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第三章 魔王と人々

2.魔王の女

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「あら? クライア様? クライア様! クライアさまあーぁぁぁァァァ!」

 やはり先程の叫びは彼女だったのだろう。

 年齢は珠美と変わらないくらいだろうか。
 こげ茶色の大きな瞳はまん丸で、頭の両端からは大きなリボンをつけているのかと見まがうような獣の耳が突き出している。
 耳もふわふわの髪と同じ薄茶色。髪の毛を大きなリボンみたいに結う髪型があるが、見た目はとてもそれに近い。つまりかわいらしい。
 体のラインがよく出たドレスはむちむちのバストが強調されていて、とにもかくにも主張の強い出で立ちだった。

「クライア様はどこ?」

 きょろきょろとこげ茶色の瞳が忙しく室内を見回し、やがて何度もスルーした執務室の椅子に座る珠美の姿に固定される。

「あなた、何故クライア様の椅子に座ってらっしゃるの? 一体どなた?」

「あ、私は――」

 怪訝な目を向けられ、珠美は慌てて椅子からぴょいっと飛び降り、挨拶を口にしようとした。
 しかしその声は、はっとしたように口を覆い、がくがくと震えだした彼女の様子に呆気にとられて言えなくなった。

「ま……、まさか……!! あなたは、クライア様の隠し子なの!?」

「違います!! 私はクライアの代理です。クライアは今――」

 とんでもない誤解に慌てて全否定するも、またもや彼女は暴走してしまった。

「代理?! どういうことなの! あなたが魔王の座を乗っ取ったというの?! まさか、こんな小さな姿でクライア様よりも強いだなんて、そんなこと――」

 だから今それを話そうとしていたのだが勢いがすごい。
 珠美は声を張り上げ、なんとか強引に割り込む。

「ですから! クライアは私が元いた世界、日本にいます。そこで人探しをすると言っていました。その間の代理として今私がここにいるんです」

「なんですって……?」

 愕然としたように言葉を失う様子に、珠美はラースと目を見合わせた。
 ラースも珠美を守るようにすぐ傍に移動していたが、あまりの勢いに気圧されている。

「クライア様が、いない……。せっかく、やっと会えると思いましたのに。ねえ、クライア様はいつお戻りになるの?」

「一年で戻ってくると言っていました」

 その言葉に、さらにショックを受けたように立ちすくんだ。

「一年……ですって?!」

 ふらりとよろめき、なんとか自力で踏ん張ったものの、何事かを呟きながらよろよろとしている。

「あ、あのー、大丈夫ですか?」

「――そんなに長いこと不在にされるだなんて。その間にクライア様が浮気でもしたら私は……」

 よろり、よろりと執務机の方に近寄ってきながら、こげ茶色の瞳が珠美の姿に据えられる。

「あなた……、まさか、クライア様の女じゃありませんわよね? 代理などと言ってその椅子に座っているのも、次期王妃の座をクライア様から約束されているのでは」

 隠し子だとか王妃だとかあちこち飛びまくる誤解が忙しい。

「いえいえいえ、そうではなく! クライアとはロクに会話もしてないし、私はわけもわからずこの世界に落とされただけで、元の世界に帰りたいんです。一年したら帰ります。ですからクライアとどうこういうことは絶対にありえません! ね、ラース!」

 手と首をぶんぶんと振り全力で否定してみせてもまだ疑う目が向けられており、珠美は慌ててラースに援護を求めた。
 しかしラースはどこかぼんやりとしていた。

「お? おお。まあ、そうだったな。タマは一年で帰るんだったな」

「そうだってば! だから私とクライアはすれ違いになるので、心配はまったくいりません!」

 第三者の言葉があれば落ち着くと思ったのに、頼りのラースに忘れていたように言われると心許ない。
 しかし彼女はひとまず納得してくれたようで勢いと疑う目線を収めてくれた。
 それからはっとしたように、改めて淑女の礼をとった。

「そう言えば私、まだご挨拶申し上げておりませんでしたわね。いきなり駆け込んだ挙句に疑うようなことばかり、失礼いたしました。私はクライア様の婚約者でありケアルン族の族長の娘、セレシア=エテュースと申します」

「私はタマミ=ヤマモトです。耳慣れない名前だと思いますので、好きにお呼びください」

「違う世界から来たというのは本当ですのね。ではタマ様、改めてお聞きしますがクライア様から何か私宛てに言伝などはありませんでしたか?」

 祈るように手を組み合わされて見つめられても困ってしまう。
 あのわずかな時間で、珠美だって聞きたいことも聞けないままだったのだ。
 仕方なく事実を伝える。

「いえ。ただ、『ちゃんと帰るから』ってみんなに伝えて、と」

 たいして情報のないその言葉にも、セレシアはうるうると大きな丸い瞳を潤ませた。

「クライア様……! そうなのですね。きちんとお帰りになるのね。でしたら私、待ちますわ。三日でも、一か月でも、一年であっても!」

 どうやら一年が我慢の限界らしい。
 ぐっと握り締めるように拳の形を変えたセレシアに、珠美は曖昧な笑みを向けることしかできなかった。

「でも」

 ふと気が付いたように、セレシアは小さく首を傾げた。

「人探しとは、一体なんでしょう。確かに初代魔王様は日本からいらしたようですが、クライア様が知ってる方などいらっしゃらないでしょうに。タマ様は何かご存じ?」

「いえ、私も目的は聞いていません。ただ、張り紙には永住できる人を求めると書いてありましたので――」

 永久就職という言葉は避けた。
 こちらの世界でその言葉がどのようなイメージを持って使われるものかはわからないが、下手なことを言ってまたセレシアを刺激してしまいたくなかった。
 しかし、クライアのことに敏感であり、かつ局所的にやや悲観的なセレシアは十分に聞きとがめてしまったようだった。

「永住できる、人――? どなたか目当ての方がいらっしゃるのではなくて、クライア様が選んで帰って来るということね?」

 ごごごごご、とセレシアの背後に昏い炎が見えるようだった。

「それは――クライア様は伴侶を探しに行ったということではなくて……?」

 それは永久就職という言葉の響きから、珠美も自然と考えたことではあった。
 新しい魔王として迎えることもでき、その人との間に子供を成せばより盤石だから。

 しかし婚約者の前でそれを口に出すことはできない。しかもこれだけ昏い嫉妬に燃え上がっていては。

「わ、わかりません。ただ、クライアは現在の体制に不安を抱えていたのかなと思うんです。私はクライアのことはよく知りません。だけど、きっと国のことは誰よりも考えていたと思います。だから……」

 その先をうまく続けることはできなかった。

 だが珠美にもクライアの日記を読めばわかった。
 終始にこにことしていて頼りなさげに見えもしたが、日記にはびっしりと書き込みがあったから。
 クライアは歴代の魔王たちと同じように、国のために日々考え身を粉にしていたのだ。

 珠美が言葉を止めたのは、クライアが新しい魔王を探しにいったのは自らの寿命が長くはないと悟っていたからかもしれないとは、セレシアに聞かせられなかったからだ。
 クライアを心から慕っているらしいセレシアがそれを聞いてしまったら、どれほどのショックを受けてしまうか。
 それも部外者の珠美から告げられていい話ではない。

「そう……ですわよね。けれど、現在の体制に不安とは? 具体的に何を憂えておいでだったのでしょう」

 次々と返る質問に、珠美はうっ、と言葉を詰まらせた。
 どうしよう、とちらりとラースを見上げるが、何故か別のことを考えているようで視線が合わなかった。
 ラースが自分の考え事にとらわれているなど珍しい。
 先程からどこか様子が変だった。
 珠美がラースに声をかけようと口を開きかけたとき、のんびりとした声が部屋に飛び込んで来た。

「あ、いたいた。おはよ~。タマちゃん、今日もまだ元気に生きてるねー。よかった、よかった」

 その口調とは不釣り合いに不穏なことをのたまいながら、開いたドアから顔を覗かせたのは、ゼノンだった。
 珠美はセレシアの眉が険しく顰められるのを、しっかりと見た。
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