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Ⅹ.15歳の少女
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でかでかと書かれたテナント募集中の文字を、四葉は呆然と見上げた。ついこの前来たばかりだと言うのに、事務所は跡形もなく消え去っている。
四葉はビルをぐるりと回り、裏口に向かった。見覚えのある、たっぷりのフリルとレースにあしらわれたドレスを着ている人影が見える。ミウの横にはじっとうつむく、見知らぬ少女の姿があった。
「ああ、よかった。藤倉様が来てくれて助かりましたわ!」
四葉の姿を認めたミウが、ぱっと顔を輝かせる。ミウの声に押し上げられるようにして、少女が顔を上げた。一見したところ、中学生くらいだろうか? 大人顔負けの整った顔をしているが、その肌は透けるように青白く、顔色の悪さが際立っている。サイズの合っていない灰色のスウェットを着込み、目にかかるほど長くなった前髪の間から四葉の様子をじっと窺っており、四葉はその厳しいまなざしに晒されて無性に落ち着かない気持ちになった。
「その子は……?」
ミウがちらりと少女のほうへ視線を投げかける。
「おそらく、わたくしたちが捜していた人ですわ」
緊張からなのか、喉が鳴る。四葉はおそるおそる、少女と視線を合わせた。
「名前、聞いてもいいかな」
「……日之出、朱里」
「今、15歳だよね?」
四葉の質問に、日之出朱里と名乗った少女はこくんとうなずいた。無意識のうちに詰めていた息を吐き出す。
トントンと肩を叩かれ、四葉は朱里から目を逸らした。ミウが耳元に顔を寄せてくる。
「わたくしは凛月と一緒にオーナーの日之出を追います。藤倉様は朱里様を連れて戻っていただけますか?」
四葉は返事をする代わりに顎を引いた。ミウにはそれだけで伝わったらしく、ドレスの裾をふわりと翻して表通りへ出て行く。裏口に朱里と二人残され、四葉は考えを巡らせた。ひとまず、ミウの言う通りに彼女を連れて第二ボイラー室へ戻ることが最善策だろう。
朱里は大人しく、四葉が行動を起こすのを待っている。難しく考えても仕方がない。自分にやれることを、精いっぱいやるしかないのだ。
四葉は朱里についてくるよう言うと、来た道を黙々と引き返した。
◇ ◇ ◇
温かい紅茶の入ったマグカップを両手で抱える朱里は、年齢以上に幼く見えた。青白い顔に浮かぶ不安げな表情が余計にそう思わせるのかもしれない。
四葉は会話の糸口を探すように、宙に目をさまよわせた。
「今は、中学生?」
朱里がマグカップを抱えたまま、こくっとうなずく。
「今日は学校、休みかな?」
「……去年から行ってないです」
不登校、ということだろうか。学校に行っていないことを責めるつもりはない。誰にだって、色々な事情がある。それに四葉も一時期、学校に行かなかったことがある。「行かなかった」というよりは「行けなかった」のほうが正しいかもしれないが。
凛月との会話で、四葉は自分の常識が必ずしも相手の常識とは限らないことを知った。彼女を傷つけないように、慎重に言葉を選ぶ。
「なにか、困ったこととかない?」
「困ったこと?」
「その、例えばだけど、大人の人に無理やり働かされている……とか」
「それって、お父さんのことですか?」
お父さん、と口の中で呟く。朱里はマグカップの中を覗き込んでいた視線を上げた。覇気のない顔の中で、二つの瞳だけが異常に強い輝きを放っている。四葉が気圧されていると、朱里はまた顔をうつむけて紅茶を啜った。
「お父さんに言われたんです。学校に行かないなら、働けって。それで、去年から――」
四葉はこみ上げる嫌悪感を必死に飲み下しながら、尋ねる。
「聞いてもいいかな。どんな仕事、してるの?」
朱里がぐっと息を呑む。彼女は時折、四葉の反応を窺うように視線を上げながら、ぽつぽつと自分の身に起きたことを語った。
両親が離婚し、父親に引き取られたこと。その父親は風俗店のオーナーをやっていること。同級生からの嫌がらせが原因で、学校へ行けなくなったこと。学校へ行かない代わりに父親の経営する店で働いていること。
朱里の口から飛び出してきた言葉は半ば予想通りだったとはいえ、聞いているこちらのほうがショックを受けるものばかりだった。彼女自身、18歳に満たない自分が風俗店で働くことの違法性をよくわかっているようだ。
「でもわたし、学校も行けないから……」
不登校であるという負い目が、彼女を違法な労働に縛り付けていることは明白だった。それに15歳の少女にとって、自分の親ほど影響力を持つものはないだろう。子どもの世界は狭い。習い事などをやっているならまだしも、大半の子どもは学校と家庭が世界のすべてだと言っても過言ではない。
朱里の場合は学校に居場所をなくし、頼れるのは父親しかいなかったのだ。子どもを庇護するべき親が、子どもに無理な労働を強いる。四葉はこれまで朱里が置かれてきた環境の凄まじさに、そっと目を伏せた。どんな慰めの言葉も、彼女の前ではなんの意味も持ちそうになかった。
「確認、なんだけど」
なんとか言葉を絞り出す。四葉は祈るような気持ちで朱里に問いかけた。
「朱里ちゃんは、その仕事辞めたいと思ってるんだよね?」
お願いだから、一言でいいから、「辞めたい」と言って欲しい。朱里が一言言うだけで、凛月は動いてくれる。警察に日之出の悪事の証拠を突き出せる。
四葉がじっと見つめる中、朱里は小さくうなずいた。
そして消え入りそうな声で、「ずっと辞めたいと思っていました」と囁いた。
四葉はビルをぐるりと回り、裏口に向かった。見覚えのある、たっぷりのフリルとレースにあしらわれたドレスを着ている人影が見える。ミウの横にはじっとうつむく、見知らぬ少女の姿があった。
「ああ、よかった。藤倉様が来てくれて助かりましたわ!」
四葉の姿を認めたミウが、ぱっと顔を輝かせる。ミウの声に押し上げられるようにして、少女が顔を上げた。一見したところ、中学生くらいだろうか? 大人顔負けの整った顔をしているが、その肌は透けるように青白く、顔色の悪さが際立っている。サイズの合っていない灰色のスウェットを着込み、目にかかるほど長くなった前髪の間から四葉の様子をじっと窺っており、四葉はその厳しいまなざしに晒されて無性に落ち着かない気持ちになった。
「その子は……?」
ミウがちらりと少女のほうへ視線を投げかける。
「おそらく、わたくしたちが捜していた人ですわ」
緊張からなのか、喉が鳴る。四葉はおそるおそる、少女と視線を合わせた。
「名前、聞いてもいいかな」
「……日之出、朱里」
「今、15歳だよね?」
四葉の質問に、日之出朱里と名乗った少女はこくんとうなずいた。無意識のうちに詰めていた息を吐き出す。
トントンと肩を叩かれ、四葉は朱里から目を逸らした。ミウが耳元に顔を寄せてくる。
「わたくしは凛月と一緒にオーナーの日之出を追います。藤倉様は朱里様を連れて戻っていただけますか?」
四葉は返事をする代わりに顎を引いた。ミウにはそれだけで伝わったらしく、ドレスの裾をふわりと翻して表通りへ出て行く。裏口に朱里と二人残され、四葉は考えを巡らせた。ひとまず、ミウの言う通りに彼女を連れて第二ボイラー室へ戻ることが最善策だろう。
朱里は大人しく、四葉が行動を起こすのを待っている。難しく考えても仕方がない。自分にやれることを、精いっぱいやるしかないのだ。
四葉は朱里についてくるよう言うと、来た道を黙々と引き返した。
◇ ◇ ◇
温かい紅茶の入ったマグカップを両手で抱える朱里は、年齢以上に幼く見えた。青白い顔に浮かぶ不安げな表情が余計にそう思わせるのかもしれない。
四葉は会話の糸口を探すように、宙に目をさまよわせた。
「今は、中学生?」
朱里がマグカップを抱えたまま、こくっとうなずく。
「今日は学校、休みかな?」
「……去年から行ってないです」
不登校、ということだろうか。学校に行っていないことを責めるつもりはない。誰にだって、色々な事情がある。それに四葉も一時期、学校に行かなかったことがある。「行かなかった」というよりは「行けなかった」のほうが正しいかもしれないが。
凛月との会話で、四葉は自分の常識が必ずしも相手の常識とは限らないことを知った。彼女を傷つけないように、慎重に言葉を選ぶ。
「なにか、困ったこととかない?」
「困ったこと?」
「その、例えばだけど、大人の人に無理やり働かされている……とか」
「それって、お父さんのことですか?」
お父さん、と口の中で呟く。朱里はマグカップの中を覗き込んでいた視線を上げた。覇気のない顔の中で、二つの瞳だけが異常に強い輝きを放っている。四葉が気圧されていると、朱里はまた顔をうつむけて紅茶を啜った。
「お父さんに言われたんです。学校に行かないなら、働けって。それで、去年から――」
四葉はこみ上げる嫌悪感を必死に飲み下しながら、尋ねる。
「聞いてもいいかな。どんな仕事、してるの?」
朱里がぐっと息を呑む。彼女は時折、四葉の反応を窺うように視線を上げながら、ぽつぽつと自分の身に起きたことを語った。
両親が離婚し、父親に引き取られたこと。その父親は風俗店のオーナーをやっていること。同級生からの嫌がらせが原因で、学校へ行けなくなったこと。学校へ行かない代わりに父親の経営する店で働いていること。
朱里の口から飛び出してきた言葉は半ば予想通りだったとはいえ、聞いているこちらのほうがショックを受けるものばかりだった。彼女自身、18歳に満たない自分が風俗店で働くことの違法性をよくわかっているようだ。
「でもわたし、学校も行けないから……」
不登校であるという負い目が、彼女を違法な労働に縛り付けていることは明白だった。それに15歳の少女にとって、自分の親ほど影響力を持つものはないだろう。子どもの世界は狭い。習い事などをやっているならまだしも、大半の子どもは学校と家庭が世界のすべてだと言っても過言ではない。
朱里の場合は学校に居場所をなくし、頼れるのは父親しかいなかったのだ。子どもを庇護するべき親が、子どもに無理な労働を強いる。四葉はこれまで朱里が置かれてきた環境の凄まじさに、そっと目を伏せた。どんな慰めの言葉も、彼女の前ではなんの意味も持ちそうになかった。
「確認、なんだけど」
なんとか言葉を絞り出す。四葉は祈るような気持ちで朱里に問いかけた。
「朱里ちゃんは、その仕事辞めたいと思ってるんだよね?」
お願いだから、一言でいいから、「辞めたい」と言って欲しい。朱里が一言言うだけで、凛月は動いてくれる。警察に日之出の悪事の証拠を突き出せる。
四葉がじっと見つめる中、朱里は小さくうなずいた。
そして消え入りそうな声で、「ずっと辞めたいと思っていました」と囁いた。
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