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第一章

第1話

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 私の願いはただ一つ。
 誰にも迷惑をかけずに生きていたい。
 けれどそれが何よりも難しい。

 私は生まれたことすら疎まれていた。
 レジール国には『滅びの魔女』の言い伝えがあるからだ。
 他国から嫁いできた王妃が亡くなる時に『私が死んだらその三百年後に生まれ変わり、この国を滅ぼす』と言い残したのだという。
 その『三百年後』であるレジール暦五百六十七年の五の月十日があと一年に迫ると、人々はどこの家に『滅びの魔女』が生まれるのか、誰か身ごもってはいないかと周囲を窺うようになった。
 一年は十三の月あり、十二の月までは三十日で、十三の月だけ五日。四年に一度だけ、十三の月は六日になるから――と、誰もが自分の家族が五の月近くに出産になどならないよう、時期を計算していたと思う。

 私の生まれたノーリング伯爵家も例外ではなかったけれど、長く子宝に恵まれず、ひと月でも早く子を宿せと父方の祖父母が両親を急かしたらしい。
 言い伝えの時期は避けたものの、結果として身ごもった子どもは六の月十五日頃に生まれるだろうとされた。
 きっちり十月十日で生まれてくるわけではないとしても、どの家も前後一か月は避けようとしていたはず。
 それでも初産は予定日より遅れることが多いと言われているらしく、一か月も早く生まれてしまうなどとは考えていなかったのだろう。

 けれど出産というものは人の自由にはならないもので。
 ある嵐の日、母は腹の痛みを覚え、産気づいてしまったという。
 それは予定日より一か月も早いはずの、まさに五の月十日だった。
 月が満ちた日や嵐になると、お産になることが多いらしい。
 なんとか日をまたぐまで生まれてしまわぬよう、秘密裏に産婆と医者が呼ばれた。
 しかし、産気づいてしまってから抑える方法など医者も産婆も知らなかった。
 ひたすらいきむのを我慢し、痛みに耐えて静かに呼吸を繰り返すしかなかった母だったが、願いも虚しく私はその日のうちに生まれ落ちてしまった。

 あと一時間もすれば日が変わるところだった。
 両親も、医者も産婆も、日をまたいでから生まれたことにしようと暗黙の了解があり、私の産声は外に漏れぬようにと布団をかけられ、押し込められた。
 しかし、不運は続き、その日酔っ払った父の弟が唐突にやってきて、我が家の張り詰めた空気に異常を察し、使用人たちが止めるのも聞かず部屋に乱入してきたのだ。
 誰かが死んでしまったと勘違いしたものらしい。
 だが用意されていた産着や産湯を目にし、さらには母の体の横をふっくらと覆う布団、そこから漏れ聞こえる赤ん坊の泣き声に事態を悟り、『滅びの魔女が産まれた』と大騒ぎをしながら家を出て行ってしまった。

 嵐がやってこなければ。
 叔父がやってこなければ。
 せめて叔父が酔っ払ってなどおらず冷静で、共に秘密を負ってくれさえすれば、我が家から『滅びの魔女』が生まれたなどと人々に知られずに済んだのだけれど。

 きっと、広いこの国には私以外にも予言の日に生まれた子どもがいるはずだ。
 母のように抑えようともお産になることはあるし、日をまたぐまでその誕生を隠し通せただけだろう。
 だから、人々に知られたせいで『滅びの魔女』と呼ばれることになったけれど、私が本当にそうかどうかはわからない。
 言い伝え自体が本当に起きることなのかもわからないし、実際のところはみんな半信半疑なのではないかと思っている。
 けれど、他人の不幸は蜜の味という。

 ――『滅びの魔女』を家の外に出すな。
 ――『呪いの王妃』が亡くなったのと同じ十八歳になればこの国を滅ぼすのに違いない。
 ――だが赤ん坊を殺すのは忍びない。
 ――国王もさすがに十八歳になるまでには処刑するだろう。

 普段は、笑い、穏やかに会話をしている町の人々が、私に対してはこのように悪意を向けた。
 言い伝えが絶対にないなどと誰にも言えない中で、不安を払拭したいというのはわかる。
 真偽など重要ではなく、娯楽の少ない日常の中で、格好の憂さ晴らしとされたのだろう。

 人々がそうして騒ぐ反面、国はこれまで『滅びの魔女』に対する処遇を明らかにしていない。
 まだ何もしていない赤ん坊を殺すことに同情論もあったし、言い伝えを根拠に首を刎ねるようなことをすれば近隣諸国に愚かだと謗られかねないからかもしれない。

 けれどやがて、私が十八歳になるまでに処刑されることは決定事項かのように人々の口にのぼるようになった。
 先の見えないことは誰にとっても不安で、そうに違いないと思い込むことで人々は安心を手に入れようとしたのかもしれない。

 ――カミア村が魔物に襲われたらしい。この国は結界に守られているはずなのに、『滅びの魔女』のせいに違いない。
 ――タムール地方で水害が起きたらしい。きっと『滅びの魔女』のせいだ。

 いやいや私は何もしていない。

 最近では各地で起きた災いはなんでも『滅びの魔女』のせいとされているけれど、私は物心ついた頃から今に至るまで、この国を呪ったこともなければ滅ぼそうと思ったことも一度もない。
 特別な力なんて持ってはいないし、格別に頭がいいわけでもなければ、並外れた筋力があるわけでもない。
 そんなことを大声で叫んだとて、なんでも『滅びの魔女』のせいにして現実から目を背け、あるのかないのかわからないものを恐れ、排除したがるこの国の人たちの心には響きはしないのだろう。

 最も現実から目を背けていたのは父かもしれない。
 父は生まれたのは男だということにしたかったらしく、私に『ルーク』という名を付け、男の格好をさせた。
 しかし『滅びの魔女』がノーリング伯爵家から生まれたという話は既に広がってしまっている。
 書類に男と書いても、虚偽の報告をしたとしてお咎めを受けることになるのはわかりきっていたから、見かねた母方の祖父母が『シェリー・ノーリング』として届けを出すようにしてくれた。
 シェリーと名付けてくれたのは母だ。
 母は私をかわいがってくれていたものの、やっと産んだ子どもが後継ぎとして歓迎されるどころか『滅びの魔女』としてあらゆる人から敵意を向けられ、心も体も弱ってしまったらしい。
 その上、ノーリング伯爵家にしてみれば、私は十八歳までの命なのだから他に後継ぎが必要だった。
 結果として弱った母は無理に妹キャロルを出産することになり、命を落としてしまった。

 父はすべてを私のせいだと言って疎んじた。
 そんな中で私が生きられたのは、母方の祖父母が私を引き取り、十歳まで育ててくれたからだ。

 祖父母は私をこの国から逃がそうとしてくれた。
 レジール国が接しているのはビエンツ国、ドゥーチェス国。
 竜王が治めるグランゼイル国とも接しているけれど、もちろんそこに逃げ込もうとは考えなかった。
 ビエンツ国は文化が近く、言葉も文字も暦も同じだから馴染みやすそうだけれど、間に険しい山脈があるのが大きな障壁。
 だから選択肢としてはドゥーチェス国一択なのだけれど、やはりこちらも山道がある。
 それほど険しいわけではないけれど、まだ小さな私を連れての逃亡は厳しかった。

 それで私が育つのを待つ傍ら、祖父はドゥーチェス国の伝手を頼り、準備を進めた。
 祖母は私に伯爵家の娘としてだけでなく、ドゥーチェス国の言葉、暦や文化、さらには生き抜く術などあらゆる教育を受けさせてくれた。
 けれど私の体が大きくなり、体力をつけるのと同時に祖父母も年を重ねる。
 祖父母も衰えないようにと健康維持に努めていたけれど、だんだんと体が思うように動かなくなっていき、計画を見直さねばならなくなった。
 結局この国から逃げ出すことは叶わぬまま祖父母は事故と病により相次いで亡くなってしまい、十歳を迎えたばかりの私は生家であるノーリング伯爵家へと戻ることになったのだけれど。

 あの日のことは今でもよく覚えている。
 自分の家族がなかなかな人たちだと、身に染みて思い知った日だから。
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