし。そこらの隊商守ってるだけの護衛が、武器も抜かずに人を威圧してきたりしないだろ」
「だったらどうする」
初めて認めるような返答にミッドガルドの目が丸くなり、それから面白げに細められた。
「いや? どんなもんなのかなーってちょっと興味あったから。だってさ、無敗を誇ってたのにある時から姿を消したって聞いてたからさ」
「買いかぶりだ。無敗じゃない」
「そっか。負けたから逃げたわけ?」
「ちょっとミッドガルド!」
わざと挑発するようなことを言っているのか、思ったままに口に出るだけなのか。
珠美はラースの肩から飛び降りようとしたが、優しく掴まれていて動けなかった。
ラースは怒っていない。
平静だ。
「その通りだ。だがそれとお前に何の関係がある」
「単なる興味。俺は耳がいいからな。あちこち回ってるといろんな話が聞こえてくるんだよ。そんで他国を行き来する人が多い港町なんかで夜飲んでるとさ、元兵士の武勇伝とか、昔語りとかがよく始まっちゃうわけ。そこでよく聞いたんだよ。大剣をぶんぶん振り回して暴れまわってる男に遭遇したら命はないと思えとか、たった一人で一個小隊を壊滅させたとか」
噂と言うのは大抵が尾ひれはひれがつくものだ。
だがどうやら軍隊にいたというのは事実のようだ。
ラースがどれくらい強かったのかは平和な国に育った珠美にはわからないが、たぶん相当強いのだろうなとは感じていた。
いつも動きに隙がないし、気を抜いているように見えても、さりげなく常に珠美を守りやすい位置にいてくれているのだとわかる。
少なくとも、戦いや急襲されることには慣れているように思えた。
「噂なんぞ、『ほお、そうか』と楽しんでおくのがちょうどいいもんだ。いちいち真に受けるな」
ラースはそう言って流すと、ミッドガルドを回り込み、部屋の扉をガチャリと開けた。
「出口はここだ」
「ふうん。思ったより冷静だね。部下を全滅させて逃げた、っていう話も聞いたから、この話を出したら怒るかと思ってたのに」
ミッドガルドはラースを観察するように、じろじろとその顔を見た。
やはりミッドガルドは挑発していたのだ。
それがわかっていたからラースは敢えて否定もせず軽く受け流したのかもしれない。
だが珠美を支える腕に、一瞬ピクリと力がこもったのがわかったから。
もしかしたらそれは事実なのかもしれないと珠美は思った。
「タマはこの後も予定が詰まってるんでな。あんまり無駄話を続けるなら、今後お前は後回しにするぞ」
「あーごめんごめん、それは迅速対応がウリの俺の仕事に影響するからやめて。わかったよ、じゃあまたなタマ」
そう言ってミッドガルドはひらひらと珠美に手を振った。
と思った瞬間。
ミッドガルドの腕が空を割くように横薙ぎに払われ、黒い爪が鋭くひらめいた。
珠美は反応すらできなかった。
気づけばその腕はラースの手の中にあった。
強く捕まれているのか、黒く長い爪を生やした指は引きつるように強張っていた。
「はははやっぱり強いんだな。っていうか痛いんだけど。俺に殺気がないことくらいわかってんだろお? もうちょいと手加減しろよ」
「殺気があろうがなかろうが、冗談が過ぎる奴はお説教じゃ終わらせないのが軍のお決まりだ」
「俺軍人じゃないし」
「元軍人だとわかっていて手を出したのはお前だ」
「まあね? いいからそろそろ放してよ」
捕まれた腕の先はうっ血して青黒くなっていた。
「ラース、やめて!」
慌てて珠美がラースの腕に取りすがろうとする前に、ミッドガルドは解放された。
「うー、いてえ。本当に容赦ないのな」
「例え冗談でも次にタマに手を出すようなことがあったら、首だけで旅することになると思え。五体満足で自由な旅に出たかったら、余計な真似はするな」
「べーっつにタマを狙ったわけじゃないんだけどね」
「俺が担いでる以上、タマにも危険が及ぶことくらいすぐわかるだろう」
「余裕で止めたクセにー」
ミッドガルドが口を尖らせると、ラースは無言で足を直角に上げ、思い切りミッドガルドの腹に蹴りを入れた。
ミッドガルドは部屋の外へと吹っ飛び、転がった。
「ぐっへあ! ハンパねーな、おい!」
ラースは咳き込みながらうずくまるミッドガルドを部屋の外に放置したまま、扉を閉めた。
それからソファまで戻り、珠美をそっと下ろした。
「タマ、いいか。あいつには金輪際近づくな。あいつが来たときはソファの間隔ももっとあけて話せ」
「う、うん」
ミッドガルドはどこかやばいと思っていたが、やっぱり少々やばかった。
珠美が大人しく頷くのを見ると、ラースはソファに座り、ダガーの手入れを始めた。
珠美は、先程ミッドガルドが言っていたラースの軍人時代の話が気になった。
しかしおいそれと触れていい話題ではなさそうだった。
いつかラースは、珠美にも話してくれるだろうか。
珠美は胸の中で説明のできない気持ちが膨らむのがわかった。
それは不安なのか、単なる興味なのか。珠美自身にもよくわからなかった。
ラースの肩に乗せられたままの珠美は、二人の顔を交互に見まわした。
反応のないラースに、ミッドガルドは「あれ、違った?」ときょときょとしている。
「いやだってさ、サンガル虎の獣人で、褐色の肌に白髪って聞いたし。さっきから殺気がピリピリすごいし。そこらの隊商守ってるだけの護衛が、武器も抜かずに人を威圧してきたりしないだろ」
「だったらどうする」
初めて認めるような返答にミッドガルドの目が丸くなり、それから面白げに細められた。
「いや? どんなもんなのかなーってちょっと興味あったから。だってさ、無敗を誇ってたのにある時から姿を消したって聞いてたからさ」
「買いかぶりだ。無敗じゃない」
「そっか。負けたから逃げたわけ?」
「ちょっとミッドガルド!」
わざと挑発するようなことを言っているのか、思ったままに口に出るだけなのか。
珠美はラースの肩から飛び降りようとしたが、優しく掴まれていて動けなかった。
ラースは怒っていない。
平静だ。
「その通りだ。だがそれとお前に何の関係がある」
「単なる興味。俺は耳がいいからな。あちこち回ってるといろんな話が聞こえてくるんだよ。そんで他国を行き来する人が多い港町なんかで夜飲んでるとさ、元兵士の武勇伝とか、昔語りとかがよく始まっちゃうわけ。そこでよく聞いたんだよ。大剣をぶんぶん振り回して暴れまわってる男に遭遇したら命はないと思えとか、たった一人で一個小隊を壊滅させたとか」
噂と言うのは大抵が尾ひれはひれがつくものだ。
だがどうやら軍隊にいたというのは事実のようだ。
ラースがどれくらい強かったのかは平和な国に育った珠美にはわからないが、たぶん相当強いのだろうなとは感じていた。
いつも動きに隙がないし、気を抜いているように見えても、さりげなく常に珠美を守りやすい位置にいてくれているのだとわかる。
少なくとも、戦いや急襲されることには慣れているように思えた。
「噂なんぞ、『ほお、そうか』と楽しんでおくのがちょうどいいもんだ。いちいち真に受けるな」
ラースはそう言って流すと、ミッドガルドを回り込み、部屋の扉をガチャリと開けた。
「出口はここだ」
「ふうん。思ったより冷静だね。部下を全滅させて逃げた、っていう話も聞いたから、この話を出したら怒るかと思ってたのに」
ミッドガルドはラースを観察するように、じろじろとその顔を見た。
やはりミッドガルドは挑発していたのだ。
それがわかっていたからラースは敢えて否定もせず軽く受け流したのかもしれない。
だが珠美を支える腕に、一瞬ピクリと力がこもったのがわかったから。
もしかしたらそれは事実なのかもしれないと珠美は思った。
「タマはこの後も予定が詰まってるんでな。あんまり無駄話を続けるなら、今後お前は後回しにするぞ」
「あーごめんごめん、それは迅速対応がウリの俺の仕事に影響するからやめて。わかったよ、じゃあまたなタマ」
そう言ってミッドガルドはひらひらと珠美に手を振った。
と思った瞬間。
ミッドガルドの腕が空を割くように横薙ぎに払われ、黒い爪が鋭くひらめいた。
珠美は反応すらできなかった。
気づけばその腕はラースの手の中にあった。
強く捕まれているのか、黒く長い爪を生やした指は引きつるように強張っていた。
「はははやっぱり強いんだな。っていうか痛いんだけど。俺に殺気がないことくらいわかってんだろお? もうちょいと手加減しろよ」
「殺気があろうがなかろうが、冗談が過ぎる奴はお説教じゃ終わらせないのが軍のお決まりだ」
「俺軍人じゃないし」
「元軍人だとわかっていて手を出したのはお前だ」
「まあね? いいからそろそろ放してよ」
捕まれた腕の先はうっ血して青黒くなっていた。
「ラース、やめて!」
慌てて珠美がラースの腕に取りすがろうとする前に、ミッドガルドは解放された。
「うー、いてえ。本当に容赦ないのな」
「例え冗談でも次にタマに手を出すようなことがあったら、首だけで旅することになると思え。五体満足で自由な旅に出たかったら、余計な真似はするな」
「べーっつにタマを狙ったわけじゃないんだけどね」
「俺が担いでる以上、タマにも危険が及ぶことくらいすぐわかるだろう」
「余裕で止めたクセにー」
ミッドガルドが口を尖らせると、ラースは無言で足を直角に上げ、思い切りミッドガルドの腹に蹴りを入れた。
ミッドガルドは部屋の外へと吹っ飛び、転がった。
「ぐっへあ! ハンパねーな、おい!」
ラースは咳き込みながらうずくまるミッドガルドを部屋の外に放置したまま、扉を閉めた。
それからソファまで戻り、珠美をそっと下ろした。
「タマ、いいか。あいつには金輪際近づくな。あいつが来たときはソファの間隔ももっとあけて話せ」
「う、うん」
ミッドガルドはどこかやばいと思っていたが、やっぱり少々やばかった。
珠美が大人しく頷くのを見ると、ラースはソファに座り、ダガーの手入れを始めた。
珠美は、先程ミッドガルドが言っていたラースの軍人時代の話が気になった。
しかしおいそれと触れていい話題ではなさそうだった。
いつかラースは、珠美にも話してくれるだろうか。
珠美は胸の中で説明のできない気持ちが膨らむのがわかった。
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