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第一章 まだ時給を聞いてない

9.猫耳に囲まれて

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 にやにやとした笑みを浮かべている男たちが六人。
 先程喋った男は猫目で尖った三角の耳、尻尾は白と茶色の縞々だ。

 ――茶トラ?

 完全に猫だ。
 猫の獣人だ。
 他の男たちも毛色は違えど、みな一様に吊り目で尻尾を生やしており猫のような特徴を持っていた。

 それぞれに武器を手にしていて、山賊とか、盗賊とか、そういう類に見えるような出で立ちでなければ会話を試みる気にもなれたかもしれないのだが。
 囲まれてしまうと、珠美の背を恐怖が這い登った。
 思わずラースに抱きつく腕に力がこもる。

 ――怖い。

 日本がどれだけ治安のいい国だったかを思い知る。
 珠美はこれまでこんな荒っぽい場面に遭遇したこともないどころか、生で見たこともないのだから。

「そんなことを聞いてどうする?」

 ラースの落ち着いた声音が問い返せば、男たちはニヤニヤ笑いを深めた。

「いやあ。たまあにいるんだよ、他国からやってきて腕試しに魔王に挑みに行くってやつが。ついでにこの国を乗っ取ろうとか考えてなあ。あんた、その褐色の肌は南方の国のモンだろ?」

 この国は魔王の絶対的な力によって統治されているから戦も飢えもなく平和なのだと言っていた。
 他国の人々からしたら、そんな環境は羨ましく、狙われてもいるのだろう。

 しかし珠美が仮の魔王だから城に向かっているのだとは言えない。
 珠美はただ身を縮めて状況を見守るしかなかった。

「出身は南方だが、この国に流れ着いてもう数年になる。いまさらそんな気は起こさん」

「んなこたあ俺たちが知りようもねえことだ。まあ荷物、置いて引き返せや。魔王になんざ勝てるわけがねえんだから俺たちで我慢しとけ」

 ――聞いた意味!

 結局話を聞かないのであれば、何故聞いたのか。
 言いがかりをつけたいだけで、最初から荷物が狙いだったのかもしれない。
 男たちはラースの前に立ちはだかるように広がった。
 ラースは相変わらず「んー」と頬をぽりぽりとかいていたが、左手で珠美を抱いたまま「しょうがねえなあ」と腰のダガーを握った。

 勝負は一瞬だった。
 ダガーを握ったのはフェイクで、ラースは腰に下げていたナイフを素早く投げつけたのだ。
 猫目を最大限に見開いた茶トラの男は寸前で押されたようにしてよろりと避けたが、顔に深い裂傷が走った。
 血が噴き出し、仲間が慌てる。

「おい、卑怯だぞ!」

 大勢で囲むのは卑怯ではないのか。

「いや、武器を抜いたのはそっちが最初だろ。絡んできた以上はもっとうまく避けろよ」

 呆れたラースには目もくれず、男たちはすぐに茶トラの男の手当てを始めた。
 武器もそこらに放り投げて。

 こうなると本当に男たちの目的がよくわからない。
 単に戦いたいだけなら、やられることも想定した上で来いと言いたくなる。
 荷物を奪いたいだけなら、もっとうまく交渉すればいいのに。

 猫目の男たちは手当におおわらわで、ロクに話も聞いていない。

「おいおい、戦いの最中に敵に背を向けるんじゃねえよ。やられる覚悟もない奴らが安易に武器を手にするな。なんなんだお前らは……」

 ラースもすっかり困惑していた。
 珠美は茶トラの傷が気になり、ラースの胸元からおろおろと首を伸ばした。

「だってよお、今は何人たりとも魔王城に近づけちゃならねえと思ってよお」

 灰色の尻尾の男はもはや半べそだった。眉を下げ切って、耳がぺたんと垂れている。スコティッシュフォールドか。

「おい、バカ、余計なことは言うな!」

「あ、ごめん兄貴」

 その「しまった!」感が溢れる会話だけで、何だか男たちを憎めなくなる。
 何か事情があるのだろう。
 というよりも、魔王城の何かを守ろうとしていたのではないか。
 そう思って珠美がラースを見ると、同じことを思ったようだ。

 白い尻尾の男は半泣きどころか既にぐすぐすと泣いていて、「血が止まらねえよお」と茶トラの頬の傷に必死に布を当てていた。

「ラース、お願い下ろして」

 見ていられなくなり、珠美はラースの手からするりと下りた。

「あ、おいタマ!」
「傷、見せてもらってもいい?」

 ラースが止めるのを聞かず、少し離れたところから、男たちにそう声をかける。

「なんだよお、お嬢ちゃんに何ができるってんだよお」

 遠目に見ていた白と黒のブチが恨めし気な目を珠美に向ける。
 残りの二人、小柄でそっくりな黒い尾の男たちは、端の方で二人固まっておろおろとそれを見ていた。

「できるかどうかはわからない。けど、やってみるから。近づいてもいい?」

「甘いねえ。そもそもそいつらは回復力だって人間の何倍もあるし、それほどの傷でもないんだけどなあ」

 ラースの嘆息が聞こえたが、珠美は聞こえないフリをした。
 男たちは珠美のすぐ後ろに立つラースが顔をしかめているのをこわごわと見上げたが、それ以上文句を言われないと見るや、白い尾の男が珠美に場所を開けた。

「ありがとう」

 珠美は礼を言って、茶トラの男の前にひざまずいた。
 白い尾の男がどんどん赤く染まっていく布をそっとどけると、そこからまた血がだらだらと流れていき、慌てて元に戻し、抑える。
 かなり深く斬れているようだ。
 ラースは問題ないと言ったが、珠美には本当に大丈夫なのかどうかわからない。それなのに見捨てて去るのは嫌だった。
 まだ魔法の練習もロクにできていなかったが、ダメ元でもやってみた方がマシだ。
 意を決めると、珠美は茶トラの男の傷が塞がるところをイメージした。
 元の肌の状態を思い出し、できるだけ具体的に。

 傷の深さは指一本が埋まるほどはあったように見えた。
 長さは五センチほど。
 ぱっくり開いた傷口は一センチほどもあったかもしれない。
 眉間にぐっと皺を寄せ、それらがくっつくイメージを浮かべる。

 ――お願い、治って。

 ぐっと拳を握り締め、祈るように念じると、苦しそうに目を瞑っていた茶トラの男がぱちりと目を開けた。

「あれ。痛くねえ。痛くなくなった」

「え?」

「兄貴、一体……」

 茶トラの男はむくりと立ち上がると、灰色の男が必死に抑え付けていた布をどけた。
 そこは血にまみれていたものの、茶トラの男が腕でぐいっと乱暴に拭うと、跡が残るだけで傷は塞がっていた。
 綺麗な肌を思い浮かべたつもりだったが、治す、くっつけるというイメージから無意識に術後のイメージを浮かべてしまっていたのかもしれない。
 もっと綺麗にできたかもしれないのにと思うと申し訳なかったが、男たちは血の出なくなったそれを見ると一斉に珠美を振り返った。その勢いに、咄嗟にラースが珠美を守るように後ろからひょいっと引き上げる。
 ラースの肩に乗せられた珠美を、男たちはきらきらとした瞳で見上げ、口々に「ありがとうございます!」と涙を浮かべた。

「奇跡だ!」

「いや魔法だろ」

「でも詠唱も魔法陣もなかったんだぞ!? これが奇跡でなくてなんなんだ」

「もしくは魔王かだな」

「ははは魔王様は今ご不在じゃないか、何を」

 灰色の男が言いかけて、黒の男二人がばっとその口を塞ぐ。
 二重三重に口と鼻を覆われた灰色の男は、顔を真っ赤にしてばんばんとその手を叩いた。

「ぶっは!! すまん、すまんけど、鼻まで覆うな! 死ぬわ!」

 兄弟なのか、顔もそっくりな黒い男二人は何も言わず、ごめん、というように身を縮めた。

 そんな様子に、ラースはやれやれとため息を吐き出した。

「まあこれに懲りたら訳のわからん難癖はもうつけんなよ。お前らがそんなことしたら命がいくつあっても足りんぞ」

「すいやせん。非常時だったんで、ちょっと俺たちもどうしたらいいかまだごたついてて……」

「こんなこと今までなかったもんで」

「でもあんたたちが悪い奴らじゃないのは大体わかったよ。目的は気になるけど、まあ、通っていいよ」

 何故この男たちの許可が必要なのか解せないところではあったが、縄張りということなのだろうか。

「じゃ、あの、すいませんでした。私達はこれで失礼します」

 何故か珠美がそう謝って、ぺこりと頭を下げる。
 と、その拍子にかぶっていたフードがはらりと落ちた。

「あ」

 慌ててかぶりなおしたが遅かった。

 猫目の男たちが一斉に目をまん丸にするのが見えた。

 珠美を担いでいたラースが、やれやれと嘆息した。
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